【Episode22】
京都映画での監督稼業
──まだまだ続く二足の草鞋
その7
前号まで
「斬り捨て御免!Ⅲ」の監督作品8本目は「赤い人魚は死神の使者」だった。これ以前の何作かと同様にアクションや立ち回りが主体の作品だった。
印刷前の台本を読む主役
「斬り捨て御免!Ⅲ」の台本作りは、基本的に制作会社の歌舞伎座テレビ(京都映画の佐々木Pを含む)と脚本家で進めていた。それにテレビ東京の意見を加え、でき上がったモノを主役の中村吉右衛門氏に読ませるという段取りを踏んでいた。吉右衛門氏の意見を入れて直した後の台本が監督に渡されるというシステムだ。主役とは言え、監督より先に俳優に読ませるといことは、他の番組ではあまりないことだ。
私の場合は、佐々木PのAPと兼任みたいなところがあったので、プロットや準備稿の段階で読まされることもあった。そこで意見は言えたのだが、主役がOKした台本を監督が「面白くない」と大幅な直しを要求することは、難しい雰囲気だったような気がする。
「人間を描く」ことを斬り捨て御免!にした?
この文章を書きながら、フト思った。今回、「斬り捨て御免!Ⅲ」シリーズの数本のビデオを見ての感想だ。歌舞伎座もテレビ東京も、メインライターの鈴木生朗さんも、ひょっとすると中村吉右衛門氏も、どこかの時点で、ゲストの人物像をちゃんと描こうという気が無くなったのではないだろうかと。それよりも、展開の面白さやアクションやエピソードの面白さ、登場人物の奇抜さ、主役の芝居の面白さや格好の良さを追求したのではないかと。それが彼らの言う「007のような時代劇」だったのではないかと。
シリーズ当初の数作品は大物女優がゲストで登場し、主役の出雲とがっぷり組んだシーンも多かったので、それなりに人物が描かれていて気にならなかった。だが回を重ねてくると(ゲストが大物スターで無くなってくると)、ゲストがストーリーを展開させるための部品になってしまった。
何故か?人間を描こうとすると、その人物の背景や生きて来た境遇、性格や考え方などを、組み立てていかなければならない。そしてそれらのことを描くには、それなりのエピソードが必要だし、そのためのスペース=尺数が必要になってくる。ということは、ゲストの人物像をしっかり描いていくと、「斬り捨て御免!Ⅲ」でやろうとした派手な展開やアクション、面白いエピソードなどを入れる尺数が足りなくなってしまうのだ。
もうひとつある。絶対的大ワル「翁の御前」の設定だ。毎回登場する「翁の御前」一味は、背景や人間性は一切関係なく、一味というだけでワルなのだ。こういった、ドラマ構造の単純化が、「人間を描かない」という原因になっていたのではないだろうか。
だが、本来のホン作りは、人間もしっかり描き、面白さも過不足なく入れるという難しい命題を、工夫に工夫を凝らして、限られた尺数のなかに何とか収めていく苦しい作業だ。それを、関係者たちはどこかで「エイヤ!」と、「人間を描く」という部分を「斬り捨て御免!」にしてしまったのではないだろうか。
遊びに徹した第18話
さて、そういう状況で作られ続けた「斬り捨て御免!Ⅲ」シリーズだったが、今回第18話「赤い人魚は死神の使者」のビデオを見て驚いた。意外と面白いのだ。もちろん「人間を描く」という部分は欠落しているのだが、妙なものでそういう色気が全くないので、逆にスッキリと遊びに徹しているのだ。まずは、「赤い人魚は死神の使者」のあらすじを簡単に書いておこう。
第18話「赤い人魚は死神の使者」あらすじ
蔵前の札差大西屋(西山嘉孝)は、米相場の操作を規制しようとした町奉行の排除を「翁の御前」に願い出る。翁一味の幹部・友三郎(三沢慎吾)に命じられた暗殺集団は、奉行の行列を襲い皆殺しにする。花房出雲(中村吉右衛門)はその暗殺集団が見せ物小屋の一座と当たりをつけた。一座は座長・長兵衛(西田良)、凄まじい剣捌きを見せる唐人の唐一官(福本清三)、短剣投げを得意技とする軽業師・小六(森山陽介)、それに半裸の人魚姿が売り物のおえん(三条泰子)だった。出雲はおえんに誘われて屋形船に乗る。屋形船は暗殺集団のバズーカ砲により爆破される。続いて、大西屋が口封じのために一官と小六によって殺害される。大西屋の後を付けていた大助(長門勇)与四郎(伊庭剛)も危機に落ちる。それを救ったのは出雲だった。出雲に惚れたおえんに助けられていたのだ。出雲たちが駆けつけた見せ物小屋では、おえんが拷問されていた。待ち構えていた殺し屋たち。出雲VS唐一官、大助VS長兵衛、与四郎対小六の死闘が始まる。
荒唐無稽を貫いた娯楽作
あらすじを読んで頂いてもわかるように、唐人の剣士、軽業師、人魚、果てはバズーカ砲まで登場する荒唐無稽な作品だ。脚本の鈴木生朗さんも活劇編と割り切って書いているので、変に生真面目なところがなく、中途半端に「人間も描かなければ」という落とし穴は端から排除されていた。私ももともとこういったシッチャカメッチャカの活劇編は嫌いではない。ビデオを見ても随所で思い切ったことをしているし、アクションもしっかり工夫して撮っていた。我ながらなかなか見応えのある娯楽作品だった。
端っから人を喰った設定だった。冒頭の蔵前札差「大西屋」のお祓い場面だ。二百十日や二百二十日を過ぎても台風が来ないので、米の値が上がらない。怒った大西屋の主人が、お供えの御神酒を放り投げてしまう。そのお神酒をせしめた大助が、その神事の説明を与四郎にするという趣向だ。
続いて、町奉行の行列が襲われるシーン。霧雨だ。私は普通の雨降らしよりも霧雨が好きだった。「何かが起きそうだ」と予感がするではないか。出た!暗闇の中に異様なシルエット。武士や町人ではない。髪を結い上げて頭頂で団子にしている。袖の裾が広い上着。唐人だ。いきなり唐人の殺し屋が現れた。予感通り、これまでのシリーズにはない展開だ。動揺する行列。さらに唐人の遥か頭上。高所に張り渡されたロープにぶら下がる影。コウモリか?いや、人だ。人が逆さにぶら下がっている。軽業師の小六だ。いきなり短剣を投げる。短剣に刺し貫かれ、次々と倒れる供侍たち。小六が地上に飛び降りる。その地上。唐人が剣を振り回す。クルクルと手品のように回転させる。両刃の剣が閃く。その度に供侍が絶叫して倒れる。「何者だ!名を名乗れ!」叫ぶ町奉行。唐人がブッキラボウに応える。「唐一官」。一官の剣が一閃する。奉行の首が宙を飛ぶ。小六が剣を投げた。ロープもろ共に短剣に刺し貫かれる奉行の首。獄門のようにロープ上で揺れている。
アクション俳優森山陽介
次は、出雲が見せ物小屋で小六や唐一官の腕前を目撃するシーンだ。小六が垂直に立てた6m半の長梯子にスルスルと登り逆立ちする。現代にも伝わる鳶そのものの芸だ。もちろん小六役の森山陽介は、宍戸大全アクショングループのメンバーなので、吹替無しの彼自身によるアクションだ。もちろん、この作品で小六が演じる数々のアクションは、全て森山君が演じた。ちなみに彼の下の名前は、当時は大変に難しい字だった。糸偏につくりは上が「刀」で下が「兄」という漢字に「秀」だった。漢和辞典を調べても見つけることができない漢字だった。何と読むか分からない。このブログを書くのでネットで検索したら、この作品に出演した翌年に森山陽介と芸名を変えたようだ。後々は宍戸大全グループを引き継いで、「森山陽介アクションチーム」を率いていたとのことだ。私よりも若かったようだったが、残念なことに2022年に亡くなったらしい。
お気に入りのアクションシーン
さて次は、大西屋を暗殺するシーンだ。自分で言うのも何だが、このシーンはよく出来ていた。ロケ場所は糺の森。下鴨神社の南に拡がる森で、京都の撮影所のオープンセットと言っても良いようなロケ地だ。主たる撮影場所は、糺の森の南西角にある河合神社の土塀付近だ。「翁の御前」の許に向かう大西屋を乗せた駕篭が、河合神社の土塀の角を曲がる。その後を付ける大助と与四郎。暗殺劇はいきなりパン流しから始まる。パン流しとは、キャメラをビユッと思い切り早くパンする技法だ。急激な場面転換や何かが飛んでいるという描写に使う技法だ。このシーンの場合は、手裏剣が飛ぶという表現に使った。右から左へのパン流し。続いて駕篭かきAのアップショット、喉に刺さった短剣を握りしめて絶叫する。さらにパン流し。絶叫する駕籠かきBのクローズアップから速いズームバック、喉に刺さった短剣を握りしめて苦しむ。さらに、土塀向きの駕篭と駕籠かき入れ込みのルーズショット。叫び声を上げて駕篭を放り出す駕籠かきAB、駕篭が倒れると同時に大西屋が駕篭から飛び出したように立ち上がる。なぜこんな撮り方をしたのか?スピード感だ。このシーンは早いテンポで見せたかった。早いテンポでないとバレてしまう仕掛けが幾つもあったのだ。大西屋は当時60歳ぐらいの西山嘉孝さんだ。「ヨッコラショ」と立ち上がったのではスピード感が鈍ってしまう。最初から駕篭の向こう側で中腰でいて貰って、「ヨーイ、スタート!」でABが苦しみながら駕篭を倒す。同時に体を捻りながら西山さんに立ち上がって貰った。これで駕篭から転がり出るという感じになる。この一連のカットは、突如感、スピード感に溢れた繋ぎとなった。
しかしこのシーンの白眉は、その続きの場面だ。字コンテ風に書いてみよう。
①
ビュッと上から降って来るロープ。
②
首にロープを掛けられた大西屋が、悲鳴を上げながらフレームに引き摺り込まれる。パンナップ(注1)すると樹上でロープを手繰り上げる小六。ロープを持って反対側に飛び降りる。キャメラその動きをフォローしてパンダウン(注2)。
③
大西屋の体がグイ―ンと吊り上がる。
④
空中。キャメラ前を飛び降りてくる小六、キャメラ奥を吊り上下られていく大西屋の体。小六のいた枝まで吊り上がる。
⑤
土塀の角を曲がって来た大助と与四郎、驚いて駆け寄る。
⑥
俯瞰のロングカット。画面上部には高い枝の葉に頭を突っ込んだ大西屋の体。画面下部を大西屋の方に駆け寄る大助と与四郎。その時、左側にある土塀を飛び越えてフレームインして来る小六。
⑦
大木の幹バック。大助が小六を見てとっさに逃げる(フレームアウト)。幹に突き立つ短剣(注3)。
⑧
与四郎腕に短剣を受け転がる。
⑨
小六、木陰から姿を現し短剣を構える。
⑩
別の大木バック。大助と与四郎が大木の奥に隠れる。「ビシ」「バシ」と2本の短剣が大木に突き立つ(注4)。
40年後のいま、この場面のビデオを見た私は、どういう撮り方をしたのか分からなかった。それほど鮮やかに大西屋の樹上への吊り上げや短剣が突き刺さるカットが繋がれていた。私は何度もビデオを巻き戻して再生して、やっと思い出した。
吊り上げの肝は②③④だ。まず②で大西屋(西山嘉孝本人)と小六(森山陽介本人)の位置関係と小六のやろうとする意図を明確にした。そして小六が樹上から飛び降りそれを少しフォローすることでスピード感が増した。③は西山嘉孝本人を板の上に乗せ、ロープを引き上げながら、6人掛かりで「よいしょ」と持ち上げた。もちろん西山さんには最大限に苦しむ芝居をしてもらいながら。このカットを西山さんの顔がよくわかる所から、板やスタッフがバレる直前まで使った。そして④だ。下から上向きの引きの画にした。手前を森山君本人が飛び降り、同時に奥を、宍戸アクショングループが扮する大西屋の吹替が、手足をバタバタさせながら向こう向きで吊り上げられるという撮り方をした。これを一連で繋ぐと、「あれよ、あれよ」という間に西山さん本人が吊り上げられてしまうように見える。「ワ、スゴイ!」という感じになるのだ。④が吹替だということも、全然わからない。
⑥のロングのカットで枝に吊り下げられているのは、勿論アクションチームの吹替。左手前の土塀を小六が飛び越えて来るのは、トランポリンを使った。土塀の内側のフレームの外に大きなトランポリンを置き、森山君が俯瞰台の上からトランポリンの上に飛び降りる。そのバネを利用して土塀を飛び越し、土塀外のフレーム外に置いたマット上に飛び降りるという仕掛けだ。
逃げる大助や与四郎を追って、短剣が木の幹に突き刺さる場面は、視聴者の錯覚を利用した。⑦の場合は、まず画面の良きところに木の幹を置く。そして手前のバストサイズの大助が、小六の方(手裏剣が飛んで来る方向)を見て、左に逃げる(フレームアウトする)。キャメラを一旦止めて、キャメラを動かさないで木の幹に短剣を突き立てる。そしてキャメラを廻してから短剣をブルブルと震わせる。撮影したフィルムを中抜きして、大助がフレームアウトした直後と短剣がブルブル震えているところを直結で繋ぐ。そしてダビング(音入れ作業)で、短剣が飛んでくる音と刺さる音を入れると、「大助が逃げた後を追って短剣が突き刺さった」という感じになる。何度も見るとバレるが、一度見るだけでは、大助の動きと突き刺さる音に誤魔化されて本当に突き刺さったと錯覚してしまうのだ。基本1回しか見ないテレビ番組だから成り立つテクニックといえる。⑩も同じ手法を使っている。(注1注2:正式な撮影用語ではパンは左右にキャメラを動かす場合に使う。上下に動かす場合はティルトと言う。ティルトアップ、ティルトダウンだ)(注3注4:⑦⑩ともに同ポジションの2カットを繋いで1カットに見せている)
ゲスト俳優たち
出演者もそれぞれ楽しんでやってくれた。長兵衛役の西田良さんは東映のベテランのバイプレーヤーだ。口八丁手八丁の見せ物小屋の客引き係と、凄腕の殺し屋を演じ分けてくれた。前にも書いたが、東映にはピラニア軍団や悪役商会など、こういった芸達者な悪役バイプレーヤーが多かった。
第10話の盗賊役に次いで、この話の小六役も演じてくれた森山君については、すでに書いた。
唐人剣士役福本清三
凄まじい剣技と体技を披露してもらった唐一官役の福本清三さんは、殺陣専門チーム東映剣会に所属する大部屋俳優さんだった。この作品に出演してから数年後に、ワイドショーや「探偵!ナイトスクープ」、「徹子も部屋」などで紹介され、大ブレイクした。「5万回斬られた男」と評判になり、彼をモデルにした映画なども作られ、ついにはハリウッド映画「ラストサムライ」に出演するまでになった。昨年(2024年)公開され、日本アカデミー賞最優秀作品賞を取った「侍タイムスリッパ―」の殺陣師役は、福本清三さんがモデルだったという。
彼を唐人剣士役にキャスティングした切っ掛けは、以前にも書いたが「夢屋」のデコちゃんの一言だった。「夢屋」とは、東映京都撮影所前にあったホテル兼レストラン兼スナックだ。私の松竹芸能時代の先輩・衣川篤夫さんの奥さんが経営していた。デコちゃんはこの店の毒舌従業員だ。
私はこの作品を撮る少し前に、デコちゃんからある話を聞いていた。デコちゃんが憤慨気味に言った。「東映の剣会にメッチャ立ち廻りの上手い俳優さんがいてるねんけどな。メッチャ雰囲気もあるし、殺陣師さんや監督やスターさんも、みんなが頼りにする大部屋の俳優さんなんやけど、なかなかええ役が付かへんねん」「なんで?」と私。「ちょっと、セリフがあんまり上手くないらしいわ」。それが、福本清三さんのことだった。
こんな会話があって、私は気にして東映のテレビ作品を見るようにした。「これだな」と思った。やせぎすの目の鋭い俳優が、殺陣で抜群の絡みを見せていた。いわゆる斬られ役だ。「出会え!出会え!」の悪代官の叫びで、バラバラと抜刀して出てくる侍たちの1人だ。体付きと眼光の鋭さに特徴があるので、大勢の侍たちに紛れても目に付く。いや、そうではない。目立つ場所に、「スッ」「スッ」とタイミングよくの現れるのだ。その身のこなしの鋭さ軽やかさ。私は思った。「ム、コイツ只者ではない」。また、斬られ方が凄かった。彼が鋭い出足で斬り掛かかる。主役が身を躱してズバッと切る。直後、「ギャー」と叫び声を上げながら、そのままの勢いで「ポーン」と一回転する。それだけではない。体をバウンドさせながらのたうち回るのだ。素晴らしい体技だ。そこまでやってくれたら、斬った主役も斬らせた監督も感謝感激だろう。だが、ラストのタイトルには「福本清三」の名はなかった。
しばらく経ったある日、私は歌舞伎座テレビの沢克純Pから「斬り捨て御免!Ⅲ」第18話のプロットを読まされた。プロットとは脚本家がシナリオを書く前のストーリーの要約だ。大体は前出の「あらすじ」と同じストーリーが書いてあった。ただ「唐人の剣士」ではなく、多分「紅毛人の剣士」と書いてあった。「皆元ちゃん、外人の俳優を知らないか?」と沢P。まったく心当たりがなかった。その時フッとデコちゃんの話を思いだした。「紅毛人じゃなくて、唐人の剣士じゃいけませんかね?」。私は沢Pに福本清三さんのことを話した。殺し屋の雰囲気としてピッタリなことも話した。問題はセリフだ。「日本語の得意じゃない唐人役だったら、セリフも少なくて済むし、あまり日本語セリフが上手じゃなくても、かえって面白いかも」。監督が言うんだから説得力があったのだろう。ギャラも安い。沢Pは即OKした。こうして福本清三さんは唐人剣士・唐一官に決まった。当時の福本さんにとっても、多分ヤリガイのある役だっただろう。
彼は剣捌きもさることながら、体術も驚くほど優れていた。小型のトランポリンを使って飛び上がったり、俯瞰台から飛び降りてそのまま立ち廻りをしたり、アクション専門の森山君顔負けのアクションを見せてくれた。殺陣は流石にもの凄いものだった。私はいままでこんなにすごい剣捌きを見たことがなかった。異常な速さで剣を操った。動きも素早かった。そして動いたあとの位置がピタリと決まるのだ。演技も申し分なかった。鋭い眼光とそぎ落とされた頬、そして時折フッと片頬で笑う表情が、虚無的な殺し屋の雰囲気にピッタリだった。セリフは極力少なくした。名を聞かれて、「唐一官」と名乗るのが2回。出雲に話しかけられて「私、日本語分からない」。そして、邪魔者が現れて引き上げる時の「イノチ ミョウカナ ヤツ(命冥加な奴)」だけだった。ベリーグッドだった。彼も役を楽しんでくれたに違いない。
18話のラストは、伊庭剛対森山陽介が屋根の上での大アクション立ち廻り。長門勇対西田良が、それぞれ手槍と分銅付きのこん棒を駆使しての、高度な立ち廻り。中村吉右衛門と福本清三が、灯篭を挟んでの目まぐるしい攻防戦。いずれも体力と技術と身のこなしを駆使した立ち廻りを堪能させてくれた。ここまでそれぞれの対決を仕上げてくれた殺陣師・楠本栄一さんに感謝したい。
【Episode22】To Be Continued
※いつも拙い文を読んで頂き、ありがとうございます。お知らせがあります。これからはこのブログは一週置きの投稿とさせて頂きます。実は、新しいことをやってみようかと思っています。今までほとんど書いたことのない、シナリオを書いてみようかと。これまで企画作りや台本の直しはやって来たのですが、一から脚本を書くということは、若いころに1度経験して以来やっていません。こっそり書いて、もし完成したら発表しようかとも思ったのですが、「書きます」と宣言してしまった方が、励みになるかと思い、書いてしまいました。無謀な挑戦かもしれませんが、完成したらまたお知らせします。今年中の完成を目指しますが、期待しないで待っていて下さい。次回ブログ第76回は、2025年5月21日(水)に投稿予定です。
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
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