【Episode22】
京都映画での監督稼業
──まだまだ続く二足の草鞋
その8
「斬り捨て御免!Ⅲ」最終回監督へ
いよいよ「斬り捨て御免!Ⅲ」も最終回を迎えた。どういう訳か私が撮ることになった。連続ドラマにとって第1話と最終回は特別な意味を持つことは読者の皆さんもお分かりだろう。第1話の監督は、そのシリーズのテイストや様々な約束事を決めなければならない。そのシリーズの命運を任される最も重要な役割を持つ監督だ。
一方最終回は、それまでの各話で提示してきた疑問や謎を解決しなければならない。それだけではない。見終わった視聴者に「良かったな」「面白かったな」という満足感を持ってもらわなければならない。難しい役割だが、それだけに名誉な役割と言える。
驚きの最終回
さて「斬り捨て御免!Ⅲ」の最終回だ。台本を読んでびっくりした。何故か?まず、2年前に撮った私の第1回監督作品「赤い稲妻」とそっくりな場面が、幾つもあったのだ。最終回だから当然だが、花房出雲(中村吉右衛門)を筆頭とする三十六番所の面々が、宿敵「翁の御前」を成敗するという内容になるわけだ。それはいい。だが、問題はそこに至る設定や過程だ。台本では「翁の御前」のいる場所を、大阪城の中という設定にしてしまっていた。さらに「翁の御前」が、大阪城代を始め大阪城を警固する幕臣たちに守られているという設定なのだ。このために、犬山城に監禁された将軍吉宗の生母を救うという、「赤い稲妻」とそっくりな展開となってしまう。
「翁の御前」を成敗するためには、大阪場内に潜入しなければならない。問題はその潜入方法だ。まず、ロープを城外から掘越しに城内に張り渡す設定が同じだ。「赤い稲妻」は迫撃砲のイメージで火薬筒を使って堀越しに細紐を放り込んだ。今度はボーガンで細紐を対岸に打ち込むという程度に変えてはいた。だが、細紐を先に渡して、それと太いロープを結び付けて手繰り寄せ、太いロープを掘越しに掛けるという手順は同じだ。勿論、そのロープを伝って城内に潜入するという手口も同じになる。
さらに驚いたのは、ハングライダーを使って城中に忍び込むという手法まで使っていたことだ。「赤い稲妻」は身が軽いという設定の本郷直樹が飛んだが、今度はなんと、主役の中村吉右衛門自身がハングライダーで城中に忍び込むという設定になっていた。
ここまで書いて気が付いた。ひょっとしたら、「赤い稲妻」と同じ手を使うために、「翁の御前」が大阪城にいるという設定にしたのかもしれない。そういえば脚本の鈴木生朗さんは、「赤い稲妻」のホン直しを担当した人だった。最終回なのでスケールを大きくしたいという気持ちは分かるが、そのシリーズ最終回の重要な場面で、自分が過去に携わった作品をパクるという行為は如何なものか?まあプロデューサーは「赤い稲妻」と同じ佐々木康之さんだし、監督も私だし……たぶん切羽詰まってのことだとは思うが。
「翁の御前」の正体は?!?!?!
もう一つの問題は、「翁の御前」の正体だ。「斬り捨て御免!Ⅲ」がスタートするときに、正体を誰にするかを決めていなかったことは私も知っていた。当然だ。第1回の脚本を読んだ後、「『翁の御前』の正体は誰?」とスタッフ全員が訊いたはずだ。結局、決められないまま最終回を迎えたわけだ。制作会社の歌舞伎座テレビとテレビ東京の間で、「ああでもない」「こうでもない」と、相当のやりとりがあったはずだ。私はその正体が誰なのか、期待して台本を読んだ。
実を言えば、悪い予感はしていた。最終回までそれらしい人物が登場していなかったのだ。ずっと正体を隠していた謎の人物を、最後に化けの皮を剥がす場合は、それなり仕掛けが必要だ。例えば、ある程度の大物俳優が演じる人物が時々登場していて、欲を言えばそれは「三十六番所の味方かも」と思わせる人物で、実はその人物が「翁の御前」だったというのが、だいたいの常道だ。だが、それらしい人物は一切登場しなかった。白河楽翁(辰巳柳太郎)すら第1話しか登場しなかったのだ。
「へ!?」思わず声が出た。最終回台本のラスト近くのくだりだ。大阪城内の巨大な翁の面の裏にいた人物、すなわち日本征服を企む謎の人物、「翁の御前」の正体は……な、な、なんと「異人」と書いてあったのだ!「外人かい!?」。思わず叫んだ。肩透かしもいいところだ。がっかりした。そもそも、「『翁の御前』の正体が外人だからってナニ!?」である。名も知らぬ外国人が日本制服を企んでいた意味は何だというのか?訳がわからない。
せっかく白河楽翁(松平定信の隠居名)という、「翁の御前」と対立し三十六番所に指令を下す、実在の著名な人物を登場させているのだから、せめて楽翁に関系する歴史上の人物──例えば、松平定信に失脚させられた田沼意次は失脚の2年後に死ぬのだが、実は生きていて復讐のために徳川幕府を乗っ取ろうとしたとか──を考え付かなかったのだろうか。
結局、スタートの時点でしっかり構想を練っておかなかったツケが廻ったのだ。確かに最初に「翁の御前」の正体を決めておくと、最終回にその人物の正体が明らかになった時に、視聴者が驚くような仕掛けも必要になってくる。第1話や途中の各話も、最終回から逆算した「翁の御前」の描き方や物語の構築が必要なのだ。ということは、各話のストーリーを自由には作れなくなるわけだ。
企画を考える時に、主役がやりたいという「007みたいな」をまず決めて、「007なら敵はスペクターだよね」というノリで「翁の御前」を作ったのだろう。多分、それに伴う先に書いた諸々のことを詰め切れないで、時間切れで見切り発車したに違いない。そういった状況で、本作りをメインライターの鈴木生朗さんにほぼ丸投げした結果が、こういう情けない事態を招いたのだと思う。
テレビドラマの責任の取り方
だが、この事態は歌舞伎座テレビやテレビ東京の責任だけではない。私たち監督の責任でもある。行き先が定かでない番組を演出して世に送り出した責任は監督にもあるのだ。だがこの無責任体制は「斬り捨て御免!Ⅲ」だけではなかった。私が携わってきたテレビドラマには、大なり小なりあったと思う。私は40年以上テレビドラマの演出に携わってきたが、この事態をなかなかテレビドラマは克服できなかった。報道番組や情報番組は別として、そもそもテレビ局のドラマ制作に、視聴者への責任という発想が希薄だったような気がする。スポンサーへの責任感は過剰なくらいあるのだが、視聴者への責任感はほとんどないというのが実情だ。打ち合わせや現場で「この表現は視聴者にとってどうなのか?」という議論は経験したことがない。「これはマズイ」と言うことがあっても、本当に視聴者の健康や精神面への影響を心配してということではなく、本音は「スポンサー的に」とか「放送コード的に」とかということだ。往々にして視聴率にだけ目が行きがちだが、こういう視点もこれからは必要になってくるかもしれない。
中村吉右衛門という役者
さて、さて、「斬り捨て御免!Ⅲ」最終回だ。これで中村吉右衛門主演の歌舞伎座テレビ・テレビ東京制作の時代劇も最後になった。視聴率が振るわなかったのかもしれないし、吉右衛門さんが本業の歌舞伎の方に力を入れようとしたのかもしれないが、はっきりしたことは定かではない。多分両方だったのではないだろうか。
中村吉右衛門という俳優について少し書いてみたい。実は正直、私にはよく分からないのだ。歌舞伎のスターさんは皆そうだったが、現場では全くわがままを言わない人だった。私に限らず、監督の指示にはちゃんと従っていたと思う。撮影現場で「こうしたい」というのを私は聞いたことがない。また、私は準備段階でも現場でも、吉右衛門さんにお伺いを立てたことがない。だが歌舞伎座の沢克純Pから、「吉右衛門さんがこういうことをやりたいと言っているんだけど」という相談を受けたことは何度かある。「007のような時代劇をやりたい」と言ったという話もあるので、吉右衛門さんは身内と言ってもいい歌舞伎座には、本音を漏らしていたのだろう。
「斬り捨て御免!」の台本は、印刷前にプロデューサーが読ませて意見を聞いていたようだ。佐々木Pによると、あまりストレートな意見は言わなかったらしい。だが、時々「なんで?」というところに拘ったという。佐々木Pはよくよく考えて「なるほど」と思った。そこを改善すれば「主人公の出雲がドラマ的に立ってくる」というところを指摘していたらしいのだ。「たいへん頭のいい人だ」と佐々木Pは感心していた。
歌舞伎座やテレビ東京が大事に扱うので、私たちも当然粗略には扱わなかった。かといって現場で、他の主演俳優と比べて特別扱いした訳でもない。ただ、吉右衛門さんは私よりは3歳上でその頃はまだ若手だったが、「歌舞伎の世界では特別な存在なのだ」というオーラは何となく感じていた。
インする前に、吉右衛門さんについてなんとなく聞かされていたことがある。「次男坊なので意地っ張りだ。小さいころから、つむじを曲げて押し入れに籠ると、いつまでも出て来なかった」。だが私たちが現場で接する限りでは、全くそういう雰囲気はなかった。1度だけ「これか」と思ったことがある。お兄さんの九代目松本幸四郎さん(1981年市川染五郎から襲名)のことが話題に出たときだ。松本幸四郎と言えば、そのころ歌舞伎の世界を飛び越えて、演劇にミュージカルにと世界を股に掛けて大活躍していた。吉右衛門さんは、サラリと言った。「あの人は天才ですから」。そうひとこと言って、その後はまったく松本幸四郎のことに触れなかった。
私は「斬り捨て御免!Ⅲ」から数年後に京都映画から離れた。吉右衛門さんとはそれ以降、一度も一緒に仕事をすることはなかった。吉右衛門さんは、1989年から京都映画で松竹・フジテレビ制作の「鬼平犯科帳」の主役を務めた。父親の八代目松本幸四郎さんの当たり役だった長谷川平蔵役だ。これは大ヒットして中村吉右衛門随一の当たり役となった。後に人間国宝に認定されるほどの名優となったが、2021年惜しくも亡くなった。
伊庭剛のこと
三十六番所番士・平野与四郎を演じた伊庭剛のことにも触れておきたい。伊庭剛は「斬り捨て御免!Ⅲ」から参加した。「007のような時代劇にしたい」ということで、アクションもできる若手俳優がキャスティングされたのだと思う。よくは覚えていないが、伊庭君は東映のいわゆる大部屋の俳優だったと思う。殺陣やアクションも得意ということで、ワルを殲滅に行くときは、着付け袴姿から網目の鎖帷子のようなものに着替えて、忍者風の装いで活躍した。
私とは8歳違い。彼はデビューして1~2年ぐらいの新人俳優、こちらは駆け出し監督ということで、すぐに仲良くなった。脚本家は彼のことはあまり知らない。従って台本に与四郎の芝居があまり書き込まれていないことが多かった。私が監督するときは、意識して与四郎の芝居を膨らましていくことを心掛けた。最初はややぎこちなかったが、段々に慣れてアドリブが多い長門勇との掛け合いも、テンポよくスムーズに行くようになった。
彼は素直な性格なので、スタッフにも可愛がられた。キャメラマンの藤井哲也もその一人だ。3人で食事をしたり、何のためだか覚えていないのだが、鴨川出雲路橋西詰の鯉の養殖場に何度か行った覚えがある。我々3人とも鯉にはトンと縁がないはずなのだが。それともコイ違いだったのか……。
「斬り捨て御免!Ⅲ」が終わった後、1984年に日本テレビの火曜サスペンス劇場「京都慕情殺人事件」が入った。私はAPで就いた。松尾昭典監督に伊庭君を紹介して、刑事役に使って貰った。長門裕之演じる京都府警の部長刑事とコンビを組む若手刑事役だった。松尾監督は伊庭君を気に入り、可愛がって使ってくれた。休みの日には、私と一緒に監督のマンションに呼ばれて、奥さんの手料理をご馳走になったりした。
「斬り捨て御免!」打ち上げ間人海水浴。最前列、寝転んでいるのが筆者。前から二列目、右から2番目が黒田満重、3番目が家喜俊彦監督、5番目が照明技師・南所登、一番左がチーフ助監督・木下芳幸。最後尾、左から2番目の低くなっているのが中村吉三郎。
中村吉三郎のこと
写真があった。クランクアップの後、スタッフで丹後半島の間人(たいざ)に海水浴に行った時のものだ。何故か「斬り捨て御免!」シリーズの写真はこれしか残っていない。スタッフに混じって1人だけ俳優さんが写っている。中村吉三郎さんだ。名前からも想像できるように吉右衛門さんのお弟子さんだ。「斬り捨て御免!」シリーズではいろんな役をこなした。第1、第2シリーズでは、岩井友見が女将の料亭千扇の板前・新吉(その時の芸名は中村吉三)。第3シリーズでは、白河楽翁との繋ぎ役・佐吉。それぞれレギュラーだったが、その役が出ていない回では様々な役で登場した。時には三十六番所の敵方のヤクザ者だったり、敵役の供侍でも登場した。スタッフにも溶け込んで、吉右衛門さんとのパイプ役として随分助けてもらった。その人柄は、御大は東京に帰ってしまっても、写真のようにスタッフと遊びに行ってくれるのを見れば、伺えるのではないだろうか。

同・間人にて。1番右が黒田満重、3番目が南所登、4番目が中村吉三郎。

同・間人にて。右端が筆者、2番目が黒田満重、3番目が家喜俊彦、4番目が南所登、5番目がセカンド助監督・小笠原佳文。
クロちゃんのこと
もうひとり、製作主任の黒田満重(クロちゃん)さんだ。実はクロちゃんは間人の出身だった。京都の撮影所では、「海」と言えば琵琶湖か間人だった。波の穏やかな江戸近くや東海道のような海は琵琶湖、波狙いの海は間人だった。岩場もあり砂浜もあり、冬場は荒波が打ち寄せるなど、使い勝手のいいロケ地だった。クロちゃんの出身地なので、ロケの時は色々と地元にお世話になった。「京都映画の黒田さん」と言えば、大抵のことは通った。
私はクロちゃんには、帯ドラマの頃=助監督の頃から大変お世話になった。大変穏やかな人で声を荒げたことは一度もなかった。うるさ型の揃ったスタッフも、「クロちゃんが言うのだから仕方がない」という感じだった。私は助監督チーフという立場から、クロちゃんにいろいろ無理を言った。多分正論を振りかざして生意気な口調で「どうすんの?」と問い詰めていたと思う。クロちゃんはいつも、「しゃーないやんけ」と私の我儘を聞いてくれた。予算のこととかいろいろあったのだろうが、会社との責任は全てクロちゃんが取っていてくれたのだと思う。いま考えれば、私はクロちゃんに甘えていたのだ。
クロちゃんはスタッフからは「マスター」と呼ばれていた。下鴨にある自宅で、喫茶店を経営していたことから、そう呼ばれていたらしい。ちなみに京都映画の発祥の地は下鴨だ。松竹下鴨撮影所の中で、松竹の子会社として産声を上げたのだ。クロちゃんの喫茶店は撮影所相手の店だったのだろう。私にとってクロちゃんとは、喫茶店の御主人という意味ではなく、その道の「親方」という意味での「マスター」だったのではなかったかと思う。クロちゃんのことはE18その22でも少し触れた。参照して頂きたい。
「斬り捨て御免!Ⅲ」の後も、「眠狂四郎円月殺法」や「眠狂四郎無頼控え」、「夫婦ねずみ今夜が勝負!」などで、私の我儘に付き合って貰った。いや受け止めて貰ったのだ。黒田満重さんは、残念なことに本年3月2日永眠された。88歳だった。ここに哀悼の意を表したい。
【Episode22】To Be Continued
※次回は2025年6月4日(水)に投稿予定です。
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
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