Episode22
 京都映画での監督稼業

   ──まだまだ続く二足の草鞋

その11

 

前号まで

 前号では、映画やドラマのチーフ・セカンド・サード各助監督の仕事と、監督へ昇格して行く道筋を書いた。今号では、監督になったらどういう段取りで作品を作って行くのかを書いてみたい。

 

企画段階

さて監督になったらどいう段取りで作品を撮るのか。私が多く経験したテレビ映画やドラマを例に取ろう。まず、監督の処へ演出の依頼が来る前に、番組そのものが無ければ話にならない。番組を作るには、まずテレビ局と映画会社(撮影所)やドラマ制作会社で企画を作る。「必殺シリーズ」や「横溝正史シリーズ」はテレビ局主導の企画で生まれた番組だが、私が多数監督した「斬り捨て御免!シリーズ」や「眠狂四郎シリーズ」は制作会社である歌舞伎座テレビが企画を作って提案した番組だ。2時間ドラマの場合は「土曜ワイド劇場」とか「火曜サスペンス劇場」という番組枠があって、映画会社や制作会社はその枠内の1本ごとに企画を提案することになる。

撮影所や制作会社が企画を提案する場合、単発の企画(2時間ドラマなど)の場合は勿論、連続ドラマの場合でも第一話の監督(メイン監督)の名前を入れて提案するのが普通だ。ということは、誰が監督をするのかということは、企画内容の重要な要素になるわけだ。

従って、企画を作るのは基本的にプロデューサー(P)や脚本家の仕事だが、監督がその企画作りを手伝ったり、通った企画を撮影所・制作会社・テレビ局がブラッシュアップする段階で、監督が参加することは普通にある。これは監督が社員や契約でもフリーでも同じだ。

ちょっと脱線する。そもそも2時間ドラマが出始めた頃は、新聞のラジオ・テレビ欄の「土曜ワイド劇場」の枠に監督名が乗っていた。他の2時間ドラマ枠でも新聞に監督名が掲載されていた記憶がある。これは2時間ドラマの売り文句が、「劇場用映画のスタッフ・監督が制作する本格的なドラマ」だったためらしい。名前の売れた映画監督の名前を出して箔を付けようという意図だ。新聞だけではない。「土曜ワイド劇場」の場合は劇中にも監督・脚本家・作曲家の映像が登場した。それも始まってすぐの、その作品のタイトルが出た直後に、一人ずつ「監督 工藤栄一」というようにテロップ付きで登場するのだ。もちろん、ラストのエンドロールでも最後に「監督 工藤栄一」と出る。

私が2時間ドラマの監督をするようになってからもそのフォーマットは存続しており、何本か「監督 皆元洋之助」というテロップ込みの紹介映像が登場した。自分のカットを自ら演出するコマメな監督もいたが、私はキャメラマンに「適当に撮っといて」と言っていた。大体は俳優さんと演技の打ち合わせをしている時に撮っていたようだ。監督が映像で登場する効果のほどは定かではない。だが新聞に関して言えば、私などはテレビ欄を見て、「この監督の作品なら見てみようか」とチャンネル選択に便利だった。現在は新聞のテレビ欄に監督・演出家名が出ることはほとんど無く、ましてやドラマ中に監督の映像が出てくることは皆無だ。当時はそのくらい、「ドラマは監督しだい」という考えが、テレビ局や新聞社に根付いていたのだろう。

 

監督はいつ台本を読めるのか

さて、企画が通り脚本家が台本を作りを始める。では、監督はどの段階で台本を読むのか?これは千差万別だ。その企画の成り立ちや制作体制の在り方、その制作体制内の力関係、監督とPの力関係、撮影所や制作会社の慣習などによって様々だ。

2時間ドラマの場合、準備稿の段階で監督に読ませるのが一般的だが、連続ドラマの場合は第1稿で読ませて監督の意見を訊くというのが多いかもしれない。京都映画での私の場合も大体がそうだった。

「必殺シリーズ」は印刷してから監督に読ませる場合が多かったのではないだろうか。印刷した台本を読んだら、誤字脱字や「てにをは」の間違いがあったり、役名が前半では「仙吉」後半では「仙三」という風に変わってしまっていたりというミスが、しばしばあった。脚本家が台本を仕上げてすぐに印刷屋に突っ込んだ結果としか考えられない。脚本家・中村勝行さんの話だ。必殺シリーズではホンが間に合わず、3人のライターをホテルに缶詰めにして、ハコを作った後は前半、中盤、後半と3人が分担して書いたこともあったそうだ。

ここでさらに脱線。歌舞伎座テレビの1連の作品群の台本は、三映タイプという京都の印刷会社が印刷していた。当時はタイプ印刷だったが、三映タイプのタイピストが凄かった。生原稿の「てにをは」の間違いや、誤字脱字がコトゴトク正しく直されて印刷されてくるのだ。さらに驚いたことには、例えば「天明〇年から始まった天明の大飢饉」と、〇の部分をそのままに印刷に廻されてしまった原稿が、印刷された台本にはちゃんと「天明2年」と入っていたのだ。タイピストは三映タイプの社長の娘さんということだった。我々助監督は「タイピストに負けんようにしよな」と誓いあったものだ。ちなみに、「必殺シリーズ」の台本印刷は三映タイプではなかった。脱線終了。

 

「水戸黄門」の台本

極端な例は東映の「水戸黄門」「大岡越前」「江戸を斬る」などのシリーズだ。この番組は松下電器(後にパナソニック)の1社提供で、宣伝担当者の逸見稔氏が絶大な力を持っていた。制作はTBSと電通の関連会社C.A.Lだが、TBSはほとんど番組に対する影響力を持っていなかった。ある時期から台本は「オフィス・ヘンミ」とC.A.Lで作っていた。「オフィス・ヘンミ」は逸見稔氏の会社だった。東映の監督は台本作りには一切関知できなかったようだ。結果、監督が初めて台本を読むのは、すでに印刷された台本だった。そして、監督による台本の変更は一切許されず、すべて台本通りに撮らなければならなかった。尺がオーバーしても、監督は台本をカットすることすらできない。どれほどオーバーしてもそのまま繋いで、オールラッシュで逸見氏とC.A.Lのプロデューサーが切るところを決めるというスタイルだった。編集権は完全にプロデューサーが握っていたわけだ。

だが、何事にも例外はある。私が助監督で就いたM監督は「私の話は聞いてくれる」と自慢し、逸見氏に電話してカットのOKを貰っていた。M監督は「オフィス・ヘンミ」で台本も書いていたので、そんなことができたらしいのだが、カットのOKがでることが自慢になるほど、特殊な力関係の番組だった。

ちなみに、私が東通企画へ行って私を中心にドラマを作る体制になると、東通企画制作の2時間ドラマなどでは、監督の私は最初から企画作り・台本作りに参加した。これは東通企画にドラマ専門のプロデューサーがいなくなったことが大きな理由だが、企画から台本作り、撮影、仕上げと、一貫して作品作りに関われたのは楽しかったし、良い経験になった。だがこれは、私が東通企画に所属(年棒契約)していたからできたことで、フリーの監督はそこまでやる時間的な余裕はなかなか無いと思う。

 

台本直し

さて、第何稿目にしろ監督が最初に台本を読んだ後だ。内容が素晴らしければそれでOKだが、なかなかそうはいかない。何かしら不都合なことがあるものだ。結果、直しを要求することになる。これはPに意見を言って脚本家に伝えて貰う場合と、脚本家を交えて3者で協議する場合がある。後者は、コロナ以降はリモートで話し合えるようになったが、それ以前は一カ所に集まって膝詰め談判をしていた。その話し合いは、すんなり行けば良いのだがそうでない場合もある。感情がこじれれば怒鳴り合いになることもある。そこはPの腕の見せ所だ。さんざん監督と脚本家にケンカさせておいて、「まあ、まあ」とオモムロに仲裁に入る凄腕Pもいたりする。

そもそも、脚本家の中には気軽に直しに応じる脚本家もいれば、直しを嫌がる脚本家もいる。当然のことだが、ベテランの脚本家ほど直しを嫌がる。「斬り捨て御免!」などの鈴木生朗さんの場合は、ベテランだったが前者だった。聞き上手で私が意見を言うと、「なるほどなるほど、それでどうなります?」とスックリ喋らされてしまった。

もっと凄いのは、保利吉紀さんだった。東通企画に移って、土曜ワイド劇場「桜吹雪美人スリ三姉妹がいく(19973月放送)」のロケハンの時だ。東北の温泉地で私は朝日放送のTプロデューサーに台本を直してほしいと、具体的な方向性も示して頼んだ。TPは私の話を聞き終わると言った。「いまの話をここから保利さんに直接電話して」。保利吉紀さんと言えば、「必殺シリーズ」「京都殺人案内シリーズ」「銭形平次」などでメインライターを務めた大ベテランの脚本家だ。京都映画で何度か見かけたことはあるが、私はそれまで仕事で御一緒したことがなかった。会話したこともない。初対面同然の関係だ。また保利さんは、核になる話を思いつくまでは、なかなか筆を執らないことで知られた脚本家だった。「美人スリ三姉妹」の台本も相当な思い入れがあるに違いない。だが、ここは腹を括って電話するしかない。旅館から京都の保利さんの自宅に電話した。私は台本の問題点と解決案を、緊張気味に保利さんに話した。「フン、フン……」と保利さんは聞いていた。私は喋り終わり、訊いた。「いかがでしょうか?」。間髪を入れずに保利さんが言った。「いいよ、それで。皆元ちゃんが直してよ。任せるから」。

 

台本を直さない脚本家

「台本を直すのはダメ!」といわれていた脚本家もいた。現在もいる。そんな脚本家は「先生」」と呼ばれるほどの大家だ。「北の国から」などで知られる倉本聰や「男はつらいよ」の山田洋次は勝手にホンを変えるどころか、セリフの「てにおは」や語尾すら変えてはいけないとされている。撮影に入る前に本読みに出席して、厳しく俳優のセリフの喋り方にダメを出すそうだ。

 

「本読み」?「予算会議」?

またまた脱線する。「本読み」というのは、スタジオドラマなどで稽古や撮影に入る前に、俳優さんやスタッフが集合して台本の読み合わせをすることだ。当然演出家のチェックも入るし、俳優さんも自分が演じようとするキャラクターの手見せをするわけだ。台本とちょっと違うキャラクターを演じる俳優がいると、それについての検討も行われる。そうすることによって、スタッフや俳優さん同士の作品のテイストの確認ができるわけだ。

私は松竹芸能にいたころに、何度か関西民放の「本読み」を体験していたので、東映で助監督になった時も同じ作業が行われると思っていた。クランク・インの数日前だった。「本読み」をするというので、H監督・Aチーフ助監督と一緒に会議室に行った。中に入って驚いた。俳優さんが1人もいないのだ。待っていたのはキャメラマン、照明技師、美術監督、進行主任などのメインスタッフと、Pや製作部長、製作次長、など製作サイドの人たちだった。会議が始まった。喋り出したのは製作計算係だった。趣旨は「このままでは予算オーバーで赤字になる」というものだった。東映の「本読み」とは予算会議だったのだ。

会議は計算係が主導した。計算係が攻めて監督が防戦するという展開だった。計算係「シーン〇〇の大砲を撃つイメージシーンは必要ですか?」監督「……」。作品はポルノだった。台本はH監督が執筆していた。問題のシーンはセックス場面に「ドカーンと大砲を撃つ」カットを挿入する内容だった。砲撃はイメージだ。理屈などは無い。「必要か?」と言われても応えようがない。当時日活ロマンポルノなどで、こういったイメージをセックスシーンに挿入することは、流行りではあったと思う。だが、まさか監督も「流行りだから」と言う訳にはいかない。

 そういう指摘が、計算係から何シーンかあった。それらをカットもしくは料金が掛からないものに変更すれば、予算内に収まるということだ。だが、それを聞いているうちにH監督は怒ってしまった。足音も荒く会議室から出て行ってしまった。だが、それも演技だったのかもしれない。その証拠に、製作スケジュール表からいつの間にか計算係が指摘した部分は落とされていた。さすが合理化の鬼・東映だ。「本読み」すら「予算減らしのためのホン直し」にしていた。それにしても「計算係」恐るべし。

 

無断でホン直しした「ピュア・ラブ」 

ホン直しに戻る。毎日放送制作ドラマ30「ピュア・ラブ」の脚本家宮内婦貴子さんは、ホン直しをしない人だった。直さないというか、当時大御所と言われるような脚本家で、制作サイドが「書いて頂いたものを撮らせて頂く」というスタンスだったような気がする。私にはそう感じられた。

私は「ピュア・ラブⅡ」から演出陣に加わった。「台本は直さないで下さい」とPからも言われていた。私は台本を読んで、「もうちょっとこうしたら」という個所があったので、制作会社のPに宮内さんに直してもらうように言った。Pは「ご自分で直接言って下さい」という。電話して意見を言った。黙って聞いた宮内さん。「考えさせて下さい」。数日経って、宮内さんから電話が掛かってきた。「考えましたが、いまの通りで」「……」。次の演出担当回で、また電話して直しの意見を言った。数日後、宮内さんからの電話だ。「考えましたが、いまのままで」「……」。

次は電話をしないで、幾つかのシーンで勝手に直して撮った。クランクアップして打ち上げの日が来た。その日スタジオがある建物の廊下で、向こうから宮内さんが来るのが見えた。逃げ道はなかった。宮内さんは私の前でピタリと止まった。「ごくろうさまです」と私は言った。その日宮内さんは、持病を抱えた身ではるばる三島から打ち上げのために来ていたのだ。叱られるのを覚悟した。勝手に直したのは放送前の回だったが、宮内さんには編集済みのビデオを送っていたので、すでに見ているはずだ。宮内さんが口を開いた。「上手く撮って頂いてありがとうございました」。ホッとした。次のシリーズも演出陣に入れて貰ったので、あながち社交辞令だけでは無かったのかもしれない。

 次回は「台本直し検討メモ」について書いてみたい。

 
               【Episode22To Be Continued   

 

※次回は2025年7月16日(水)に投稿予定です。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

心経般若