Episode22
 京都映画での監督稼業

    ──まだまだ続く二足の草鞋

その20

 

前号まで

 「監督とはどんな仕事をする職業なのか」について書いている。前号では「『切っ掛け』とは何か?」や、「『切っ掛け』やカチンコを打つタイミングにも影響する撮影所のフィルム事情」、「ハリウッドのカチンコの入れ方」、「『ダブらし』が多い深作欣二監督の撮影現場」などについて書いた。

 

監督の居場所

ところで、撮影中に監督はどこにいるのか?撮影中と書いたが、ここではテストや本番の時という意味だ。フィルム撮影の場合、ほとんどすべての監督は、キャメラのすぐ横か後ろにいた。どんな大監督でもぺーぺー監督でも同じだ。ディレクターチェアに座って見るか、立って見るかの違いだけだ。私はキャメラの高さに合わせて、立ったりしゃがんだりして見ていた。

私が京都映画にいたころの16mmフィルム撮影の場合は、キャメラにファインダーがひとつしか付いていなかった。従ってテストや本番中には、キャメラマン以外にはキャメラを覗くことができなかった。監督もレンズを通しては俳優の演技を見ることができなかったのだ。

ま、ここらあたりは、フィルム撮影という技術上のどうしようもない制約があったので、監督はキャメラマンを信用するしかない。監督たちはレンズのすぐ横かすぐ後ろで、できるだけ撮影している映像に近い角度で芝居を見るしかなかった。私の場合は、京都映画には優秀なキャメラマンが多く、また普段からコミュニケーションも良く取れており、人間関係も良好だったので、「本番中の画のことは、キャメラマンに任せる」というスタンスを取れた。

 

見難い本番中のキャメラ

少し脇道に逸れる。実は、たとえ本番中にキャメラのファインダーを覗けたとしても、見える画はレンズの絞りを絞られてグッと暗くなっており、またシャッターがパラパラ動いていて、見難くてしかたがないのだ。ある時、キャメラを廻す時にファインダーを覗く機会があった。その時思った。「キャメラマンは、よくこんなに見難いファインダーを覗いて、バレモノなどを見つけることができるもんだ」。そう感心した。

 

池玲子が細身に見える

その時私が覗いたのは、テレビ時代劇用の16mフィルムを使うキャメラだが、35mフィルムを使うキャメラはもっと見難いそうだ。私が東映でアルバイト中に、応援で就いた石井輝男組でのことだ。石井輝男監督といえば「網走番外地」などで有名な監督だ。その作品は劇場用の映画だったので当然35mだった。キャメラはミッチェル。準備の間にファインダーをちらりと覗いた。「な、なんだこれは!?」被写体の女優池玲子がやけにほっそり写っていた。池玲子はグラマー女優として有名で、そんなにやせ型ではなかったはずだ。目を擦ってもう一度見た。池玲子だけではない。写っているすべての物が、縦長だった。私は傍にいる撮影助手に小声で訊いた。「えらく縦長に写ってますけど」「アホか?ワイドレンズを嵌めてるからに決まってるやろう」。

実は当時の東映映画は、テレビとの差別化を図って横長のワイドスクリーンで上映していた。そのために、キャメラにワイドレンズを嵌めての撮影だったのだ。だがワイドレンズによって左右に広く写された画面は、フィルムにはスタンダードの横縦比1.381のまま凝縮して焼き付けられることになるので、ファンダーにはグッと縦長になったスマート過ぎる池玲子が写るということになるわけだ。ちなみに上映される時は、映写機にワイドレンズを嵌めて映写するので、いつもの迫力のある池玲子のグラマーぶりが再現されるのでご安心を。余計かもしれないが、池玲子を知らない方はネットで確認することをお勧めする。目の保養になること請け合いです。

 

虚像を覗くキャメラマン

さて、左右が圧縮された縦長のファインダー画面は非常に見難くかった。話がやや複雑になるが、実は本番中=キャメラが廻っているときに、キャメラマンはこのファインダーを覗くわけではないのだ。どういうことか?ミッチェルの場合、もうひとつ横にニョキッと出たビューファインダーがついている。これはミッチェルの特性として、本番撮影する時キャメラをターンして本来のファインダーが見れなくなるので、本番中にキャメラマンが画面を覗くために付いているファインダーだ。だがややこしいことに、このビューファインダーに写っている画像は、フィルムに焼き付けている画像とは別のものだ。フィルムに焼き付ける画像を撮るレンズの左横に、別のレンズを付けたビューファインダーを取り付けているのだ。分かり易く言えば、本番中にキャメラマンは左の眼で画像を見ているが、実際にフィルムに焼き付けられるのは右の眼で見た画像ということだ。両目を交互に閉じれば分かるように、人間の眼も左右で見る角度が違う。ミッチェルの二つのレンズは、人間の両目よりももっと離れている。従ってミッチェルを覗くキャメラマンは、実際に写っている画面と人間の両目よりももっと違う角度でビューファインダー見ているわけだ。

いわばキャメラマンすら、虚像を見て本番の撮影をしていることになるのだが、ワイドレンズの場合もうひとつ見難い要素がある。ファインダーの画面に縦線が数本写っているのだ。これはフィルムには映らない線だが、何のための線なのか?実は人物や建物が垂直に立っているかを判断する、目安の線なのだ。覗いてみると、私には実に邪魔な線と思えた。結構太く感じられた。この線に上から降りて来た録音部のマイクがダブルと、キャメラマンも気が付かないのではと思えるほどだった。

こうしてフィルム撮影のキャメラマンは、本番中様々な障害──キャメラマンにしか経験できない障害──を乗り越えて日々撮影していたのだ。従って監督たるモノは、迂闊に「本番中にキャメラを覗きたい」という不遜な気持ちを、ユメユメ抱いてはならないことを分かって頂けたと思う。

 

レンズにくっついて見る監督

さらに余談だが、中には諦めの悪い監督もいた。フアインダーと寸分も変わらぬ角度から見ないと安心できないのか、レンズに顔を擦りつけるようにして見ていた監督もいた。そんな監督は、キャメラをパンをするときに、レンズに顔が当たってしまうこともあったらしい。もちろん即NGだ。そんな監督は、元々物事に対しての入れ込み方がキツイ。事前に「パンするので顔をレンズに近付けないで下さい」とキャメラマンが注意していても、本番が始まると演技に入れ込んでしまうのか、顔が徐々にレンズに近付いてくる。結果、またNGだ。

私の親しいキャメラマン藤井哲也(てっちゃん)はそんな監督と組んだ時、奥の手、いやキャメラを抱えていない方の左手を使った。ある日の本番中のことだ。例によって、左から監督の顔がレンズに近付いてくる。パンをする直前になった。てっちゃんは万力のような逞しい左手を「グイ」と伸ばす。そして、監督の肩を「むんず」と掴む。そのまま「ぎー」と監督の体を横に移動させる。その後、悠々と左にパンをした。てっちゃんは180cmを優に超える偉丈夫なキャメラマンだったが、本番中にフアインダーを覗いていない左の眼で、周囲も見廻すという特技?を持っていた。本番中、助監督だった私と目があって、ニヤリと笑ったりしたものだ。だから、そんな芸当が可能だったのだ。

 

望遠撮影の場合

さて、監督の撮影中の居場所の話に戻る。私が苦労したのは望遠レンズで2人の会話を撮る時だ。キャメラから数十メートルも離れた所で芝居するので、キャメラの横にいたのではセリフが聞こえない。当時はまだ、録音部のレコーダーから無線で監督に聞かせる装置はなかったのだ。従って、画のことはキャメラマンに任せて、俳優の傍に行って間近かでセリフを聞き表情を睨んでいた。

 

キャメラを覗いてテストをする監督

これも余談だが、中にはキャメラを覗いて映像や演技を確かめないと気が済まない監督もいた。先ほど触れた石井輝男監督がそうだった。石井組では、本番の前に監督がキャメラを覗くテストが必ずあるのだ。ズームするカットでも、パンするカットでも、さらにはキャメラが移動車に乗っても、クレーンに乗っても、すべてのカットで石井監督がキャメラを覗くテストがあった。従って、石井組は他の組よりも、カットごとにテストが1回多くなる。

黒澤明監督も多分そうだったのではないだろうか。「乱」のメイキングでキャメラを覗いてテストをするのを見た記憶がある。思えば私は一度もキャメラを覗いてテストをした記憶がない。気になった時は、テスト前にヒョイとファインダーを覗いて、サイズや画角を確認すれば気がすんだ。先ほども書いたが、基本的に画のことは信頼するキャメラマンに任せるスタンスだったのだ。

 

VTR収録での監督の居場所

さて次はVTR収録の場合だ。VTR収録での監督(ディレクター=D)は、どこでテストや本番を見ていたのか?VTR収録では撮影した映像や音声は、キャメラから太いケーブルを通ってベースに送られる。ベースではビデオエンジニア(VE)や音声チーフが映像や音声の調整機材を通して調整し、VTRに収録されるというシステムだ。

スタジオで収録する場合、ベースは副調整室(サブ)にある。サブは多くの場合、セットの組まれたスタジオの隣か階上に設置されている。サブには複数のキャメラで撮った映像のモニターがズラリと並んでいる。その前がディレクター席だ。通常監督(D)は、サブのその席でキャメラを切り替える指示を出しながら、俳優の演技を見ることになる。俳優やスタジオにいるスタッフへの指示は、インカムを通して行うシステムだ。私も、毎日放送(MBS)や朝日放送(ABC)でスタジオドラマの収録をする場合は、そうやって演出した。

 

サブに入らない撮影所出身監督

だが撮影所出身の監督の中には、スタジオ収録でもサブに入らないで、セットでテストや本番を見る人が結構いた。モニターがズラリと並んでいるので、落ち着かないのかもしれない。また、サブはセットから少し離れたところにあるので、俳優やADに直接指示を出せないのが、まどろっこしいのかもしれない。はたまた、インカムで指示することが苦手なのか?

またまた余談だが、実はインカムが苦手な人は意外と多い。インカムやトランシーバーは、通話ボタンを押してから喋り、相手の声を聞く時は通話ボタンを離さなければならない。従って、普通の会話のように相手の相槌が入ることもない。だから普通の会話とは違う、インカムやトランシーバーでの会話に適した喋り方をしなければならないのだ。これを苦痛に感じる人は結構いる。慣れれば何ということはないのだが、慣れるまでの不便さや、上手く喋れない屈辱感が我慢できない人もいる。私が経験したある職場では、インカムを導入したことで退職する人が続出した。信じられないかもしてないが本当の話だ。

一方撮影所では、俳優もスタッフもすべてが地声で伝わる距離内にいた。少々ややこしい内容でも、意思疎通が普通の会話で簡単にできるのだ。そういう便利な環境に慣れている撮影所系の監督は、スタジオのシステムには戸惑いを覚えたり、不便に感じるかもしれない。

スタジオ収録で、監督がサブからスタジオにいる俳優に演技の指示を出す時は、まずインカムでADに俳優への指示を伝えなければならない。そしてその後、ADから俳優に指示が伝わるという段取りだ。気の短い活動屋には、まどろこしくて我慢できないシステムだったのかもしれない。

 

ビデオ収録のロケ現場での居場所

次は、ビデオ収録のロケの場合だ。ベースは撮影場所の近くに設置される。この場合、監督がテストや本番を見る場所は2パターンある。ひとつ目はベース近くだ。大概の現場ではベースの近くに監督用の席が用意されている。そこで記録係と一緒に、やや大きめのモニターでテストや本番を見るのだ。現場とはトランシーバーで連絡を執る。多分このパターンの組が大部分だ。

ふたつ目は、キャメラに繋いだ監督用の小さなモニターで、キャメラの傍で見るパターンだ。これは数は少ないが、私がよくやる方法だ。私はできるだけキャメラの傍、俳優さんの傍に居たかったので、その方法を執った。どうも、トランシーバーを通してキャメラマンに指示したり、助監督を通して俳優さんに演技の指示を出すのはスッキリしなかった。キャメラマンや俳優と喋るのは微妙なことが多い。やはり、相手の目を見て反応を確かめながら、自分の言葉で微妙なニュアンスも含めて意思を伝えたいと思ったのだ。

 

私は矛盾している?

ここで読者の皆さんは、私が矛盾したことを言っていることにお気付きだろう。私は、スタジオ収録の場合とロケ収録の場合では、真反対のことを言っている。スタジオではキャメラマンや俳優の傍ではなく、インカムで指示をしなければならないサブ(ベース)にいると言い、ロケ現場では直接指示が出せるキャメラや俳優の傍に居ると言っている。何故か?

これはスタジオでは、複数のキャメラで切り替えながら芝居を撮っていることに原因がある。私は俳優とコミュニケーションの取り易さよりも、そのスィッチングの現場にいることを優先したのだ。何故か?

MBSでスタジオドラマを撮り始めて、しばらく経ったころのことだ。本番収録の真っ最中だった。ディレクター席に私。右隣にスィッチャーの三木ちゃん。それまでは、ドライ後のカメラ割りの打ち合わせ通りに、スィッチングをしていた三木ちゃんが、突然私に言った。「次、3カメと5カメどっちがいい?」。とっさに私は3カメと5カメのモニターを見比べた。その主人公のバストショットは、打ち合わせでは正面やや右からの3カメの予定だった。だが、5カメは「この角度も面白そう」と、キャメラマンが遊び心で写した煽りのアングルだった。どうする!?3秒後にはそのカットだ。「え!?えーと、5!」。間一髪で三木ちゃんが5カメをスィッチングした。見事なラストカットだった。だが、私の心臓はバクバクだった。

それ以後も、そんなことが度々あった。従って私は、スィッチングの時はサブを離れることができなかったのだ。もうひとつ、私がサブにいる理由があった。撮影チームの各部責任者の殆どは、サブに居るのだ。もしも技術的なにかあった時に、サブに居た方が話が早いのだ。その代わり、普通のディレクターは、ドライ以外にはスタジオには行かず、俳優への指示は全てインカムでADを通してするものだが、私は一日に何十回もスタジオとサブとを行き来して、直接俳優に指示を伝えるようにした。体がタフなのも監督の必要条件だ。

 

       【Episode22To Be Continued   

 


※次回は20251119日(水)に投稿予定です。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経