Episode22
 京都映画での監督稼業

    ──まだまだ続く二足の草鞋

その21

 

前号まで

 「監督とはどういう仕事をする職業なのか」について書いている。前号では、「監督はテストや本番中にどこで俳優の演技などを見ているのか」や、「フィルム撮影のキャメラの見難さ」などについて書いた。

 

現場での監督の精神状態

今号は、「監督は撮影現場──ドライリハーサルからテストや本番を通じて──で、どんな精神状態で撮影に臨んでいるのか?」ということを書いてみよう。「どんな精神状態で」という表現には、違和感を持たれるかもしれない。別に狂乱したりするわけではないのだが、私の場合は日常とは少し違った精神状態になるような気がする。しかもその精神状態は、ドラマを演出するに際して、私にとっては重要な要素のような気がするのだ。この精神状態は私だけのことかもしれないし、監督によって異なるのかもしれない。だが、他の監督に「あなたはどんな精神状態で撮影していますか?」と訊いたことがないし、そういったことは資料を読んでも書いていないので、他の監督のことはまったくわからない。従ってこれから書くことは、あくまで私個人の感覚だ。

 

撮影現場でハイ?になる私

では、私は撮影現場ではどのような精神状態になるのか?俗な表現をすれば、「ハイになる」のだ。「ハイになる」と言っても、ヤバイクスリを呑んだ時のように、やたらに大きな声を出したり、感情的に昂ったりするわけではない。多分他人から見たら、あまり変化は感じられないと思う。では、どう変わるのか?

集中力が高まり感覚が研ぎ澄まされて、私の感触で言えば、頭脳、思考の回転、また物事に対する感覚が、通常の何倍かになっていると感じるのだ。実際はほんの少しだけかもしれないが、私の感触では「数倍」という感じなのだ。

いま放映中のテレビ朝日系の番組に、「ちょっとだけエスパー」というドラマがある。主人公(大泉洋)はある薬を飲むことで、体に触れると相手の考えていることが「ちょっとだけ」分かる超能力が得られるという話だ。超能力自体は「ちょっとだけ」なのだが、本人にとっては「モノ凄イコト」と感じられるように描かれている。私の精神状態に対しての感じ方も、そうなのかもしれない。
 撮影現場での私の状態は具体的にはどうなのか?それはドライリハーサルで最も顕著に表れる。

 

忙しいドライ

ドライリハーサルは、撮影に先立ってキャメラを使わずに、ワンシーンを通して演技をしてみるリハーサルだ。ドライで監督である私のやることを再現してみよう。

スタジオでのセット撮影だ。キャメラは1台。助監督が叫ぶ。「シーン12のドライをやりまーす!」。この辺りから私の集中力が高まってくる。俳優やスッタッフが集まってきた。私は指示をだす。「Aさんはここに座っています。いや反対向きで、そうです、そうです。Bさんは窓際に立って外を向いています。DさんとEさんは、そっちのドアから後で入ってきます」。俳優がポジションに着く。私は窓外から叫ぶ。「最初は窓外から撮っています。動いてみましょう。ヨーイ、ハイ!」。俳優たちが演技を始める。窓際のBが彼の2つ目のセリフを喋りながら動いてAに近付く。私「Bさん、動くのをもう少し我慢しましょう」。B2つ目のセリフから再開。B3つ目のセリフで動く。私は素早く室内に移動(セットなのでこういうことも可能)。2カット目のAB2ショットのキャメラポジションだ。手を広げてパッと突き出して「次、ここから撮ります」というジェスチャーをする。もちろんその間、演技は進行している。Aが「我慢できない」という表情になる。私はスッと動く。3カット目のABタイト2ショットのキャメラ位置だ。Aが振り向き様に立ち上がって、ツカツカとBに近付く。私「Aさん、一気に近付かないで。立ち上がった後セリフを喋りながらゆっくり近付きましょう」。立ち上がりから再開。私はAの動きに合わせて2人に接近してゆく。両手でキャメラ位置を示し、「徐々にタイトな2ショットに詰めて行く」と俳優にもスタッフにも意思表示する。Bのセリフが終り、2人は睨み合う。私が右手をサッと上げる。助監督が中継してCDに合図する。ドアが勢いよく開く。その音でABがドアの方を向く。ドアからCDが急いで入ってくる。その間に私はABの後ろに回り、2人の間からCDを見る。CDがベテランなら私のポジションを見て、ABの間から見える位置に入ってくる。私の指示。「もっと近付いて」。慌てて近づくCD。演技はその後も続く。俳優の大きな動きはない。途中から2人ずつのカットバックするというアクションを私が手で示して「カット」。ドライ終了だ。

 

頭がフル回転

この間、私は俳優の演技の表情や体の動き、それに演技のテンポやタイミングを確認し、キャメラから見た俳優の位置、すなわち、ちゃんと画になっているかをチェックし、さらにスタッフ、特にキャメラマンと助監督が機能しているかを把握している。普通の生活では、ここまでいろんなことを一遍にできないし、視野も広くないし、注意深くもない。だが集中力が高まったドライ中は、何故かそれが全部、多分些細なことまで見えているのだ。

さらに、先ほど「脳が通常の何倍かの速度で回転する」と言ったのは、特にこの後のことだ。ドライ進行中の私は、俳優さんの演技を見ながら「あ、違う」「ん、なんかおかしい」「気色悪い(「シックリこない」という私独特の感覚デス)」と、何カ所かで違和感を感じている。もちろんドライ中は、解決策まで考えているわけではない。だが、「違う」と感じているということは、解決策というか、もっとしっくりくる演技があると、感じているわけだ。

 

「えーと」の間に解決策が

ドライリハーサルの「カット」を掛けてから、さらに「頭の回転速度がスピードアップする」と感じる。「えーと、Aさん」と言いながら、違和感を覚えた演技についての改善策を纏めているのだ。喋りはじめると、何故かスラスラと改善策が出てくる。「この時の顔の向きは、キャメラからよく見えるように、もう少右を向きましょうか?」とか、「Bさん、えーと。このセリフは、わざとゆっくり皮肉を込めて喋りましょうか」とか、「Cさん。えー、このセリフはもっと間を空けましょう。Bさんの反応を見てから喋る方が効果的になると思います」とかだ。「えー」とか「えーと」と言った瞬間に、「改善策が纏まる」或いは「アイデアが浮かんで来る」という感じだろうか。また、Aさんと喋りながら、次はBさんと話す内容を考えているのだ。

 

スタッフへの指示が湧いてくる

キャメラマンにも指示したり相談したりする。ドライ中、あるいはドライが終わった瞬間に、キャメラマンのモノ言いたそうな表情は見ている。「クリちゃん(栗林キャメラマン)」。名前を読んだ瞬間に、考える間もなく伝える内容と改善策が浮かんでくる。「カット5はレール移動ではなくて、手持ちに変えようか。その方が俳優さんも自由に動けるし、迫力も出ると思うんだけど」。「立ち上がった後のAさんとBさんの間隔はどうかな。もう少し接近した方が画が締まるんじゃないかな?」「ラストはAさんが面白い芝居をしていたので、AB2ショットからAさんにトラックアップに変えようか」などなどを指示・提案する。そして、助監督にも、「Cさんに出すQ(合図)は早くなり過ぎないように。AB2人が充分睨み合いの芝居をしてから出すように」。こういった指示が頭の中に立て続けに湧いてくるわけだ。

 

ドライに最も力を注ぐ

こういった精神状態はドライリハーサルだけではない。カットごとのテストや本番でも途切れずに続いた。ただ、ドライリハーサルはカットごとのテストや本番よりも、当然だが長くなる。シーンそのものが長い場合もある。長いシーンだと台本で5~6ページ、カット数で40~50カットにも及ぶ。時間的にも5~7分の長さになる。さらにそんな長いシーンは、1本で1~3ヵ所はある。長いシーンのドライだと、その途中や終わってからの、俳優やスタッフへの指示も膨大になる。従って、テストやカットよりもドライを監督として仕切る方が、頭が高速度回転する=「ハイになる」時間も長くなるし、より強い集中力と多くのエネルギーが必要だ。

もうひとつ、ドライリハーサルで特にそういった「ハイ」な精神状態になるには理由がある。ドライリハーサルの重要性だ。様々な準備を経て、コンテも作り上げて、作品のイメージを作り上げた後、そのイメージを映像化するに当たって、監督にとって最初で最重要な関門がドライリハーサルなのだ。ドライリハーサルが上手くいかないと──私の演出プランが悪い方に崩れてしまうと──せっかく作り上げて来た作品のイメージが崩壊しかねないのだ。崩壊してしまった演出プランで、テストや本番をいくら頑張っても意味がない。そういう意味ではテストや本番よりも、「ドライリハーサルが最も重要だ」と言うのは分かって頂けるだろう。

 

助監督の集中力

もちろん、助監督のころは撮影中にここまで集中できなかった。助監督の時代はもっと漫然とドライリハーサルを見ていた。サードのころは監督の采配振りや俳優の芝居に見惚れていたり、自分が担当する小道具のことばかりを気にしていたような気がする。セカンドになると少しは全体を見渡すようになる。撮影の段取りや準備やエキストラの動かし方も気にして見るようになった。チーフは監督の指揮するドライ=コンテを見て、後のスケジュールを気にしたり、監督とメインの俳優との橋渡しや、スタッフ特にキャメラマンとの潤滑油になる必要はないかと考えたりもする。プロデューサーに近いチーフは、撮影中の作品がシリーズものだと、シリーズ本来のテイストと外れていないかを気にする場合もある。こうして助監督は、ステップアップしながら、知識だけではなく集中力の高め方も学んでいくのだ。

だが、いずれにしても助監督の場合は、監督よりも集中することはない。それは責任の負い方が全然違うからだ。助監督の責任は限定的だ。それに反して監督は、作品のでき上りに関して全面的に責任を負う立場だ。この違いは、圧倒的に集中力の差を生むことになる。従って、現場での監督の頭は助監督の誰よりも、スタッフの誰よりも早廻しで回転することになる。

 

キャメラマンの集中力

撮影現場で監督の精神状態に近いスタッフは、やはりキャメラマンだ。特に「現場を自分が仕切らなければ」と感じているキャメラマンの頭の回転は素早い。私の経験で言えば、その最たる例は、必殺シリーズの石原興(いっさん)キャメラマンだったと思う。

いっさんは現場で監督のコンテ説明を聞くと、間髪を入れずに対案やアイデアを出した。相当に集中力を高めていないと、そんな芸当はできないのではないだろうか。不詳の後輩である私にはそう思えた。

いっさんは多分、必殺のプロデュ―サーから、うるさく言われていたに違いない。「東京から来る監督の『面倒』をちゃんとみろ」「監督が『必殺』をはみ出しそうになったら、『必殺』に戻せ」等々と。だからいっさんは、監督とほぼ同じ精神状態で、現場に臨んでいたのではないだろうか。だがいっさんのニクイ処は、そういう場面でも緊張感などは一切見せずに、サラリとやってしまうところだ。

私がMBSの帯ドラで組んだ、東通の亀井稔キャメラマンも集中力の高さを見せてくれた。彼は4人就いているキャメラマンのチーフだった。スタジオでのドライの間にスタジオを動き廻って、自分が担当する2カメ以外でも良いアングルを探していた。ドライが終わると私の処にやって来て、「監督、カット8は下手からの4カメのグループショットにしませんか。それと、カット13のルーズショットは上手のクレーンからの5カメも面白いですよ」と、提案してくれるのだ。キャメラマンが4人で5カメというのは、不思議に感じるかもしれないが、クレーンに乗せたり、画を決めて据えっぱなしで使うキャメラが1台あるのだ。彼の凄いのは、実際のキャメラポジッションに入らなくても、映像が目に浮かぶらしいのだ。父上がNHKなどの名キャメラマンだったということもあって、生まれながらのキャメラマンの才能があったのかもしれない。

もう一人、私が50歳過ぎから組んだ栗林克夫キャメラマン(クリちゃん)も、集中力を高めて現場に臨んでいてくれていた。彼の場合はテイクシステムズという技術会社の現場責任者という立場もあったろうし、最初の現場で意気投合したという経緯もあったので、私の演出を助けてやりたいという気持ちもあったのかもしれない。実によく私の意図を分かってくれて、痒いところに手が届くような現場の仕切りを見せてくれた。中には、監督である私の意図を理解してもらうのに、時間を掛けて説明しなければならないキャメラマンもいたが、クリちゃんはそんなことは一度もなかった。ちゃんと準備をして、集中力を高めて、私と近い精神状態で現場に臨んでいてくれていたのだろう。彼もいっさんと同じように、そういう仕事をサラリとやってのけるニクイ男だ。

 

集中力を高めるには準備が大切

先ほど、クリちゃんが「ちゃんと準備をして撮影現場に臨んでいた」と書いたが、私もドライ前の準備は怠らずにやったと思う。撮影の前の日には、翌日撮影分のコンテを見直した。さらにロケに行く途中のバスの中でも、その日に撮影するシーンのコンテを再点検した。そういった準備をして、撮り方や俳優の動きを頭の中に入れておかないと、どれだけ現場で集中していても、とっさに俳優やスタッフに的確な指示が出せるものではないし、コンテの変更にも対応できない。また、そういう準備をしたという事実が、現場での自信を生み出し、集中力を高めることができたのだと思う。あくまで、私なりにだが。

 

俳優の演技が私のプランより良かったら

勿論、ドライでの俳優さんの芝居が、私が作ったコンテよりも良い場合もある。そんな時は、すかさず大声で叫ぶ。「ゴメン、いまの演技はとっても良かったので、コンテを変更します!今の演技を生かすために、ここからここまではカットバックではなく、2ショットで押します」。

先ほど、作り上げた作品のイメージが崩れる話をしたと思うが、いまの例はそれには当て嵌まらない。他のシーンとの整合性も含めての判断だ。様々な要素を考えた上で、「私の考えたコンテよりも、演技的にも作品のでき上り的にもこの方が良い」と判断した結果だ。素直な心からの言葉だ。

 

監督の業を抑えるのも仕事

恥ずかしい話だが、実はこういう心境になるまでには、少し時間が掛かった。監督になったばかりの頃は、自分が考えたコンテよりも良い意見やアイデアが出た場合は、心穏やかではなかった。悔しくてたまらなかったのだ。そのアイデアよりも優れたアイデアを考え出せなかった自分が、情けなかった。

だが駆け出し監督といえども、プロの端くれだ。作品を良くする意見は受け入れざるを得ない。「それでは、ここはこのように変更します」だぶん、仏頂面でそう言っていたと思う。だがその悔しさ情けなさは、時間が経つにつれ徐々に変わって行った。

いろんなスタッフや俳優さんと仕事を積み重ねているうちに、「作品とは監督だけではなく、スタッフ・キャスト全員で作っていくものだ」ということが、段々と分かってきたのだ。そして次のような心境に、徐々に変わっていった。「最初に演出プランをスタッフや俳優に提示するのは監督である私の仕事だ。だが、スタッフや俳優の意見やアイデアを訊いて、自分の考えも併せて、でき得る限り良い作品に纏め上げるのも監督=私の仕事だ」と。

だがこの私の考えは、まだ完全に私のものになってはいない。自分が考えたよりも、良いアイデアがスタッフや俳優から出てくると、多少は凹むのだ。これは監督の業というものかもしれない。

 

       【Episode22To Be Continued   

 


※次回は2025123日(水)に投稿予定です。




お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経