Episode22
 京都映画での監督稼業

    ──まだまだ続く二足の草鞋

その22

 

前号まで

 【Epsode22】では「監督とはどういう仕事をする職業なのか」について書いている。前号では監督の撮影現場での精神状態について書いた。今号からは撮影後の編集やダビング(音楽や効果音とセリフなどとのミックス作業。ビデオ収録の場合はMAという)などの、仕上げ作業について書いてみたい。

 

フィルムとビデオとの編集の違いとは?

 まずは編集だ。編集はフィルム撮影とビデオ収録ではやり方が異なる。何故か?根本的に映像の記録方式が違うのだ。フィルムは撮影したものを現像すると、出来上がったネガにしろポジにしろ、フィルムに目に見える形で映像が写っているのだ。そういう特性もあって、フィルム編集の場合は、フィルムという物体そのものを、物理的にカッターで切ったり、テープや接着剤で繋いだりする作業だ。

一方ビデオの場合は、収録した磁気テープに映像も音声も目に見える形では一切現れない。映像や音声は電気信号としてテープ表面に記録されているのだ。記録された画像信号や音声信号は、VTR(録画・再生機)に掛けて信号を読み取って、それをモニターに写して初めて見たり聞いたりできる。この特性からビデオ編集は、初期の一時期を除いて、テープそのものを切ったり貼ったりするのではなく、ビデオテープに収められた目には見えない映像信号や音信号を、別のテープに移しながら並べ替えるという作業になったのだ。

 

撮影所スタッフには理解し難かった編集の違い

この違いは、撮影所のスタッフにはなかなか理解できなかったようだ。京都映画で最初にドラマのビデオ撮影・編集を経験したのは、何を隠そう、この私だった。後でも触れるが、197980年に撮った毎日放送(MBS)・京都映画制作「花かぶら」に私は助監督チーフで就いた。京都映画で初めてのビデオ作品だった。私はその撮影・編集を経験したお陰で、ビデオ撮影・編集の何たるかの、最低限度の知識を身に付けることができたのだ。私の場合、松竹芸能時代にビデオ収録の現場を多少経験をしていたのと、事前の研修のお陰で、ビデオのシステムを比較的スンナリ受け入れることができたのかもしれない。

翌年、京都映画に朝日放送(ABC)の創立30周年記念番組「額田王」が入った。岩下志麻、近藤正臣、松平健、藤田まこと、三国連太郎などスターが目白押しの大作だった。ビデオ作品だったが、スタッフは石原興(いっさん)キャメラマンをはじめとする「必殺シリーズ」のスタッフとビデオ技術・制作会社東通のスタッフとの混成チームだった。「必殺チーム」にとっては、初めてのビデオ作品だった。

当時撮影所のスタッフは、ビデオドラマを下に見る傾向があったので、それまでビデオのことをまったく知ろうとしなかった。従ってビデオ撮影の知識は皆無と言っていい状態だった。おまけに研修も何もなく、いきなり「ビデオで撮れ!」と命じられたのだ。インが決まると「必殺」のスタッフたちが、泡を食って次々に私の処に来た。「ヨウノスケ、ビデオのことを教えてくれ」口々にそう言った。私は知りうる限りのことを説明した。

キャメラには収録した映像を記録するビデオテープは入っておらず、ケーブルでVTRに送ってそこで収録すること。その映像をモニターで現場にいるスタッフ・キャストが見れること。収録するには映像を調整する機材が必要で、それを調整するVEという技術者がいること。収録したテープは現像の必要がないこと。音声もVTRに収録することなどなどだ。

その中で、一番理解され難かったのが編集だ。撮影所スタッフは「編集とはフィルムを物理的に切ったり繋いだりすること」という常識に凝り固まっていた。従って、ビデオ編集とは「収録したテープから別のテープに、映像・音声信号を移し替えながら行うこと」という基本が、あのいっさんでもナカナカ理解できなかったのだ。「額田王」の編集には京都映画のスタッフは関知しなかった。仮編集は私の友人でもあった、東通のAD高橋千秋が行った。

 

剃刀で切った2インチ編集

チョイと豆情報。先ほど「初期の一時期を除いて」と書いたが、その「初期の一時期」の話だ。「花かぶら」や「額田王」の7~8年以前だ。テレビ局での番組収録は2インチだった。2インチは大変高価であったが、どうしても編集しなければならない場合は、実際に2インチテープを剃刀で切って繋いでいた。フィルムと同じように、物理的に切ったり繋いだりしていた時期があったのだ。だがこれが、実に大仕事だった。大きなVTRで何度も再生しながら、「ここ」と決めた箇所でテープを止める。そして映像信号を記録したトラックが浮き出てくる特殊薬品を塗り、入念に拡大鏡で場所を探って切ったそうだ。その場所を間違うと映像が乱れたりしたという。従って、この作業には相当の熟練が必要だったらしい。私が目撃した現場では、プロデュ―サー、ディレクター、VTR係3人で「ここで切るぞ、イイか?」「OK」「OK」と3人で確認したうえで切っていたものだ。

ちなみに、本当の初期の2インチテープ1本の値段は、小型自動車が買えるほどの値段だったらしい。従って、その頃の収録番組はほとんど残っていない。放送が終わったら、同じテープですぐに別番組の録画をする必要があったからだ。

さて、まずは、フィルム編集から書いてみよう。

 

フィルム編集

フィルム編集の流れはこうだ。実は編集部やダビング班(セリフと音楽や効果音をミックスする音声の仕上げ班)は、撮影中から作業を始めている。まずダビング班は、撮影現場で6mmテープで録ったセリフなどの音声を、仕上げ用に16mmの音声テープにダビングする。これは「必殺シリーズ」などのテレビ映画用の撮影フィルムが16mmだったので、それに揃えるための作業なのだ。詳しく言うと、16mmフィルムと16mm音声テープは長さが全く同じに作ってある。従って、ビュワーやムビオラといった編集機に、16mmフィルムと16mm音声テープを両方並べて掛けると、全く同じ速さで動くわけだ。そうすると、フィルムに写ったカチンコの合わせ目のコマと、音声テープの「カチン」という音の場所を、編集機の同じ位置に合わせておけば、どれだけ進めてもフィルムの画と音声テープの音が同じ場所にピッタリ揃うことになる。これで映像と音声がシンクロする(同期する)ということになる。

さてフィルム編集だ。撮影済みフィルムの現像が上がってきたら、まず編集助手がラッシュフィルム(作業用のポジフィルム)と16mm音声テープを使ってアラ繋ぎをする。アラ繋ぎとは、記録係から送られて来た台本のコピー(撮影したコンテが書いてある)と記録シート(カットごとの登場人物、その動き、セリフ、キャメラワーク、秒数、前後のカットとの繋ぎ等々を記入してある)を基に、大まかに繋いでいく作業だ。そのアラ繋ぎのラッシュを、今度は編集マンがプロの感覚で良い感じになるように繋ぎ直していくのだ。切るだけではない。カットを入れ替えたり、カットバックを増やしたり、場合によるとコンテ以外のカットを増やしたり、シーンそのものを入れ替えたりするのだ。

 

フィルム編集の現実

京都映画の場合は(どこの撮影所でもほぼ同じだと思うが)、ここまで監督の手を経ずに編集部がやってくれた。そしてその後、試写室で監督ラッシュが行われる。そこで監督、は自分の撮った作品と初めて対面するのだ。こう書くと、「なんだ、監督は編集で何にもしないのか?」と思われるかもしれない。監督ラッシュで見たモノが、自分の演出意図を充分反映したもので、でき栄えも良ければ、それ以上監督のすることはない。「OK!ありがとう」ということになる。だが、現実はなかなかそうはいかない。

演出意図はコンテのコピーや記録シートでも編集マンに伝わっている。さらに撮影後に、監督から編集マンに「このシーンクエンスはテンポよく繋いで欲しい」とか「このシーンは芝居をたっぷり見せてくれ」とか「このカットは長い目に繋いでくれ」とか直接伝えることもある。だが監督と編集マンは、所詮は違う感性を持った他人だ。完全に監督の感覚通りに編集ができ上るわけがない。

また、尺が大幅にオーバーする場合も当然あり、そうすればどこを切るかを選ばなければならない。そんなこんなで、大概は監督ラッシュ後に記録係を交えての検討ということになる。そこで監督は、自分の意図と違う個所の直しを要求したり、尺調整の方向性を指示したりするのだ。大幅に変更する場合は、2度目の監督ラッシュを行う場合もある。監督と編集マンとの間に意見が食い違うことも出てくるが、そうなっても監督ラッシュの段階では、当たり前だが監督の演出意図が優先する。だが、編集はこれで終りではない。

 

恐ろしいオールラッシュ

監督ラッシュの後に、制作テレビ局と撮影所のプロデューサー(P)を交えたオールラッシュが待ち構えている。実はテレビドラマの場合、編集の最終決定権はテレビ局のPにあるのだ。放送する作品の責任はテレビ局にあるという建前だが、中には「局としての判断です」と言いながら、自分の好みを押し付けるケシカラヌ局Pもいた。そんなPに限って、大物監督の前ではお世辞しか言わなかったりするのだ。

ま、大概は監督の演出意図が優先されるが、Pの意向で編集の手直しを命じられる場合もある。極端な例だが、部分的な撮影のやり直しや撮り足しという事態になることもあった。これは監督にとって致命的だ。幸い私はそんな目にあったことはないが、そうなったら2度とその撮影所では仕事ができなくなる。オールラッシュはそういった監督には厳しい側面もある関門だ。

撮影所では、とにかく強い力を持つ者の意見が通るのだ。監督もPも編集マンも俳優もスタッフも、力を持たなければ自分の意思を通すことはできない。私は待遇や仕事に不満を漏らす後輩に、よく言ったものだ。「力を付けろ。力さえあれば大概のことは通るようになる」。撮影所やテレビの現実はそういう世界だった。

 

園井弘一という名編集マン

幸運なことに、京都映画には園井弘一さんという、すこぶる腕のいい編集マンがいた。「必殺シリーズ」を一人で担った名編集マンだ。私のデビュー作「赤い稲妻」の編集も園井さんだった。園井さんは「赤い稲妻」のラストの大アクションシーンを撮る前に私に言った。「一杯撮ってこい。材料さえあれば何としても面白くしてやる」そう言って、ロケに送り出してくれた。その言葉通りに私は目一杯撮影し、随分尺をオーバーして撮った。園井さんは言葉通り、ラストの大アクションを「面白い」と目一杯長く繋いでくれた。その替り、作品の途中のややタルイ数シーンのエピソードを、すっくりカットすることを提案してくれた。お陰で、私のデビュー作は制作局の日本テレビからも評価され、それからの監督への道を拓いてくれることになったのだ。

 

「タルイ芝居は早回しで見たるねん」

 だが良いことは長くは続かない。私が監督になって数年後、京都映画で松竹製作の番組が増えた。それは全部、園井さんが編集しなければならない。結果、園井さんは私がレギュラー監督を務める、歌舞伎座プロ作品の編集を離れることになった。代わりに来たのは、東映の太秦企画で「水戸黄門」や「江戸を斬る」などの編集を担当していたKさんだった。私はこの編集マンとあまりイキが合わなかった。編集がややザツな感じがしたのだ。

一緒に仕事を始めてしばらくして、東映京都撮影所にあるKさんの編集室を訪ねたことがあった。Kさんが編集作業に使っていたのはビュワーだった。手回しで画を送りながら編集する機材だ。Kさんは言う。「ムヴィオラは使わないんだ」。意外だった。ムヴィオラとはモーターでフィルムと音声テープを動かす編集機で、正確に1秒で24コマ進めるものだ。従って、俳優の動きやセリフを撮影した通りに再現してくれる編集機だといえる。それまで編集していてくれた園井さんは、ムヴィオラやさらにはスタインベック(アメリカ製のフィルム編集機。映像の動きがスムーズで、画がムビオラよりも大きな画面で見れた)までを使って、丁寧に編集してくれていた。

「どうしてムヴィオラを使わないんですか?」と私。Kさんが答えた。「ムヴィオラは時間が掛かるからな」。ショックだった。Kさんは東映と仕事を掛け持ちしているので、編集を早く上げたいのだ。だから手回しで早回しのできるビュワーを使うというのだ。私たちは1コマとまでとは言わないが、「カットの長さ」や「余韻の長短」、そして「カットのリズム」などに神経を使って撮影している。それを「時間が掛かる」からと言って、早回しで見ながら編集されたのではたまらない。Kさんは笑いながら言った。「タルイ芝居は早回しで見たるねん」。「……」

 

不便だった初期のビデオ編集

 気を取り直して、ビデオ収録の編集の話に移ろう。ビデオ編集技術は次々と目まぐるしく進歩してきた。私が最初にビデオの撮影を経験したのは、先ほど触れた「花かぶら」だった。業界初めての1インチでの収録だった。技術は大阪東通だったが、まだ仮編集の機材もシステムも無かった時代だった。この時の編集作業で、「徹夜しても15分番組の1話も本編集ができなかった」事件があったことは以前にも触れた(62回【Epidode18】「助監督になる─京都映画での日々」その23)。そのために、助監督チーフの私が収録テープを見ながら、紙シート上で本編集前に仮編集をすることになった。本編集はそのシートを元に、収録テープから放送用テープに、シーン1のカット1から順番にコピーして行くのだ。

ビデオテープ編集はまだ、中抜きができなかった。中間のカットをスポッと抜いたり何秒かをカットすること、また途中に新たなカットを挿入することもできなかったのだ。従って、本編集でラストカットを繋いだ結果、尺がオーバーしたり、また反対にショートすると、大変なことになった。カットしたり足したりする個所まで戻って、編集をやり直さなければならなかったのだ。「カットする部分を抜いて、その前後は別テープにコピーをすれば」と思うかもしれないが、コピーすると画質が劣化してしまう時代だった。中抜きなど「カッターでちょいと切ればいい」というフィルムよりも、編集に関してはよほど不便な時代だったと言える。

 

不便はチャンス

だが私にとって、全65本の殆どをシート編集できたのは良い勉強になった。何しろ、実際に繋がないで映像を見るだけで、編集点を判断しなければならない。アクションカット(カットとカットをアクションで繋ぐ編集技法)などは1フレーム違うだけで印象が変わるのだ。また、キッチリ繋ぐよりも、アクションを1~3フレーム飛ばした方がよい場合や、逆に12フレームダブらして繋いだ方がいい感じの場合があるのだ。シート編集は、実際に繋ぐ以上にそういうことに気を使ったので、編集点を感覚で身に付けることができたと思う。

また、本編集で監督の要望でカットしたり、延ばす場合もある。その結果、最後まで行って尺がオーバーしたりショートしたりすれば、何のために仮編集したのか分からなくなる。あらかじめカットできるところや、延ばせるところの候補を幾つか用意しておいて、本篇の途中でそういった貯金を使って尺調整もしなければならない。そういった保険を掛けることの重要性も勉強になった。不便は基礎を学ぶ良い機会だ。

 

次回は、待望のVHS編集機が使えるようになってからのことを書いてみたい。

 

       【Episode22To Be Continued   

 


※次回は20251217日(水)に投稿予定です。




お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経