Episode22
 京都映画での監督稼業

    ──まだまだ続く二足の草鞋

その23

 

前号まで

 【E22】では「監督とはどういうことをする職業なのか」について書いている。前号からは撮影終了後の仕上げ──編集、ダビング(MA)──について書き始め、フィルム撮影とビデオ収録とでは編集のやり方が全然違うことなどを書いた。今号はビデオ収録の場合の編集──私が経験したの範囲内だが──その続きから始めよう。

 

待望のVHS編集機だったが……

 1980年代前半。京都映画初のビデオ収録作品「花かぶら」の後、私はフィルム作品「赤い稲妻」で監督昇格した。そして、その後数年はフィルム作品の監督を続けた。そのうちに、私は京都映画が受注する、ドラマ以外の旅番組の演出もするようになった。そういった旅番組は全てがビデオ収録だった。編集ももちろんビデオだ。頭初は、「花かぶら」と同じように紙シートで編集していた。まず、収録テープからタイムコードを画面に焼き付けて、VHSにダビング(複製)した。そしてそれを、家庭用のVHS録画再生機でプレビューしながら、編集点をシートに記録していく。そのシートを元に本編集というやり方だった。

 その後1980年代中頃から、待ちに待ったVHSの編集機が普及してきた。簡単な操作だったので、旅の取材番組は私自身がその編集機を使って編集した。この場合は、タイムコードを焼き付けたVHSテープを出しにするのだ。使うカットのイン点とアウト点をマークして、その部分を受けのテープにダビングしながら繋いでいくというシステムだ。だがこの編集システムは、まだフィルムのような中抜きはできなかった。従って編集をやり直すためには、1回目に編集した受けのVHSをこんどは出しにして、カットしたり入れ替えたりしながら、別の受けテープにダビングしながら直して行くのだ。これを何度か繰り返して、完成尺まで追い込んでいった。

だがこれで終りではなかった。まだ面倒な仕事が残っていたのだ。編集したカットごとに焼き込まれたインのタイムコードとアウトのタイムコードを、編集リストに手書きで書き込む必要があったのだ。VHSはあくまで作業用のテープでしかなかったので、そのリストのタイムコードを、編集室の編集機に打ち込んで本編集を行うためだ。旅番組の編集点は膨大だ。結構、リスト作りは面倒くさい作業だだった。さらに大問題が待っていた。何回も仮編集を繰り返すと、その度にVHSの画像は劣化してきてぼやけてくる。そうなると、タイムコードが読み難くなってきてしまうのだ。これには閉口した。「もう少し何とかならんのか!?」と溜息を吐いたものだ。タイムコードの自動読み取り機ができるまで、この苦行が続いた。

 

自分で2時間ドラマを繋ぐ

その後、1989年に東通企画に移って、朝日放送(ABC)・東通企画制作の2時間ドラマを、東京支社をベースに監督するようになった。「土曜ワイド劇場」「火曜ミステリー劇場」だ。最初の作品はABC・東通企画制作神田正輝主演の「瀬戸の多島海殺人事件」だった。撮影中いろいろあったが、それは別の機会に書くとして、撮影後は東京支社で仕上げをすることになった。

まずは仮編集だ。機材はVHS編集機。通常はADがオペレーターとして就き、監督と記録とで指示しながら繋いでいくというやり方だったらしい。だが、支社内を見廻すと、どうも担当のADが忙しそうだった。別の作品に声が掛かっているらしいのだ。「オレが自分で繋ごうか?」。そう志願し、私がオペレイトもすることになった。

 

気分はクロサワ!

考えてみれば、撮影所では助監督時代の30秒予告編以外に、自分の手でフィルムを編集した経験はなかった。それだけ、撮影所は分業がしっかりしていたわけだ。もっとも、あの黒澤明監督は自分で編集をしたらしい。私も黒澤の気分を味わってみることにした。

2時間ドラマなので編集点はかなり多い。画だけではなく音だけの繋ぎもあるので、1,000ヵ所以上にはなったろう。だが、1000ヵ所ぐらいで泣きを入れては黒澤監督に叱られる。

黒澤明は「七人の侍」では3台~4台のキャメラを使っていた。膨大な素材だ。仕上げも3時間27分だ。キャメラを1台しか使わない、仕上げも1時間30数分の「瀬戸の多島海殺人事件」とは、比べようのない膨大なエネルギーを費やす編集だったろう。

私はコツコツと始めた。だが、やってみると結構面白く楽しかった。どんどんストーリーが繋がっていって、物語が形を成していくのだ。その過程は、自分で撮っていながらワクワクした。「黒澤明も、このワクワク感を楽しんでいたのかもしれない」。恐れ多いいが、そう感じた。私は繋ぐ面白さを満喫しながら、楽しく編集を続けた。

何より、他人がオペレイトした場合は、やはり遠慮することもあるのだが、それがないのがいい。何度も繋ぎ方を試してもらうのは、私も気が強い方ではないので、ついつい相手の顔色を見てしまう。だが、自分でオペレイトする分には誰に遠慮もいらない。気の済むまで何度でもトライした。傍に付いている記録さんは、ウンザリしたかもしれないが。

 

カーアクション編集にのめり込む

特に私が力を入れて編集したのは、カーアクションだった。主演の神田正輝のドライビングテクニックが凄かった。危険を伴うカーアクションはスタントマンの吹替で撮影した。だが、神田正輝本人の芝居として撮るカットでも、スタントマン顔負けのドライビングテクニックを見せてくれた。詳しいことは「瀬戸の多島海殺人事件」を書く時に譲るが、これを生かさない手はないと思った。だから、カーアクションを丁寧に編集した。

材料をできるだけたくさん撮っていた。それらのカットを、極力短く使った。動きが遅く感じられるカットは早回しにした。急カーブを切るタイヤのアップなども細かく挟み込んだ。そうやって、スピード感を高めて行った。そのうちに私は、迫力のあるカーアクションシーンにするコツを見つけた。音だ。車の走行音だ。走行音を1カットごとに丁寧に付けていくのだ。物足りない場合は別のカットの迫力ある音を使ったりした。逆によい音だからといって、カットを跨いでひと続きの音を使うことはしなかった。それは決して犯してはならない、カーアクション編集のタブーだ。そう確信した。

 

編集マン末吉俊郎との出会い

前号でも同じことを書いたが、よいことは長くは続かないものだ。まもなくデジタル編集の時代を迎えた。自分が撮ったドラマを自分で繋ぐという、私の楽しみは奪われた。仮編集でいろんな複雑なことができるようになった代わりに、デジタル編集につての専門的な知識と処理技術が必要になったのだ。私がデジタル音痴・コンピューター音痴なのも原因のひとつだが、デジタル編集でのドラマ仮編集は、私の手に負えなくなった。だが、世の中はうまくしたもので、私に救世主が現れた。編集マンの末吉俊郎さんだ。

末吉さんは東阪企画系列のパールスタジオの編集マンだった。1998年、東通企画の「土曜ワイド劇場」プロデューサーを、元ABCの松本明さんにお願いするようになってから、技術はテレビ朝日系列のテイクシステムズになり、仕上げはパールスタジオになった。松本さんが東阪企画の役員をしていた時期があったからだ。

末吉さんは、私のやりたいことをすぐに理解してくれた。そしてなにより、ノリが良かった。私は末吉さんと最初に組んだ「花吹雪美人スリ三姉妹シリーズ」では、「遊び心」を重視していた。特に見せ場の「掏り取り」の場面では、徹底的に遊んでやろうと思っていた。私たち作り手が楽しまないと、視聴者にも楽しんでもらえないと思ったのだ。従ってコンテを聞くだけで、スタッフや俳優が吹き出してしまうような、そんな演出プランを作った。そして、みんなでアイデアを出し合い、楽しみながら撮影をした。

例えば、萬田久子扮する「掏り取り役」が、「太郎さん(スリ用語でターゲットのこと)」から掏り取った財布などを、「吸い取り役(スリ用語。持って逃げる役)」逸見えみりに投げ渡す場面だ。  

投げた財布がクルクルと回転しながら飛んで行く。投げた萬田久子の絶妙テクニックの所以なのか、財布がまるで自らの意思を持ったように、縦になり横になりしながら、様々な障害を縫って飛んで行くのだ。ラストはスッポリと逸見えみりの手に収まるその行程を、「バカバカしいが」「思いもよらぬ方法で」「アッと驚かせて」「楽しませて」見せるのが狙いだ。撮影現場の詳細は、「花吹雪美人スリ三姉妹」について書く時をお楽しみに。

さて、編集だ。以上の場面を現場の撮影だけで、作れる訳はない。当然、編集での合成ということになる。末吉さんは仮編集でそのバカバカしい遊びに乗ってくれた。まだコンピュターグラフィックス(CG)は高価で使えない時代だった。私がアナログで撮った素材──超小型キャメラCCDで財布が飛ぶ複雑なコースを様々なアングルで撮影+ブルーバックで回転する財布を撮影等々──を、末吉さんはごく普通の合成技術を駆使して、丁寧かつ大胆に作り上げてくれた。その作業を私以上に遊んでくれたし、面白いアイデアをいっぱい出してくれた。出来上がったのは、バカバカしくも桁外れに面白い映像だった。私たちは「キャッキャッ」と笑いながら編集作業を進めたものだ。

 

「痒いところに手が届く」編集

それだけではない。末吉さんは私のコンテの不足分も補ってくれた。ものがミステリーなので、被害者や容疑者や参考人、さらには目撃者・証言者など、事件に関わる登場人物がいっぱい出てくる。さらにさらに、事件が起こった場所や会社や建物、店舗や飲食店などもワンサカ出てくる。これらの名前や情報を、視聴者に忘れさせないように作る必要があった。だがこれが、ナカナカの難物だった。丁寧にやればシツコクなるし、テンポも悪くなる。端折るとセリフで名前を言っても、何のことだか誰のことだか視聴者に伝わらない。これがしばしばネックになって、ドラマを分かり難くしてしまうのだ。

末吉さんが記録さんと最初に繋いでくれたものを見て驚いた。私のコンテにはなかったカットが幾つか入っていたのだ。セリフの中でキーになる人名や場所名や事件名が出てきたら、それに該当する画がそこに入っているのだ。スコブル分かり易くなっていた。しかもそれが、演技の流れや雰囲気を壊さないような絶妙なタイミングで、また過不足なく入っているのだ。

また私のコンテにはないが、流れで見ると「おう!」と思うような繋ぎになっていたりする。私がそれを指摘すると、「皆元監督なら、多分こうするんじゃないかと思ってやってみました」と、やや恥ずかしそうに言う。本当に、「痒いところに手が届く」という言葉そのものの編集マンだった。

末吉さんとはこうして20年に渡ってコンビを組んでもらった。仕上げの発注がパールスタジオから他社に替わっても、仮編集だけは末吉さんにやって貰った。惜しいことに、10年ほど前に、家庭の事情で故郷の鹿児島に帰られた。残念至極だ。

 

編集マンで変わる作品のテイスト

編集は映像作品にとって、とても重要な作業だ。私は編集マンが交代したことで、ガラリと作品が変わったのを経験したことがある。1973年、私が助監督になってすぐのことだ。東映から応援要請が来た。助監督の1人が家庭事情で抜けるので、代わりにサードに入って欲しいとのことだった。作品は皆川隆之監督の「狂走セックス族」。バイクスピード狂とそれを取り締まる白バイ警官の、ナナハン対決が売りの映画だった。ちなみにこの作品は、タイトルほどドギツイ内容ではなかった。当時の岡田茂社長の命令でこんな題名になったそうだ。皆川監督の初監督作品だった。私が応援で入った時は、すでに撮影はかなり進んでおり、残り1週間ほどだった。現場では色々あったが、撮影は終了し、編集段階に入った。

1回目の監督ラッシュ。「なんか面白くない」「たるいと言うかどうにもピリッとしていない」。私も助監督になってからまだ2本目なので、偉そうなことは言えないが、そういう印象だった。その直後、編集マンが交代した。ベテランの編集マンの身内に不幸があって、若手の編集マンに変わったのだ。第2回目の監督ラッシュ。驚いた。作品の雰囲気が、ガラリと変わっていた。しかも、面白くなっていた。テンポもよくなった。歯切れもいい。売り物のバイクの走りもシャープになっていた。監督はじめスタッフ全員が「面白くなった」と絶賛した。私は思った。「編集マンが変わると、こんなにも作品の印象が変わるものか!?

今回、このブログを書くに当たって、Wikipediaで「狂走セックス族」の記事を読んだ。そこでその時の若手編集マンが、誰であったのかを知った。驚いた。市田勇さんだった。市田さんと言えば日本映画界で有数の編集マンだ。市田さんは「狂走セックス族」の後、1970年代後半から「柳生一族の陰謀」などの東映の代表的な大作を手掛け始めた。絶頂期の深作欣二監督とのコンビで次々とヒット作を生み出した。1980年代に入ると、「鬼龍院花子の生涯」「蒲田行進曲」「陽暉楼」「里見八犬伝」など 東映の大作のほとんどを、市田さんが手掛けていた。日本アカデミー賞の編集賞も、なんと16作品で受賞した名編集マンだ。

「狂走セックス族」の例とその後の市田さんの活躍ぶりから、「編集マンの力がどれほど作品にとって重要なのか」をお分かり頂けたと思う。ちなみに、公開された「狂走セックス族」のクレジットタイトルに、編集・市田勇の名は無く、前任者のベテラン編集マンの名前がクレジットされていた。

 

最後に脱線します

この「狂走セックス族」に関しては、第27回【E12助監督になる─その3】でも書いたので参照して頂きたいが、先日たまたま高鳥都さん(「必殺シリーズ秘史」などの筆者)と電話で喋っていて、この作品で思い出したエピソードがあった。今後なかなか披露する機会がないと思われるので、この際書いておきたい。

この作品の主役は白バイ警官役の渡瀬恒彦とスピード狂役の白井孝史(慈郎)だった。後に大スターとなる渡瀬恒彦は、このころはスターへの階段を登りつつある時期だった。当時28歳。私はスタッフから、「兄貴は紳士やが、あいつはヤンチャや」という噂を聞いていた。兄貴とは勿論、その時すでに大スターだった渡哲也だ。だが、私が「狂走セックス族」に参加した時には、渡瀬の出番はほとんど終わっていて、彼の「ヤンチャ」振りを見る機会は、なかなか来なかった。

27回でも触れたラストシーンの撮影でのことだ。場所は京都市左京区宝ヶ池。渡瀬に残された最後の撮影シーンだった。このシーンについてはいろいろあったが、とにかく2人のバイク対決に勝負が着き、白井君が転倒して道路に叩きつけられるカットまでを撮り終えた。次は、白バイを停めた警官・渡瀬が見た目の、白井君の死体のカットだ。ある意味、「狂走セックス族」全編の決着を象徴する荘厳なカットだ。

スタッフは全員そのカットの準備を始めた。白井君が大破したバイクそばの地面にうつむけに倒れ、死体の態勢になった。キャメラマンがキャメラを据えた。すると、渡瀬がゆっくりと白井君に近付いて行った。私はなんとなくその姿が目に入った。「渡瀬が白井君に何か言いにいくのかな?」そう思って、私も傍に寄って行った。渡瀬が、地面に顔を付けている白井君の顔の前に、何かを置いた。「何だろう」そう思った。とたん、「ワー」と白井君が大声を上げて仰け反った。慌てて近付いた。見た。な、な、なんと、白井君の顔の前に、犬の「ウンコ」がドテッと置かれていたのだ。渡瀬はニヤッと笑って歩き去った。私が見た渡瀬恒彦の、最初で最後の「ヤンチャ」振りだった。

 

       【Episode22To Be Continued   

 


12月31日は年末のため、お休みを頂きます。次回第92回は2026114日(水)に投稿予定です。【E22】は専門的・技術的過ぎるとの御批評を頂きました。私としては、1度は「『監督とはどんな仕事をする職業なのか』を書いておかないと」と思い、書き始めましたが、ついつい長くなってしまいました。後数回で 【E22】は書き終える積りです。来年も懲りずに読んで頂きますようお願い申し上げます。良いお歳をお迎え下さい。筆者より。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経