Episode22
 京都映画での監督稼業

      ──まだまだ続く二足の草鞋

その24

 

明けましておめでとうございます。本年もこの拙いブログを続けたいと思っております。宜しくお付き合いの程お願い致します。

新年早々、まずはお詫びです。執筆中のシナリオを昨年中に仕上げると約束しましたが、力及ばず未だに完成しておりません。現在A4164枚。2時間ドラマの分量を越えていますが、完成まで約半分というところです。戦国モノで海外も出て来るために、調べものにも手を取られて、さらに自らの発想の貧困さも相俟って、中々スピードアップできません。遅々とした歩みですが、あきらめないで頑張ろうと思います。

 

前号まで

 さて、昨年の後半はずっと「監督とはどんなことをする職業なのか」について書いて来た。前号では撮影後の仕上げ、そのうちの編集について書いた。今回は仕上げの最終段階であるダビング(ビデオ作品ではMAという)について書いてみたい。

 

ダビングとは?

まずは撮影所でのダビングだ。編集が終わってオールラッシュ(AR)でOKが出ると、仕上げ作業はダビング(MA)に移る。ダビングとはセリフと音楽と効果音などをミックス・整音する作業のことを言う。

早くも横道に逸れる。ARの段階では音楽も効果音も入ってはいない(ラストのエンディング曲だけは付けて見る場合もある)。従って、ARを見て作品の出来を判断するのは、実はなかなか難しいことなのだ。何故か?

普通に考えると、音楽・効果音を入れると面白さが倍加するはずなのだが、そうでない場合もある。ARで「テンポがあって面白い」と感じても、音楽・効果音を入れた後の完成品を見ると、さほど面白くなっていない場合がある。むしろ、なんだかゴチャゴチャしていて、すっきりしない感じだったりするのだ。

逆に、ARで「少したるい」と感じた作品が、ダビング後の試写で格段に面白くなっていることもある。「たるい」と感じた空き間に、上手く音楽が入り込んでいいリズムになったりするのだ。後者のいい例が「必殺シリーズ」を多数手がけた松野宏軌監督だ。ARと試写では印象が一変した。

ここら辺りを一番分かっているのは、編集マンではないだろうか。ゆったり繋いだ方が良いのか?それとももっとテンポを出した方が良いかのを、自問自答しながら切ったり繋いだりしている編集マンは、その作品に音楽や効果音が付いた完成品を見て、自分の計算の結果を常に突き付けられるのだ。編集の園井弘一さんがよく言っていた。「『ここは音楽が入るに違いない』と思って繋いでも、裏切られることがある。音楽のことは考えないで編集することにした」。結局、その塩梅を決めるのは監督の仕事ということになるのだ。

 

ダビング打ち合わせ

本題に戻る。AR終りで、監督はダビング班と打ち合わせをする。もちろん、ダビング班もARは見ている。打ち合わせは台本を元に、監督が音楽や効果音の指定をするのが普通だ。

私は先輩監督に見習って、ダビング打ち合わせに先立って、音楽や効果音を入れるプランを作っていた。「ここから音楽」という台本のその個所にMと書いて、そこから「ここまで」という個所に線を引いた。線の上に「切なく」とか「コミカルに」とか音楽のイメージを書く場合もあった。アクション部分や立ち回り部分は画を見れば分かるので、ことさら注釈は入れなかった。効果音を入れたい個所にも、「SE気味の悪い鳥の鳴き声」とか「SE鐘の音」とか指定した。もちろんダビング班のアイデアや提案は、有難く参考にさせて貰ったのは言うまでもない。ちなみにSEとは、「サウンド・エフェクト」の略だ。
 私は撮影が終わってから、どこに音楽を入れるか考えていたが、監督の中にはコンテを作る段階で、すでに音楽を入れる場所を決めている方もいた。頭の中で音楽を奏でながらコンテを作っているのかもしれない。ちなみに倉本聰の脚本を読むと、シナリオ段階で音楽の指定をしている。「〇〇滑るようにインして」「〇〇遠く去って」という具合だ。〇〇は曲名の場合もあるし単に「音楽」「クラシック曲」という場合もある。

実は劇中に音楽を入れるということは、なかなかに難しい面もある。プラスばかりではないのだ。音楽を付けたばかりに肝心のドラマが流れてしまって、視聴者の頭に残らないという場合もある。音楽が多すぎると、視聴者にどこが重要なのか分かり難くさせたりもする。音楽を入れずに我慢することも大切な演出なのだ。我慢して我慢して、ここぞというところで印象的な音楽を入れれば、その部分が一層際立つという使い方もあるのだ。

 

劇伴音楽

作品に使う劇中伴奏音楽(劇伴)について触れておこう。まずは歴史的なことから。戦前の無声映画の時代。映画館のスクリーンの横に楽団がいたというから面白い。音楽が必要な個所にくると、指揮者がタクトを振って音楽を奏でた。生演奏付きで映画が見れるとは、ある意味で無声映画は豪華だったともいえる。ちなみにセリフは、画面にタイトルで表示されたり、活動弁士が声色を使って語ったりした。

トーキー映画の時代になると、セリフや音楽や効果音もフィルムのサウンドトラックに焼き付けるようになった。その劇伴音楽はどうやって録ったのか?1973年あたり、私が撮影所に入った頃には、東映京都撮影所や京都映画撮影所には「サウンドステージ」と呼ばれる施設が残っていた。広々とした講堂のような空間で、正面にスクリーンがあり、一番後ろにはガラス張りの部屋があった。その部屋には録音機材と映写機が設えてあった。当時はそこのスクリーンに映像を写して、アフレコなどをやっていたのだが、せいぜい10数人ぐらいしか入ることがないアフレコ用としては、広すぎる施設だった。

私はベテランのチーフ助監督に訊いた。「こんな広い場所、何の為の施設ですか?」。チーフが言った。「映画華やかなりし頃には、ここにオーケストラを入れて映画音楽を録音してたんや。正面のスクリーンに音楽を入れる場面を映し出して、それにシンクロさせて演奏して録音した。そうすることによって、演奏者も場面の雰囲気が分かるし、微妙な長さも調節できたんやな」。な、な、なんと贅沢な!そんな夢のような時代が映画界にあったとは……。

さて、そういう会話があってから7年後、私が監督になった頃だ。京都映画のサウンドステージは、とっくに売り払われて影も形もなかったが、映画や2時間ドラマなど単発ドラマの場合は、まだその作品ごとに音楽を作っていた。ARでOKが出た後に作曲家と一緒にそのARを見て、その作品に付ける音楽の打ち合わせをするのだ。私も含めて周囲の監督のほとんどは、前もって音楽プランを作っていて、それを元に打ち合わせをしていた。

私の初監督作品「赤い稲妻」の作曲家は、渡辺岳夫さんだった。佐々木Pの友人で数多くの映画・テレビドラマ・アニメ作品を手掛けている、映像劇伴音楽の第一人者だ。だが岳夫さんは、駆け出しの私に正面から向き合ってくれた。岳夫さんはラッシュを見た後に言った。「面白い!テーマ曲にオカリナを使おう」。スケールの大きいアクション編「赤い稲妻」には、オカリナを入れた中南米風の音楽が合うと提案してくれたのだ。提案はそれだけで、その他の場面での音楽打ち合わせでは、私のプランを尊重してくれた。1週間後、東京の早稲田アバコで音楽録りをした。オカリナを使ったテーマ曲は雄大だった。東海道を死地へと向かう主人公たちの旅のシーン、また、険しい渓谷にロープを張り渡して忍び込むアクションシーン、急流を下る川船同士の追跡劇と激しい乱闘シーンなどによく合った。

 

鮮やかな手腕の音楽撮り

余談だが、岳夫さんの音楽録りの采配は鮮やかだった。多くの第一線のミュージシャンたちを操って、相当数あった曲のすべてを、きっちりと時間内に録り終えた。しかもそれぞれの曲のタイムは私が予定しているタイムとピッタリ合っていた。さらに見事なのは、それぞれのミュージシャンたちのスケジュールを全て把握していることだった。後れて来るミュージシャンがいる時間帯は、その楽器を使わなくてもいい曲を録り、フルメンバーが揃って大編成の曲を録った後は、時間制限があるミュージシャンを順番に返していった。その差配を、曲を指揮したり演奏の指示を与えたりしながらキッチリとこなしていたのだ。ツボを外さない曲の出来栄えの見事さだけではなく、プレーイングマネジャーとしての手腕も見事だった。

私はその数年後に、「火曜サスペンス劇場」の音楽録りに立ち会ったことがある。松尾昭典監督が別の仕事で来られないために、APの私が代わりに立ち会ったのだ。作曲家は後に超売れっ子となる三枝成彰。その三枝成彰が売れ始めた時期だった。彼は入れ込み過ぎたのか、何度も録り直しをして録音時間を一時間以上もオーバーしてしまった。そういった「予算も時間も限られた中で、キッチリ仕事を仕上げる」といった、プロの仕事に慣れていないように感じた。音楽の出来栄えは別として、渡辺岳夫さんとのマネジメント手腕の差は明らかだった。

 

歌い過ぎる音楽

 余談が続く。音楽録りに立ち会って困ったこともあった。1986年に撮った映画「舞妓物語」の音楽は、制作にも参加していたビクターの紹介で、奥慶一が担当することになった。奥慶一は東京芸大の作曲科を卒業した俊英だったが、映像の音楽はまだ経験が少なかった。

多くの場合、監督は音楽録りの現場で初めて曲を聞く。映画のクライマックスと言えるシーンに当てる曲のテストが始まった。主人公の恋人が交通事故に遭い重体となる。駆け付けた主人公が必死に呼び戻そうと、恋人の名を叫び続けるというシーンだ。びっくりした。曲が歌い過ぎているのだ。俳優の演技以上に、曲が悲しみを歌い上げてしまっているのだ。

私はそれまでに、二十数本のテレビドラマを監督してきていた。その経験もあって曲を聞くと、映像に当ててみないでもその場面に合うか否かの判断が、ある程度はできるようになっていた。マズイと思った。これでは主人公の演技よりも、音楽の方が前面に出てしまう。音楽は俳優の演技よりもやや控えめに、演技をサポートしなければならない。どうする?

私は正直に奥慶一に思いを告げた。しかし、音楽録りの現場で作曲をやり直すことはできない。また、日を変えて音楽録りをやり直すとなると、莫大な費用が掛かってしまう。いま考えると、その曲だけ作曲をやり直して、打ち込みで仕上げて送って貰うという方法もあったかもしれない。だがその時は、その方法が思い付かなかった。仕方なく私は次善の策を提案した。ピアノだけでこの曲を弾くバージョンを追加で録った。演奏法もあまり歌い上げ過ぎないようにして。そしてダビングでは、フルバージョンとピアノソロをミックスして使った。

作品ごとに作曲してオリジナル曲を作るのは、大変良いことで理想だが、こういったこともあるので注意しなければならない。肝心な曲は前もってデモテープで聞かせて貰うなどの工夫が必要だ。

選曲主体からまたオリジナル曲主体へ
 1990年台後半になると、2時間ドラマでもオリジナル曲を作らずに、選曲で済ます例が多くなった。著作権フリーで使える曲が充実してきたためと、苦しい制作費を工面して中途半端なオリジナル曲を作るよりも、腕のいい選曲マンに頼む方が効率が良いとの判断からだ。2010年台後半になると、またオリジナル曲を作るようになった。ドラマのネット販売が始まって、選曲した曲に著作権の問題が出て来たのだ。テレビ放送ではOKだった曲が、ネット販売ではクリアにならないということだ。テレビ局が率先してネット販売に手を出したので、ネットで売れてから曲を入れ替えるよりは、最初からオリジナル曲を使おうという判断だ。

 

シリーズ物の劇伴音楽

次は連続ドラマやシリーズ作品の劇伴音楽だ。番組のスタート時に、プロデューサー、第一話の監督、選曲マンが相談して、作曲家に纏めて依頼する。テーマ曲、そのアレンジ曲、オープニング曲、エンディング曲、アクション場面の曲、恋愛場面の曲、悲しい場面の曲、楽しい場面の曲、コミカルな場面の曲等々、様々な場面で使う曲を何パターンかずつ作って貰うのだ。シリーズ各話のダビングでは、選曲係がそれらの曲の中から、それぞれの場面に相応しい曲を選んで、尺調をして場面に当てていくのだ。もちろん監督も、「あの曲」と指定するのは言うまでもない。

 

ダビング・選曲係

さて、撮影所のダビング班の作業だ。私が経験した京都映画を例に取る。監督との打ち合わせを元に、ダビング班は準備に入る。まず選曲係だ。映画や単発作品の場合は、尺も合わせて曲を録音するので、そのままそれぞれの使用場面に当てればいい。しかし、シリーズの1時間ドラマの場合は大変だ。

まず、監督が指定した個所の選曲をしなければならない。ここで、選曲係の手腕とセンスがモノをいう。時には、監督の意図と異なる選曲をする場合もある。また、選曲した曲をより効果的にするために、例えば通常は1回だけのイントロを2回繰り返して使ったりして、視聴者をじらしにじらせて、狙いのメロディ(視聴者お気に入りの曲)が始まると、「キタ~!」と言わせるような、仕掛けを仕込んでおくこともある。何も言わずに、テストでシレッと聞かせて、監督に「ありがとう」と言わせればしめたものだ。

次は尺調だ。作曲家が作った曲の長さは、通常ワンパターンしかない。しかし監督は、オリジナル曲の長さに関係なく、「ドラマのここから入れて、ここで終わる」と指定する。選曲マンはこの長さに合わせなければならないのだ。長さだけではない。ドラマ的に盛り上がるところは、曲でも盛り上げていかなければならない。そこがピタッと当て嵌まるように、細かくしかも大胆に、尺調整しなければならないのだ。

曲を伸ばす場合は、曲の一部を繰り返し使ったりするし、「必殺シリーズ」ではよくやっていたが、別の曲を繋いだりする。短くする場合は、イントロを飛ばしてメロディから入ったり、ラストの決めのフレーズを曲の途中に上手く嵌め込んで、強制的な終わり方をしたりする。このように選曲係は様々なテクニックを駆使して尺調するのだ。

 

ダビング・効果音係

効果音係は様々な音を画に合して釣っていく。「釣る」という表現は、1本のテープに画に合わせて様々な効果音を入れて行くという作業のことだ。例えばチャンバラの場面では、刀と刀が触れ合った個所には「チャリーン」という音を入れ、人を斬ったところでは「バツ」という肉を斬る音を入れたりする。フィルムとテープのスタートを合わせておけば、映像のその場所がくるとその音が出てくるという仕掛けになる。

そういった効果音は、多くは以前に使ったライブラリーをコピーして使う。だが、新しいシリーズが入れば、そのシリーズらしい新しい音が必要になる。「必殺仕掛人」が入った時は、梅安の「針を刺す音」「抜く音」などを演技のスピードに合わせて幾つも作ったらしい。次の「必殺仕置人」では、念仏の鉄の「骨外し音」に、棺桶の錠の「手槍で刺す音」。後には「三味線の糸で殺す音」や「組紐で殺す音」なども出てきた。

その音作りは、思いもよらぬ方法で作られる。とんでもない素材を使って、テープのピッチを変えたり、逆回転したりとあらゆる手法を駆使して作り上げるのだ。詳しく知りたい方は、高鳥都著「必殺シリーズ秘史」の竹本洋二へのインタビューをご覧いただきたい。

効果アフレコという作業もある。ジェネレーターを使う夜間ロケや車の走行音が聞こえるロケ地では、セリフを同時録音することができない。そんなシーンは、後で編集された映像に合わせてのアフレコとなる。セリフはアフレコで録れるが、足音までは同時に録れない。そこで効果アフレコで録ることになる。画を見ながら、録音スタジオに設置した土の上で、草履やワラジ、時には下駄を履いて歩くのだ。大勢が出演している場面では人手が、いや人足が足りないので私も手伝ったことが何度かある。私は誰か一人分を担当するのがやっとだったが、効果マンたちは1人で一度に3人分の足音を担当していた。よくそんなことができると感心したものだ。この足音は完成品では極めて低くしか聞こえないが、無ければ物足りない。ここら辺りはダビング班のこだわりだろう。

次回はダビングやMAの、実際の現場について書いてみたい。

 

       【Episode22To Be Continued   

 


※次回は2026128日(水)に投稿予定です。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経