Episode22
 京都映画での監督稼業

    ──まだまだ続く二足の草鞋

その25

前号まで

 「監督とはどんなことをする職業なのか?」について書いている。前号ではドラマ制作仕上げの最終段階であるダビング(MA)──音のミキシング・整音作業──について、そのうちの打ち合わせと準備作業までを書いた。

 

ダビングの現場・各パートの名手たち

さて、いよいよダビングのミキシング現場だ。京都映画の1時間ドラマだと、午前10時に監督と打ち合わせ、その後の準備を経て、午後2~3時頃からミックスのテストを始めるというスケジュールが普通だった。京都映画のダビングスタジオはスクリーンに向かって一番右が映写室、2番目がミキサー、3番目が選曲係、一番左が効果音係という配置だった。監督席はミキサー席のすぐ後にあった。そのあたりが一番いい音が聞こえる場所なのだ

 ダビング班の責任者はミキサーだ。クレジットタイトルは京都映画作品では「調音」と出ていた。私が監督になった時のミキサーは本田文人さんだった。本田さんはひと廻り上の世代だが、私が京都映画に入った頃にはすでにバリバリのミキサーだった。「必殺シリーズ」を始め、京都映画が生み出した傑作群は、優秀なスタッフ達によって支えられてきた。特にキャメラマン石原興、照明技師中島利男、編集マン園井弘一と並んで、ミキサー本田文人の功績が大きかったと思う。この4人によって「京都映画風」の作品群が生み出されてきたと言っても過言ではない。

本田さんはとてもお洒落で、バランス感覚が優れた人だった。ダビング作業は他のスタッフとあまり接触がない仕事場だったが、本田さんは日頃から製作部の部屋に出入りして、現場のスタッフや外部のPともコミュニケーションを絶やさなかった。若手や外部監督の面倒見も良かった。そういう意味で京都映画としても、ダビングという作品の最終工程を任せる人材としては打って付けだったに違いない。私が監督になってからも、いろいろアドバイスを貰ったりして、随分お世話になった。

 選曲マンは鈴木信一さん。鈴木さんの選曲は的確で、「必殺といえばコレ」という独特の音楽世界を作り上げたのは鈴木さんだ。尺の調整も巧みだった。音楽の入った6ミリテープを切ったり繋いだりして、監督が要求する個所にピッタリ嵌める手腕は見事だった。効果マンは前回も名前の出た竹本洋二(竹ちゃん)。効果音作りの名人だった。竹ちゃんが作った「必殺シリーズ」の効果音はCDとなって発売されたほどだ。こういった一世を風靡した音職人たちと仕事ができた私は、幸せ者だ。

 

ダビングの現場・テスト

 京都映画のダビングのやり方はこうだ。それぞれの音を出すテープレコーダーのラインに番号が付けてあった。例えば1番がセリフなどが入った本線。2番がナレーションやセリフなどにかぶさる叫び声など。3番4番が音楽ライン。5番が効果音を釣ったライン。6番がそれ以外の効果音ラインという具合だ。多い時には6本のラインが音を出すので、ミキサーは大変だ。

ミックスはロールごとに分けて行うが、長いロールだと1時間ドラマでも10分以上はある。2時間ドラマだと20分以上のロールもある。そのロールでは、どの場面でどんな音が出るかをキッチリ覚えていなければ、素早い対応はできないのだ。

スタートして音楽がインする個所が来ると、鈴木さんが「3番」と本田さんに告げる。「次の音楽が3番ラインから出ますよ」という告知だ。本田さんは手を上げて応える。難しいのは、音楽にしろ効果音にしろ、一定の音量で使うことは殆ど無いということだ。効果音も音源が近付いたり遠ざかったりすることで上げ下げが必要だし、セリフが始まればセリフを聞かせるために、効果音を少し下げたりしなければならない。セリフの音量によっても上げ下げが必要だ。

音楽はドラマの進行に合わせて上げ下げしなければならない。盛り上げる所は最大限に音量を上げ、セリフの聞かせ処は視聴者に気付かれないように細心の注意を払って下げていく。聞こえるかどうかという低い音量でスタートさせなければならない場合もある。ミキサーはそれらを、両手の指先で微妙にコントロールしながら、そのロールのミキシングを一気にやりきるのだ。

さらに言えば、この作業を技術的に行うだけではなく、演出的に表現して行かなくてはならない。音量の上げ下げは決して直線的ではないのだ。しゃくるように上げたり、ストンと下げたりする場合もある。場面の展開や、登場人物の動きや芝居に合わせて、上げ下げのスピードを変えて、視聴者を泣かせたり興奮させなければならない。ミキサーとは、究極の経験とセンスが要求される職業なのだ。本田さんのフェイダー捌きは、まさに神業だった。

 

各パートがフェイダーを持つ大映

脱線する。大映のダビングシステムは違ったようだ。現場を見たわけではない。聞いた話だ。大映のダビング現場には、ミキサー、選曲係、効果音係以外に、撮影現場でセリフを録った録音技師もいたそうだ。そして驚いたことに、なんとそれぞれがフェイダーを持って上げ下げしたらしい。もちろん場面場面で、それぞれの狙いに合わせて上げ下げするためなのだが、この話を聞いた時に思った。「それでうまくバランスが取れるものなのだろうか?」事実、時にはケンカになることもあったようだ。録音技師は「セリフが聞こえへん。音楽下げろ!」と叫び、選曲係は「チャンバラの音を下げろ!ここは音楽を聞かすシーンや!」と怒鳴ったという。残念ながらミキサーや監督が、その時どうしていたのか訊くのを忘れた。ちなみに大映には倉嶋暢さんという音響効果の大家がいたが、私は幸か不幸か、一緒に仕事をさせて貰う機会がなかった。

 

セリフのフェイダーを持つ黒澤大監督

さらに脱線する。「黒澤明の映画はセリフが聞き取り難い」という噂がある。ネットで調べると、ズラズラとその旨の記事が出てくる。批評家にも、その点を随分叩かれたという話だ。そのため「七人の侍」公開時には、邦画でありながらセリフの字幕を付けることも、真剣に検討されたらしい。

その原因をある人が教えてくれた。ダビング作業に原因があるとのことだ。セリフのフェイダーを、な、な、なんと、「監督である黒澤明が握っていた」というのだ。黒澤監督はいいところに来ると、セリフのフェイダーをどんどん上げていってしまったらしい。「天皇」と呼ばれるような絶対的な監督なので、誰も止められない。とうとうリミッターを越えて上げてしまったそうだ。そのためセリフが割れてしまい、劇場で聞き取り難くなったらしい。

にわかには信じられない話だが、セリフが聞こえ難くなったのは、大映で撮ったあの「羅生門」かららしい。ひょっとしたら、黒澤監督がセリフのフェイダーを握るようになったのは、先ほどの大映のダビングシステムが影響しているのかもしれない。現在は最新の機器で整音されたリマスター版が出ているので、黒澤作品もセリフが聞き取りやすくなったということだが、真相や如何に!

 

ダビングの現場・テスト後のあれやこれや

京都映画のダビングに戻る。テストが終われば色々と修正点が出てくる。もちろん監督もいろいろと注文を付ける。効果音の善し悪し。音楽のイン点・アウト点の変更や音量の加減、音楽の追加や曲自体を変えて欲しいという場合もある。

私はこういった注文を、すでに「必殺シリーズ」で名を成した音の職人たちに、恐れげもなく要求した。当時の私は、そういう「怖いもの知らず」の面が多分にあった。だが歴戦の音職人たちは、私のような後輩でしかも駆け出しのぺーぺー監督の注文を、まともに受け取って、ちゃんと対処してくれた。何度も言うが、本当にこれが京都映画のいい処なのだ。

チョットだけ自慢

ちょっと自慢をする。私は曲の選定にほんのちょっとした特技があった。特技と言っても、監督は他の監督のダビングやMAに立ち会うことはほとんどないので、私がそう思っているだけのことだが……。

テストが終わって、私が曲を変えて欲しと要望すると、選曲マンはライブラリーの多くの曲から選んでいくことになる。その時、イントロクイズではないが、ほんの数秒ずつ聞いていって、「これダメ、これダメ、これもダメ」とダメを出していくのだ。その内の、選曲マンにすれば「とんでもない曲」に私が反応する。「これ、ひょっとしたら合うかも」と。「えー!?これはダメでしょう」「うーん、ダメ元で当ててみて」と私。しぶしぶその場面に「とんでもない曲」を当ててみる選曲マン。ビンゴ!これが意外と合ったりするのだ。

選曲の3分の2を変更

自慢終り!京都映画の選曲マンは優秀なので、曲を変えるのは1話でせいぜい1~2曲だった。だが、私がABCの「部長刑事」を撮っていた時のことだ。選曲係はドラマが本業の選曲マンでなかったこともあって、彼が用意した音楽の3分の2ぐらいを変えてもらっていた。日を替えて選曲し直したこともシバシバだった。「我儘な監督だ」そう、顰蹙を買っていたに違いない。だが監督というのは、時には我儘を貫き通さなければならない職業なのだ。作品の出来栄えに全責任を負わなければならないのだから。

 

ダビングの現場・ハラハラドキドキの本番

さて、ダビングの現場に戻る。テストを1回~2回やって、本番となる。本番は見ているだけの私=監督もハラハラドキドキと緊張する。何故か?

先ほども書いたように、ミキサーは膨大な音を全て頭に入れて、フェイダーの上げ下げでコントロールしなければならない。少しのミスも許されない。だが、要求されるのは計算された正確さだけではないのだ。実は、ミキシングは人間がやることなので、テイクごとに微妙に違ってくるのだ。それによってアドリブ的な要素も出てくる。その変化に合わせて、演出的に如何に観客の心を掴むことができるかの、感性や咄嗟のヒラメキも要求されるのだ。

また選曲マンは、音楽を入れるタイミングを、息を止めて図る。これも、何分何秒にインするという時計的な正確さだけではない。その前のセリフ、音楽、効果音の在りよう、すなわちミキサーのノリ具合によって、それを受け止めて微妙に変化させていくのだ。しかもダビングの場合、1ヶ所でもミスすると、ロール頭からやり直さなければならない。そういう意味でのハラハラドキドキだ。

だが、ダビングは楽しい作業だ。何よりも音楽や効果音を付けることによって、また様々な音を整理することによって、自分の作品が目の前でどんどんクリアに、鮮やかに、豊かになって行くのだ。ダビングする度に、私はそれを体感できる幸せを感じていた。監督とは幸せな職業だと思う。

 

放送の音声はシネテープで

ここでまた脱線する。ダビング作業でミックス・整音された音は16mmのシネテープに収録される。そしてその音は、東洋現像所でプリントフィルムのサウンド・トラックに焼き込まれるのだ。だが、テレビ局からその作品が放送される時は、サウンド・トラックの音は出さずにシネテープの音(磁気録音)で放送した。サウンド・トラックは光学録音で音質が良くなかったためだ。

このやり方は、視聴者にいい音を聞かせるという意味ではとても良いのだが、時には事故が起こった。ある時、私がテレビで「必殺シリーズ」を見ていると、画面と音声が合わなくなった。段々ズレが大きくなって来て、数秒もズレてきた。映像のフィルムと音声のシネテープを別々に送出するために、何かの拍子にズレてきてしまったのだ。しばらくして朝日放送の技術が気付いて直ったが、その作品を一生懸命に作った監督始めスタッフは、「勘弁してよ」という感じだったろう。

 

MA作業

さて話を、フィルム撮影のダビングからビデオ収録に移す。ビデオ作品の場合は音のミックス・整音作業をMAと言う。MAとはマルチオーディオの略だ。映像が入ったビデオテープとは別に、多数の音声トラックを持つ幅広のビデオテープを使った。各トラックそれぞれに、セリフや音楽や効果音を入れて、それをミックスする仕組みだ。

1980MBS・京都映画制作の「花かぶら」で、初めてそのMA現場を見た時は驚いた。京都映画では4~5人で行うミックス作業を、東通AVセンターでは林民雄さんという音声マンが、たった1人でやっていたのだ。何故そんなことができたのか?

MAというシステムは、それぞれのトラックに音を仕込んで、それを部分的にミックスしたり、手直しすることができるのだ。ということは、撮影所のダビング作業のように、「せーの」で別々のテープから一斉に音を出して、それをミックスして1本のシネテープに録音する必要がない。従ってMA機材が扱えて、音楽や効果音やミックスにも通じている林さんのようなスタッフが1人いれば、音楽の仕込みも一人でできるし、効果音も一人で付けることができ、ミックスも一人でやれるのだ。

その頃、大阪の東通AVセンターは、ミキサー、選曲マン、効果マンというような、専門の音職人たちによる分業はなかったようだ。選曲もテープ編集をしている様子はなかった。音楽をインするときは、スタートボタンを押してギュッと音量を上げていた。終りは音量を絞ってフェイドアウトさせるのだ。適当に音とトラックに入れておいて、後で場所を変えたり、途中をカットしたり、音量の上げ下げをしたりしていたのだ。

効果音も音を作るという発想はなく、現場での音をそのまま使っていた。せいぜいがロケ現場で、撮影終了後に川音などの現場ノイズを録音して、MAに使っていたぐらいだ。モノが現代劇のホームドラマだったので、さほど支障はなかったが、マルチオーディオという便利な最新の機材を使っている割には、音に対するあまりの淡白さに、私は違和感を覚えた記憶がある。

 

脱線します

またまた脱線する。私は京都映画を出て東通企画の契約になり、朝日放送(ABC)や毎日放送(MBS)のドラマ手掛けるようになった。そのMAの現場に立って驚いた。「花かぶら」から10年も経っているのに、まだABCMBSそして大阪東通には「音は作るもの」という発想がなかったのだ。

例えばセット撮影したシーンでの、ドアの開け閉めの音だ。撮影・編集が終わってMAになった。音を入れ終わった後のプレビューを見て驚いた。セットでの貧弱なドア音しか付いていないのだ。「ドア音を替えて」というと、音声係が不思議そうな顔をして言う。「どうしてですか?」「こんなヘタッタ音はダメだ」「でも、現場で録った音ですけど?」。彼等は音の善し悪しよりも、撮影現場で録った「リアルな」音を優先していたのだ。

もっと凄いこともあった。ABCで「部長刑事」を撮った時だ。ピストルの発砲場面があった。撮影・編集が終わって、MA作業になった。プレビューでその場面が来た。画面の俳優が引き金を引いた。ピストルが火を吐く。「パチャ」「ん?」ピストルの発砲音が付いていない。それを指摘すると、MAに就いていた音声係が「撮影現場で録った音ですよ」と涼し気に言う。

その「パチャ」音は、小道具係がピストルから発砲の火炎を出すために仕掛けた、極極少量の火薬の発火音だ。決して弾丸を飛ばすための火薬の発砲音ではない。「撮影現場で録った音かどうか」の問題なんかではない。音声係たる者がそんな「パチャ」音が付いていて、平気でいられるかどうかの問題だ。私は怒り狂った。「お前らは刑事ドラマを作る資格がない!やめてしまえ!」。この暴言は、いまだったら即パワハラで訴えられるに違いないが、気持ちは分かってもらえるだろう。

やはりこの時代でも、大阪のMAスタッフに専門の「効果音係」はいなかったような気がする。しかし、MBSABCもラジオ局を持っていたので、効果音を作る伝統は有った筈だ。事実、1979年に私がMBSに研修で行った時に、千里丘スタジオの倉庫には、波音を出す道具や様々な引き出しの音を作る箱など、効果音を作る道具がいっぱい残っていた。音源が画に写ってしまうテレビにドラマが移行したことによって、逆に音を作るという伝統が廃れてしまったとすれば寂しいことだ。

 

ビデオ収録になった撮影所のMA

私はすでに京都を離れていたが、1990年台に入って、京都でも徐々にフィルムで撮影することが少なくなった。ビデオで撮影すれば、当然ダビングからMAに移行せざるを得なくなる。撮影所にMAスタジオを作って、撮影所のスタッフがMAでミックスを行うようになったり、ビデオの録音スタジオを借りて撮影所のスタッフでMAをやるようになったようだ。

1990年から、私は東京で2時間ドラマを撮るようなった。当初の数本、そのMAは「映光スタジオ」でやった。東映東京撮影所にいた録音マンたちが作った、MAのできる録音スタジオだった。撮影所出身の選曲マンや効果マンが作業してくれて、久しぶりに大阪ではできなかった、ミキサー・選曲マン・効果マンの揃った撮影所的なミキシングができた。

時代が進んでくると、音響効果(音効)の会社が次々に設立され、撮影所以外でも選曲や効果音のプロたちがどんどん育ってきた。同時に、MAの機材や技術の進歩によって、耳障りな雑音を取り除いたり、不明瞭なセリフを聞きやすくしたり、さらにはセリフの間違いまできれいに直せるようになったりして、その他さまざまなことが可能になった。MAの進歩は著しい。

 

選曲マン任せになった音楽

ただ演出家にとって寂しい事態も起きている。連続ドラマでの音楽の打ち合わせを省いてしまうことが多くなったのだ。編集が終わった後にプロデューサーが言う。「曲付けは選曲マンに任せて、意見があればプレビューの後に言って下さい」。番組の色は、音楽によって決まるとも言える。音楽の付け方を選曲マンに任せることによって、番組の統一感を出したいのかもしれない。

私はこの場合でも選曲マンと効果マンに要望して、MAの前日にプレビューしてもらった。MAの現場では曲や効果音の変更ができないことが多いからだ。これは作品の質を高め、MAの時間短縮にもなるので、関係者すべてに益をもたらすことだ。

しかしこういう事態は、テレビドラマでの監督地位の低下をもたらしているかもしれない。逆に監督の地位が低下したからこういう事態になったのかもしれないが……。寂しいことに、監督によって異なる作風を楽しむという時代では無くなったようだ。


               【Episode22To Be Continued 
 

 


※次回は2026211日(水)に投稿予定です。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経