【Episode23】
京都映画での監督稼業
──眠狂四郎 円月殺法
その1
お詫び
前号のラストで、「【E22】では『監督とはどんな仕事をする職業なのか』について書いて来た」と書いた。ところが調べてみると、【E22】の「その9」までは私が監督した作品について、順番に書いていた。「その9」は、「斬り捨て御免!Ⅲ」の最終回についての記述だった。上記の「監督とは……」は「その10」からだったのだ。明らかに私の記憶違いだった。これから書こうとしているのは、「斬り捨て御免!Ⅲ」の後番組「眠狂四郎 円月殺法」についてだ。ブログ構成の整合性を考えると、今号は「E22その27」になるのだが、ここでちょっと気分を変えて、新しいエピソードにしたい。従って今号からは「【Epsode23】京都映画での監督稼業──眠狂四郎 円月殺法」としたい。お詫びして訂正する。
再び孝夫さんと
1982年秋。私は35歳。監督昇格から約2年半を経過していた。監督を務めた作品は15本。前作の「斬り捨て御免!Ⅲ」では全22話中9話の監督を任された。歌舞伎座テレビ製作のドラマでは、戦力のひとりという扱いを受けていたが、京都映画ではまだまだ軸足を助監督にも置いた、2足の草鞋監督という扱いだった。
その年の9月から、テレビ東京・歌舞伎座テレビ製作の「眠狂四郎 円月殺法」がクランクインした。主演は当時、関西歌舞伎の人気スターだった片岡孝夫だ。現在は人間国宝に認定されている歌舞伎界の大御所、あの15代目片岡仁左衛門だ。当時の孝夫さん(私たちはそう呼んでいた)は38歳。1970年代中頃から、坂東玉三郎との「孝玉コンビ」で大フィーバーを巻き起こしていた、歌舞伎界の大人気スターだった。
孝夫さんはスラリとした長身で、立ち姿が美しいことで定評があった。また声も朗々として、歌舞伎流に言えば「口跡さわやかな」俳優さんだった。顔つきも色白で面長、目力も強くニヒルな表情もピッタリの、持って来いの「眠狂四郎」役だった。
私は、孝夫さんとはすでに1年前に、「お命頂戴!」で2本の監督をやっていた。助監督チーフとしてもほぼ全話に関わっていたので、いわば気心が知れた間だったと言える。
孝夫さんは明るくてさっぱりした気性の俳優さんだった。現場でもいつもニコニコしていた。孝夫さんとはほとんどのことは、現場でのやりとりで済んだ。しかも、関西弁だ。設定を変更した場合などで分かり難いことがあると、気さくに「何でや?」と訊いた。私が説明を始めると、全部聞かない内に「わかった。監督の言う通りにする」と、サッパリ言ったりするのだ。
眠狂四郎とは
さて「眠狂四郎」とは、どんなドラマなのか?原作は柴田錬三郎。1956年から週間新潮に連載を始めて大人気を博した。それまでの時代小説は「宮本武蔵」に代表される求道精神を描いたものか、または「銭形平次」「右門捕物帳」などのような、事件を解決する正義の味方を描いたものなどが主流だった。
それに対して「眠狂四郎」は、正義の味方でもないし道を求める者でもなかった。立ち向かって来る者は平気で斬り捨て、大義名分を声高に叫ぶ者や居丈高に正義を振りかざす者には、その裏にある欺瞞を暴いた。言い寄る女は、その隠した目的を暴いた上で犯した。そういった「虚無」とか「ニヒリズム」とかの言葉に代表される、それまでの時代劇ヒーローとは真反対のアンチヒーローとも言える人物像だった。それは狂四郎の出生の禍々しさにも現れている。狂四郎は、転びバテレンが大目付の娘を無理やり犯して、その結果生まれたという忌まわしい出生の秘密を負っているのだ。
「眠狂四郎」の人気の理由について、Wikipediaに掲載された遠藤周作の言葉だ。「従来の大衆小説の要素に加えて、スピード感と、ドンデン返しのある刺激的な構成、サディズムとマゾヒズムの加味されたエロティシズムを挙げ、『虚無も孤独も悉く運命感と宿命感とを背負わされている』ことの魅力だ」と述べている。
これまでの「眠狂四郎」
こんな人気小説なのだから、当然私たちの前にも何度も映画化やテレビドラマ化されてきた。映画では大映が、市川雷蔵の代表作のとも言える作品群を製作した。1963年から田中徳三、三隅研次、安田広義、池広一夫監督などで、12本が公開された。市川雷蔵については、旧大映のスタッフの多くが言っていた。「雷蔵さんが生きていたら、大映が倒産することはなかった」と。それほどの戦後日本を代表する大俳優だ。
テレビドラマでは1972年の関西テレビ・東映製作田村正和主演のシリーズが代表的だ。田村正和といえば、日本の芸能界でもトップクラスの大スターだ。そんな田村正和にとって「眠狂四郎」は、「古畑任三郎」と並んで代表作となった。
こんな大スター達が演じた「眠狂四郎」を演じるのだ。孝夫さんもさぞかしプレッシャーを感じたに違いない。だが、撮影現場での孝夫さんは、まったくそういったことを感じさせない自然体だった。気負うことなく、冗談を言いながら、飄々と演じていたのが印象的だ。
「眠狂四郎」のロケでの記念撮影。最前列キャメラの右が藤井哲也キャメラマン。
2列目左端に筆者、2人目が片岡孝夫、2人置いて殺陣師の楠本栄一、右端が記録の川島庸子。
3列目右から4番目が照明技師の南所登。
「眠狂四郎 円月殺法」とは?
さて、私たちの「眠狂四郎 円月殺法」だ。原作としては11冊刊行されている中から、「眠狂四郎孤剣五十三次」が使われた。番組の流れを分かり易くするために、第1話の粗筋を書いておこう。
岸和田藩江戸藩邸から書状が盗み出される。偶然通り合わせた狂四郎は、書状を盗んだ一味の1人お蘭(松尾嘉代)を助ける。その書状は、薩摩藩を中心に西国13藩が同盟を結んで、老中首座の水野忠邦を失脚に追い込もうと企んだ連判状だった。お蘭に命じて連判状を盗みださせた水野忠邦の側用人武部仙十郎(小松方正)は、狂四郎に東海道を京へと上るように依頼する。狂四郎は自分を餌に、西国13藩の謀議を探る企みと見破って、仙十郎の依頼を断る。
薩摩藩の家老調所笑左衛門(安部徹)は、薩摩を敵視する水野忠邦を失脚に追い込むために、清国商人一味から調達した金銀珊瑚を、幕閣にばら撒いて買収することを目論んでいた。その企ての邪魔になるとみて、配下の「隼人隠密党」頭領海老原蔵人(伊吹吾郎)や清国商人、それに金で雇った策士都田水心(岸辺シロー)に命じて何度も狂四郎を襲わせるが、狂四郎の恐るべき剣技に悉く阻まれていた。
だが、調所笑左衛門は執拗だった。狂四郎が面倒を見ていた孤児の少年と養育していた父娘を惨殺して、狂四郎を薩摩藩邸に誘き寄せる。罠と知っていながら乗り込む狂四郎。一時は捕らわれの身になるが、危ういところで虎口を脱する。目的のためには手段を択ばぬ薩摩のやり口に、怒りを覚えた狂四郎は自ら囮となって、東海道を西に向かう。狂四郎に惚れ込んだ巾着切りの金八(火野正平)や、武部のお目付け役お蘭も、さらに狂四郎を狙う隼人隠密党も、狂四郎の後になり先になりしながら西に向かうのだ。
2話以降のドラマは、狂四郎と薩摩藩の対決を縦糸に、各話のエピソードを横糸に搦めて進行して行くことになる。
高校教科書にも登場した調所笑左エ門
ちょっと脱線する。この第1話には2人の歴史上に実在した人物が関係する。天保の改革を主導した老中首座水野忠邦と、薩摩藩の家老調所笑左衛門だ。水野忠邦は調所が失脚を狙う相手として話の中には出て来るが、人物としては登場しない。一方調所笑左衛門は、血も涙も無い冷酷な陰謀家として登場する。演じる俳優も、悪玉俳優として知られていた安倍徹だ。1960年代70年代は東映ヤクザ映画の悪親分として鳴らした。Wikipedeaにも「安部の悪役は凶暴な野獣性、陰湿な策謀性の両面にわたって多彩であり」と評されている。
そんな飛んでもない悪役俳優が演じる調所笑左エ門は、私が高校の日本史で習った時は、薩摩藩の窮乏を救った立役者という評価だった。えらい違いだ。調所は資料によると、なんと500万両もあった薩摩藩の借金を、彼の活躍で全部返済し、逆に200万両の余剰金まで作ったというのだから凄まじい財政手腕だ。もちろん、美談だけでは済まない。それだけのことをするには、相当あくどい手も使った。莫大な借金を踏み倒したり、「無利子250年払い」という滅茶苦茶な支払い方法を商人たちに呑ませたそうだ。また砂糖を産する奄美群島などでは、産物や年貢の取り立ては苛斂誅求を極めたそうで、調所は領民を苦しめた極悪人という評価だとか。
調所笑左衛門が藩財政改革に乗り出した第一歩は、琉球を通じて清国物産を入手し、それを長崎で売り捌くという、いわゆる「長崎商法」だったらしい。この「長崎商法」を続けることが、薩摩藩の財政を改善する柱のひとつになったということだ。調所はこの「長崎商法」の拡大を目指して、長崎奉行や幕閣要路に働き掛けたと資料にはある。
「眠狂四郎 円月殺法」第1話で、調所と清国商人が幕閣に清国産物を賄賂としてばら撒くというエピソードは、この歴史的事実を利用しているわけだ。これ以外にも、このドラマの各所にそういった当時の時代背景を描いたエピソードが出てくる。時代の流れまで感じてもらえれば、視聴者もまた別な楽しみ方もできたと思うのだが、ドラマはそこまで描くスペースがない。残念ながらその部分は、中途半端になったことは否めない。
円月殺法とは?
さて、「眠狂四郎」といえば「円月殺法」だ。当時を遡ること10年前の田村正和主演作品で、ストロボ効果のパラパラがあまりに評判になったために、それと異なる円月殺法にすることは難しかった。ちなみに大映の市川雷蔵の狂四郎も、後半になると部分的にパラパラを使っている。テレビ東京も歌舞伎座プロもパラパラを外したくはないという意向だった。
そもそも円月殺法とはどんな剣法なのか?片岡孝夫版の狂四郎の動きとしてはこうだ。まず刀をスーッと下段に構える。殺陣師の楠本栄一さんはここで「カチャ」と峰を返すことを編み出した。これで何らかのスウィッチが入るというわけだ。そして、ゆっくりと刀を左に持ち上げて左、上、右と円を書いていくのだ。この動きを立ち会う相手はどう感じるのか?隙だらけとも言える動きだ。狂四郎の意図が読めずに焦り始める。狂四郎は動きを止めない。相手は我慢出来なくなって、誘われるように斬り掛かってしまう。
狂四郎の使う刀にも妖しい力が込められている。「無想正宗」だ。なんと、豊臣秀頼の佩刀だったという設定だ。徳川家に滅ぼされた秀頼の、恨みの籠った佩刀というだけで妖気が感じられる。それやこれやで、対決する相手自身の思い込みで、迷いやあせりが生まれるわけだ。敵を一種の催眠状態に陥らせる剣法ということになる。
円月殺法のパラパラを撮る
円月殺法のパラパラをどう作るかは、私と藤井哲也(テッチャン)キャメラマンに任された。1話ずつ円月殺法の場面を撮って、現像でオプチカル処理をしていては手間も費用も掛かり過ぎる。そこで、ブルーバックで撮って各話の背景を合成することにした。そしてパラパラだ。私たちは話し合って、ビデオ処理を行うことにした。私は2年前の「花かぶら」で、テッチャンは「額田王」でビデオ撮影を経験していた。ビデオという新しい技術に期待したのだ。
念のために35mmフィルムとビデオの両方で撮影した。フィルムの場合はテレシネでビデオに変換して、ビデオで編集処理したあと、またキネコでフィルムに戻すという工程を経なければならない。だから35mmはあくまで念のためだ。作業はビデオで撮影したものを使った。だが難航した。ビデオ編集スタジオでの処理がナカナカ上手くいかないのだ。パラパラを強調すると肝心の狂四郎がボケてしまう。反対に狂四郎をクッキリさせようとすると、パラパラが物足りない。これはひとえに私たちの、ビデオというものに対する無知によるものだと思う。
当時撮影所では、ビデオについて両極端の意見があった。一方は、簡単に編集室でオーバラップができたり、サイズを変えたり、バレものを隠したりできることから、「ビデオは何でもできる」という意見。他方は、中抜き編集ができないことなどで、「ビデオは何にもできない」という意見だ。
このように私たち活動屋のビデオ知識は乏しく、ビデオの原理をよく知らないために、撮影してビデオ編集室に持ち込めば、魔法のように何とかしてくれるだろうという、甘い考えを持っていたことは否めない。40年以上も前のことなので、詳しいことは忘れてしまったが、何度も何度もやり直して、やっと何とか使えるものに漕ぎ付けた。だが、その出来栄えは、私とテッチャンの満足のいくものではなかった。
次回は、私の思い出に残る作品となった、第2話について書いてみたい。ゲストは氾文雀だった。
【Episode23】To Be Continued
※次回は2026年3月11日(水)に投稿予定です。
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
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