Episode23
 京都映画での監督稼業

    ──眠狂四郎 円月殺法

その4

 

前号まで

 前号では、「眠狂四郎 円月殺法」第2話の見どころや、私が力を入れて撮影したシーンなどについて書いた。第2話は脚本(ホン)も気に入って、私としてはご機嫌で撮影ができた。だが、世の中はそうそう甘くはない。当然、「乗れないホン」「出来の悪いホン」「逃げてしまいたいホン」を与えられる場合もある。これまで、監督として上手くいった話ばかり書いてきたが、今号は「私が撮った作品です!」と、胸を張っては言えなかった経験を書いてみる。

 

第4話のストーリー

「眠狂四郎 円月殺法」第2話の後、私は第4話を担当することになった。脚本は第2話と同じ和久田正明。だが同じ脚本家でも、第2話と違ってホンの出来はあまり良くなかった。簡単なストーリーはこうだ。

暴君(遠藤征慈)がいて、諫言した若い近習(草川祐馬)に切腹を命じる。近習の兄嫁(片桐夕子)は座敷牢に忍び込み、押し込められた義弟の前で帯を解く。驚く義弟に兄嫁は言う。「あなたはまだ女を知らないでしょう」。兄嫁は自ら進んで義弟に身を任せる。

切腹当日、近習は暴君の気まぐれで死罪を免れる。だが、事はそれだけでは済まなかった。近習は兄嫁に惚れてしまっており、強引に秘密の関係を強いる。

兄嫁は破滅を恐れ、自分の体を引き換えに狂四郎(片岡孝夫)に「義弟を殺してくれ」と頼む。何故か狂四郎はその依頼を無償で引き受ける。一方暴君は、突然近習の兄の役職を解いて無役に落す。思い詰めた弟は、またも暴君に直訴して「自分の身はどうなっても良いから、兄の役職を解かないように」と願う。何故か暴君は、近習の諫言を褒め「兄の役職を元に戻す」と告げる。

その直後、暴君は冷たく「兄弟の一族を根絶やしにせよ」と家臣に命じる。上意討ちの一団が兄弟の屋敷を襲う。兄は斬られ、弟は兄嫁の手を引いて逃げる。2人は狂四郎の泊まる宿へ逃げ込む。2人は生き延びて共に暮らすことを誓う。狂四郎は自らを「酔狂」と嗤って2人を逃がし、ひとり討手に立ち向かう。だが、2人は討手に捕らえられ、暴君によって斬り捨てられる。狂四郎は怒りの円月殺法で暴君を倒す。

 

書き込まれていない兄嫁の善意の気持ち

 この7ストーリーを読まれた読者の方々は「面白そうだ」と思うだろうか?私は準備稿を読んだ後、歌舞伎座テレビのプロデューサー(P)に「もう少し兄弟と兄嫁の話を膨らませてくれないか」と要求した。何故か?

この作品のテーマは何か?兄嫁の「女を知らずに若くして死んでしまう義弟を、不憫に思う善意(思いやり)」で行ったことが、暴君の気まぐれによって抜き差しならない事態に陥る。さらに、近習の軽挙と暴君の悪意によって最悪の事態へと突き進み、狂四郎はそれに巻き込まれていく。その悲劇の顛末と、それを防げなかった狂四郎の悔悟の念。あるいは、己と係る者すべてが最悪の結末へと陥って行く、自らの悪業への嫌悪を思い知る。それが第4話で描くべきことだと思ったのだ。

そのように考えると、準備稿に書かれた兄嫁の行為、すなわち義弟に身を任せるというシチュエーションがあまりにも唐突だ。兄嫁の若い義弟に対しての、「死ぬ前に何かをしてやりたい」という、切羽詰まった思いを一切描かないまま、義弟の前で帯を解き、身を横たえるのだ。これでは、兄嫁が「好色な女」或いは「異常な状況に興奮を覚える女」としか見えないのだ。

さらに兄嫁のキャストが、日活ロマンポルノ出身の片桐夕子だったので、兄嫁の切羽詰まった気持ちをちゃんと描かないと、尚更単なる好色な女と視聴者に受け取られかねない。義弟が死罪を免れた後、義弟にいい寄られて抵抗するところで、初めて必ずしもそうではなさそうだと思えるのだが、それでは視聴者を混乱させてしまう。その後に狂四郎に対して、自分の体を差し出して「義弟を殺してくれ」と頼むのだからなおさらだ。

 

直せないPの事情

Pの返事は「それを描く尺がない」というものだった。兄嫁の気持ちを丁寧に描いて行くと、全体の長さがオーバーすると言うのだ。だが、尺はあるのだ。

冒頭で薩摩藩の調所笑左エ門(神田隆)と都田水心(岸辺シロー)が、金で雇ったならず者たちに狂四郎を襲わせるのだが、これが本筋の兄嫁と義弟の話にまったく絡んでこないのだ。兄嫁に、狂四郎とならず者たちの斬り合いを目撃させて、眠狂四郎という凄腕の侍がいると、知らせるだけのためでしかない。番組の前半に、シリーズのタテ糸である「狂四郎が薩摩に狙われている話」や、「売り物のチャンバラも入れとかなきゃ」という感じが見え見えなのだ。私はPに言った「これをカットしたら」。だが、「神田隆や岸部シローも出さなきゃいけないしな」と、応じてくれない。

 

歌舞伎座テレビ小久保P

こういう風に書くと、「意見を聞いてくれないPとの仕事で、私に不満が溜まっていた」と受け取られるかもしれないが、そうではない。実は私はこういったやり取りを含めて、全体としては撮影所での監督稼業を楽しんでいたのだ。それだけ、撮影所という特殊な世界や監督という仕事に、私の性分が合っていたのかもしれない。

それはさておき。この「眠狂四郎 円月殺法」シリーズから、歌舞伎座テレビ室は小久保章一郎というPがホン作りを担当していた。それまでは、京都映画の佐々木康之Pがホン作りを担当していたのだが、どういう経緯か分からないが、このシリーズから歌舞伎座自らがホンを作り始めたのだ。佐々木Pは、京都在住ライター鈴木生朗のホンだけを担当することになった。もう一人の歌舞伎座P沢克純は現場担当で京都映画常駐。キャスティングを担当するという布陣だった。従ってホンの打ち合わせは、私が東京の歌舞伎座に出向いて小久保Pや脚本家と行うというパターンが多くなった。

小久保Pは積極的で精力的なPだった。それまで大映テレビ室、松竹、東映などでPをして来たらしい。それもあってか、自分のやりたいことや意見をどんどん言ってきた。私の要望に対しても「できること」「できないこと」をハッキリ言ってくれた。そのころ私は、歌舞伎座テレビ室にとってはレギュラー監督のひとりになっていたので、私の言うこともちゃんと聞いてくれるようになっていた。そういう意味で、私と歌舞伎座との関係は悪くは無かったのだ。

 

演出方針転換

さて第4話のホンだ。小久保Pの思惑も分からないではない。「眠狂四郎シリーズ」には、ひねりが必要なのだ。狂四郎はニヒルで虚無的なキャラクタ―だ。そのため関わってくる他のキャラクターも、真っ正直一辺倒では狂四郎の持ち味を出しにくい。さらに視聴者も、眠狂四郎ドラマにはある程度の「エロス」や「残酷さ」や「異常さ」を期待しているという事情もあったのだ。

従って第4話の冒頭での、兄嫁が近習に「私を抱きなさい」という場面。「死を前にした義弟が不憫で、『何かしてやらねば』という思いで、止むに止まれずそういう行動を取った」という兄嫁の心情がハッキリ分かるよりは、「この女、若者の死を利用して己の欲望を満たそうとしているのではないか?」とか「何か他に目論見があるのでは?」と思わせる方が、「『眠狂四郎』という作品にとっては得策」と考えた結果なのだろう。狂四郎に義弟殺しを頼むという刺激的なエピソードも同じ効果を狙ったものだ。

結局、私のホン直しの要望は時間も無くて聞き入れられなかった。私には台本をボイコットする選択肢はない。駆け出し監督に過ぎない私の立場は、乗らない台本でも「見せ物」として、ある程度魅力のあるものに仕上げるのが使命なのだ。私は、演出の方向を変えることにした。「人物をキッチリ描く」ことから、「あれよあれよと『意外なこと』『不幸なこと』が起こっていく過程を、キッチリ効果的に見せる」ことに。

そうと覚悟を決めれば、こちらにも方策がある。冒頭の兄嫁の行動を、できるだけミステリアスに撮ることにした。人眼を避けながら座敷牢に向かう兄嫁の動きを、曰くありげなアングルでの、足元だけで表現することにした。視聴者は「何か秘密の出来事が進行している」と思い、期待を抱く。兄嫁は座敷牢の鍵を開けスルリと中に忍び込む。そして中で寝転ぶ近習に、いきなり帯を解き「私を抱きなさい」と言って横たわる。視聴者は「この女は何なのだ!?」「この異常さの裏には何があるのだろう?」「この女の真の目的は何なのか?」と様々に疑問を抱いて、ストーリーに引き込まれていく。こういう仕掛けを考えた。

その仕掛けはある程度は上手くいった。前半で視聴者の興味を引くことには成功した。だが、所詮は付け焼刃だ。中盤から後半にかけての兄嫁の苦しみや絶望感を、前半の異様さが邪魔をして充分に描けない。従ってそんな兄嫁に、敢えて関わる狂四郎の心情も、空回りせざるを得なかった。

監督というものは、出来の良くないホンでも、様々なことを仕掛けて何とか視聴者の興味を引いて、最後まで見て貰うように工夫する使命を負っている。非力な当時の私は、そう考えていた。

 

第7話も……

実は第4話の後に担当した第7話も、「勘弁してよ」という内容だった。いや、第4話どころの話ではない。私が演出してきた中でも、最もやりたくなかったホンのひとつだった。柴田錬三郎の原作「眠狂四郎 孤剣五十三次」にも入っているエピソードで、箱根・三島の臥竜軒の話だ。原作はこうなっていた。

箱根山中の温泉に宿をとった狂四郎は、剣術修行に励む妙齢の武家娘須磨と出会う。須磨は5日後の三島神社の奉納試合で、臥竜軒という武芸者と立ち会うという。須磨の父は3年前に臥竜軒に奉納試合で敗れ、息を引き取っていた。須磨は父の恨みを晴らすために、3年もの間剣術修行に打ち込んでいるという。臥竜軒は箱根の山中を駆け回り、あらゆる欲望を断って、ひたすら剣の修行に励む野生児だった。

狂四郎は須磨から、「臥竜軒を打ち破る必殺の一撃を伝授して欲しい」と懇願される。狂四郎は「そんなものはない。あったとしても1日や2日の稽古で会得することはできぬ。私は無駄なことが嫌いな男だ」と言って立ち去る。

狂四郎は箱根山中で臥竜軒に出会う。狂四郎は何故か臥竜軒を挑発した。2人は剣を抜いて立ち会った。臥竜軒は低い姿勢で下段に構える。凄まじい膂力を生かすべく工夫した豪剣だった。臥竜軒の腕前を見極めた狂四郎。スッと剣を引いて言った。「お主と立ち会うものは他にいる。5日後、三島神社で」。狂四郎は去り際に訊いた。「お主は禁欲しているのか?」。臥竜軒は顔を歪めて言い捨てる。「女は修行に邪魔だ」。

5日後、三島神社。臥竜軒の前に木刀を手にした須磨が現れる。だが、そのいでたちは、試合支度ではなく婚礼用の晴れ着だった。その艶やかさに引き込まれる臥竜軒。必殺の下段ではなく、力の入らない青眼になっていた。スッと上段に構える須磨。その刹那、一瞬にして須磨は全裸になった。驚愕する臥竜軒。目が女の秘所に釘付けになる。須磨の裸身は地を蹴って、渾身の一撃を放つ。したたかに肩を打たれて蹲る臥竜軒。須磨の衣装にはテグスが仕掛けられ、それを引くことで帯や着物が一気に脱げるようになっていたのだ。もちろん、狂四郎のアイデアだ。

 

エゲツナイ台本の追加分

この原作だけを読むと、あまり良い趣味とは言えないが、他愛のない話だ。だが、でき上ってきた台本は違った。シナリオライターは初めて組むK氏。勿論テレビドラマの台本なので、原作通りというわけではない。様々なエピソードが付け加えられていたし、そのエピ―ソードと須磨のエピソードは「死霊の呪縛から逃れられぬ女たち」というテーマで括られていた。問題は奉納試合で須磨が勝った後だ。私に渡された台本には、その後にエゲツナイストリーが付け加えられていたのだ。思い出すのもイヤなのだが、こうなっていた。

奉納試合での仕掛けが、狂四郎によるものだと知った臥竜軒は、復讐に燃える。須磨を襲って犯した。そして、媚薬を使って意のままに操る体にしてしまうのだ。再び狂四郎の前に現れた臥竜軒。腰巻ひとつの須磨を体の前に抱き着かせるという飛んでもない状態で、狂四郎に立ち会いを挑んだのだ。須磨の両手は臥竜軒の首に廻され、両足は腰にしっかり巻き付いていた。臥竜軒を斬ろうとすれば須磨も斬らざるを得ない。さあ、どうする?という臥竜軒の目論見だ。この結末、台本ではどうなったのか?狂四郎は、須磨もろともに臥竜軒を一刀両断にする。「どうして?お嬢さんまで!?」という須磨を慕う若党の叫びに、狂四郎は静かに答える。「この姿で正気に戻った須磨殿が、生きていられると思うか」。

 

「断ってしまおうか」

このホンを読んで私は呆然とした。設定も悪趣味極まるが、この立ち合いシーンをどうやって撮ればよいのか?どう考えても不合理なシチュエーションだ。女を抱きかかえたままの斬り合いなど、物理的にできる訳がない。臥竜軒の動きはヨタヨタとまでいかなくても、そうとう鈍くなってしまう。殺陣は様にもならないし、画にもならない。その旨を小久保Pや沢Pに告げた。だが、歌舞伎座はこのホンで撮って欲しいという。テレビ東京もこのホンのまま、私に撮って欲しいと言っているというのだ。

「このホンでは撮れません」と、断わってしまおうかと考えた。だが冷静に考えれば、私にその選択肢は無い。制作テレビ局も制作会社も、無理は承知で、それでもやりたい台本なのだ。それを私に「なんとか工夫をして撮ってくれ」と言っているのだ。それを断れば、駆け出し監督の私に次はない。助監督に逆戻りだ。京都映画を飛び出しても、他社での実績のない私に監督の依頼が来るわけがない。せっかく積み上げてきたキャリアは、一瞬にして無に帰してしまう。私などはその程度の監督なのだと思い知った。

 

「どう撮る?」

結局私はそのホンで撮ることを引き受けた。そして改めて、どう撮るかを考えた。まともに撮っては、物笑いのタネになる。まず全編を通じて、映像的に工夫を凝らすことにした。炎・煙・霧・シルエット等々様々な映像効果を駆使して、最後の場面が唐突にならないように、リアルさをできるだけ排して、いかにも「作り物ですよ」という雰囲気にしようと工夫した。

 

臥竜軒を小林稔侍に

もうひとつ歌舞伎座に注文を付けたのは、臥竜軒のキャスティングだ。私は小林稔侍(稔侍さん)を指名した。彼ならこの難役を何とかやってくれそうな気がしたのだ。

次回は稔侍さんのことを書いてみたい。

                  
               【Episode23To Be Continued   

 


※次回は2026
年4月22日(水)に投稿予定です。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経