【Episode23】
京都映画での監督稼業
──眠狂四郎 円月殺法
その6
前号まで
私が京都映画で、片岡孝夫(孝夫さん)主演「眠狂四郎 円月殺法」(1982~83歌舞伎座テレビ・テレビ東京制作)のレギュラー監督を務めていた頃のことを書いている。前号では、第7話にゲスト出演して貰った小林稔侍とのことを書いた。
インパクトが薄い第8話
第7話の次は第8話を担当した。サブタイトルは「闇に光る女吹き針無想剣-沼津の巻」。脚本は津田幸於。映画評論家から脚本も書くようになったという経歴の、ベテランの脚本家だ。だがこのブログを書くに当たり、サブタイトルを見てもこの話の内容をどうにも思い出せなかった。ゲスト・岡まゆみという記述を見て、「そういえば」と微かに思い出した。しっかり思い出すために、DVDを観た。
サブタイトルの通りに、吹き針を得意とする女(岡まゆみ)が、狂四郎を襲うという話だった。確かに、女が吹いた針が狂四郎の両目に刺さる場面には記憶があった。自分で監督しておいて恐縮だが、「纏まってはいるが、インパクトの薄い作品」だと感じた。吹き針以外はよくあるストーリーなのだ。
女は、かつては城務めの武士だった浪人者(原口剛)の女房だ。ドラマは、女が狂四郎を吹き針で襲うところから始まる。女は薩摩藩の一味である商人(田口計)から、夫の仕官を餌に依頼されたのだ。それ以降の展開は、「主持ちの武士は真っ平で、このままの慎ましい浪人暮らしがいい」という夫と、仕官に拘り続ける妻との葛藤、そして目が見えなくなった狂四郎がどう危機を乗り切るかがテーマになる。最後は妻を人質に取られた浪人が、無理やり狂四郎と対決させられ、挙句に夫婦とも薩摩の手に掛かって死んでしまうという、お決まりの筋立てになる。
物足りない内容その1
自戒を込めて第13話を振り返る。まず、妻の側の切実さが良くわからない。なぜ「そこまで夫の仕官に拘るのか」の、裏付け・理由が見えないのだ。夫は「このままの暮らしでいい」と言っている。豊かではないが、生活が困窮しているわけでもない。足袋作りの仕事で、そこそこ喰えているという感じだ。夫の感覚が正しく、女の方が高望みをしていると思えてしまうのだ。妻の側に、「夫にどうしても仕官して欲しい切実な事情があれば、もっと妻に感情移入ができるのに」と、思ってしまう。
物足りない内容その2
さらに、なぜ女房が「吹き針というすこぶる特殊な武技を身に付けているのか」が、サッパリわからない。武家の女房が身に付ける武芸は、普通は長刀か小太刀だ。例えば、「元は忍びという武士としては最低の身分の娘だったが、れっきとした武士に嫁ぐことができて、やっと人間らしい暮らしができた」という過去でもあれば納得もするのだが、そういうエピソードもない。
物足りない内容その3
さらに、もうひとつ大きな欠点があった。女の吹きバリが両目の瞼に刺さって、狂四郎は目が見えなくなる。これは狂四郎にとっては、この話のいやシリーズ最大の危機だと言ってもいい。だが勿体ないことに、狂四郎が「目の見えない状態で、いかにして敵と立ち向かうのか」という、剣士としての工夫がストーリーに組み込まれていないのだ。眠狂四郎シリーズは剣豪モノの要素もある。圧倒的に不利な状況で「いかに戦うのか?」というのも、売り物のひとつだ。「目が見えないことを逆に利用して」という発想があっても面白かった。「目が見えない状態をどう工夫するのか?」は、この8話の大きなテーマになっても良かったのだが、せいぜい襲われた時に燭台を倒して闇にするぐらいだった。以上、幾つかのテーマについての描き方が実に希薄なのだ。
作品の不出来は監督の責任
もちろん作品の不出来は、監督である私の責任だ。こうなった原因を考えてみた。描き方の希薄さは別にして、ストーリー全体を見れば無駄な所は無かった。展開として不必要な部分は無かったと思う。冒頭で「纏まってはいるが」と書いたのは、そういうことだ。従って「インパクトが薄くなった」原因は、「脚本の構成的に多くの要素を入れ過ぎた」ということになる。「話を面白くする」ために、また「ドラマ的な要素を加える」ために、そして「斬新さを出す」ために取り入れた要素が多すぎて、ストーリ展開でいっぱいいっぱいになり、それぞれの要素をキッチリ描くスペースが、無くなってしまったのだろう。
当然、私は撮影前に台本を読んでいた。記憶にまったくないが、上記の3点の問題点を指摘したはずだ。だが、こういう結果になってしまっている。要素が多すぎる台本のホン直しは厄介だ。どの要素も複雑に絡み合っているので、どれか一つを外すことは至難の業だ。ほとんど、一から作り直さなければならない。内容は薄くとも、話としては出来上がっているので、そのまま撮らざるを得なかったというのが実情だったと思う。だが、どんな事情があろうが、そのホンで監督を引き受けた時点で、その作品の出来・不出来の責任は監督にある。「もう少し工夫の余地はなかったのか」と反省している。
明るかった撮影現場
「眠狂四郎シリーズ」の撮影現場は常に和気あいあいとしていた。スタッフは主役の孝夫さんとも冗談を言い合うなど、非常に明るい現場だった。これはひとえに、孝夫さんの気取らない気さくな人柄によるものだった。そういう雰囲気だったので、しばしばセットでの焼肉パーティや、俳優部対スタッフの野球試合をやったりした。こういう時に活躍したのが、照明技師の南所登(南ちゃん)だった。南ちゃんは私と同い年。活動屋としては私より5~6年先輩だが、同い年ということもあり、気の合う仲間だった。南ちゃんは照明技師として優秀なのはもちろんだが、スタッフのムードメーカーだった。「ヨウノスケ、焼肉やろか」「ヨウノスケ、野球やろか」と、ほとんどのイベントは南ちゃんが私に声を掛けてやっていたような気がする。
焼肉パーティは結束の証
「焼肉パーティ」の場合は、翌日が休みで撮影が夕方に終わる日が選ばれた。孝夫さんは、毎回「心付け」を出してくれていた。肉を買うのは南ちゃんの役割だった。当時の南ちゃんの住まいは西京極だった。「肉はここに限る」と、西京極駅近くの「北村畜産」で肉とタレを調達してきた。別のスタッフが大映通りの八百屋で野菜を仕入れる。セットに冬の暖房用のガンガン(石油缶の上をくりぬき、側面に穴を空けたもの)を2つ並べて、その上に大きな鉄板を置いた。ガンガンに炭を入れて火を起こす。その間に、肉と切った野菜そして「北村畜産秘伝のタレ」を、大きなナイロン袋に入れて豪快にかき混ぜるのだ。
どういうわけかそういう行事をする場合、撮影所ではそれぞれの役割が自然と決まっていた。助手たちを使って火起こしを指示するのは、美術監督の太田さん(太田誠一)、肉と野菜をかき混ぜるのは照明の古やん(古川信雄)、肉を焼くのはセット付の釜ちゃん(釜田幸一)というわけだ。酒は撮影所にはフンダンにあった。クランクインの時などに俳優事務所から差し入れられるビールのケースが、制作部に山積みになっていたのだ。
必殺チームはあまり「焼肉パーティ」はやらなかったようだが、狂四郎チームは頻繁にやった。これから見ても我が方のチームワークの良さが分かるというものだ。
俳優チームVSスタッフチームの試合に舞妓が来た
「野球試合」は、孝夫さんが監督を務める俳優チームと南ちゃんが監督兼プレーヤーを務めるスタッフチームの対戦だっだ。俳優チームの主力はエクランの俳優さんたちだ。特に美鷹ちゃん(美鷹健児)の身体能力は素晴らしく、彼がピッチャーを務めると、私などはかすりもしなかった。かく言う私は、意外に思うかもしれないが、ショートと時にはピッチャーも務めた。暇なときは試合に備えて、京都映画俳優部の平井ちゃん(平井靖)とよくキャッチボールをした。スローカーブが決まった時は、ケッコウ三振も取ったものだ。
南ちゃんが指揮を執る我がスタッフチームは、何かが掛かると無敵だった。掛けると言っても試合後のビール代ぐらいだったが、チャンスとみると南所監督はバントやスクイズのサインを繰り出して、しゃにむに点を取りにいくのだ。
ある時、嵐山の球場で試合をしていると、グランドの土手の上から声援を送る3人の女性の姿があった。髪の毛がやたらに多い女性たちだった。見ると孝夫さんが彼女たちに手を振っている。「誰?」と、孝夫さんの弟子に聞いた。「祇園の芸姑さんと舞妓さんたちですよ。若旦那の応援に来ているんです」。若旦那とは孝夫さんのことだ。孝夫さんに祇園で遊ぶイメージはなかったが、「やっぱり歌舞伎の俳優さんたちは、祇園で遊ぶんだ」そう私は思ったものだ。
祇園お茶屋でのお勉強
脱線する。先ほどの野球から25年経った2007年、私は毎日放送(MBS)の「ドラマ30」で「京都へおこしやす」というドラマを撮ることになった。中村玉緒主演の祇園のお茶屋を舞台にしたドラマだ。私は京都映画時代に「舞妓物語」という映画を撮った経験もあり、情報番組で祇園のお茶屋を取材をしたこともあるので、ある程度は知っていたが、スタッフや芸姑(大路恵美)や舞妓(榎園実穂)(松山愛里)を演じる俳優さんたちは、ほとんど祇園の経験もなく知識もなかった。
そこで、祇園のお茶屋に行って勉強することになった。紹介してくれたのは芦屋小雁さんだった。小雁さんは祇園甲部の「廣島家」というお茶屋のお馴染みさんだったらしい。小雁さんの奥さんでマネージャーの勇家寛子さんの案内で、スタッフ・俳優うち揃って「廣島家」に行った。みんなと一緒に女将さんにご挨拶した。女将さんはちょっと怖そうな感じだった。
思わぬ縁が
勇家さんは京都の俳優さんでもあったので、女将さんに監督である私の経歴を話した。京都映画で歌舞伎座テレビのドラマの監督をしていたことも紹介してくれた。それを聞いて女将さんの表情が、なぜかし少し柔らかくなった。「大塚さんの仕事をしてはったんどすか?」。懐かしい名前だった。大塚さんとは歌舞伎座の専務で、私が助監督や監督として就いた「宮本武蔵」「お耳役秘帖」「日本名作怪談劇場」「斬り捨て御免!シリーズ」「お命頂戴!」「眠狂四郎シリーズ」などの筆頭プロデューサー・大塚貞夫さんのことだ。大塚さんは京都に来ると「廣島家」を接待などに使っていたらしい。「はい、大塚さんには大変にお世話になりました」と私。事実大塚さんは、私を監督として使い続けてくれた方だ。大塚さんが「NO」といえば、いくら京都映画の佐々木Pや歌舞伎座テレビの沢Pが後押ししてくれても、監督を続けられてはいなかった。私の大恩人と言ってもいい。
ひとり残された私
私たちはその日、女将さんや芸姑さん舞妓さんに、祇園のこと、お茶屋のこと、お座敷のシキタリのこと、お座敷遊びのことなどを教えてもらった。私は俳優に教えなければならないので、率先して「とらとら」や「金毘羅船船」など様々なお座敷遊びを体験したものだ。帰りがけに女将さんが私に言った。「監督さんは、残っておくれやすか」。「あ、ハイ」何だろう。見当が付かなかった。ひとり玄関の上がり框から降りない私を見て、スタッフも怪訝な表情だった。私以外のスタッフや俳優全員が帰った後、私と勇家さんだけが残った。女将さんが言った。「ちょっと、行きまひょか」そう言ってスタスタと祇園の小路を歩いて行く。どこへ行くのか見当も付かない。
花見小路通りから東へ入った奥まった一角で、女将さんは立ち止まった。「ここどす」。そこは芸姑さんが経営しているスナックらしかった。芸姑さんや舞妓さん、それに彼女たちが案内した贔屓の方々、そういう人たちのたまり場のような店だった。
思わぬ縁と感動の出会い
飲み物が運ばれると、女将さんが言った。「私の娘は孝夫さんと結婚してますねん」えー!驚いた。ちっとも知らなかった。私は「眠狂四郎シリーズ」をやっている間に、2~3回打ち合わせのために、南座の孝夫さんの楽屋を訪ねたことがあった。そこで孝夫さんの奥さんとも挨拶をした記憶があったが、その方が目の前の「廣島家」の女将さんの娘さんだとは……。女将さんは、25年前の私と娘婿である孝夫さん、またお馴染みさんの大塚さんとの縁のために、こうしたもてなしをして頂いたに違いない。京都人というか、祇園の方々の義理堅さに感銘を受けた。「眠狂四郎」から25年後の出会いに、ただただ驚き、感激した。
野球応援の芸姑・舞妓さんは「廣島屋」の姑たちだった
思えば、嵐山の球場に応援に来た芸姑さん舞妓さんたちは、「廣島家」の芸姑さん舞妓さんたちだったのだろう。調べてみると孝夫さんの結婚は早く、22歳の時だった。その時はすでに「廣島家」の娘さんは、孝夫さんの奥さんだったことになる。従って、私が球場に来た芸姑さんや舞妓さんを、「孝夫さんが祇園のお座敷で遊んだ相手かも」と考えたのは、とんでもない下司の勘繰りだったのだ。ひょっとしたら孝夫さんは、「廣島家」を京都の宿舎にしていたのかもしれない。そういえば、「眠狂四郎シリーズ」のときに「廣島家」の名前を聞いた覚えが微かにある。
その後も、「京都に起こしやす」では「廣島家」さんには大変お世話になった。祇園でのロケがスムーズに行ったのも、「廣島家」さんの陰ながらの援助のお陰だったに違いない。このブログを書いていると、昔のことが色々と甦ってくる。本当に私は、様々な方のお陰で監督人生を送れたのだと実感している。
【Episode23】To Be Continued
※次回は2026年5月20日(水)に投稿予定です。
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
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