【Episode7】
鶴瓶・緒方拳主演の
ひどいタイトル作品
その2
前号からの続き
「目撃者ご一報下さい」の放送当日を迎えた。放送は自宅のテレビで見た。見終わってすぐ、自宅の電話が鳴った。受話器を取り上げて「はい、皆元です」と言ったが応答がない。「もし、もし」と何度も呼びかけたが、何も言わない。いきなりガチャリと切れた。その直後にまた電話のベルが鳴った。こんども応答がない。しばらく無言電話が続いた。どういうことなのか?意味がわからない。10数度目の無言電話。長い沈黙の後、遂に相手が喋った。若い男の声でボソリと言った。「風吹ジュンさんのお宅ではないんですか?」。
「あ!」と、気が付いた。あの電話番号のせいだ!ドラマでアップになった風吹ジュン演じるまさ枝の家の電話番号のせいだ!それには我が家の電話番号を使っていた。どう勘違いしたのか、風吹ジュンのフアンが彼女の家の電話番号と思い掛けて来たのだ。我が家の電話はその後、数時間鳴りっぱなしだった。思い違いにも程があるが、熱烈なフアン心理は恐ろしいと悟った。

「目撃者ご一報下さい」完成記念写真。前から2列目左から4人目が田村亮、5人目が上野隆監督、6人目が風吹ジュン。筆者は写っていない。
私はそれまで時代劇を中心に仕事をしてきたので、実際に使っている電話番号をドラマに使うという危険性に疎かった。それが、こういう事態を招いたのだ。
「高級コールガールの殺人」の撮影の合間に、私からこの話を聞いた風吹ジュンは目を丸くして驚いていた。
監督は有名軍人の曾孫
「高級コールガールの殺人」の監督は、小玉進さんだった。当時56歳。東宝出身のベテラン監督で、「太陽にほえろ」「傷だらけの天使」「ザ・ハングマン」シリーズなどを撮っている売れっ子監督だ。京都ではそれまでに、映像京都(元大映のスタッフが作った製作会社)で「時代劇スペシャル」などを撮っていたが、京都映画は初めてだった。
映像京都のスタッフによると、児玉監督の曽祖父は日露戦争を指導したことで有名な児玉源太郎大将だという。児玉源太郎という軍人は若い人には馴染みがないかもしれないが、日本陸軍で最高の軍人と言われた人だ。陸軍大臣や参謀総長を歴任した。日露戦争は児玉源太郎がいたから勝てたという評論家もいる。54歳という若さで没しなければ、総理大臣にもなっていたと言われるほどの軍人だった。日本アカデミー受賞作「203高地」では丹波哲郎が演じた。
一方、曾孫の児玉進監督は学生時代(慶応大学)にはぐれていたそうだ。家の蔵から家宝を持ち出して売っ払っては、祖母に追いかけられていたというエピソードも聞いた。口の悪い映像京都のスタッフは「児玉中尉」と呼んでいた。
児玉監督の演出振りは、あまりゴリゴリ引っ張って行く方ではなかったが、手際よく進めていたと思う。その頃の「土曜ワイド劇場」は濡れ場が付き物だった。児玉さんはそういうシーンはひと際熱を入れて撮っていたような気がする。
だが、新しいセットに入った時などで、「どうするんだよこれ」「どう撮るんだよ」と言い出すことがあった。「なんで?」と思ったが、「例えば、ここに〇〇を座らせて、✖✖をここに立たせて、こっちから撮ったらどうでしょう」と言うと、「そうか」とその通りに撮り始めることがあった。今考えると、私がどのくらい使えるのか試されていたような気がする。
世界の三船とお友達
児玉監督は飲むのが大変好きな人で、早く撮影が終わるとよく飲みに連れていかれた。撮影所やその近くで飲むというタイプではなく、河原町や先斗町などの繁華街の店だった。普段はどちらかと言えば無口な方だが、飲んでからはよく喋った。私のことを「スマートなチーフだ」と言った。意味がよく解らなかったが、その時は誉め言葉と受け取っておいた。
児玉さんの話は東宝の助監督時代のものが多かった。世界の三船敏郎とも仲が良かったという。児玉さんが1953年に東宝に入社した時には、三船敏郎はすでに「酔いどれ天使」や「野良犬」「羅生門(ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞)」「白痴」などに主演し、押しも押されもせぬスターになっていた。どういう接点だったのか?児玉さんは助監督時代は山本嘉次郎監督に付くことが多かった。一方、三船敏郎はニューフェイス試験では、あまり監督やキャメラマンの印象が良くなかったらしく、落とされそうになったらしい。それを山本嘉次郎監督が熱心に推薦してやっとニューフェイスに潜り込めたということだ。二人は山本嘉次郎監督の縁で仲良くなったらしい。大スター世界の三船は、「お前が監督になったら俺が出演してやる」と言ってくれたそうだ。
「何人死んだら監督になれるんだ?」
物騒な話も聞いた。児玉監督が助監督のチーフの頃、東宝撮影所の門を出ようとすると、外車が横に止まった。見ると車の後部座席に顔見知りの安藤昇がいた。安藤昇といえば、終戦直後に「学生ヤクザ」として、渋谷などで暴れまわっていた有名な安藤組の組長で、俳優でも活躍した人物だ。児玉さんがチーフの頃と云うから、安藤昇が映画に出始める前の話だ。その時は確かめなかったので良く分からないが、小玉さんがぐれていたころに、知り合ったのだろうか。いずれにしても、安藤昇がまだその筋の現役バリバリの時のことということになる。
「乗ってけよ」というので、後部座席に並んで座ったそうだ。安藤昇が訊いた。「まだ監督になれねーのか?」「まだですね、上が詰まっているので」「お前の上が何人死んだら監督になれるんだ?二人か?三人か?」。安藤昇の傷跡のある口は笑みを浮かべていた。だが、目は笑っていない。児玉さんは安藤昇の言う意味を理解した。ゾッとした。児玉さんが安藤昇の「好意」を丁重に断ったのは言うまでもない。
「ケイイチは帰るなんて言わねーよ」
児玉さんは寂しがり屋だった。飲みに行くと、2軒目。3軒目と梯子をするのだ。「そろそろ帰りましょうか?」というと、「まだ飲む」という。「明日も撮影があるので、私はお先に失礼します」と席を立とうとすると。「ケイイチはそんなこと言わねーよ」とそっぽを向く。諦めて座ると、「ここに電話をしてケイイチを呼べ」とメモを渡す。「ケイイチって吉田啓一郎さんですか?」「そうだ」。
吉田啓一郎というのは、「時代劇スペシャル」で児玉監督の助監督をしていた人だ。私よりひとつ年上で、その頃はすでに監督に昇格していた。「時代劇スペシャル」などを撮っていて、その時たまたま京都にいたのだ。実は彼の先祖も凄い。映像京都のスッタッフによると、祖父か曽祖父かが火野葦平の小説「花と竜」にも登場する、九州の大立者・吉田磯吉だという。ちなみに石原裕次郎が主演した「花と竜」では芦田伸介。高倉健主演作では片岡千恵蔵が演じた。
やがて現れた吉田啓一郎は、「なるほど」と思わせる風貌だった。体もでかいし私なんかと違って迫力十分だ。だが、児玉監督に対しては、師匠ということもあったのか、礼儀正しく接していた。児玉監督によると吉田啓一郎は、飲んでいる席では絶対に先に帰るとは言わないらしい。とことん付き合うということだった。児玉さんにとっては、何よりもそれが助監督チーフの条件だということらしい。「スマートなチーフ」という私に対する先ほどの評価は、まったく誉め言葉ではなかったのだ。そう考えると、「帰ります」とは言えなかった。その日は最後まで付き合うことになった。翌日は二日酔いでボロボロだった。
「お前、仕事が無いんか?」
吉田啓一郎監督とはその後も撮影所や仕上げスタジオで逢うことがあった。逢えば立ち話をするという仲になった。10年ばかり後のことだった。そのころ私は、京都映画から離れて東通企画の年棒契約となっており、「土曜ワイド劇場」や「部長刑事(朝日放送制作)」などの監督をしていた。
ある日、京都映画の高ちゃん(高坂光幸)から電話があった。高ちゃんは演出部の先輩で、必殺シリーズなどの監督を経験した後、製作主任に転じるという異色の経歴を持つ人だった。
「ヨウノスケ、『喧嘩屋右近』を撮ってくれへんか?」いきなり切り出した。高ちゃんはテレビ東京・松竹制作の杉良太郎主演「喧嘩屋右近」の松竹側プロデューサーだという。「監督の引き受け手がないんや。頼むからお前やってくれ!」。杉良太郎が演出に口を出すので、いやがる監督が多いらしい。「いいですよ」と答えた。世話になった先輩の依頼だし、「役者が怖くて監督が務まるか!」という粋がりもあった。数日後、京都映画に行くことにして電話を切った。
1時間後、電話が掛かって来た。京都映画プロデューサーの佐々木康之さんだった。いきなり、「『喧嘩屋右近』の監督を引き受けたんやてな。お前、そんなに仕事が無いんか?」「いやいや、東通企画の仕事はなんぼでもありますよ。高ちゃんが困ってたから引き受けだけですやん」「やめた方がええぞ、すぐに断れ」「佐々木さんは京都映画の人でしょう?そんなこと言っていいんですか?『役者が怖くて監督は務まりませんよ』」。電話を切るとまた京都映画の友人からだ。その後も何人もの友人から電話があった。私が「喧嘩屋右近」の監督を引き受けたという噂は、瞬く間に京都映画を駆け巡ったらしい。一様に「杉良太郎とは仕事をやらん方がいい」という忠告だった。
杉良太郎VS吉田啓一郎
数日後、京都映画に行った。高ちゃんはまず杉良太郎に挨拶してくれという。オープンセットで撮影中とのことだった。久しぶりの京都映画だった。オープンセットは数年前の火災の後で、建物が疎らだった。1軒の建物の中を使って撮影準備中だった。杉良太郎は建物の外で椅子に腰掛けていた。私は杉良太郎の前に立った。「初めまして。皆元と申します。この度『喧嘩屋右近』の監督をすることになりました。宜しくお願いします」と頭を下げた。杉良太郎はチラっと私を見たが、何にも言わない。私の方をまともに見ない。「なに、これ!?」。奇妙な間ができた。その時、「皆元ちゃん」と声が掛かった。20mほど離れた録音技師席の傍で、ディレクターチェアに腰を下ろした吉田啓一郎が手を上げていた。杉良太郎に会釈をして彼に近づいた。吉田啓一郎はこの10年で引っ張りだこの人気監督になっていた。「やってられねーよ。皆元ちゃん、替わってくれよ」「いやいや、吉田さんは『喧嘩屋右近』のチーフ監督だそうじゃないですか。高坂さんから監督陣に加わるように言われました。宜しくお願いします」「聞いたよ。気の毒にな」「!?]。
そのとき、助監督が「シーン〇〇。段取りいきます!」と叫んだ。杉良太郎が立ち上がって建物に入っていく。共演の萬田久子も続いた。吉田啓一郎は座ってソッポを向いたままだ。「行かんでいいの?始まったで」と私。「ほっときゃ、いいんだよ」と吉田監督が吐き捨てる。傍にいた録音技師の中路豊隆がそっと教えてくれた。「杉さんは自分の出ているシーンは自分で監督しはんねん」。なるほど、そういうことか。建物の中では監督をそっちのけに、杉良太郎が萬田久子の芝居を付けていた。こういう状態で、お互い続いているのが不思議だった。「萬田さんも吉田啓一郎も大変だ」そう思ったが、一番大変なのは自分だった。やるしかない!役者が怖くて、監督が務まるか!
「初めての監督はあかんわ」
数日後、高ちゃんから電話があった。台本ができたのだろうか?いきなり高ちゃんが言った。「スマン、こないだの話は、無かったことにしてくれるか」「!!???……ええけど、どういうこと?」「今日、杉さんとは初めての監督の撮影やったんや。杉さんが怒って、東京に帰ってしもた。やっぱり、初めての監督はあかんわ。ゴメンな」。緊張が一気に緩んだ。杉良太郎と勝負してみたかったという思いもあり、正直ホッともした。佐々木Pに電話で報告した。「良かったやないか」と、喜んでくれた。友人たちにも報告したが、一様に「まあ、良かったんちゃうか」と言った。複雑な気持ちだった。
杉良太郎ジュニア・山田純大との出会い
この後、杉良太郎とはかすりもしなかった。だがこの13年後、毎日放送のドラマ30「新・いのちの現場Ⅱ」で杉良太郎の息子・山田純大と仕事をすることになった。最初はとっつきにくい感じがしたが、ドラマ30の撮影は3ヵ月の長帳場だ。徐々にほぐれてきた。いつしか気心が知れるようになり、親しくなった。打ち上げの日に、北海道の旭山動物園を舞台に2時間ミステリーを撮る話をしたら、是非出演したいと言った。「悪徳動物業者の役しか残っていないんだ」「それでもいいから、出たい」。真犯人ではないが、事件の黒幕のその役は、彼が演じてくれてグンと奥行きが出た。彼の存在感と演技は、得体の知れない闇の世界の恐ろしさを感じさせるものとなった。西郷輝彦との対決シーンはゾクゾクするほどの凄みがあった。彼とはその後も、他のドラマにも出演してもらう仲になった。人生は面白い。
人間の縁とは本当に面白いものだ。ドラマを続けていれば、いろんな人との繋がりができてくる。その時はたとえ上手くいかなかったとしても、それが切っ掛けとなって、新しい人間関係ができて来たりするのだ。
相手の好演を引き出す名優・緒形拳
随分寄り道をしたが、最後は「高級コールガールの殺人」に戻ろう。このドラマは1984年1月21日に「高級コールガールの殺人~ワナに落ちた非行刑事・なぜ彼女は撃ったか?」というタイトルで放送された。ひどいタイトルだが私は好きな作品だった。鶴瓶の初々しい演技。緒形拳さんと鶴瓶との絶妙の絡み。風吹ジュンの可憐な色気ともいうべき魅力。そして拳さんとの久しぶりで最後の仕事。そういった出演者の思い出にあふれた作品だった。
私にとっては何よりも芝居というものが、俳優個人の演技力によるだけではなく、相互作用によって良くもなり悪くもなることを勉強することができた作品だった。緒形拳という役者は、彼個人の表現力の素晴らしさだけではなく、限りなく共演者の好演を引き出すことのできる役者として、凄い人なんだということを再認識させられた作品だった。
【Episode7】 The End
※【Episode8】は来週水曜日アップ予定
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