Episode10
      松竹消防隊奮戦記

          その2


前号からの続き

 私が京都映画で体験した二度目の火事だ。その日は撮影が午前中で終わり、私たちは装飾部の部屋で昼間から飲んでいた。装飾部というのは一般には小道具さんと言われている部署だ。助監督の下っ端は小道具担当なので、装飾部とコミュニケーションを密にしておくことが仕事を円滑にするコツでもあったのだ。

稲川さんや玉井さんなどの先輩の昔話などを拝聴している時に、「火事や!」という叫び声が聞こえた。表に飛び出してみると、南のオープンセット辺りから煙が上がっていた。

 

南オープン隣の民家が燃えている!

当時、京都映画にはステージや時代劇のオープンセットのあるブロックとは別に、市道を隔てた南側に野ッ原の南オープンのブロックがあった。南オープンに駆け付けると、南隣の建売住宅の二階からモクモクと煙が出ていた。「ホースや!」誰かが言い、私たちは直ちに取って返した。後は、日頃雨降らし撮影で慣れた手順通りに行動するだけだった。

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1970年代後半頃の京都映画撮影所略図

 

消火は雨降らしの要領で

最初に誰かが製作部に走り込んで、所内放送をした。「電気部さん、電気部さん。南オープン隣の住宅が火事です!すぐにモーターを回して下さい!」。貯水プールの水をくみ上げるにはモーターポンプの始動が必要だった。モーターが回り始めてから水の汲み上げが始まるまで時間が掛かることは、普段の雨降らしで分かっている。まず、モーター始動が最初にやるべきことだった。セット前の収納庫からホースを運び出し、消火栓につなぐ者。ホースをつないで南のオープンまで伸ばす者。筒先を運びホースに繋いで放水準備をする者。消火栓のコックを開けるスタンバイをする者。手順良く作業が進み、放水準備は整った。後は水が出るのを待つだけだった。

 

松竹消防隊奮戦す

私は筒先を他のスタッフとともに握って、燃えている住宅を見た。そこでも撮影所のスタッフが活躍していた。火の廻っていない1階部分から家財道具を運び出していたのだ。運び出した先では装飾の玉井さんが家具を置く場所を指図していた。いつの間にか、汚れないようにシートまでが敷いてある。

消防車が到着した。直後に私たちのホースから水が出た。消防車よりも早く撮影所のホースが放水を始めた。夢中で燃えている住宅に放水した。「もっと右や!右の軒先にかけろ!」。いつの間にかカメラマンの“いっさん”(石原興)が私の横で指図していた。消火栓のコックを握っているのは録音のワカ(広瀬浩一)だ。すべてが雨降らし撮影のままの布陣だった。唯一の例外が私だった。雨降らし撮影の時に筒先を持って放水するのは、効果担当(移動車、クレーンの操作)のセット付小林進さんだった。私たち助監督は筒先など持ったことがない。それでもその火事の時は、見様見真似で必死に放水できた。日頃の雨降らし撮影の賜物だった。

 

後日、松竹消防隊は太秦消防署から表彰された。京都映画は松竹の子会社だった。従って事務の社員や警備員たちで作られていた所内の消防隊は松竹消防隊と呼ばれていた。そのときの火事で活躍したのは、ほとんどが契約の撮影スタッフだったが、対外的には松竹消防隊の活躍として報じられた。

 

三度目の火事

三回目は1984年だったと思う。私は読売テレビ・松竹芸能制作の「木曜ゴールデンドラマ~火の蛾」に制作担当として付いていた。制作担当というのはプロデューサーと助監督のチーフの間の役割で、アシスタント・プロデューサーよりはやや演出部寄りの立場だった。私は4年前に監督になっていたので松竹芸能がそういう役職を考えたのだと思う。

撮影は豊中市千里中央の「読売文化ホール」の舞台にセットを組んで撮影していた。ホールの舞台にセットを組んでテレビドラマの撮影というのはあまりないことだが、その時は京都映画のステージが満杯で使えないという事情があったのだ。セットを組める場所を探したところ、「読売文化ホール」が空いていることが分かった。「木曜ゴールデンドラマ」は大阪の読売テレビ制作であったのと、監督が読売テレビの社員だったので、使用料も無料で済む。渡りに船で「読売文化ホール」の舞台にセットを組んで撮影することになったわけだ。近くのホテルに泊まり込んでの撮影だった。

その日は、次の仕事「火曜サスペンス」の撮影が近づいていたので、その作品の監督補でもあった私は、現場を抜け出して準備のため京都映画に帰ることなっていた。

 

「か、火事やー!」

京都映画で仕事を終えて、千里中央に帰ろうとして製作部の建物を出た時だった。オープンセットの方から、何か叫び声が聞こえた。その方角を見ると、西側の通りから美術の太田誠一さんがよろめきながら出てきた。「か、火事やー」。「火事!?」。私は驚いてオープンにすっ飛んで行った。見ると、西の大通りの真ん中あたりの二階からチロチロと炎が見えている。「まだ、間に合う」そう思った。すぐに、製作部に取って返した。ドアを開けて叫んだ。「オープンで火事だ!」。製作部に人はまばらだった。マイクのスイッチを入れ、所内放送した。「オープンセットで火事です!電気部さん、電気部さん、モーターを回して下さい!」。製作部を飛び出した。自分のスタッフは豊中だった。必殺のスタッフの姿も見えない。ひとりで走り回った。一番近い第3ステージ前のホース収納庫を空けた。無い!あるはずのホースと筒先が無いのだ。隣の第4ステージに走った。収納庫を開けた。ここにもホースが無かった。反対側にある第5ステージまで走った。祈るような気持ちで収納庫を開けた。あった!ホースを担いで走り、第3ステージ前の消火栓に繋いだ。その頃、やっと必殺のスタッフが集まり始めた。叫んだ。「第3、第4の収納庫にはホースは無い。他の収納庫からホースを出してくれ!」。繋いだホースをオープンの方に転がした。火を出していた建物に向かった。その時すでに、建物全体が火に包まれていた。

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近年の松竹京都撮影所(旧京都映画)。右側が第3ステージ。左側がオープンセット。

左奥2筋目が出火した通り。

 

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近年の松竹京都撮影所(旧京都映画)オープンセット。通りの左奥が消失した。

 

猛火に包まれたオープンセット

ホースが繋がり筒先をつないで消火準備は整った。だが、水は出ない。ポンプ(モーター)が古いのでまだ圧が上がっていないのだ。火はどんどん盛んになる。燃えている商家のセットの北にも建物が連なっており、南には狭い路地を挟んでオープンセットが連なっている。路地の奥には長屋のセットもあった。さらにその奥には人の住んでいる住宅がある。そこまで燃え広がったたら……「撮影所がつぶれる!」。そう思った。やっと水が出た。いつの間にか“いっさん”が一緒に筒先を持っていた。

 

必死の消火

夢中で放水した。炎の勢いはますます盛んになる。炎が届いていない路地を隔てた建物の軒先に火が付く。慌ててそちらに水を向ける。炎が届かなくても熱で発火するのだ。“いっさん”に言った。「長屋奥の住宅が焼けたら京都映画はつぶれます」。「よし、路地を抜けて長屋の方に廻るぞ」と“いっさん”が大声で叫んだ。私といっさんを先頭にジリジリと路地に向かって前進した。他のスタッフがホースを介助して続く。4~5歩進んだ。「熱い」いや、「痛い」と感じた。熱の壁にぶち当たった。電熱線の壁があるようだった。それ以上、前には進めなかった。ほんの15cm前に出ただけで、眉毛が「ジリジリ」っと燃えた。「住宅が燃える。どうする?」。そう思った時、やっと消防車が来た。消防士が私たちの横に来て、「右」「左」「あそこ」と指図を始める。歯を食いしばって放水を続けた。消防も放水を始めた。何本ものホースから出た水柱が、火の勢いを制圧していく。「ドッ」と疲れがきた。立っていられなくなった。誰かに変わってもらい、よろめいて泥水の中にへたりこんだ。モノも言えない感じだった。

 

惨めなオープンセットに

やがて、火は収まり火事は消し止められた。西隣りの住宅に被害は及ばなかったが、オープンセットの西半分が燃えてしまった。大通りが2本あった時に比べると、惨めなオープンになってしまった。火事の原因は、付近の中学生がオープンセットの建物に忍び込み、そのタバコの不始末ということだった。

 

京都映画ではこの3例以外にも私が知っているだけでも2回の火事かあった。私が撮影所に入る前に、フィルム倉庫が燃えた。昔の映画フイルムはセルロイドで出来ていた。セルロイドは燃えやすい。そんな昔のフィルムがいっぱいにつまった倉庫が燃えたのだからたまらない。コンクリートの建物の鉄の扉が爆発で吹っ飛んだらしい。もうひとつは先ほど出てきた装飾の建物だ。貴重な小道具がたくさん燃えてしまった。本当に火事は恐ろしい。

「火の用心、さっしゃりましょー!チョーン!(拍子木の音)」

       【Episode10The End  

※【Episode11】は来週水曜日に投稿予定