【Episode18】
助監督になるその後
──京都映画での日々
その5
海老蔵さんの「宮本武蔵」に付く
1975年秋、「必殺仕置屋稼業」の後は、関西テレビ・歌舞伎座テレビ制作「宮本武蔵」に途中から参加した。「宮本武蔵」は本来京都映画で入る予定の作品だったらしい。ところが、京都映画は第3ステージの火事騒ぎもあり、「必殺仕置屋稼業」が2班体勢になったこともあって、手いっぱいの状態になったのだ。それで、落ち着くまでの間、旧大映のステージを借り、旧大映系のスタッフで撮影することになったということだ。
「宮本武蔵」のストーリーは皆さんご存知だろうと思うので説明するまでもないが、ドラマの原作は吉川英治の「宮本武蔵」を使った。従って、お通や又八やお杉婆が出てくる。この企画の最大の売りものは、歌舞伎・市川宗家の御曹司・市川海老蔵(後の十二代目市川團十郎)が武蔵を演じることだった。市川海老蔵さんのことは【Episode3】で書いたので参照して頂きたい。共演は佐々木小次郎に浜畑賢吉、お通に小林由枝、又八に目黒祐樹、朱美に沢かおり、お甲に吉行和子、お杉婆に任田順好、吉野太夫に松坂慶子、沢庵和尚に田村高廣、柳生石舟斎に宇野重吉(ナレーターも)、吉岡清十郎に宗方勝巳、吉岡伝七郎に長谷川明男、長岡佐渡に大犮柳太朗など、当時としてはなかのなか布陣だった。
脚本陣はなんとあの加藤泰を筆頭に八尋大和、宮川一郎など。後に大いに関わりを持つことになる鈴木生朗の名前も見える。監督陣は池広一夫、田中徳三、安田広義、西山正輝などの大映勢。倉田準二、荒井岱志などの東映勢、深田昭、家喜俊彦などの京都映画勢だった。
助監督チーフは家喜さんで、私はセカンド。サードに私より1年後輩の木下芳幸が付いた。木下には後々大変に世話を掛けることになる。キャメラマンは藤原三郎(サブちゃん)と中村富哉(富さん)。照明は染川広義。録音部チーフは広瀬浩一。美術は倉橋利韶。装飾は稲川兼二、衣装は松竹衣装だが現場はナギサ、現場の床山にタケちゃん。記録に竹田宏子。
ちょっと変わったスタッフを紹介しよう。スタッフから弄られ役だった衣装部のナギサは、まだ痩せていたころ大島渚に似ていることからそう呼ばれたらしい。ものおじしないキャラクターなので、弄られても明るくやり返したりして、結構人気ものだった。大食いの甘党で、食事の時はお茶代わりのコーラを飲みながら丼飯を掻きこんでいた。数年後に転職したが、転職先は新幹線の食堂車を運営している会社で、「さすがナギサ」とはスタッフの弁だ。
これも人気者の床山のタケちゃん。時代劇の現場の床山はメイクも兼ねていた。タケちゃんはよく見ると色白美男子だった。実はタケちゃんは、元々時代劇の股旅モノの扮装をして酒場を廻り、客からリクエストがあると曲に合わせて踊ってみせていたらしい。だから、カツラを載せたり、顔を白塗りしたりはお手のものだったのだろう。そんな経歴なので、打ち上げなどで前もってリクエストすると、その扮装をして芸を見せてくれた。

「宮本武蔵」完成記念写真。前列右から2人目が染川広義、左端が木下芳幸。2列目右端が田原綱重(録音助手)、2人目が鈴木政喜(進行)、3人目が藤原三郎、4人目が市川海老蔵、5人目が倉田準二監督。6人目が倉橋利韶、7人目が藤井哲也(撮影部チーフ)、左端が西川安蔵(照明助手)。後列右端が岸本さん(照明助手)、4人目が南所登(照明助手)、5人目がナギサ(衣装部)、6人目がタケちゃん(美粧)、7人目が竹田宏子(記録)、8人目が家喜俊彦、9人目が筆者、10人目が広瀬浩一(録音助手)、11人目が安田さん(装飾)、左端が喜多野彰(撮影部セカンド)。
「決斗・三十三間堂」酔いとの戦い
私たちは「宮本武蔵」には10話目ぐらいから参加した。11話は「決斗・三十三間堂」だった。監督は西山正輝。決闘シーンのロケは三十三間堂に見立てた、上賀茂神社の「庁屋」前で撮影された。季節は11月だったと思う。夜間ロケだった。京都の11月の夜は結構寒い。武蔵の決闘の相手は吉岡一門の吉岡伝七郎だ。俳優は長谷川明男。スタッフからは「明男ちゃん」と呼ばれる人気者だった。しかしこの「明男ちゃん」は無類の酒好きだった。
当時、撮影所では寒いオープンセットやロケには、体が長く温まると言って牛乳にウィスキーを入れたものを飲んでいた。「明男ちゃん」は温まるどころかすっかり出来上がってしまうほど、このウィスキー入りの牛乳を飲んでしまった。決斗シーンなのに足元が覚束なかい。立っていても体が揺れた。実は西山監督も「明男ちゃん」に劣らず呑兵衛だった。その時も足元にウィスキーのボトルを隠していた。「ヨーイ、スタート」を掛けながら、チビチビやっていたのだ。相手役は行儀のよい海老蔵さんだったから、私たちはハラハラしたが何とか撮り終えた。
西山監督にはもう一つ困ったことがあった。非常にせっかちな性格だったので、ロケーションでアフレコの時は、本番中に俳優さんより先にセリフを喋ってしまうのだ。俳優さんはそれを聞いて同じセリフを喋る。もちろん台本通りのセリフなのだが、西山監督は俳優さんの芝居の間が待ちきれないようだった。ロケ現場はそれで無事に終わる。だが大変だったのは、その後アフレコだ。俳優さんはロケ現場で自分の間でセリフを喋っていないので、全然リップが合わない。NG連発だ。アフレコに時間が掛かってしようがなかった。
見惚れた吉野太夫・松坂慶子
西山組では当時売り出し中の松坂慶子がゲスト出演した。彼女はその時23歳。大映倒産後に松竹に移籍し、1973年大河ドラマ「国盗り物語」で濃姫を演じて注者された。「宮本武蔵」での役は京で随一の傾城・吉野太夫だ。場面は遊郭の離れ家。吉野太夫が武蔵に琵琶の構造になぞらえて、物事には「緩み」が大切だと諭すシーンだったと思う。
「宮本武蔵」西山組セット撮影スナップ。右端が松坂慶子、2番目が西山正輝監督。3番目が筆者。4番目が染川広義。
松坂慶子は、ものすごくきれいな女優さんだった。私はセカンドだったので、目線を作るのが仕事だ。「目線を作る」とは、撮影が1ショットの場合、相手役の顔に見立てて、上の写真のようにコブシをキャメラ横に作るということだ。私の突き出した汚い軍手の拳が、武蔵役・市川海老蔵さんの顔ということになる。だから、松坂慶子の1.5mぐらいの至近距離で顔を観ていたことになる。白磁の陶器のような肌艶だった。「この世にこんなキレイな人がいるのか?」。そう思って見とれていた。この時の松坂慶子よりキレイな女優さんをいまだに見ていない。
ただ、演技はまだまだだった。セリフを喋る前の息継ぎが上手くいっていなかった。ベテランはさりげなく目立たず息を吸うのだが、まだ彼女はその技術を持っていなかった。やや息継ぎの音が耳障りだった。美しい表情に見惚れながら、生意気にもそんなことを感じていたセカンドだった。
泥だらけの一条寺の決闘、頭から降ってきたのは……
第12話の「一条寺の決斗」。監督は池広一夫さん。第1話も撮ったメイン監督だ。私は初めてだったが、「宮本武蔵」は全部で6話演出している監督だ。数十人もの吉岡門弟たちとの死闘を演じるロケ場所、池広監督が選んだのは東山を超えた山麓の田圃だった。稲刈りが終わった田圃だが、足を入れるとぬかるむ。そんな田圃の中で走り廻りながらの決斗シーンだ。多数の門弟たちを相手に、たった一人で立ち向かう武蔵が考えた戦法という設定だ。二刀流を会得するのもこのシーンだ。殺陣師は「木枯らし紋次郎」のリアル剣法で名を上げた美山晋八(晋八ちゃん)。同じ大映出身で、池広監督とは「木枯らし紋次郎」も一緒に撮った仲だ。紋次郎ばりの殺陣が炸裂した。武蔵が走る。門弟たちも転びながら走る。それ以上にカメラも手持ちで走り廻った。若いサブちゃんだからできた撮影だった。俳優さんもスタッフもみんなが泥だらけになった「一条寺の決斗」だった。
撮影中気になることがあった。田圃の上の山から時々パラパラと何かが降ってきた。葉っぱの上や地面に落ちたものを見ると、赤っぽい粒だった。「何だろう?」。考えたが分からない。撮影が終わってロケバスに乗った。バスが山沿いに廻って行くと、山に登る道路があった。入り口に、上にある施設の看板が立っていた。何気なく読んで驚いた。「〇〇クレー射撃場」。「あ!」と気が付いた。さっきのパラパラはクレー射撃の砕け散ったクレー(素焼きの皿)の破片だったのだ。クレーの破片が飛んできたとすれば、それを砕いた散弾はそれ以上に飛ぶはずだ。私たちが撮影していた田圃の上を散弾が飛んでいたことになる。「何とも危ない場所で撮影していたものだ」とゾッとした。
美鷹ちゃんのファインプレー
第12話ではこんなこともあった。一条寺の決闘の前に入るシーンだ。その場面はこうだ。場所は京・吉岡一門の道場。吉岡清十郎、吉岡伝七郎を武蔵に倒された門弟たちが7~8人集まり、どうやって武蔵を倒すかを相談している。そこへ1人の門弟が走り込んで来る。「おい、いま外を武蔵が通っているぞ!」「なに!」と武者窓に駆け寄り、外を見る門弟たち。
台本で1ページぐらいの分量だった。門弟1人1~2行のセリフがそれぞれの門弟に割り振ってあった。演じるのは大船と京都映画、エクラン社の大部屋クラスの俳優たちだ。最後に駆け込むのはエクラン社の美鷹健児(美鷹ちゃん)。池広監督はカットは割らずに1カットで撮るという。キャメラを移動車に乗せてのグループショットだ。何度かテストをして本番となった。この本番がとんでもなく難産だった。必ず誰かがどこかでひっかかるのだ。セリフを間違えたり忘れたり。美鷹ちゃんが駆けこむまで行かない内にNGが出てしまう。とうとう20回以上NGが出た。撮影部助手の喜多野ちゃんが言った。「フィルムチェンジ」します。16mmのキャメラは400フィート巻のフィルムなので、11分ぐらいしか撮影できないのだ。20分ぐらいの休憩になった。俳優たちは、その間も自分のセリフの稽古をブツブツとやっている。スタッフのやや投げやりな雰囲気がセットを覆った。
撮影再開。再開1発目の本番。どういう訳か、スラスラと誰もとちらずにセリフが進んだ。後は美鷹ちゃんだけだ。短いセリフなので大丈夫だろうとスタッフは思った。駆け込んで来る美鷹ちゃん。「おい!」。門弟たちが一斉に振り向く。サッと外を指さしたが後のセリフが出ない。「マズイ!」そう思った。だが、「どうした」と、すかさず門弟の誰かが合の手を入れた。大部屋の俳優はこういうアドリブはお手のものだ。美鷹ちゃんが喋った。「✖%〇&△#$?*+」。訳の分からないセリフだった。セリフを忘れ、とっさに同じ秒数だけ口を動かしたのだ。タイミングよく「なに!」とリアクションした門弟たち。ダーッと武者窓に駆け寄った。「カット」と池広監督の掛け声。「OKや。あそこはオンリーでいく。引いてるからリップは分からんやろ」と池広監督。美鷹ちゃんは「ようやった」と俳優さんたちやスタッフに揉みくちゃにされた。ちなみに「オンリー」とは、キャメラを回さずにセリフだけ録ること。編集で滅茶苦茶なセリフと嵌め替える。「リップ」とは、セリフを喋るときの唇の動きのことだ。
池広一夫監督
池広一夫監督は大映京都撮影所では、サラブレッドといて見られていたようだ。監督のことを「池ちゃん」と呼ぶ大映系のスタッフから、情報がいろいろ入ってきた。父親が大映の製作部長や東京撮影所長などを務めた重役だったという。子供の頃は子役を務めていたという話だった。奥さんが元女優さんで、「家で二人で台本の芝居を組み立ててから現場に来る」という「ホンマかいな」と思う情報まであった。
子役をやっていたという話の通り、非常にすっきりした容姿の監督だった。当時の監督というのは、大体が不細工とまでは言わないが、美男子とは程遠い顔をしているのが相場だった。その中で池広監督は抜きん出て「いい男」の監督だった。指示もためらいがなくハッキリしていた。
台本は印刷所に回す前に、必ず自分で手を入れていた。細かいことまで几帳面な監督なのだと思う。演出面では、2人の重要な人物のガッチリ組み合った芝居場では、カットを割らずに一気に撮ってしまうという手法が印象的だった。AB2人の大きな動きのない芝居だと、まずAがメインとなるアングルで長い芝居を一気に撮り、次に同じ芝居をBがメインとなるアングロで撮る。引きの画が欲しければ、その部分は別に撮る。後は編集でカットバックする手法だ。今では当たり前のこの撮り方は当時はまだ新鮮だった。
池広さんはそのシーンの意味付けやカットの狙いを、はっきり口にして指示する監督だった。天邪鬼の私はなぜか監督に逆らいたくなり、現場で異議を挟んで何度か叱られた。だが、イヤな叱られ方ではなかった。だから私も懲りずに口答えした。池広さんには、もっとたくさん助監督で付いて勉強したかったが、間もなく東京に本拠を移され、一緒に仕事する機会がなくなった。今もお元気でご活躍中だ。
To Be Continued
※次回は来週水曜日(8月28日)に投稿予定
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
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