Episode18
  助監督になるその後

      ──京都映画での日々

 その6

 


再び倉田準二監督

関西テレビ・歌舞伎座テレビ1975~1976年制作「宮本武蔵」の最終回前(25話)と最終回(26話)は倉田準二監督だった。倉田監督といえば、【Episode5】で書いたが私たちとは曰く因縁のある監督だった。私は初めての監督だったが、当時は「イッコウをイジメた監督」「助監督に厳しい監督」という認識だった。だから、覚悟して臨んだ。

最初はスタッフ打ち合わせ。倉田監督からいろいろと指示があった。遺漏が無いようにしっかりメモを録った。最後に監督が言った。「25話の木賃宿のシーンで、膏薬を客に貼っている修験者を出したい。スタッフで出演したい人はいますか?」。こんなことを言う監督は初めてだった。スタッフは戸惑った。誰も申し出ない。すると倉田監督が言った。「じゃー、私が出ます」。え、監督が自分で演るの?こんなことは初めてだった。

 

倉田監督の名演技

気合を入れて準備したおかげで、巌流島までの撮影はまあまあ順調に進んだと思う。さて、件の木賃宿のシーンだ。大部屋で10人ぐらいの旅人たちが、来るべき「巌流島の決闘」の噂をいろいろ喋るという内容だ。ライティングが終わる頃、倉田監督がセット入ってきた。扮装を見てびっくりした。メッチャ気合の入った扮装だった。醤油で煮締めたような法衣に結袈裟や念珠・法螺貝などを付け、頭は地毛のザンバラ髪にご丁寧に兜巾まで付けていた。テストが始まるとまたびっくり。大きな口を開けて膏薬を舌でべロリと舐める。それを客の肩にベッタリと貼り付ける。それを繰り返しながら、旅人たちの芝居に合わせて大きく口を開けて笑ったり、しまいにはクシャミをしたり派手に洟をかんだりする。それをキャメラの一番目立つ場所で演じるのだ。

 

監督の防衛策?

今考えてみると、これは倉田監督の防衛策かもしれない。そのシーンは旅人たちだけの芝居のシーンで、重要な役は出ていない。従って俳優さんも関西のあまり有名ではない俳優さんばかりで、スターや芝居達者な俳優は出ていなかった。だからと言って、重要な情報がそのシーンの会話に含まれているので、シーンカットもできない。きっと倉田監督は、事前にプロデューサーにもっと芝居の達者な俳優を要求したはずだ。だが、予算の関係でそれが叶わなかった。だから、自分が出演して大仰な芝居をすることで、視聴者の目をそちらに向けさせるという演出法を執ったのないのだろうか。

こういった演出法は、私も監督になってから時々使った。台本上、矛盾があったりあまり面白くないシークエンスでは、派手なアクションや滑稽な芝居を混ぜることで、台本上の欠陥や俳優の力量不足から視聴者の目を逸らすのだ。同じ目的で、欠陥のあるシーンの直後に派手なシーンを入れてみたりすることもあった。

本来は欠点のある台本をちゃんと直したり、芝居の達者な俳優をキャスティングするなどの根本的な手当をすべきだ。だが、時としてそれが叶わない時がある。いや、むしろそういう場合の方が多いのが現実だった。だから誉められたことではないが、エンタメの世界で生き残るためには、こういったテクニックも必要悪として使わざるをえないのだ。

つくづく、ドラマは難しいものだと思う。極端な例だが、台本も演出も演技も技術や美術も99%完璧なできだが、1つだけ手を抜いたところがあると、もの凄くその欠点が目立ってしまう。逆に、全体にあまり良くない作品でも、1ヵ所面白いところがあると、そのシークエンスが見た人の印象に強烈に残るのだ。

だから1ヶ所だけ頑張ればよいと言うつもりはない。あくまで完璧を目指すのは当たり前だが、先ほどの極端な例の原理を考えれば、時としては台本やキャスティングの欠陥から、視聴者の目を逸らすという「手」=防衛策も使わざるを得ない。残念ながら私は、そういった「手」=防衛策を超える演出力を身に付けることができなかった。

後年、朝日放送でドラマを撮るようになってから、担当Pに言われた。「皆元さんは面白くないホンでも,エンタメとして面白く仕上げてくれますね」。これは誉め言葉なのか?私としては「お前はそれ以上の演出力はないけど……」そう言われているような気がして、複雑な心境だった。

 

倉田監督の演技指導

さて、倉田監督だ。倉田監督の新人女優の演技指導は凄まじかった。お通役の小林由枝(現・小林かおり)は当時18歳。本格的にドラマに出始めて1年ちょっとの女優だった。私たちも最初から名前は知っていたので、そこそこ名前は売れていたのだと思う。美人だが、やや感情が表情に現れ難いタイプだった。

どんなシーンだったか詳しくは覚えていない。たしか、恋しい武蔵にやっと逢えると思ったら、ほんの僅かの差でまた遠くに離れて行ってしまった。それを嘆いて泣く芝居だったような気がする。テストを何度やっても倉田監督のOKは出ない。何十回もテストを繰り返し、一旦休憩を入れた。それで再開してもOKが出なかった。とうとう小林由枝が本当に泣きだした。自分に対する情けなさなのか、監督の仕打ちに対する悔しさなのか。とにかく本当に泣き出した。倉田監督はすかさず言った。「本番、ヨーイ、スタート」。OKだった。本当に泣くのを待っていたのだ。「これは効果的な演出法なのか?」。私には判断できなかった。ただ倉田監督が、俳優の自分を守っている殻を破ろうとしたことだけは理解できた。

 

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「宮本武蔵」最終回~巌流島の決闘のロケスナップ。右端が船頭さん、2番目が殺陣師・美山晋八、3人目が市川海老蔵、左端が筆者。

 

倉田組の「巌流島の決闘」で、海老蔵さんをあわや死なせる事態に陥ったことは、【Episode3】で書いた。倉田監督とはそれからも時々ご一緒したが、「宮本武蔵」ではまだ蟠りが解けずにいた。ただ、他の監督とはちょっと違うタイプの監督だという意識は高まった。依然として、私にとっては要注意の監督だった。

 

「お耳役秘帖」に付く

1976年、「宮本武蔵」の次はその後番組「お耳役秘帖」に付いた。「宮本武蔵」と同じく関西テレビ・歌舞伎座テレビ制作だ。島田一男の原作。内容は秋田20万石佐竹藩の江戸留守居役・田の内伊織(有島一郎)の命を受けた檜十三郎(伊吹吾郎)が、お耳役(情報収集係)となって幕府や他藩の動静を探る。その過程で様々な難題や事件に遭遇し、人知れず解決していくという話だ。目新しさは江戸留守居役という藩の外交官と、秘密情報部員と言える「お耳役」に焦点を当てたことか。その当時の、「スパイ大作戦」などのスパイアクションものの流行に乗ったともいえる企画だった。佐竹家は関ケ原の戦いで西軍に属したため、常陸54万石から秋田20万石に減封され、以後も幕府に睨まれていたという史実を踏まえてのドラマだ。

主役は伊吹吾郎、共演は有島一郎、御木本伸介、高沢順子、磯野洋子など。どうみても地味なキャストだった。脚本は和久田正明、飛鳥ひろし、宮川一郎、鈴木生朗など。監督はイッコウの天敵・田中徳三、村野鐵太郎、松尾正武、倉田準二、家喜俊彦など。スタッフはそのまま雪崩れ込んだので、「宮本武蔵」とほとんど一緒だった。私にとって良かったことは家喜さんが3本監督したので、その回はチーフの経験ができたことだ。

 

伊吹吾郎という俳優

伊吹吾郎は明るくお茶目な性格だった。人の悪口を言ったり、不満を言ったり、誰かに怒りをぶつけるということが一切なかった。いつもニコニコして元気一杯だった。スタッフからは「吾郎ちゃん」と呼ばれ、親しみやすかった。特にサード助監督の木下とは仲がよく、ちょっとオカマ風のじゃれ合いや冗談を言い合っていた。このキャラクターは、後にバラエティで生かされることになる。

元新国劇ということで、殺陣は豪快で上手かった。立ち廻りシーンで伊吹吾郎のNGはほとんどなかったと思う。演技は役柄通りに二枚目風の芝居だったが、これがボロボロに崩されたことがある。倉田準二監督だ。

 

三度、倉田監督

倉田監督は、伊吹吾郎が有島一郎に報告するシーンだったと思うが、そのシーンでとんでもない演技を主役・伊吹吾郎に要求した。セリフに合わせて掌を打ち合わせたり、その手で額をパチンと叩いたり、いわゆる落語家や講釈師が手八丁口八丁の町人が派手に説明するときに演じるような芝居を要求したのだ。それでも「吾郎ちゃん」は抵抗しなかった。戸惑いながらも、ひたすら監督の要求に応えようとしていた。さすがにこの芝居は不評だったようで、この後「お耳役秘帖」で倉田監督はお声が掛からなかった。倉田監督はここでも先ほど触れたような防衛策を執ったのかもしれない。普通の伊吹吾郎の二枚目芝居ではそのシーンが持たないと思っての演出かもしれないのだ。

 

有島一郎のお座敷芸

「お耳役秘帖」の売り物の一つは、田の内伊織・有島一郎のお座敷芸だった。伊織は江戸藩邸のお留守居役だ。お留守居役というのは、他藩のお留守居役や幕府役人とのお座敷遊びを通じて情報収集をする。そういったお座敷のシーンでは有島一郎のお座敷芸が付き物だった。「ドジョウ掬い」などの滑稽芸、「トラトラ」や「金毘羅船々」などの勝負芸や、芸者と絡むやや卑猥な艶笑芸などだ。そういう場合、普通は本職の幇間などが来て演技指導するものだが、有島一郎の場合は全部本人の持ち芸だった。役者は遊んで芸を磨くものだと納得した。ただ、「お耳役秘帖」のお座敷芸が数字を稼いだかと問われると、自信がない。

 

「台本は公文書だ」

2話目3話目はM監督だった。M監督は大映東京撮影所出身だが、それまでにいくつかの話題作を映画で撮っていた。2話目の打ち合わせの場だった。どんな内容だったか覚えていないが、スタッフから台本への不満が続出した。M監督は明らかに戸惑っていた。京都映画ではまったく普通の出来事なのだが、現場のスッタッフからホンへの異論や意見が出るのが意外なようだった。

 そして、一週間後の3話目の打ち合わせ。また台本への疑問や意見がスタッフから出た。それを聞いたM監督は言った。「台本は公文書だ。変更はできない!」。びっくりした。なんという居直りだ。スタッフはホンに口を出すなというのか!?少なくとも監督は作品の演出意図をスタッフに説明しなければならない。台本通りに撮るなら、スタッフの疑問に答えなければならない。それを一切シャットアウトして「黙って付いて来い」はないだろう。スタッフは一気にシラケた。

 またM監督は妙なことを自慢する人だった。ひとつは、こうだ。京都に来る前に大学の同窓会があったらしい。同窓生たちがテレビ局や新聞社の重役になっていたというのだ。「いやー、彼らは映画会社の助監督試験に落ちて、しかたなくテレビ局や新聞社に入ったのにねー」。自分がどんなに優秀だったか自慢したかったのか?

もう一つはもっとバカバカしい。主人公・檜十三郎と大ワルとのラストの立ち廻りのコンテを私たち助監督に見ろという。そして自慢げに言った。「これは『シェーン』の決闘シーンと同じコンテなんだ」。はー?なにそれ!?こいつばっかじゃないの!?正直そう思った。どんな名作でもそれと全く同じコンテで撮るとは、「恥」というものを知らないのだろうか。

「シェ―ン」の有名なラストシーン。少年が立ち去っていく主人公(アラン・ラッド)に向かって「シェーン、カムバック!」と叫ぶ。だがその後、M監督には「お耳役秘帖」からは「カムバック」のコールはなかった。

 

         To Be Continued   

 

※次回は来週水曜日(9月4日)投稿予定


お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経