──京都映画での日々
その7
実相寺組に就く
1976年秋「お耳役秘帖」の後、実相寺組の映画に就くことになった。京都映画で劇場用映画に就くのは初めてだった。タイトルは「歌麿 夢と知りせば」。配給は日本ヘラルドだが、製作はどこだったか覚えていない。資料を見たら、「太陽社」というあまり聞いたことのない会社の名前が書いてあった。プロデューサーは葛井欣士郎。ATGなどの作品でよくタイトルを観る、作家性の高いいわゆる芸術映画のプロデューサーだった。
「歌麿」は芸術映画
実は私は、学生時代にATG(アート・シアター・ギルド)作品をよく見ていた。今はもう閉館になった大阪梅田の北野シネマだった。ミケランジェロ・アント二オー二の「欲望」、ゴダールの「気狂いピエロ」などのヨーロッパ映画。日本映画では大島渚の「絞死刑」「日本春歌考」「新宿泥棒日記」、吉田喜重の「告白的女優論」、岡本喜八の「肉弾」などを観た覚えがある。だが、私が付いていけないような難解な作品も多く、気が付いたら寝ていたということがしばしばだったが。
ちなみにATGというのは、最初は内外の芸術的な映画を配給上映しようという運動だったらしいが、1960年代後半からは、国内の作家性の高い監督の芸術映画を作って配給しようという運動になったという。その頃の大手の映画会社では、通常作品で1本3~4千万円の予算で作る映画を、ATGと製作プロダクションが資金を折半して、1千万円の低予算で制作するいわゆる1千万映画として話題になった。それが、大島渚や吉田喜重、篠田正浩、勅使河原宏などの作品群だ。
実相寺監督はそのATGで、「無常」「曼荼羅」などのいわゆる芸術ポルノ(こういう言い方はあまり好きではないが)と言われる作品を撮っていて、私はそのうちの「無常」を見ていた。
コダイグループが中心のスタッフ
「歌麿 夢と知りせば」のスタッフは実相寺昭雄監督のプロダクション「コダイグループ」を中心に編成されていた。キャメラマンはコダイグループの中堀正夫、美術は映画美術の第一人者で映像京都社長の西岡善信とコダイグループの池谷仙克、照明は松竹京都撮影所出身でATG作品やCMで活躍していた佐野武治。佐野さんは、なぜか製作進行で参加した私たちの仲間・南所登(南ちゃん)の師匠でもある。録音は京都映画の二見貞行と広瀬浩一(ワカ)。ワカは以前から実相寺組の常連だった。助監督チーフが都築一興、セカンドにコダイグループの服部光則と私、サードにイッコウが連れてきた古本哲史。高林組で一緒だったらしい。製作主任がコダイグループの鈴木道朗(ドウメイさん)。
貞
「歌麿 夢と知りせば」京都でのアップ記念撮影。前列右端が池谷仙克。2列目右端が南所登、3人目が実相寺昭雄、5人目が岸田森、6人目が二見貞行。3列目(立っている)右から2人目が佐野武治、4人目が都築一興、5人目が筆者、左端が鈴木道朗、左から2人目が中堀正夫。4列目右から3人目が喜多野彰(撮影助手)、4人目が野口多喜子(記録)、6人目が古本哲史、最後列左から2人目が広瀬浩一。
実相寺組は「実相寺昭雄に映画を撮ってもらうための組織」
準備に入って分かったのだが、実相寺組はそれまで私が経験したことがない、「実相寺昭雄に映画を撮ってもらうための組織」といってよかった。そういう組織は、黒澤明組、新藤兼人組、山田洋二組などの超有名監督の組が知られている。それらの組織の目的の第一は、どんな作品を作るかではなくて、その監督に出来るだけ思う通りに撮ってもらうということにある。
それまで私が携わってきた映画やテレビドラマというものはどうだったのか?企画とそれに基づいた台本があり、その方向で監督以下スタッフがひとつの作品を作り上げて行く。そういうものだった。もちろん監督はその中で、作品のクオリティや色合いを明確にする責任を持つ、最高最大の指揮者である。だがスタッフは、その監督の手腕を常に測っていた。そして、その手腕や撮る方向性に信頼を寄せるから指示に従うのだ。程度の差はあったが、基本的にはそうだ。もし監督が信頼されない場合は、スタッフは言うことを聞かない。監督の意図を問い糺したり、意見を言ったりするのだ。
だが、実相寺組はそうではなかった。コダイグループに所属するスタッフは、「実相寺監督が何をやりたいのか?何を望むのか?」を常に考えて行動していたように思う。実相寺監督は、あまり私たち外部スタッフに直接重要な指示をしなかったように思う。私たち外部のスタッフには、コダイグループのスタッフを通じて実相寺監督の意思が伝えられていたのではないだろうか。
例えば演出部にはセカンドの服部君を通じて、美術の西岡さんには池谷さんを通じて、そして照明の佐野さんにはキャメラマンの中堀さんを通じて。そういう意味では、本来監督と一番近いはずの演出部であったが、イッコウと私と古本は最後までコダイグループの内側には入ることがなかったのではないだろうか。
実相寺監督は私たち外部のスタッフには我儘をいうことは殆どなかった。だが、私は監督がドウメイさんには度々わがままを言っているのを耳にした。たぶん、中堀さんや池谷さんそれに服部くんなど、コダイグループのスタッフには相当我儘を言っていたのではないだろうか。
「歌麿」のストーリーとキャスト
脚本は実相寺監督と武末勝。台本を読んだが、正直あまりピンとこなかった。ひとことで言えば、あまりドラマチックではないのだ。カタルシスもほとんど感じない。この手のいわゆる芸術作品はストーリーを語ってもあまり意味がないのだが、登場人物とキャスティングの紹介を兼ねて簡単に説明する。
主人公はタイトルにもある通り浮世絵師喜多川歌麿(岸田森)だ。時代は江戸中期・宝暦~天明期のいわゆる田沼時代。江戸文化が花開きまさに爛熟期を迎えていた。
ある夜、豪商桧前屋の蔵から逸品の茶碗が盗まれる。壁には墨痕鮮やかに「夢」の一文字。庶民から喝采を受けている怪盗「夢の浮橋」の仕業だ。料理屋での狂歌の会に集う歌麿(岸田森)、蔦屋重三郎(成田三樹夫)、燕十(中丸忠雄)、風来山人(内田良平)そして老中・田沼意次(岡田英二)。酔狂な面々は、踏み込んだ奉行所役人から夢の浮橋(平幹二郎)を匿う。礼を言って去っていく浮橋の鮮やかさに歌麿は衝撃を受ける。
芝居小屋・見世物小屋・水茶屋・物売り屋台・大道芸などが立ち並ぶ浅草の奥山。その人込みの中で、歌麿はお涼(緑魔子)という女スリの騒ぎに巻き込まれ、役人に取り囲まれる。それを救ったのは当代随一の立役者市川団鶴だった。歌麿は驚く。団鶴は浮橋とそっくりだった。
蔦屋から「女が描けない」と言われ悩む歌麿を、燕十と風来山人は吉原に連れ出す。その吉原では、赤石丹後守(東野英心)と桧前家宗兵衛(玉川伊佐緒)が田沼失脚の謀議を凝らしていた。燕十と風来山人は遊女と客の交合する様子を歌麿に見せるため、屋根裏に忍び込む。覗いた部屋では朱雀太夫(中川梨絵)と丹後守の床入りの真っ最中。そこを丹後守の用心棒・嶺山月(山城新伍)に見つかり、逃げ遅れた歌麿は斬られそうになる。そこに颯爽と現れたのは「夢の浮橋」。歌麿はあわやの処を浮橋に助けられる。
ある日歌麿は、女人駕籠に乗った高貴で美しい千佳(岸田今日子)に出会う。その美しさを描きたいと願うが上手くいかない。思い余った歌麿は、街で拾った乞食を自宅に連れ帰り、女房の奈津(三田和代)を襲わせる。その様子を見ながら筆を手にした歌麿だったが、いたたまれずに家を飛び出す。いつしか浅草奥山に来た歌麿に声を掛けたのは、スリのお涼だった。歌麿は誘われるまま、その夜お涼を抱いた。翌朝家に帰ると、奈津は家を出ていた。
浮橋を手引きした桧前屋の女中おその(太田美緒)が捕まる。役人の厳しい拷問を受けながら、恋しい男・浮橋への思いを語るその姿は、歌麿に衝撃を与えた。
天明6年、老中・田沼意次が失脚する。歌麿の画は世間に認められ、人気が高まっていた。そんな時に、歌麿は謎の絵師・東洲斎写楽の人物画に出会う。そして、その大胆で巧みで尚且つダイナミックな画風に衝撃を受ける。歌麿は何かに導かれるように旅に出る。そして旅先で葛飾北斎(菅貫太郎)と出会う。なんと写楽の正体は北斎だったのだ。旅を続けた歌麿は、偶然にも奈津と再会する。奈津は世を捨てて生きる道を選んでいた。
旅から江戸に戻ってきた歌麿を待っていたのは、松平定信(中谷昇)による寛政の改革だった。奢侈、風俗、文化は厳しく統制された。浮世絵は焼き捨てられ、歌麿は処罰を受けた。市川団鶴の芝居小屋も廃止された。
そんな時、江戸に大火が起こる。買い占めた材木で莫大な儲けを目論んだ檜前屋と丹後守が火を付けさせたのだ。ほくそ笑みながら酒を酌み交わす2人の前に、怒りに燃えた浮橋が姿を現す。浮橋は2人を一刀のもとに切り捨てる。浮橋の前に立ち塞がったのは、浮橋を狙い続けていた嶺山月だった。2人は紅蓮の炎の中で対決する。勝負は一瞬だった。2人は同時に倒れた。相打ちだったのだ。
牢から出された歌麿は、変わり果てた江戸の町を呆然と歩く。だが、町行く人々の喧騒は今日も変わらない。夢を捨てきれぬ歌麿は、その雑踏を噛みしめるように歩いていく。
「流れ」を排除した?コンテ
実相寺監督のコンテはカット数がやたらに多かった。台本には書き切れずに別紙に書いてくることもあった。そのコンテは鉛筆でカットナンバーが書かれている段階では決定コンテではない。カットナンバーが判子に変わると決定コンテになるのだ。そのコンテは、私にはあまり「流れ」というものを感じられなかった。つまり、カットの積み重ねによってできたそのシーンの流れが、後のシーンにどう繋がっていくのかが、あまり明確ではないということだ。むしろそういった「流れ」を意識的に排除したコンテのように思えた。その時の私は、助監督になってから3年。未熟でまだそういうコンテを楽しむ境地に至っていなかったのだろう。
意図不明のカットは「編集の材料」?
実相寺監督のコンテには、「何のためのカットなの?」と思うようなカットも含まれていた。例えば佐野善左衛門(田沼意次の息子意知に対し殿中で刃傷に及んだ幕臣。意次失脚の引き金になった)役の田村亮(亮さん)のカットではこういうのがあった。レールを亮さんの真正面に敷き、5~6m離れたところから望遠で座りフルサイズでとらえ、3人掛かりで猛スピードでトラックアップするのだ。止めるのも2人掛かりだった。最後は亮さんのクローズアップになる。そうやって撮ったカットだが、現像所でラッシュを見ると、最初の座りフルとラストのクローズアップだけにピントが合っていて、途中はボケボケというより何が写っているのか分からないグニャグニャの状態だった。
またこんなのもあった。亮さんの顔を撮っていて、芝居の途中でキャメラからレンズをバコッと外してしまうのだ。これもラッシュで見たが、いきなり歪んで何にも写らなくなるだけだった。
実相寺監督は、映像に凝ることで有名らしいが、あの場でイロイロ実験をしていたのかもしれない。こちらとしてはカットナンバーに判子が押してあったのでやるしかないのだが。監督はこれらのカットに何を込めようとしているのかや、どう使うかなどは一切説明しない。「オレは編集のための材料を撮っているだけ」というばかりだ。ちなみに編集は浦岡敬一。日本有数の編集マンだ。そんなカットでもスタッフは何も不満を言うことなく、コンテ通りに生真面目に撮影を進めていた。
実相寺組編 To Be Continued
※次回は来週水曜日(9月11日)投稿予定
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
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