Episode18
   助監督になるその後

      ──京都映画での日々

 その8

 


前号 実相寺組からの続き

 時に1976年秋、小生29歳。助監督になって3年半。私と都築一興(イッコウ)は映画「歌麿 夢と知りせば」に就いた。監督は実相寺昭雄。実相寺組はそれまでの私が就いていた組と違って、「実相寺昭雄に映画を撮ってもらうため」の組織だった。スタッフは実相寺監督のプロダクション「コダイグループ」を中心に編成されていた。

 

演技をずらして撮る監督

 実相寺昭雄監督はなぜか、俳優の芝居をずらしたアングルで撮った。私がそれまで経験してきたドラマや映画は、俳優の演技を通して何かを伝えるという撮り方をしてきた。だから俳優の怒りや悲しみや喜びといった演技を視聴者・観客に伝わりやすいアングルやサイズで撮ってきたのだ。だが、実相寺監督はどういう訳か、俳優の演技をストレートに伝えることを避けるアングルやキャメラワークで撮った。「歌麿」でも多くの俳優が素晴らしい演技をしていたと思う。私が現場で迫力や存在感を感じたのは平幹二朗(夢の浮橋・市川団鶴)や成田三樹夫(蔦屋重三郎)だった。だが彼らの素晴らしい演技を、実相寺監督はずらしたアングルで撮った。

 その最たるものが、歌麿(岸田森)と奈津(三田和代)の旅先での再会のシーンだ。奈津が切々と語る表情やそれを真剣に受け止める歌麿の表情を、その心情が伝わりやすいアングルではなく、突き放したような外したアングルで撮るのだ。単独のショットでも正面に近いアングルから撮らずに、真横から撮ったりやや後方から撮ったりした。しまいにはキャメラが二人の周りを回り始める。キャメラを振り回しているようなカットもあった。岸田森も三田和代も熱演していたと思う。その二人の演技を、まともに受け止めることを拒否した撮り方のように、私には感じられた。

 

役者はオブジェ?

 昨年、実相寺監督の本を出すということで、都築一興と私がその本を書いた八木毅さんという方からインタビューを受けた(注1)。八木さんは実相寺監督が活躍した円谷プロ出身の監督だ。そのインタビューの前に、ネットで完全版ではないが「歌麿 夢と知りせば」を見る機会があった。公開当時に劇場では観ていたが、50年振りに「歌麿」を見てフト気が付いた。「ひょっとしたら実相寺昭雄という監督は、自己顕示欲が非常に強い人なのではないのだろうか」。そう思った。まあ、監督という仕事をしている人間で自己顕示欲が弱い人はいないだろうが、実相寺監督は特にそうなのではないかという気がした。

インタビューの場で八木さんから、実相寺組の常連俳優である寺田農の言葉を聞いた。「実相寺監督は役者を『モノ』=オブジェとして扱う」。そう言ったそうだ。その言葉を聞いて、ストンと腑に落ちた。実相寺監督にとっては、俳優も景色も美術も小道具も同じオブジェなのだ。だから俳優の表情をまともに撮らない。むしろ、観客が俳優の演技に引き込まれないように、突き放したような外したアングルや、目を引くキャメラワークで撮るのだ。
 その半面、ロングの画や風景は、ハッと息を飲むようなインパクトの強い映像なのだ。「歌麿」でも「良い画」がたくさんあった。これらのことを合わせて考えると、50年振りに見た「歌麿」の私の印象と結び付く。それは、
「実相寺監督は役者を『モノ』=オブジェとして扱う」という演出方法は、観客にキャメラ=演出=監督を意識させたいという、実相寺監督の強い自己顕示欲から来ていることではないのだろうか。(注1:「実相寺昭雄の冒険~創造と美学」立東舎刊)

 

上映中、常に監督を意識させる演出?

私はそれまで、監督というものは観客が映画やドラマを見終わった後に、「良かったね」「面白かったね」「凄かったね」「あの俳優さん上手かったね」「あのチャンバラ、迫力あったね」などと思ってくれて、その後にフト思い付いて「監督は誰なのかしら?」と思ってくれればそれで大満足だと思っていた。だがそれを実相寺監督は、映画やドラマを見ている間中、「凄いねこの監督」と感じて欲しいのだろうか?
 裏方という言葉がある。俳優さんなど画面に出ている人は表方で、プロデューサー、監督を始め画面に出ないスタッフは裏方という言い方だ。私たちは、最初から裏方を志して撮影所に入った。だが、実相寺監督の場合は裏方に飽き足らず、「監督」という名の表方も演じようとしたのかもしれない。

シャイなのに強い自己顕示欲、これぞ実相寺監督?
 実は、撮影中の実相寺監督についての印象を、私はずっと「シャイな人だな」と感じていた。この印象は今でも変わらない。出会った時の私たち外部スタッフに対する態度、実相寺組常連ではない俳優さんへの接し方は、何となく気恥ずかしそうに喋っていて、人見知りするタイプのようだった。
私やイッコウに対しては段々と親しく口を利くようになったが。
 だが、コダイグループのスタッフを通しての演出意図の伝え方や、判子まで押してキッチリ書かれたコンテは、外部スタッフや親しくない俳優さんに無言のバリケードを作っている感じだった。コダイグループというスタッフ集団を作るということ、そして、常連の俳優陣を持つということ自体が、実相寺監督の人付き合いの苦手意識の表出ではなかったろうか。
 さっきまで書いていた「自己顕示欲の強い監督」という人物評とは、矛盾している印象かもしれない。これは先ほども書いたように、50年振りに「歌麿」を見た印象だ。だがいま私にとっては、相反すると思われるかもしれない二つの人物像は、奇妙に矛盾なくしっくり来ている。それが、私にとっての実相寺監督像なのだ。50年経って、やっと分かったことなのかもしれない。まあ、こういう私の実相寺昭雄観も、少し極端なのかもしれないが。

 

楽しかった撮影現場

ここまで書いてくるとチョット心配になった。私が実相寺監督を嫌いだったり、「歌麿」の撮影現場に不満を持っていると思われるのではないかと。実は私は実相寺監督が嫌いではないし、「歌麿」の撮影現場は結構楽しかったのだ。毒にも薬にもならない作品を撮る面白味のない監督よりは、物議をかもす作品を撮ったり、訳の分からないことをやらかす監督の方が、助監督としてはよっぽど面白い。

実相寺さんは私と目があうと、なぜか上の歯で下唇を咬んで上目使いに私を睨んだ。何度もそんなことをするので訊いた。「何でそんな顔をするんですか?」。すると「ヨウノスケはいつもこんな顔をしている」と言う。「そんな馬鹿な」と言っても「そうなんだ」と言い張る。ひょっとすると私が現場で、「このカットはどんな意味があるんだ?」と悩む顔がそんな風に見えるのかもしれなかった。

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「歌麿 夢と知りせば」撮影スナップ。前列右端が美粧のタケちゃん、左端が岸田森。後列右から2人目が実相寺監督、3人目が筆者、4人目が山口勉(録音助手)、5人目が古本哲史(助監督サード)。

 

仕事も結構任せてくれた。俳優の撮影が無い日に、版画ができる工程を分かりやすく撮れと言われた。張り切った。版画の職人さんにセットに来てもらって、一生懸命撮った。一生懸命過ぎて1000フィートもフィルムを使ってしまい「フィルム使い過ぎ」と監督に叱られた。それから、現場でのメインではない俳優の動きは、チーフの都築一興(イッコウ)や私に任せてくれたりもした。

 カツラと衣装を着けて出演したこともあった。満員の市川団鶴の芝居小屋に、寛政の改革により小屋を閉鎖するために、奉行所の捕り方が雪崩込んでくるシーンだ。私とイッコウは客の扮装をして群衆を動かした。そして自分でもキャメラ前を微妙なタイミングで横切ったりした。いつも必殺シリーズなどでは、そういうエキストラの動かし方をしているので、この手の動きはお手のものだった。

 

「歌麿」は大作!だが……

実相寺監督はそれまで低予算の作品を撮ってきた。だが「歌麿」はその数倍の予算の大作だった。出演者も大スターこそいないが、登場人物がやたらに多く、それぞれに芸達者な売れっ子と言っていい俳優が多くキャスティングされた。だからキャスト費の総額は相当なものだったはずだ。

主役・歌麿は大物俳優に断られて、実相寺組常連の岸田森に決まった。芸達者な存在感のある良い役者だった。私やイッコウは「斬り抜ける」で一緒に仕事した仲だった。「夢の浮橋」の平幹二朗は大河ドラマや舞台などで数々の主演を務めてきた大物だ。山城新伍(嶺山月)はそのころ超売れっ子で、スケジュールがまったく取れなかった。ただ、「歌麿」ではやや異質の演技をしていて、浮いていたかもしれない。成田三樹夫は大映や東映のヤクザ映画や時代劇で、悪役を中心に強烈な存在感を発揮してきた名脇役だった。岡田英二(田沼意次)は「また逢う日まで」「真空地帯」「二十四時間の情事」などで活躍した国際的な名優だ。

美術は当時日本一の美術監督と言っていい西岡善信で、重厚かつ煌びやかな江戸爛熟期の世界を再現した。美術費だけでも相当な予算だったと思う。

 エキストラも私たちが日ごろ使っている人数をはるかに上回った。「必殺シリーズ」で使えるエキストラは1話で30数人だった。それを「浅草奥山」のシーンだけで1日150人も使った。私もイッコウもこんな人数を動かしたことは無かった。昔の映画の合戦シーンでは、毎日500人からのエキストラを使ったというが、昔の助監督は凄いな―と思った。

私たちは昔の助監督に倣って、エキストラ5人に1人の大部屋俳優を班長として付けた。大部屋俳優は日頃から通行人として出演しているので、下手な助監督よりも動き方がよく分かっている。ちょっとした小芝居も付けてくれるから、多いに助かった。

助監督の指示はトラメガと班長を通じて行った。余談だが、私はいままで「トラメガ」を「エキストラ用メガホン」の略だと思い込んでいた。念のためにネットで調べてみると、「トランジスター・メガホン」の略とあった。面目ない。

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「歌麿 夢と知りせば」浅草奥山のオープンセット撮影スナップ。右端の辻うら売りの女の子の左が筆者、その左側の野球帽が実相寺監督。その左側が佐野武治。その左の帽子に眼鏡が古本哲史。

 

群衆シーンを中止

 浅草奥山のシーンは、何日も掛かって仕込みをしたシーンだった。その為にイッコウは苦心して俳優さんのスケジュール調整もした。当日はオープンセットに6尺(1.8m)の俯瞰台を20mぐらい並べ、その上にレールを敷いて俯瞰移動という一番面倒なカットから準備した。早朝から準備して、ズラリと並ぶ屋台の飾りや、大道芸・見世物のタイミング、通行人の動き方などを監督抜きでテストを繰り返し、11時前にやっと何とか格好になった。

私は製作部に実相寺監督を呼びにいった。「監督、準備出来ました。お願いします」。そう張り切って言った。「うーん?」と監督の返事が不吉だった。実相寺監督はのっそりとソファから立ち上がって、窓を開けて外を見た。そして信じられない言葉を吐いた。「天気がもうひとつだなー。今日は撮らない。イッコウちゃんに予告編を回すように言って」。えー、天気悪いって薄曇りやん!普通撮るんとちゃう!?150人のエキストラやで!それをパーにすんの?そんな無茶な!私は傍にいる製作主任の鈴木道朗(ドウメイさん)の顔を見た。現場での予算管理は彼の仕事だ。ドウメイさんは情けない顔をして私に頷いた。いやいや、どんだけ予算があるか知らんけど、こんなことしてホンマに大丈夫なん!?

 

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「歌麿 夢と知りせば」大覚寺大沢の池ロケスナップ。手前が岸田森。後列右端のハチマキが実相寺監督、その左が佐野武治、左端が筆者。

 

日本一!佐野武治のライティング

佐野武治さんのライティングは凄かった。「歌麿」は良い画がいっぱいあった。その映像美は佐野さんのライティングに負うことが大だったと思う。だが、現場で佐野さんと実相寺監督とが話をしているのを見たことがない。キャメラマンの中堀さんを通じて実相寺さんの意向を聞いていたのかもしれないが、私たちには佐野さんが自分の感性でどんどん画を作っていたように見えた。中堀さんと佐野さんの関係は良かった。「無常」や「曼荼羅」を始め、普段からのCM製作で気心が知れた仲のようだった。だが、やはり経験と実績からいって、佐野さんが主導権を握っていたような気がした。

佐野さんのライライティングは結構時間が掛かった。新しいセットに入ると、まず午前中はライティングでつぶれた。私はテレビドラマで育ってきたから、随分時間を掛けるものだと思っていたが、映画ではそんなに異例なことではないようだった。実相寺組はワイドレンズを多用したせいもあるが。
 出来上がったライティングは時間を掛けただけのことはあった。創造力に溢れた異次元の世界を作り出していた。私が特に好きだったのは、壊れた芝居小屋での夢の浮橋の1人芝居のシーンだ。月明かりに見立てた一条の光が、花道に立つ浮橋を浮かび上がらせる。「浮橋!」。思わず声を掛けたくなる外連味たっぷりの映像だった。常に画面のどこかにさりげなく彩られた、パープルも印象的だった。大劇場で見る映画でなければ分からない粋さだった。この後佐野さんは、「影武者」「乱」などの一連の黒澤明監督作品の照明を担当することになる。

 

突然中断に

約3分の2の分量を撮った時点で、「歌麿」は突然製作中断した。資金がショートして、これ以上京都で撮影することができなくなったのだ。その少し前から、製作で就いていた南所登から、日々の製作費の現金が足りなくなりそうだという話は聞いていた。やっぱり心配した通り、予算を使い過ぎたのだ。製作費を節約するために大船で撮影することに決定した。東京から来ている大勢のスタッフや俳優陣の交通費・宿泊費を考えれば当然の処置だと思う。

だが、その後がいけなかった。製作主任の鈴木道朗は私たちも大船に来てもらうと言って京都を後にした。しばらくして、イッコウは大船に呼ばれた。準備で先に行くのだと思った。だが、私や古本、それに記録の野口多喜子さんや殺陣師の美山晋八さんには一向に連絡が来なかった。野口さんと晋八さんは鈴木道朗に抗議するために大船に押し掛けた。記録や殺陣師は東京勢が雇われていたそうだ。助監督はイッコウと服部君だけでやることになったという。鈴木氏は連絡しなかったことを詫び、迷惑料を払うと言ったそうだ。私にも迷惑料を払うと電話があった。だが、私にその迷惑料が支払われることはなかった。私たちの「夢」は味気ない形で中途半端に終わってしまった。

 

         To Be Continued  

 

※次回は来週水曜日(9月18日)投稿予定



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経