【Episode18】
助監督になるその後
──京都映画での日々
その10
1976年・29歳・助監督4年目、1ヵ月失業
「必殺からくり人」の後、実相寺昭雄監督の「歌麿 夢と知りせば」に就いたことはすでに述べた(【Episode18その7、その8】)。だが、「歌麿」の製作現場が、途中で突然大船に移ってしまった。そのせいで、1976年の暮れ、私は失業状態に陥った。それまでも、仕事が途切れた時はあったが、京都映画の小島次長が東映の仕事を紹介してくれていたので、完全な失業状態にはならなかったのだ。しかし、その時は救いの手がなかった。もともと助監督は薄給だ。蓄えなどは殆どない。しかも、師走。何とか稼がなければならない。たまたま撮影所近く、帷子ノ辻の運送屋が配送員を募集していた。背に腹は代えられない。それに応募した。即、採用となった。お歳暮の時期だったのが幸いした。
配送の仕事は、準備と段取りがすべて
配送の仕事は結構大変だった。商品を1個配達して何円という給与体系だったので、配送の個数を稼ぐことが大切だった。その日の配送が終わってから、翌日配送分の伝票を整理した。伝票に掛かれた住所を参考に、地図を見ながら配達先を確認し、配達ルートと順番を決めていくのだ。結構時間が掛かったが、これをやらないと配達に無駄な時間が掛かって、未配達商品が出てしまう。翌朝は運送屋に出勤して、段取り良く配達できるように、自転車の後部に括り付けた大きなカゴに、商品を詰めていく。これもちゃんとやっておかないと、配達先でカゴをひっくり返して商品を探すことになる。しっかりした準備と段取り。撮影と共通しているところがあって面白かった。
失敗、失敗、失敗
失敗もあった。商品を落として壊してしまったことがある。そんな時は運送屋に連絡して、もう一度出荷元から同じ商品を送って貰うのだ。その費用は私が支払うことはなかったと思う。多分、運送屋が被ったのだろう。私の場合はあまり高価なものでなくて助かった。
もう1回の失敗。後部のカゴに商品を満載して配達に向かった。配達先の家の前の道路に自転車を止めて、スタンドを立てた。ハンドルから手を放して商品を手にしようとした。その瞬間、自転車がクルリと後方に回転した。そして、前輪を上、カゴを下にしてピンと立った。まるで、天守閣の鯱鉾のように。バラバラとカゴから商品がこぼれた。自転車を止めた場所が坂道で、重心が後ろに移動し、私がハンドルから手を離した瞬間に前方部の重しを失って、立ってしまったのだ。慌てて周りを見廻した。誰も見ていなかった。もし見られていたら、大笑いされていただろう。傍目には、それほど滑稽な光景だったと思う。さいわい、商品は壊れても汚れてもおらず事なきを得た。こうして、1976年はアルバイトで暮れた。
大映に派遣
翌1977年は、年明けから大映に出稼ぎすることになる。京都映画から派遣されたのだ。角川春樹事務所と毎日放送(MBS)の企画、MBS・大映映画・映像京都制作(東宝と作品ごとに交互に制作)の「横溝正史シリーズ」第一弾、「犬神家の一族」5話分に就くことになったのだ。監督はあの工藤栄一。私は京都映画ではすでに工藤組には相当数の作品に就いていた。助監督チーフは奥家孟。セカンドは中畑耒人(耒ちゃん)、サードに私。
映画化されていた「犬神家の一族」
実は「犬神家の一族」は、前年秋に東宝で映画化され大ヒットしていた。監督は市川崑、主人公の金田一耕助は石坂浩二が演じた。年配の読者の中には覚えている方も多いのではないだろうか。「湖から両足がニョキっと突き出した」写真。その衝撃的な宣伝ポスターの映画だ。
この大ヒットの影響は大きく、「湖から両足がニョキ」も「佐清の白ゴム仮面」も原作では少し違った描写であったにもかかわらず、「犬神家の一族」の代名詞のようになってしまっていた。従って我々が携わったテレビ版でも、台本にそのことが明記されていて、同じ手を使わざるを得なかった。
「湖から両足がニョキ」も「白ゴム仮面」も撮影には苦労した。「湖から両足がニョキ」の場合は、マネキンを利用して作った死体の足が、湖上になかなか上手く浮かばないのだ、重りを付けて浮かべようとしたが、ちゃんとまっすぐ立たない。波の影響を受けてグラグラしてしまう。良くは覚えていないが、おそらく湖底にアンカーを下ろしてそれに足を結びつけて撮影したのではないだろうか。
「白ゴム仮面」は、犬神佐清と青沼静馬二役の田村亮が被って演じた。だが、材質がゴムでぴっちり顔に貼り付くので、被っている間は皮膚呼吸が出来ない。健康に悪影響が出るので、1時間ぐらいしか被ってはいられないという制約があった。何しろ順撮りを崩さない工藤監督だ。田村亮さんが仮面を脱いでいる間に、別のカットを撮るという訳にはいかない。「ゴム仮面待ち」が何度かあった。
剛腕P角川春樹
ちなみに、10月に映画版が公開され、翌年の4月からテレビ版の放送が始まるというのは、物凄い段取りの良さだ。映画版が公開される前からテレビ版を決定し、準備をしていたに違いない。これは企画・製作総指揮(映画版)の角川春樹の剛腕によるものだろう。映画が大ヒットすると見越して、その衝撃が収まらないうちにテレビ化を目論み、それを実現させるとはやはり彼は只者ではない。そして、映画版「犬神家の一族」は、それから10年続く「角川映画ブーム」の第1弾だったのだ。映画だけではなく、関連書籍や音楽などとのメディアミックス戦略の展開までも考えれば、かれは日本で出現したかつてない敏腕大プロデューサーと言える。
製作会社は大映系2社
さて、私が就いたテレビ版「犬神家の一族」だ。主役の金田一耕助には古谷一行。彼はこの「横溝正史シリーズ」でトップスターに登りつめ、以降も金田一耕助役を長く演じ続ける。共演も錚々たるメンバーだ。犬神家の長女・松子に京マチ子。「羅生門」「雨月物語」「地獄門」など日本を代表する名作に主演した「グランプリ女優(前記の作品群が海外の映画賞を獲得したのでそう呼ばれた)」だ。次女・竹子に月丘夢路、三女・梅子に小山明子、犬神佐兵衛に岡田英二、犬神佐清(青沼静馬二役)に田村亮、古館弁護士に西村晃、橘署長にハナ肇。
工藤栄一監督については、【Episode4】で「犬神家の一族」の演出振りも書いたので参照して頂きたい。製作の大映は実は1971年に倒産していた。一時労働組合が管理していたが、1974年から徳間書店の子会社となっていた。映像京都は、大映が「木枯らし紋次郎」の製作中に倒産したので、「紋次郎」の製作を続けるために、スタッフが結集して作った製作会社だった。「犬神家の一族」のスタッフは、大映と映像京都の混成チームだった。
技術の大映
当時の各撮影所の特徴は、松竹は演出部、大映は技術部、東映は製作部が力を持っていると言われていた。大映には「羅生門」「雨月物語」「無法松の一生」などを手掛けた宮川一夫という名キャメラマンがいた。大映映画の特徴は、宮川一夫などが作り上げた陰影に富んだ映像だった。
私が3ヶ所の京都撮影所を経験して分かったことのひとつは、それぞれのセット撮影の時のキャメラの絞りの違いだ。キャメラにはレンズを通して入ってくる光の量を調整する機能が付いている。それが絞りだ。羽を組み合わせた装置で、真ん中の円形の穴を大きくしたり小さくしたりして、入ってくる光の量を調整するのだ。絞りの数値Fが小さいほど(円形の穴が大きいほど)、レンズを通して入って来る光の量が多くなる。反対に数値Fが大きいほど(円形の穴が小さいほど)、入って来る光の量は少なくなる。テレビ番組の場合、東映のFは2.8ぐらい。松竹(京都映画)のFは3.2から3.5ぐらい。大映のFはなんと、5.6ぐらいだった。すなわち、東映は少ない光量で撮影し、大映は多い光量で撮影していたということだ。京都映画はその中間ということになる。
東映のセット照明は、京都映画で慣れた私の目にも薄暗く感じた。東映のテレビ番組のセット撮影では大きなライトを使わなかった。最大で5KWのライト。俳優の正面の顔に当てるライトは500Wのアイランプということも多かった。一方、大映ではセットでも10KWのライトを使っていた。当時の10KWライトというのはバカでかいライトで、私などは担ぐことができなかった。そんなライトをセットで、ドカーンと点けるのだ。近くにいると眩しくて仕方がなかった。強い光を当てて(照度を高くして)絞りをグンと絞り込むとどうなるのか?画に明るさのグラデュエーションが多く表現できるということだ。東映が5の照度で撮影するとすれば、大映は20の照度で撮影するわけだから、4倍の照度の差が表現できるということになる。それだけではない。絞りを大きくすれば(絞り込めば)、ピントが合う距離も伸びるので、画がシャキッとする。さらに黒色が鮮やかに映えてくるのだ。
東映のセットの柱の色はベージュに近い。松竹は茶色で、大映は黒に近い焦げ茶色だ。東映のセットは少ない光量でも写り易いということだ。東映の撮影方法の利点はなにか?光量が少ないので電気代が安くなる。大きなライトを使わないので、照明部の人数が少なくて済む。ライティングも早くなるので、撮影が早く終わる。製作部は万々歳だ。代表作「水戸黄門」のスポンサーは松下電器なので、絞りをあけてホワーンとした明るい画面がお似合いだ。それに反して大映は、電気代が高くつき、照明部の人件費が高くなり、撮影時間が長いので残業費などの経費が多くなる。私は大映の映像が好きだが、技術部が力を持ったことが、大映の倒産を早めたひとつの原因かもしれない。
「犬神家の一族」のスタッフ
「犬神家の一族」のキャメラマンは「大魔神」などの森田富士郎。そのころ大映のA2ステージの入り口には、まだ「大魔神」の大きな模型が立てかけてあった。照明技師は山下礼二郎、録音技師は大谷巌だった。だが、私が参加して感じたのは、技術部よりも美術部の質の高さと、キャラクターの面白さだった。
西岡美術とは
美術監督は映像京都社長の西岡善信。「歌麿 夢と知りせば」でも一緒だったが、当時京都では第一人者と言ってもいい美術監督だった。Wikipediaによると、MBSの青木民男Pが製作会社を大映と映像京都に決めたのは、西岡さんなどの大映系美術の手腕に期待してということだった。西岡さんは「犬神家の一族」以降、立て続けに大作映画を担当することになる。
西岡さんは衣装合わせにも立ち会った。そして、衣装の色合いに注文を付けた。犬神家の全員が集まる大広間のセットでは、板戸を真っ黒に塗り、そこに赤い曼殊沙華の絵を描かせた。そういった美術プランと衣装の調和を図るのも美術監督の仕事だということだ。テレビ映画ばかりやってきた私には、そういう発想は衝撃だった。
大広間の撮影当日、11人の俳優が大広間に座った。真っ黒な地色に真っ赤な曼殊沙華の板戸と俳優さん、特に女性陣の着物の色合いのコントラストと調和が鮮やかだった。そして西岡さんは、俳優全員の前に置かれた揃いの茶碗を見て首を傾げた。装飾部が用意したのは白っぽい茶碗だった。西岡さんは工藤監督に訊いた。「監督、誰か茶椀の蓋を開けますか?」「いや」「そんなら、茶碗を全部真っ赤にます」。そう言って装飾部に指示した。「茶碗に赤いスプレーを掛けて、真っ赤にしてくれ。全部や」。装飾部だけでなく演出部も総出で、あわてて茶碗を真っ赤にした。
大広間の床板は磨き上げられて黒光りしていた。そしてたぶん、茶碗の赤は曼殊沙華の赤と同じく、血の色だ。大広間は犬神財閥の象徴とも言えるセットだった。黒地に赤い曼殊沙華の板戸と、黒光りする床板に真っ赤な茶碗。まさしく、それからの禍々しい展開を予言するような、「犬神家の一族」の冒頭を飾る象徴的なシーンとなった。「これぞ美術監督」という西岡さんの仕事ぶりを見て、目からウロコの経験をさせてもらった。
「皆元ちゃんとイッコウちゃんを宜しく」
西岡善信さんについては、後年思いがけないエピソードがあった。1989年、私は京都映画を離れ東通企画と年棒契約を結んだ。その時の総務担当役員が、京都での仕事上の知り合いだった船越さんだった。その2年後、友人監督の都築一興(イッコウ)も東通企画と契約した。そしてその十数年後、東通企画は個人株主の整理を始めた。理由はよく分からないが、株主は法人のみとし個人株主から株を買い取り始めたのだ。実は西岡善信さんはその個人株主の1人だった。1974年に東通企画の前身となる会社を立ち上げる時に、発起人の1人だったのが京都で装飾の仕事をしていた船越さんだった。船越さんが仕事仲間だった西岡さんに頼んで株主になってもらったという経緯らしかった。
東通企画は西岡さんに連絡し、事情を説明して株の買い取りをお願いした。西岡さんは快く応じてくれたらしい。そのお礼のために、東通企画の社長と副社長が映像京都まで出向いて挨拶した。その別れ際に西岡さんがこう言った。「お世話になっている、皆元ちゃんとイッコウちゃんを、宜しくお願いします」。その話を東通企画の社長から聞いて、胸が熱くなった。
西岡さんと私たちはそんなに親しい間柄ではない。たしかに一緒に仕事はした。私の場合、「歌麿 夢と知りせば」「犬神家の一族」「本陣殺人事件」ぐらいで決して多くはない。1986年に大映京都撮影所が完全閉鎖になり、映像京都のスタッフルームが京都映画に引っ越してきて、顔を合わせる機会が多くはなった。顔を合わせれば挨拶もした。西岡さんは京都映画の役員にも就任した。だがそれは、私が京都映画を離れてからのことだ。イッコウの場合は、私より長く京都映画にいたので少しは関係が深かったかもしてないが、大差はない。そんな私たちのことを、身内のように「宜しくお願いします」と頼んでくれるとは……。西岡さんにとって、自分と一緒に仕事した京都の活動屋は、全員が身内だったのかもしれない。そんな大きな人だった。
To Be Continued
※次回は来週水曜日(10月2日)に投稿予定。
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
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