Episode18
  助監督になるその後

     ──京都映画での日々

  その11

 


前回に引き続き毎日放送(MBS)・大映映画・映像京都制作「犬神家の一族」から始める。時は、1977年の1月~3月。私は29歳、助監督になってから丸4年になろうとしていた。撮影のベースは太秦の大映京都撮影所だった。監督は工藤栄一、助監督チーフは奥家孟、セカンドは中畑耒人(耒ちゃん)、わたしはサードだった。京都映画ではセカンドだったが、他所の撮影所に行くと大体が1ランク下がることになる。

 

口で勝負する装飾部

 「犬神家の一族」の時代設定は、戦後数年というところだった。ビルマからの復員兵が登場するので、昭和22~4年というところだろう。この時代設定はやっかいだった。我々助監督は昭和20年代前半に生まれた者が殆どだったので、その時代のことは幼過ぎて覚えていない。小道具や衣装などのチェックは助監督の重要な仕事なので、一生懸命に調べはするのだが限界がある。どうしても、ベテランの装飾部さん頼りになってしまう。

装飾部は40代の清水与三吉(与三やん)と藤谷辰太郎(ぶんぶんちゃん)、それに60歳を遥に過ぎた大ベテランのおていちゃんだった。責任者の与三やんは大映映画・映像京都・勝プロなどの数々の作品をこなしてきていた、けっこ口の立つ装飾部さんだった。ぶんぶんちゃんは小道具を作るのが得意な人で、京都映画でも私は仕事していた。その後、美術製作の会社・創造社を立ち上げたので、後々までお世話になった人だ。セカンドの耒ちゃんはおていちゃんと仲がよくて、「おていちゃん、ホンマはこんなんあの時代なかったやろ?正直に言い」と問い詰めていた。そんな時、おていちゃんは作業を黙々と続けながら一言だけ言った。「あった」。

 大映は「悪名」や「若親分」シリーズを何本も製作してきたので、戦前についてはいっぱい蓄積があったはずだ。しかし、戦後すぐという時代設定の作品はあまりなかった。したがって、「犬神家の一族」の時代はそれほど得意分野ではなかったはずだ。

ところが、その戦後すぐのことを覚えている40代以上のオッサンスタッフが、現場にはゴロゴロいた。彼らはセットに飾ってある小道具を見ては、「あの頃、こんな物は無かったで」といちいち文句をつける。その矛先はまず助監督に向く。我々は資料などで根拠のあるものについては、当然反論し突っぱねる。だが先ほど書いた事情があるので、ほとんどは「装飾部があったというので」としか言えない。そこで装飾部とベテランスタッフとのバトルになる。与三やんは捲し立てる。「お前らが知らんだけや。お前ら貧乏人は、見たことがない物は、みな無かったと言うんや」とか「お前ら関西人やろ、関東にはあったんや。物を知らんというのは怖いの」とか。大映系の装飾部は言い方に遠慮がない。「イヤイヤ、これは無かったで」と、オッサンスタッフも言い返すが、30年も前のことなのでけっこううろ覚えだったりする。段々メッキが剥がれて口調が鈍ってくる。無かったという証明は難しいので、結局は装飾部に言い負かされる。でも、実際は相当怪しいものもあったに違いない。100%は難しい。装飾部は口でも勝負しないとやっていけないのだ。

 

「軽くウガイに行きますか」

 そういう時に不満を零し合ったのが、セカンドの耒ちゃんだ。耒ちゃんの飲みに行く誘いの文句は、「よのさん(筆者のこと)、軽くウガイに行きますか?」だった。京大卒のエリートだが、そんな風には見えない気さくで面倒見の良い男だった。大映のことを色々と教えてもらった。何でも、馬の絵ばかりを描く有名な画家の息子だということだった。競馬好きのスタッフからは、「親父から馬の絵を一枚貰うてくれへんか?」と、しょっちゅう頼まれていた。耒ちゃんの返事は、常に「オレにもくれへんのや」だった。

彼は数年後に映像京都を辞めて、大学時代の仲間と「映像館」という制作会社を大阪に立ち上げる。企業向けVPを作る会社だ。「映像館」はバブルの波に乗り、東京に支社を設置するまでになった。そして京都映画を離れた私は、耒ちゃんの会社の仕事をいくつか引き受けることになるのだ。そのことは、また後で書いてみたい。

 

本物の銃を撃つ

 珍しい経験もした。ヒロインの珠代(四季乃花恵)が洋館の屋上で銃撃されるというシーンだった。珠代をかすめた銃弾が背後の給水タンクを撃ち抜きが、中の水がその穴から吹きだすという設定だ。カットの途中でタンクに穴が空き水が吹きだすのを1カットで撮るとすれば、通常の撮影ではこうだ。給水タンクの着弾点にあらかじめ銃撃された想定の穴を空ける。そこに内側から火薬を仕込んで、水に濡れないように防水処理をしてタンクに水を満たす。そして本番では、火薬を爆発させて火花を生じさせる。その時タンクの防水処理も破れるので、その穴から水が吹き出す。こういう仕掛けだ。

 だが、工藤監督はそれでは不自然だという。確かに火薬を爆発させると、炎が出たり煙が出たりする。撮影ということで、そういうことは無視してやってきたのだが、工藤監督はダメだと言い張る。監督は言った。「本物の銃で撃つ」。ゲッ!。それってヤバイんちゃうん!?撮影で本物のテッポウ撃ってええんか!?これまで私の経験では撮影で本物の銃を撃ったことはない。ざわつくスタッフ。「大丈夫や。伊藤さんに頼め」。平然と工藤監督は言う。こういう時の工藤監督は、憎らしいけど、カッコいい。
 伊藤さんとは伏見の大手筋にある伊藤火薬店の御主人ことだ。撮影で使うスモークの発煙筒なども扱っていたので、私も良く知っている。これまでも、京都映画で爆破シーンなどでお世話になっていた。それでも本物の銃を撃つのは聞いたことがなかった。製作部が連絡を取ると、快く引き受けてくれたそうだ。

さて、撮影当日。そのカットになった。早めに来て撮影を見ていた伊藤さんが、ライフルを取り出して支度を始めた。珠代を給水タンクの前に立たせた。それまで撮っていた設定よりも、少しタンクから距離を取った場所だ。キャメラは離れた位置から望遠で珠代を狙ったので、位置関係の「盗み」は分からない。サイズはウエスト(腰から上)ぐらいだったと思う。私は監督の指示で、タンクにチョークで薄く印を付けた。キャメラでは写らない程度の印だ。この印が射撃目標だ。キャメラから見ると、首筋のちょっと横という感じになる。
 伊藤さんはキャメラから少し離れた位置でライフルを構えた。私は不安を感じた。望遠で位置を誤魔化しているとはいえ、またキャメラとは少し射線をずらしているとはいえ、なにせ本物の銃で実弾だ。私は「大丈夫ですか?」と訊いた。だが伊藤さんは、「大丈夫です」とキッパリ言う。

 いよいよ本番。射撃のタイミングは工藤監督が合図を出し、中継した私が伊藤さんの体を叩くことになった。こんな時に限ってチーフもセカンドもいない。カチンコを叩いてから体勢を整えなければならない。強く叩いては射撃に影響が出て大変なことになる。緊張した。掌に汗がジンワリ湧いてきた。工藤監督が叫んだ。「ヨーイ、スタート!」。カチンコを打った。体勢を整え監督を見る。「軽く、軽く」と言い聞かせる。監督の左手がヒョイと動いた。伊藤さんの腰のあたりにタッチした。「ダーン」と大きな銃撃音。タンクを見た。印の真ん中に火花が散り、パコッと穴が空いた。珠代が悲鳴を上げて首をすくめる。ピュ―と水が吹き出した。「カット!OK!」と工藤監督の声が響いた。伊藤さんの顔を見た。飄々とライフルの手入れを始めていた。

 

神業特機

大映には特筆すべき素晴らしいスタッフが他にもいた。特機の西村伊三男さんだ。レール移動やクレーンのプロだ。実際にレールを敷く前に、またクレーンを現場に持ってくる前に、一度演技の段取りを見るだけで、レールの位置やクレーンの位置を寸分なく決める。テストをやってから修正することは殆どない。さらに、どれだけ長い移動撮影でも、大クレーンの複雑な操作でも、俳優の芝居に合わせてラストのポジションにピタリと合わせるのだ。

京都映画では、特機とセット付の大道具を一人でやっていたが、大映はそれぞれ別の専門スタッフが務めていた。ここにも大映系制作会社のこだわりを感じた。最近の撮影現場では、助監督にレール移動の台車を押させている例が多いようだが、西村伊三男さんのことを思い出すたびに、やはり撮影はどのポジションもプロフェッショナルがいて欲しいものだと思う。

テレビ局や制作会社は、視聴率に直結する俳優にはギャラを惜しまないが、クオリティを維持し高める部署の予算を削ってきた。その結果、特機などのプロフェッショナルは、どうしてもその腕が欲しい時だけ、そのつど発注するというシステムになってしまった。撮影現場にプロフェッショナルが少なくなるのは寂しい限りだし、モノ創りの危機でもある。

 

大ヒット                                                                                 

こういった素晴らしいスタッフが手掛けた「犬神家の一族(全5話)」の第1話は、1977年4月2日(土)夜10時から放映された。2日後の月曜日、大映京都撮影所は突如歓声に包まれた。視聴率が発表されたのだ。なんと、最高視聴率40.2%というもの凄い数字だった。

 

「本陣殺人事件」に就く

 「犬神家の一族」の後、引き続き横溝正史シリーズ第2弾「本陣殺人事件」に就くことになった。他の助監督は入れ替わったが、なぜかサードの私だけが残った。

「本陣殺人事件」はそれ迄にも2度映画化されていた。なんと私は、初めて映画化された作品を観ていた。1947年、横溝正史が「本陣殺人事件」を発表した翌年に、東横映画(東映の前身)で製作された「三本指の男」だ。私が観たのは たぶんテレビで放映されたものだったと思う。監督は松田定次、東映の全盛期にオールスター作品を多数手掛けた大監督だ。主役の金田一耕助に片岡千恵蔵。原作と違ってソフト帽にスーツをバリと着こなした紳士の扮装だった。どちらかと言えば明智小五郎のイメージだったということだ。

2度目の映画化は監督が高林陽一、金田一耕助を中尾彬が演じた、映像京都製作のATG作品だ。

 

配役とストーリ

「本陣殺人事件」は密室トリックを売り物にした話だ。簡単なストーリーを出演者の紹介を兼ねて書いてみる。

時は昭和23年、岡山県の山間の村で江戸時代から本陣を続けて来た、旧家一柳家で婚礼が行われた。金田一耕助(古谷一行)は花嫁・克子(真木洋子)の叔父久保銀蔵(内藤武敏)の招待で結婚式に参列した。花婿は一柳家の当主・賢蔵(佐藤慶)。一柳家は賢蔵の母親糸子(淡島千景)、次男の三郎(荻島真一)、娘の鈴子(西崎みどり)の4人家族だった。その夜、新郎・新婦は離れで初夜を迎えるが、翌朝になって布団の上で2人揃って斬殺死体で発見される。夜半からの降雪のため、離れを取り巻く庭には雪が積もっていた。凶器とみられる日本刀が庭の真ん中に突き刺さっていた。庭の雪に足跡はなく、雨戸も内側から閉まっていて、誰も離れに侵入した形跡がなかった。日和警部(長門勇)たちは金田一の協力を得て捜査を進める。その結果、結婚式の直前に訪ねてきた三本指の男が、花婿の賢蔵に「君のいわゆる生涯の仇敵」と書いた手拭いを託していたことが分かる。金田一耕助は、思いもよらぬ犯人が仕掛けた様々なトリックを解明していく。

 

蔵原惟繕監督のこと

監督は蔵原惟繕。日活で石原裕次郎・浅丘ルリ子コンビの作品を多数撮ってきた監督だ。浅丘ルリ子を演技派女優として育てた監督としても知られている。日活を離れてからは「栄光への5000キロ」などの話題作を手掛けていた。私は京都映画でも何本か助監督で就いていた。

 蔵原監督は私にとっては何と言っていいか、こういうタイプとハッキリ言えない監督だった。現場で颯爽と俳優に演技指導をするかと思えば、石原興キャメラマンに頼り切ってしまっていると思える時もあった。我々に見せる顔が、その場その場で随分変わってしまうのだ。演出面では、男と女の芝居に関しては、特に力を入れていたような気がする。1カット5分以上の長回しをすることもしばしばあった。

 私は多分可愛がられていたのだろう。セカンドで「必殺仕置屋稼業」に就いた時に、撮影後に飲みに連れて行ってもらった。普通は助監督3人に声を掛けるものだが、私だけだった。同行したのは、その時にゲスト出演していた日活ロマンポルノの女優Nだった。酒癖が悪い女優だった。演技論を蔵原監督の前で偉そうにまくしたてていた。私がたしなめるとこんどは私に食って掛かってきた。腹に据えかねて言った。「あんたのは演技ってレベルのもんじゃない」。いきなりグラスの酒を掛けてきた。私も負けずにやり返した。蔵原監督が「まあ、まあ」と仲裁に入った。私は立ち上がって言った。「監督、ご迷惑を掛けました。お先に帰ります。ご馳走さまでした」。N嬢はまだ怒っていたが、放っておいて帰った。翌朝、蔵原監督が私に言った。「皆元ちゃんは若いね。俺なんかとてもやり返せない」。

 

照明技師は大きなライトがお好き

 「本陣殺人事件」の技術スタッフは、「犬神家の一族」から総入れ替えとなった。キャメラマンは牧浦地志、録音技師は中沢光善、照明技師は中岡源権。中岡さんはやたらに大きなライトを使う技師として有名だった。セットでも10KWのライトをバンバン使う。10KWライトをドカンと当てて、その前にいろんなものを置いて、光に強弱をつけるようなライティングをした。最も大映らしいライトマンだったかもしれない。

15年後の映画「226」(私はメイキングを担当)では、湯河原・伊藤屋旅館襲撃シーンの夜間ロケで、10KWよりも遥に大きい22KWのライトを、ズラリと並べて使っていた。ライトの上に煙突が付いており、そこから火の粉が吹き出すというもの凄いライトだ。たしか「アークライト」と聞いた覚えがあるが、ネットで調べても見つからない。私が撮影所にいたころ、雷の稲光が光る場面では「アーク」を焚いていた。プラスとマイナスの電極にそれぞれ炭素棒を付けて接触させると、バリバリという音とともに、強い光を発するのだ。その眩い光が稲光のように見えるという技術だ。直にその光を見てしまうと目を傷めるので、担当する照明部は濃いサングラスか溶接用のマスクをかぶって操作をしていた。炭素棒は熱で真っ赤になった。「アークライト」は想像するに、その原理を使ったライトなのだろう。中岡さんは、そんなに強い光を発するライトを使っていたのだ。

 

「歪んだ光は使いたくない」

私は一度訊いたことがある。「中岡さんはどうして大きなライトを使うんですか?」。返事はこうだった。「ライトのレンズには周囲に行くほど歪みが出てくる。歪んだ光を使いたくないので、大きなライトを使ってできるだけ中心部の歪んでいない光を使うんだ」。中岡さんの代表作に、「利久」「陽炎」「豪姫」「226」「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」などがある。なんとも豪快なライトマンだった。

 

最大の山場で事件

「本陣殺人事件」の最大の見所は密室殺人だ。日本家屋では密室殺人は無理とされていたが、それに横溝正史が挑戦したのが「本陣殺人事件」だ。先ほど書いた状態で密室殺人が起こる。

犯人は一体誰なのか?どうやって離れに侵入したのか?犯人は新郎新婦を殺害した後、雪に足跡を付けずにどうやって逃走したのか?凶器の日本刀をどうやって庭に突き刺したのか?その舞台となる本陣の離れとそれを取り巻く庭のセットは、ドラマ的な位置関係そのままに、東洋一の大スタジオA2に組まれることになっていた。撮影の終盤になって、その謎解きのシーンの撮影の日を迎えた。そして事件は、起こった。ドラマの事件ではない。撮影現場で起こった事件だ。

 

「俺は回さない!」と監督

その日は、朝8時から亀岡にロケに出た。日一杯まで撮影し、撮影所に戻ったのは6時半頃だった。セカンドの豊島圭(圭ちゃん)と一緒にスタジオを覗いた。常夜灯の薄暗い灯りの中に、出来上がったばかりの離れと庭のセットが浮かんでいた。「ごっついセットやな」と圭ちゃん。「雪がまだやな」と私。「これから準備班がライトを準備してからやろう」。普通はセットを建てたら、照明部の準備班が照明技師のプランに従って、ライトを2重や足場に上げておいたりして、すぐに撮影できるように準備をしておくものだ。「準備班が動き回ったら、雪がグチャグチャになるからな」。納得して、私は夕食に向かった。

 撮影開始は8時頃になった。再びA2スタジオに入って溜息が出た。足場にライトが乗っていない。セットにライトの準備はできていないのだ。当選、雪の準備もできていなかった。「ワチャー、いまから照明の準備か。何時から撮影できるんやろ」と圭ちゃん。

照明部がライトの準備を始めた時に、蔵原監督がセットに入って来た。セットの状況を見て、それまでの温厚な顔付きが変わった。そして言った。「なんだ、これは!?なぜ準備ができていない!」。製作主任の徳田良雄さんが事情を説明した。前のセットをばらしてから離れのセットを組んだので、照明部が準備する時間がなかったと。「そんな時は、準備班にライトの準備をさせておくのが常識だろう」と監督。徳田さんが申し訳なさそうに言った。「予算の関係で、すいません」。それを聞いて蔵原監督がキッパリ言った。「俺は回さない!こんな状態では撮影できない!」。「回さない」とはキャメラを回さないという意味だ。

たしかにその数日の撮影は過酷だった。毎日、早朝から出発して昼間はロケ、帰ってからセット撮影だった。そもそも、前の「犬神家の一族」でスケージュールが伸びていた。さらに、難しい撮影を手を抜かずにやるものだから、スケジュールがどんどん遅れてくる。主役の古谷一行を東宝に渡す日が迫っていた。それでスケジュールを詰め込むことになる。スタッフは相当に疲れていたのは事実だ。

 

テレビは農耕民族?

プロデューサーの香取擁史さんが飛んできた。最初は監督を宥めようとしたが、蔵原監督は説得に応じない。そして結構激しい口調の口論になった。その口論を傍で聞いていて、思わず目が点になった。蔵原監督が口論しながら突飛もないことを言い出したのだ。

「俺は映画は遊牧民族で、テレビは農耕民族だと思っている」。何のことだ?いきなり!?香取Pも目を白黒させている。蔵原監督は続けた。「映画を撮っている時は生活のことなんか考えない。遊牧民族のように明日死んでも良いと思って撮っている。だが、テレビは違う。農耕民族のように、毎日毎日の生活を続けて行かなければならないんだ。だから、体を壊すようなスケジュールではテレビはダメなんだ」。

なるほど。要するに「テレビ番組の撮影は命を掛けてやる仕事ではないので、スケジュールが厳しいんだったら、多少は金が掛かっても準備班を入れて、現場の負担を軽くしなきゃだめだ」ということを言ってくれているのだ。こんな切羽詰まった時でも、ケンカしてる時でも、生々しい論理を駆使する蔵原監督は結構変わっていると思った。ボルネオ生まれで、海外に行くとアラブ人に間違えられると本人も言っていたが、やや日本人離れしているのかもしれない。

でも思った。蔵原監督は、日活で石原裕次郎の「風速40メートル」や「銀座の恋の物語」を撮っているときでも、死んでもいいと思って撮っていたんだろうか?蔵原監督と香取Pはその後セットから出て話し合った。セットに帰ってきた時はどう決着をつけたのか覚えていないが、撮影中止にはならなかった。その日は明け方近くまでの撮影となった。

 

          To Be Continued 

 

※次回は来週水曜日(10月9日)に投稿予定。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経