Episode18
  助監督になるその後

      ──京都映画での日々

  その1

 

昼帯ドラマ「みれん橋」に就く

 1977年初夏、小生29歳。助監督になってから丸4年を過ぎた。「横溝正史シリーズ~本陣殺人事件」の後は、京都映画に戻って、フジテレビ(CX)・歌舞伎座テレビ制作の昼帯ドラマ「みれん橋」に就いた。ドラマの内容はこんな風だったと思う。脚本は梅林喜久生。

主人公は京都の老舗呉服屋の女中(尾崎奈々)。若旦那(荒谷公之)と恋に落ちるが、それを知った若旦那の母親(高森和子)は、身分違いを理由に2人の仲を引き裂き、店から追い出す。主人公は身籠っていて、男児を出産する。それを知った母親はその男児を奪い取り、跡取りとして育てる。主人公は陰ながら息子の成長を見守り、息子や老舗呉服屋の危機を救っていく。

出演は他に大村崑、大木実、山本豊三など。尾崎奈々は必殺シリーズの石原興キャメラマンの奥さんだ。

監督は今井雄五郎と広瀬襄。キャメラマンは中村富哉(富さん)。それにこの作品からキャメラマンに昇格した藤井哲也(てっちゃん)だ。照明は染川広義、録音技師が広瀬浩一(ワカ)、助監督はチーフが家喜俊彦、セカンドが筆者、サードに木下芳幸、製作主任に黒田満重(黒ちゃん)。

 

佐々木Pとは?

プロデューサー(P)が佐々木康之。私が京都映画に入ってからは、歌舞伎座テレビの「宮本武蔵」や「お耳役秘帖」で応援プロデューサーとして就いていたが、正規のプロデューサーとして一緒に仕事するのは初めてだった。佐々木Pは当時40代後半、松竹に入社後プロデューサー畑を歩いてきたが、1965年に松竹が京都撮影所を閉鎖してからは、子会社の京都映画に移籍していた。鯖寿司の老舗・祇園「いずう」の次男坊ということもあり、結構裕福な方ではなかったろうか。私が入社したころは、三条木屋町という繁華街のど真ん中で、麻雀クラブも経営していた。

実は、キャメラマンのてっちゃんは佐々木Pの義理の弟になる。てっちゃんのお姉さんが佐々木Pの奥さんという関係だった。私とてっちゃんと都築一興(イッコウ)は仲が良かったので、よく佐々木Pの麻雀クラブで待ち合わせした。暇な時はそこで3人打ちの麻雀で遊んだりしていた。たまたま、佐々木Pの家族が来ていたりすると、私たちも近くのレストランで一緒にご馳走になったりした。

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「みれん橋」完成記念写真。前列左から3番目が染川広義、4番目が今井雄五郎監督、5番目が尾崎奈々、6番目が佐々木康之P7番目が黒田満重、8番目が今出川西紀。2列目左から2人目が中村富哉、3番目が広瀬浩一。後列左端が筆者、3番目が家喜俊彦、6番目が南所登、7番目が記録・杉山(現・都築)栄理子、右端が木下芳幸。

 

伏見でのロケ

「みれん橋」のメインのロケ場所は伏見だった。伏見には、幕末の寺田屋事件や坂本竜馬の定宿で有名な、寺田屋がある。その斜め向かいにある「蓬莱橋」をよく使った。「蓬莱橋」は石造りの橋で、主人公の奉公していた老舗呉服屋のすぐそばにある設定だった。

「蓬莱橋」の南には中書島の遊郭跡があり、その頃でもタイル張りの壁に色付きガラスの窓、そして粋な格子戸の遊郭の建物が残っていた。東には大蔵酒造の酒蔵も見えており、川沿いには柳と桜並木が植わっていて、雰囲気のあるロケ場所だった。現在は少し南西に行くと、江戸時代の伏見港が再現されてもいる。京都の中心部とはまた違った魅力のある街だ。興味のある方は行ってみるといい。ただ撮影では、京阪中書島の駅から大手筋商店街に抜ける道なので交通量が多く、我々助監督は人止めに往生した。

 

帯ドラは強行軍

「みれん橋」は月曜~金曜の30分番組だった。放送期間が3カ月という長期だったために、撮影期間は6~7カ月に及んだ。昼帯ドラマということで、予算が潤沢ではないために、スケジュールが厳しかった。朝早い時は8時出発のロケ。遅くても9時出発のロケか9時開始のセット。夜は10時までのロケかセット撮影。こういう日が、週一日の休みを挟んで半年以上も続くのだ。帯ドラマだからチャンバラも殺人事件などの刺激的なシーンもない。ひたすら芝居、芝居、芝居だった。それまでずっと時代劇をやってきた身には、欲求不満が溜まる撮影だった。

 

尾崎奈々のこと

 主役の尾崎奈々さんは上品なおっとりした女優さんで、スタッフに無理な要求は何ひとつしない。我々は現場で「奈々ちゃん」と呼んでいた。「奈々ちゃん」はご主人が京都映画のキャメラマンということもあって、むしろスタッフに気を遣うことの方が多かったと思う。帯ドラの主人公というのは、膨大なセリフを喋らなければならない。1週間の放送分が分厚い1冊の台本だ。放送時間2時間半分の台本ということになる。これを2週間で撮り終えなければならないので、1日の撮影分量も半端ではない。だが、「奈々ちゃん」は現場ではしっかりセリフが入っていた。小さいお子さんを抱えて大変だったろうと思う。

「みれん橋」現場スナップ

「みれん橋」セット撮影スナップ。一番手前が筆者、その奥が尾崎奈々。

後方、左が広瀬襄監督、右が藤井哲也。

 

必殺シリーズ陰の功労者・今出川西紀

さてここで少し脱線したい。最初に掲載した完成記念写真に「今出川西紀」という名前が出ていたのをご記憶だろうか。前列の右端から2番目の女優だ。「みれん橋」では最終週に少し出演しただけだが、ハッピーエンドを盛り上げる役だった気がする。たぶん右側の若い男性(主人公の息子)の恋人役ではなかったかと思われる。

だが、この女優・今出川西紀は、必殺フアンなら絶対に覚えているはずだ。私はレギュラー俳優以外では最も必殺シリーズに貢献した女優だと思っている。必殺シリーズでの彼女の役柄は大体こうだ。ワルに虐げられて虐げられて、虐げられ尽くした末に、命よりも大事なモノ(親・兄弟・恋人など)を奪われていまう。もう何も失うものはない。そこでわが身を遊郭に売って、その金を仕置人やら仕事人やらからくり人やらに差し出して、ワルを殺すように頼むのだ。あるいはなけなしの金を残してワルの命を狙い、返り討ちにあってしまう。残されたそのなけなしの金が「頼み料」になるのだ。

必殺シリーズは彼女のような役柄の描き方で、その話の出来の善し悪しが決まる。彼女たちが可哀そうであればあるほど、無残であればあるほど、視聴者はワルのあくどさに怒りを感じ、仕置人やら仕事人やらからくり人やらの「仕事」に快感を覚えるのだ。

 その虐げられた時の表情が、今出川西紀は抜群だった。もちろん冒頭部分では、ニコッと笑ったりする表情で視聴者は癒される。実際の今出川西紀も我々スタッフに挨拶したりするときは、その癒しの表情になるからスタッフの人気が高い。その癒しの表情が、ワルに虐げられるに従って、一転して耐える表情になる。耐えて耐えて耐えて、これでもかと耐え抜いたその先の表情!うつむき気味の角度から、口を引き結んでジッと前方を睨みつける目、その目が凄かった。良かった。ゾクゾクした。いわゆる三白眼だ。普通三白眼というのは、陰気な表情の代名詞だが、今出川西紀のは違った。慈しみ、悲しみ、怒り、絶望、すべてをひっくるめた究極の三白眼だ。そして、その三白眼の表情に平尾昌晃の切ない音楽が忍び込んでくる。そこから、一気に視聴者のボルテージが上がるのだ。その部分を描き切れなかった回は駄作になる。それほど今出川西紀の表情は必殺シリーズの決め手だったのだ。

 その証拠に、今出川西紀は必殺シリーズのほとんどの作品に登場している。初出は必殺シリーズ第2作「必殺仕置人」だ。しかも第1話。第3作「助け人走る」では第9話。第4作「暗闇仕留め人」ではまたも第1話。第6作「必殺仕置屋稼業」では第2話、第11作「新・必殺からくり人」では第4話等々、枚挙に暇がない。「必殺仕事人」「必殺仕事人Ⅲ」「必殺仕事人Ⅳ」では、それぞれ2回も出演している。キャスティングを担当するプロデューサーサイドも、いかに今出川西紀を頼りにしていたかが分かる。

 今出川西紀がゲストに来ると分かれば、現場のスタッフは「待ってました」という雰囲気になった。こと必殺シリーズに関していえば、それほどのインパクトを与えた女優だったのだ。

 

「台本を明日までに直してこい」

 さて、「みれん橋」に戻ろう。この頃から佐々木Pが私に台本を読ませるようになった。印刷に出す前の、書き上がったばかりの台本だ。撮影所でセット撮影をしていると、製作主任の黒田満重(クロちゃん)さんが「佐々木さんが呼んでるで」と呼びにくる。佐々木Pの部屋に行くと、分厚い原稿の束を「読め」と渡される。「ハイ」と持って帰ろうとすると、「ここでいま読むんや」という。私は言った。「撮影してるんですよ」「ヨウノスケをしばらく借りると、家喜ちゃんには言うてある。サッサと読め」。仕方がないので、急いで読んだ。当時のことだから、シナリオライターの名前が印刷してある200時詰めの原稿用紙だ。鉛筆書きだった。

「読みました」「どうや?」「おもろないです」「何処が?」。その理由を思いつくままに幾つか喋った。「どうしたらええ?」「うーん、例えば……」と、何とかひねり出した。佐々木Pが言った。「その方向で、明日までに直してこい」ゲッ!明日!?殺生な!今日も夜10時まで撮影なんやけど……。

 

親心だった?台本修行

家に帰って必死に直した。23時間ぐらいしか寝れなかった。翌日、出所して佐々木Pのデスクに、直した原稿を置いておいた。ちなみに、撮影所のPは撮影開始時間に出所することはない。出所は佐々木Pの場合いつも11時頃だし、現場にも来ない。

それ以来、毎回のように生原(生原稿の略、手書きの原稿のこと)が上がる度に、読まされ、意見を言わされて、直しを命じられた。私の直しは印刷された台本に反映されることもあったし、まったく別の直しに変わっていることもあった。

その頃の私は、佐々木Pがずぼらで邪魔くさがり屋だから、本来Pの仕事である「ホン直し」を私にやらせていると思っていた。だが後でよく考えてみると、それは私に台本を読み込む力を着けさせ、台本直しや台本作りを身に着けさせようと思っての、親心だったのではないかと思えてきた。もちろん部下に力を付けさせるという、上司としての目論見もあったのかもしれない。だが、後々の私への対処を考えれば、それだけではない気持ち、親心と言ってしまうのは適当かどうかわからないが、そういった思いがあったのかもしれない。

その2~3年後に、監督にしてくれたのも佐々木Pだし、その後も監督として使い続けてくれたのも佐々木Pだ。その間、一度も褒められた記憶がない。だが、台本直しの命じ方もそうだったが、そのようなブッキラボウなやり方が、佐々木Pの教育の仕方だったのだろう。

その時の台本直しの経験は、それからの私に確実に力を付けさせてくれた。そして、映画・ドラマの世界で生きて行かなければならない私にとって、最大の武器になっていったのだ。

 

          To Be Continued 

 

※次回は来週水曜日(10月16日)に投稿予定。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経