【Episode18】
助監督になるその後
──京都映画での日々
その13
「みれん橋」の後は?
「みれん橋」の後は、昼帯ドラマ「浪花おこし」が始まるまでに数カ月あった。たぶん、1~2カ月は、小島さんに世話してもらって東映太秦映像に行ったと思われる。「水戸黄門」や「大岡越前」のセカンドとして就いたのだろう。それから「新・必殺からくり人」にも、ちょっとだけ就いた記憶がある。1~2本の応援だったと思う。「新・必殺からくり人」は、私が好きだった「必殺からくり人」の続編だった。メインライターは早坂暁。「斬り抜ける」で一緒だった近藤正臣が主演を務め、「おしどり右京捕物車」のジュディオングもレギュラー。しかも緒形拳も出演するとあってやりたい作品だったが、ほんのちょっとしか参加できなかった。残念!
「浪花おこし」に就く
1978年、小生30歳。助監督になってから3月で5年目。春からはフジテレビ・京都映画制作「浪花おこし」の準備を始めた。「浪花おこし」は本当にいろいろあった作品だった。テレビドラマデータベースには私がチーフ助監督という記録になっている。だが、鹿児島ロケや完成記念の写真を見ると、家喜さんも写っている。たぶん、家喜さんは監督経験があるということで、監督補という表記だったのだろう。最初は家喜さんが実質的なチーフ助監督で、私はセカンドだったに違いない。完成記念の写真には他の監督は写っていないので、もしかしたら最終週は家喜さんが演出したのかもしれない。準備期間中、佐々木康之プロデューサー(P)は私にアシスタント・プロデューサー(AP)の仕事もやらせた。ちなみに、佐々木PにはAPは就いていなかった。
大阪の老舗粟おこし屋を舞台にした話だった。商品を提供してもらうために、私は大阪の粟おこし屋さんに出向いて協力をお願いした。店頭に並べる商品の提供もお願いするという厚かましい申し出を、社長さんは快くOKしてくれた。粟おこしの作り方や商売の様々なことを教えてもらい、ライターの梅林さんに伝えて台本に生かしてもらった。以後、粟おこしメーカーとの交渉は最後まで私が担当した。
「浪花おこし」とは?
脚本は梅林喜久生と鈴木生朗。あらましのストーリーはこうだった。大阪の老舗粟おこし屋「浪花屋」に、長男浩(長谷川明男)の嫁として南海子(望月真理子)が嫁いでくる。南海子は主人の浩之助(芦屋雁之助)が一目で惚れ込んだ、鹿児島の砂糖問屋「南洲屋」(桑山正一)の娘だが、柔道初段の薩摩おごじょだ。南海子は厳しい姑(高森和子)のいびりにも堪え、持ち前の明るさと頑張りで「浪花屋」を盛り立てていく。だが、とんでもないことが発覚する。夫の浩に隠し子がいたのだ。
「浪花おこし」完成記念写真。最前列左端が藤井哲也、3番目が佐藤とし子(記録)、4番目が筆者、5番目が木下芳幸、右端が玉井憲一(装飾)。2列目左端が時村昭(進行)、2番目が家喜俊彦監督、3番目が染川広義、5番目が望月真理子、7番目が広瀬浩一、8番目が南所登。3列目右から4番目が黒田満重(製作主任)。
「私の仕事ぶりを良く見ておくように」とB監督
監督はBさん、広瀬襄、長谷和夫。キャメラマンは藤原三郎、藤井哲也、照明が染川広義、録音に広瀬浩一、助監督はサードに小笠原佳文と途中から木下芳幸。第1週目の監督はBさんだった。B監督は松竹出身で当時50代半ば、喜劇から悲劇まで幅広く30本以上も映画を撮ってきたベテラン監督だった。
クランクインの前に、佐々木Pが私を呼んだ。「河原町の料理屋を予約しておいた。B監督と演出部とで飯を食ってこい」。B監督は、親会社松竹のそれなりの監督なので、気を使ったのかもしれない。佐々木Pは酒が全くダメだった。この後も私は、度々佐々木Pの代わりに局のプロデューサーや監督、作家、作曲家の接待を申し付けられることになる。
食事の席でB監督が言った。「せっかくこうして、君たちと一緒に仕事をする機会を得たのだから、私の仕事ぶりを良く見ておくといい。将来の参考になるはずだ」。まー助監督というのは、常にそういう心がけで監督に接しているものだ。それをまともに口に出して言われたのは初めてだ。よほど、自信があるに違いない。私は家喜さんと顔を見合わせた。いったいどういう演出を見せてくれるのだろう?
鹿児島ロケからクランク・イン
撮影は鹿児島ロケから始まった。南海子の登場シーンなど3日~4日ぐらいのロケだったと思う。城山のロケでは、撮影中にドーンと音がして桜島の方を見ると、桜島からモクモクと煙が上がっていた。さすが、鹿児島と感心したものだ。
B監督は「ヨーイ、スタート」の「スタート」代わりにホィッスルを吹いた。「ヨーイ、ヒュー」ということだ。「ヒュー」ではどうにも気合が入らなかった。おまけに前にも書いたが(【Episode15その2】)、「ヨーイ」を省略していきなり「ヒュー」の時もあるものだから、現場は混乱した。大船のスタッフはよく我慢していたと思う。
他の監督とは違うことをするのだから、演出振りも個性的なのかと思ったが、現場での演出はホィッスル以外に特に印象に残らなかった。淡々と撮影が進んで行ったという感じだった。
「浪花おこし」鹿児島ロケスナップ。城山から遠景に桜島。前列中央が筆者、左端が染川広義。その後ろが小笠原佳文。3列目右端が家喜俊彦、2番目が畑中(撮影助手)、左端が藤原三郎。最後尾が藤井哲也。
オールラッシュの結果は?
鹿児島から帰って、大阪・京都でのロケをこなし、撮影所でのセット撮影を終えて、いよいよ第一週目のオールラッシュとなった。オールラッシュというのは、音楽や効果音を入れる前の編集されたフイルムを観る行事だ。キッチリ放送する長さにして見せるのか、少し長めに繋いで見せるのかは、その作品で力を持っている人の考え方次第だ。「水戸黄門」なんかは、少々長くても撮ったフィルムは全部付けてオールラッシュを行っていた。そしてどこを切るかは、クライアントプロデューサーの逸見稔氏が判断した。「編集権はプロデューサーにある」ということだ。
さて、「浪花おこし」一週目のオールラッシュは、フジテレビの栗林克年Pと佐々木Pの立ち合いの元、京都映画の試写室で行われた。B監督以下、我々スタッフも一緒に観た。観終わって、どうもしっくりこなかった。面白くないのだ。台本通りに撮ってはいるのだが、なんか盛り上がりというか、グッと引き込むものがない。淡々とストーリーが展開していくという感じなのだ。栗林Pも佐々木Pも難しい顔をしている。我々に聞かせたくなかったのか、P2人とB監督そして編集の園井浩一さんが別室で話し合った。
鹿児島ロケ分が撮り直し!?
数時間後、佐々木Pが我々助監督3人と黒田製作主任(黒ちゃん)、それとメインスタッフを呼んだ。そして言った。「あのままでは放送でけへん。シーンを幾つか撮り直す。台本も少し書き直す。その分は家喜ちゃんに撮って貰う」えー!仰天の出来事だ。「どこを撮り直すんですか?」と黒ちゃん。佐々木Pは数シーンを挙げた。えー、それって鹿児島ロケのほとんどと違うの!?何しに鹿児島まで……。今までも、撮り直しや撮り足しは無くはなかった。だがそのほとんどは、写ってはマズイものが写っていたとか、分かり難いので寄りのカットを撮り足すとかが理由だった。面白くないという理由で、しかも数シーンというのは経験になかった。「あの……、監督は?」と、家喜さん。「帰った。みんなに合わせる顔がない言うてな」。「それはそうだろうな」と思った。でも、「ここで逃げたらあかんやろ」とも思った。イン前の「仕事ぶりを見ろ」と言ったのは何だったのか?
1週間ぐらい経って、家喜監督で撮り直しが行われた。鹿児島の海で南海子が泳ぐというシーンは、琵琶湖で撮った。5月なのに琵琶湖の水はとても冷たかった。比良山の雪解けの水が流れ込んでいたのだ。30分ほどで望月真理子の唇は紫色になった。それでも頑張った甲斐があって、無事2回目のオールラッシュはOKが出た。
ナレーターに、あの「日本のお母さん」
私の記憶では、最初の台本にはナレーションが付いていなかったような気がする。オールラッシュでの反省を踏まえ、ナレーションを付けることになった。1週目の直しの原稿には、「こんなナレーション」というメモのようなものが付けられ、編集でもナレーションベースのカットが付けられた。
佐々木Pはフジテレビに対する挽回策として、大物ナレーターを探した。そして決まった。大物過ぎる大物、「日本のお母さん」と呼ばれていた森光子だった。当時の森光子は司会者として(注1)、映画・テレビ女優として(注2)、また舞台女優として(注3)絶頂期にあった。私は佐々木Pに訊いた。「よく、あんな大物がOKしてくれましたね」。佐々木Pはニヤリとして言った。「奥の手を使うたんや」。奥の手とはなにか?
「浪花おこし」の音楽を担当していたのは渡辺岳夫だった。当時、映画・テレビドラマの売れっ子作曲家の1人だ。「浪花おこし」に限らず、佐々木Pの手掛けるドラマの音楽は全て渡辺岳夫だった。「浪花おこし」から2年後に、私が初監督することになる「赤い稲妻」の音楽も渡辺岳夫だった。そして芸能界では、渡辺岳夫についてある噂が密やかに囁かれていた。「森光子は渡辺岳夫と恋人関係にある」と。(注1:森光子の司会は「紅白歌合戦」「3時のあなた」など)(注2:「時間ですよ」など)(注3:「放浪記」など)
ナレーション原稿に挑戦
森光子のナレーションは3週分を纏めて録ることになっていた。3週目を撮っている最中に私は佐々木Pに呼ばれた。「ナレーションのことやけどな。梅林喜久生さんと鈴木生朗さんに、取り敢えず1週目のナレーション原稿を書いてもらうことにした。どっちかええ方を採用しようと思うてる。そこで、ええ機会やからお前もナレーション原稿書いて来い。明日までや」。えー!ナレーションを書かしてくれるのはありがたいけど、また明日かいな。
その夜、夜なべでナレーション原稿を書いた。最初は普通の文体で書いていたが、思い直した。「相手はプロのライターや。まともに書いたら勝負になるわけがない。負けてもともと、プロのライターが思い付かんようなナレーションを書いたろか」。
2日後、佐々木Pの部屋に呼ばれた。鈴木生朗さんが来ていた。佐々木さんの前には3本のナレーション原稿があった。「どのナレーションの感じがええと思う?」と佐々木Pが生朗さんに訊いた。「そら、皆元さんのがええんと違いますか。こういう発想の方が面白いと思いますわ」。こうしてすべてのナレーションを私が書くことになった。梅林さんも生朗さんも台本にナレーションは書くが、それを私が私の考えた文体で直すことになったのだ。私の考えたナレーション原稿はこういう感じだった。「〽海は広いな大き―な―、失礼しました。ナレーターの森光子です。主人公の南海子さんはどこに行っちゃったんでしょうね。あ、いましたいました、海の中です。 マー、いつ見てもキレイですねー」「南海子さん、いったいどうなっちゃうんでしょう?心配ですね」。今なら普通にある感じのナレーションだが、当時はこんな風にナレーター自身の感想などをストレートに出すナレーションは、ほとんど無かったと思う。
大女優に助監督が注文を付ける
それぞれ監督が違う3週分のナレーションを1日で録音するということで、私1人が東京に出向いて録ることになった。どこだったか忘れたが、東京の録音スタジオを借りて録音した。森光子さんがやってきた。当時58歳だったはずだが、物凄くキレイな女優さんだった。大スターなのに物腰も柔らかく、偉ぶったところがどこにも無かった。
怖い物知らずの私は、けっこう森光子さんに注文を付けた。監督でもない助監督の私がだ。ナレーションの間やトーンなど細かいことはおろか、「今のは森光子さんの声らしくなかったので、もう一度お願いします」という注文まで付けた。いま思えば冷や汗ものだ。
火野正平登場
「浪花おこし」の途中から、火野正平が出演した。「斬り抜ける」でも一緒だったので、気心の知れた俳優だった。ベテランスタッフは「正平」と呼び捨てにしたり、本名の「二瓶」と呼んでいたが、私たち助監督は「正平ちゃん」と呼んでいた。子役時代から京都映画で様々なドラマに出演しており、「浪花おこし」の前年には「新・必殺仕置人」のレギュラーとしても出演していたので、いわば身内のような俳優だった。だが「浪花おこし」では、彼の悪い病気?がでた。
望月真理子と正平
出演するようになってしばらくすると、撮影所内を主演の望月真理子を自転車の後ろに乗せて走る、火野正平の姿を見かけるようになった。メイク室や衣装部からセットが組まれている第4ステージまで距離があったので、親切心でやっているものと思っていた。望月真理子はやや硬い印象の女優だったが、正平に対しては若い女優らしい笑顔を見せているのが、印象的だった。次はロケの行き帰りに、自分の車に望月真理子を乗せるようになった。本当は俳優の安全を考えると、そういう行為は止めるべきなのだが、当時はそういうことはあまり煩く言わない風潮だった。そして、噂が流れた。「正平と望月真理子はデキテイル」と。
火野正平はそれまでにも何人もの女性タレントと浮名を流していた。マスコミでも頻りに取り上げられていた。「握手しただけで妊娠する」とまで言われていたが、だからと言って仕事を疎かにしたことはない。京都映画のスタッフたちから、それに共演者たちからも愛されていた。だから、その噂が出たことでも「またか、懲りんやっちゃな」という程度で、京都映画での扱いは変わることはなかった。「浪花おこし」の撮影・放送が終わった翌年、望月真理子は火野正平の子供を出産して話題になった。
火野正平とは数年後、私が監督になってからまた付き合いが始まる。そのことは、またその時に。
お知らせ1
ここでお知らせです。【Episode1】 で、私がこのブログを始めるようになった切っ掛けは、「必殺シリーズ秘史~50年目の告白録」(高鳥都著・立東舎刊)で受けたインタビューだと書きました。その続編、いや続・続・続編が今月10月18日に発売されます。タイトルは「必殺シリーズ談義~仕掛けて仕損じなし」。必殺シリーズに登場した俳優さんのインタビュ―が多数収録されています。私と、このブログにも度々登場するイッコウこと都築一興さん、てっちゃんこと藤井哲也さんとの座談会も収録されています。下はその表紙の写真です。
To Be Continued
※次回は来週水曜日(10月23日)に投稿予定。
お知らせ2
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経



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