Episode18
  助監督になるその後

     ──京都映画での日々

その1

 

前号からの続き

 197811月から年末に掛けてのことだ。当時私は31歳。助監督になってから5年目だった。私の記録を見ると、東映で「宇宙からのメッセージ・銀河大戦」に就いた後、京都映画での「朝ごはんぬき?」に就くまでに、すこし間が空いている。この時期、必殺シリーズは「必殺からくり人・富嶽百景殺し旅」や「翔べ!必殺うらごろし」を撮影していたが、これらの作品に就いた記憶がない。とすれば、多分アルバイトをしていたのだろう。

 

染物工場でアルバイト

 だとすれば、記憶にあるのは西京極あたりの染物工場だった。どうやってその仕事を探したのか、全然記憶にない。当時はアルバイト情報のような情報誌は無かった。照明の南所登あたりから「〇〇染工に求人広告のビラが出てたで」という話を聞いたような気がする。ともかく、私はその〇〇染工で働くことになった。私が回された職場は、染め上がった布の乾燥工程だった。熱せられた大きなドラムが幾つも連なっていて、その間に染め上がったばかりの布を通して乾燥させるのだ。染め上がった布は、トロッコに積まれて次々にやってくる。私の仕事はまず第一に、ドラムに吸い込まれていく布が、ねじれたり縒れたりしないように監視し、そういう事態になったら素早く手直しすることだ。第2に、トロッコに積まれた布が残り少なくなってきたら、その端と次のトロッコで運ばれてきた布の端を、ミシンで縫って繋げるというものだった。だがその第2の作業がナカナカ難しかった。

まず、ミシンなどそれまでに使ったことがない。その作業の責任者が教えてくれたが、そうそう手早くはいかない。それにドラムの回転を止めずに繋がなければならないので、時間が切迫していた。多分30秒以内に終えなければならない作業だった。時々間に合わずに、機械の停止ボタンを押す羽目になった。

また季節が冬だったので、濡れた布が非常に冷たかった。慣れた工員さんはゴム手袋をはめて作業していたが、私はゴム手袋を付けたままではミシンが使えない。泣く泣く素手で作業した。

 

先輩工員は阪神ファン

乾燥工程の工員さんは私より少し年上の面白い人だった。昼食の時や、休憩時間にはよく話をした。熱烈な阪神タイガースフアンで、その頃低迷していたタイガースに対して日々ぼやいていた。主には球団フロントや親会社阪神電鉄への不満だったと思う。「野球を知らん奴が、現場にあれこれ口出ししよる。タイガースの癌は阪神電鉄や」と。私が広島カープのフアンだとわかると、「古葉はエエ監督や」とか「△△は顔が悪いけどエエ選手やな」とか、しきりにカープを褒めるので、私はいい気分になったものだ。

 

「朝ごはんぬき?」に就く

 年が明けて1979年、フジテレビ・京都映画制作昼帯ドラマ「朝ごはんぬき?」の準備を始めた。原作は伊丹在住の女流人気作家田辺聖子の同名小説だ。脚本は神戸市東灘区御影に住む女性ライターだった。資料を調べたが名前が載っていない。私はイン前はAPの仕事をさせられていたので、原稿を受け取りにご自宅(マンション)まで行ったのだが、この作品以降は付き合いがなかったこともあって、どうしても名前を思いだせない。監督は大槻義一と磯見忠彦、それに後2人ぐらい担当したはずだが、これも資料に載っていないので不明だ。完成記念写真を見ると先輩の家喜俊彦さんが写っているので、家喜さんも撮ったのかもしれない。

「朝ごはんぬき?」完成記念
「朝ごはんぬき?」完成記念写真。前列右端が筆者(助監督チーフ)。2列目右端が諏訪圭一(ノボチャン)、2人目が大林直樹(マリ子の恋人)、3人目が園佳也子、4人目が井原千寿子。園佳也子の後が佐々木P、左隣りが広瀬浩一(録音技師)。後列左端が磯見忠彦監督、2人目が藤井哲也(キャメラマン)、3人目が南所登(照明技師)、5人目が家喜俊彦、その右後ろが助監督セカンドの木下芳幸、その右前が黒田満重(製作主任)。

 

「朝ごはんぬき?」とは

 ドラマは田辺聖子の原作とあって、軽妙洒脱な内容だった。主人公は人気小説家の秋本えりか(園佳也子)だが、ストーリーはお手伝い兼秘書兼飼い犬の散歩係の明田マリ子(井原千寿子)のナレーションで進行した。いかにも原作者自信を彷彿とさせる作家が主人公で、カモカのおっちゃんと言われていたご主人をモデルにした夫・土井氏(喜味こいし)も登場するというドラマだった。

内容はこうだ。年下の男にふられて会社を辞めたハイミス(31歳でこう呼ばれるとは時代を感じる。実は井原千寿子はこの時まだ27歳だった)明田マリ子は、人気小説家秋本えりかの家に住み込みのお手伝いとしてやってくる。だが、えりか先生は想像した怜悧な才媛タイプとは真反対。ずんぐり小太りでオカッパ頭を振り乱しているガサツなオバハンだった。しかも奇矯な性格で、特に小説が書けない時は猛烈にイライラして周囲に当たりまくる。ひたすら「神さん、神さん」と「小説の神様」の降臨を待つばかりだった。また、えりか先生が「ノボチャン」と呼ぶ若手イケメンの編集者が来るときは、そわそわして少女のような恥じらいをみせるのだ。マリ子の仕事はお手伝いだけではなかった。締め切り近くなると、編集者からバンバン電話が掛かってくる。その応対もマリ子の仕事だった。「これじゃ、まるで秘書じゃない」とぼやくマリ子。だが、編集者は秋本家にも押し掛けてくる。そんな厚かましい編集者への対応にマリ子はてんてこ舞いする。おまけに飼い犬の散歩までマリ子の仕事だった。秋本家には飼い犬以外にも、えりか先生が「おっさん」と呼ぶ男性が同居している。土井氏(喜味こいし)だ。土井氏はれっきとしたえりか先生の夫だが、籍は同じではないらしい。事実婚ということだ(これも田辺聖子自身の家庭とそっくりだ)。土井氏は飄々とした人で、趣味の世界に没頭して、えりか先生には一切干渉しない。2人には同居している中学生の娘までいた。この娘もえりか先生とも土井氏ともほとんど無関係に生きている。そんな奇妙な秋本家を舞台のドラマだったが、タイトルの「朝ごはんぬき?」とは一体何だったのか、全然思い出せない。

 

昼帯ドラマの主役は過酷

 主演の園佳也子は大変だったと思う。前にも書いたが30分の帯ドラマというのは、CMを除くと正味124分ぐらいの内容だ。それが月~金曜の週5日分で120分。これを大体2週間で撮影する。この内6~7割ぐらいに園佳也子は出演している。また作品の性格上と園佳也子という俳優のキャラクターを生かすために、セリフの分量が普通の主人公よりも多い。その膨大なセリフを、えりか先生は速射砲のように喋りまくらなければならない。さらにそれが13週も続く。だから、セリフを覚えるのが大変のようだった。そうとうナーバスになっていたように思う。

 

喜味こいしさんのこと

 喜味こいしさんは穏やかな紳士だった。「夢路いとし・喜味こいし」といえば漫才界の第一人者で、上岡竜太郎、明石屋さんま、島田紳助など関西の超一流芸人だけでなく、関東のビートたけしや志村けんといった超有名芸人たちからも尊敬を集めている重鎮だった。私は松竹芸能にいたので、撮影所のスタッフたちよりも、その凄さは分かっており、かなり身構えて臨んだ。だが喜味こいしさんは、撮影現場では少しも偉ぶることがなかった。いつも穏やかな笑みを浮かべていて、全くの自然体で臨んでいた。そして、そのユーモラスで飄々とした演技は、園佳也子のどちらかと言えば「暑苦しい」芝居のよい中和剤になっていたと思う。

また、たいへんスタッフに気を遣う方で、神戸のご自宅近くでロケした時には、近所の有名な寿司屋のイナリ寿司を大量に差し入れてもらった。それだけではなく、セット撮影の時にもイナリ寿司の差し入れがあったと記憶している。

 

書斎のセットに苦労 

撮影は他の昼帯作品よりも、セット撮影が多かったように思う。とくにえりか先生の書斎のシーンが多かった。主人公が小説家で準主役が秘書なのだから、どうしてもそうなる。書斎は広い和室なのだが、設定上えりか先生は大きな座卓に向かって、座って執筆するわけだ(田辺聖子さんの仕事ぶりがそうなのだろう)。ここに問題があった。マリ子が来ても編集者が来ても、どうしても座り芝居が多くなるのだ。どちらか一方が立つと、引き画とアップ以外は画のバランスが悪くなるので、すぐに座り芝居に戻る。従って時代劇のように動きの少ない撮り方になってしまうのだ。

それでも、監督やキャメラマンはできるだけ動きのある画を撮ろうと苦労する。レールにキャメラを載せる移動撮影や、小型のお座敷クレーンを使っての撮影で画に変化を付けた。えりか先生の背後にある巨大な書棚の背後の壁に穴を空けて撮ったりもした。
 この作品から南所登(南ちゃん)が照明技師に昇格した。テキパキと現場を指揮して、新人とは思えないような技師ぶりだったと思う。その南ちゃんが一度だけぼやいた。「園さんと井原千寿子が一緒に写ると、どうしても若いから井原千寿子の方がキレイに写ってしまう。主役やから園さんをキレイに見せたいんやけど、若い方はほっといてもキレイに写ってしまうんや。残された手は……」。……は皆さんの想像にお任せするが、照明部には照明部の悩みがあるもんだと思った。

 

大槻監督は木下学校の優等生

大槻義一監督は松竹大船撮影所出身で、巨匠木下恵介監督の門下生ということだった。デビュー作「流し雛」の脚本は木下恵介が執筆したというのだから、生粋の木下学校の優等生だったのだろう。撮影の合間に私たちに木下組のことを話してくれた。

曰く「木下組では助監督は背広にネクタイだった」。詳しいことは忘れたが、撮影現場で助監督がスーツ姿だったということだろう。Wikipediaでは脚本家の白坂依志夫が回顧禄の中で「木下組の助監督は、そろって美青年で、そろいのスーツにそろいのネクタイ、華やかな現場だった」と書いていると紹介している。だとすると、木下組の助監督は京都映画の助監督と全然違っていたことになる。

我々京都映画の助監督は、監督やキャメラマンが「移動!」と言えば、率先して重いレールや台車を運び、「俯瞰」と言えば鉄パイプ製の俯瞰台を取りに走った。雨降らしではびしょ濡れになりながらホースを握り、大扇風機を使う時は効果を出すためのホコリにまみれた。また水辺の撮影では、何時水の中に入ってもいいように、常に着替えを用意いていたし、船を使う時にはペンギンと呼ばれる胸まであるゴム長を履いて作業したものだ。いわば、常に泥だらけホコリだらけで仕事をしていたわけで、現場で着ているのはジャンパーなどの作業用の服だった。木下組の助監督たちはスーツを着て何の仕事をしていたのだろう。スーツ・ネクタイ姿でカチンコを打っていたのだろうか。

さらに大槻監督曰く「木下組は、助監督はデートと言えば休んでもよかった」。これも京都映画とは雲泥の差だった。京都映画では現場は定休日が無かった。従ってスタッフは、何時休みになるか分からず家族と遊びに行く約束もできない有様だった。しかし、何のために「デートなら休んでOK」なのか?しかも助監督だけ。このエピソードは木下組の自由さやロマンティシズムを重視する考え方の象徴として語られていた。だが皮肉な見方をすれば、「助監督の1人や2人現場にいなくても撮影は進む」ということではないか。スーツを着て現場に出ることを合わせて考えれば、こちらの方が的を得ているような気がする。だって、撮影部や照明部・録音部が助手であっても「デートです」と休んだら、たちまち現場に支障が出るのだから。

 

「朝ごはん抜き?」ロケスナップ1
「朝ごはんぬき?」ロケスナップ。右端が筆者、右から2人目が磯見監督、
その後ろが藤井哲也キャメラマン、その左が渡辺(撮影部セカンド)。
左から2人目が園佳也子。

 

前のめりだった磯見監督

磯見忠彦監督は日活出身だった。磯見監督も巨匠・今村昌平監督の門下生だ。磯見監督が撮った映画の資料には次のように記してある。「経営学入門 ネオン太平記」~今村昌平が愛弟子・磯見忠彦のために脚本を執筆~。「東シナ海」~今村昌平の原作を、彼自身と磯見忠彦が共同で脚色、磯見忠彦が監督したアクションもの~。これを読むとあの今村昌平がよほど期待した弟子ということだ。

 磯見監督は私から見ると、かなり前のめりな印象だった。現場で積極的に前へ前へと出るタイプだった。ロケのスナップにもその雰囲気がよく表れていると思う。積極的過ぎて、「カット」を掛ける前に立ち上がってしまうほどだ。立ち上がってから「カット」と叫ぶ。本番中に「ここまで」と思ったら、すぐに立ち上がる癖があるらしい。普通、監督は「ここまで」と思っても、そこから一呼吸置いて「カット」を掛けるものだ。日活は経営難を噂されていたので、よほどフィフム管理がうるさかったのかもしれない。

 

フィルムを使い過ぎると始末書

 ちなみに、どこの撮影所でもフィルム使用限度が決まっている。フィルムをたくさん使うと、生フィルム代も現像費も嵩んでくるし、撮影時間も伸びるからだ。東映はテレビドラマの場合、仕上げ尺数の3倍。京都映画は3.5倍だった。1時間番組の仕上げ尺数が1,548フィート(43分)だとすると、東映では4,644フィート(129分)、京都映画では5,418フィート(151分)が使用限度というわけだ。東映では限度を超えて使用すると、監督とキャメラマンは始末書を書かされたという。

従って東映のテレビ映画の現場では、フィルムを節約して使った。監督の「よーい、スタート」の後、録音部のブザーが鳴ってから撮影助手がカメラのスィッチを入れていた。京都映画では、監督の「よーい」と同時にフィルムを回すのが普通だった。私が東映に応援に行った時は、撮影助手に「カチンコを打つのが早い!」と怒られた。「キャメラのスイッチを入れる音を聞いてからカチンコを叩け!」というのだ。

 京都映画では製作部がフィルムの使用限度をうるさく言わなかった。「必殺シリーズ」などで、もしフィルム使用をうるさく言っていたら、工藤栄一監督などは1作でクビになっていたに違いない。撮り終わったら30分オーバーということもザラだったのだから。だが、工藤監督は必殺シリーズのトップ監督として長く君臨し続けた。京都映画は良い意味でも悪い意味でも現場に対する管理は緩かった。それが、「必殺」という大ヒット作品を生む原因のひとつだったのかもしれない。

 

「カット!」の前に頭がニュッ!

 さて磯見監督だが、「カット」を掛ける前にニュッと頭がフレームインするのは編集部からもクレームが来た。「もう少し、カット尻を伸ばしてくれ」と。だが、なかなかその磯見監督の癖は治らなかった。もともと、芝居にのめり込んでしまう監督だ。本番前に注意しても、本番で俳優の演技に夢中になると、「カット」の声の前に禿げ頭(磯見監督の頭はかなり髪の毛が乏しかった)がヌッと出てくる。

ある時のセット撮影だった。磯見監督はキャメラのレンズ左横に陣取っていた。かなり危ない場所だ。私は藤井哲也キャメラマン(てっちゃん)の後ろから見ていた。本番。私は言った。「監督、カット尻を少し長くお願いします」「分かった」と監督。だが反射的な返事で、すでに気持ちは本番に飛んでいる感じだった。「よーい、スタート」と監督。被写体は園佳也子と井原千寿子。園佳也子の熱演。磯見監督が入れ込むパターンだ。「ああ、このカットも禿げ頭、ニュッか」そう私は諦めた。芝居が終わった。だが、普通なら「カーッ」と勢いよく発せられる監督の声が、くぐもって聞こえた。禿げ頭も出てこない。見ると、藤井キャメラマンの万力のような大きな手が、ガッシリと磯見監督の肩を抑え込んでいた。てっちゃんが振り向いて、私にニヤリと笑った。

 

          To Be Continued 

 

※次回は来週水曜日(116日)に投稿予定。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経