Episode18
  助監督になるその後

     ──京都映画での日々

その1

 

「牡丹灯篭」に就く

東京12チャンネル(後のテレビ東京)・歌舞伎座テレビ制作「日本名作怪談劇場(以下『怪談劇場』)~怪談 玉菊灯篭」の後は、「同・怪談 牡丹灯篭」に就いた。原作は三遊亭円朝というから落語の怪談噺だ。Wikipediaによると元々は中国・明の怪奇小説で、若い女の幽霊が男と逢瀬を重ねたものの、幽霊であることがばれ、幽霊封じをした男を恨んで殺すという話だったという。それを、江戸時代に浅井了意という人が翻訳し、さらに明治時代になって、円朝がこの幽霊話に仇討や殺人、母子再会など、多くの事件と登場人物を加え、それらが複雑に絡み合う一大ドラマに仕立て上げたらしい。われわれの「怪談 牡丹灯篭」はその一部を脚色したものということになる。ストーリーと配役は以下の通りだ。

 

「牡丹灯篭」のストーリーと配役

旗本の娘・露(佳奈晃子)は、恋人の新三郎(佐藤仁哉)が浪人であることから、父親・飯島平左衛門(溝田繁)に仲を認めてもらえず、辛い日々を過ごしていた。そんな娘を早く嫁に行かせようと、平左衛門は勝手に婚礼の相手を決めて婚礼の日も決めてしまう。露は前途を儚んで自害。その後を追って女中のお米(白石奈緒美)も自害する。亡霊となった露はお米の掲げる牡丹灯篭に導かれ、新三郎の長屋を訪れる。露が死んだとは知らない新三郎は、屋敷を出てきたという露の言葉を信じ、契りを結ぶ。露とお米は夜な夜な新三郎のもとに通って来た。異常なまでに痩せ細っていく新三郎を見兼ねた隣人(小島三児)が医者(牧冬吉)に新三郎を診せる。新三郎は、幽霊に取り憑かれたことで死期が迫っていると知るのだった。新三郎は幽霊封じの御札を家に貼り巡らす。それを見た露とお米は……

 

怪談撮影は大変

監督は原田雄一、キャメラマンは藤原三郎、照明技師は釜田幸一だった。どういう撮影だったかあまり記憶にない。一つだけ、たぶんラストのイメージカットだと思うが、牡丹の絵を描いた灯篭をステージ一杯に吊り下げて撮影した覚えがある。

原田雄一監督は、指示がはっきりしていてとても手際のいい監督だった。それでも怪談物の撮影は時間が掛かった。幽霊が登場する場面は雰囲気作りが大切だ。特に照明が決め手となるので、どうしてもライティングに時間が掛かった。

怪談物の一番の見せ処は幽霊が出てくるところだ。姿が見えないところからボーッと幽霊が出てくる仕掛けは、現像処理ではなくポリチパールという技法を使ったことは【Episode15】で書いた。詳しいことは【Episode15】を参照して欲しい。ポリチパールを使う場合、鏡で映した映像を使うので、左右が反対になる。従って撮影する幽霊は、衣装もカツラもホクロも左右反対にしなければならない。幽霊を鏡を使わずに実写で撮る場合は、また左右を元に戻さなければならない。

普通に見えていた人物が、振り向くといきなりお化けの顔になっているという設定もある。その場合は1シーンの中で、カツラやメイクをすっくり変えなければならない。そんなこんなで、どんどん時間が掛かり、時には徹夜撮影になることもあった。「四ツ谷怪談」は特に時間が掛かったので、スタッフは自虐的な意味合いで「テツヤ怪談」と言っていた。

 

怪談番組には欠かせないお祓い

 「怪談劇場」の京都映画サイドのプロデューサー(P)は佐々木康之さんだった。佐々木Pは「朝ごはんぬき?」のPを務めながら、次の「怪談劇場」の準備と現場の仕事を、同時に進めていたのだ。この後も、京都映画は立て続けに佐々木さんのプロデュース作品が入ることになる。

 後で聞いた話だが、佐々木Pは「怪談劇場」の出演者を京都二軒茶屋の拝み屋・皆本幹雄氏のもとへ連れていっていたようだ。皆本幹雄氏については【Episode1】でも登場したので参照して頂きたい。

もちろん番組としては、インする前に車折神社から神官を呼んで、お祓いをしてもらっていた。普通は第1作目の初日に行うだけだが、今回は作品が怪談ということで、それぞれの話がインする度にお祓いを欠かさなかった。

 

「そこに霊が!」

それでも心配な俳優さんを、佐々木Pは皆本幹雄氏に除霊してもらっていたらしい。ある女優は皆本氏に「背中に霊が憑いている」と言われ、「背中が重い。重い―!」と、前のめりになって口走ったそうだ。

1年後、私が佐々木Pに連れられて皆本氏に逢った時にも、同じようなことを言われた。いきなり皆本氏が私を指差す。「あなたの、そこ」。驚いて右肩を見た。「肩に女の生首が憑いています」。誰もいない。「ど、どんな生首ですか?」。さすがに気味悪くなって訊いた。ジッと見つめる皆本氏。そして、口がブツブツ呟く。皆本氏によれば、神さんが皆本氏の口を借りて喋っているらしい。「神さんはこう仰っています。悪い霊ではないと」。ひとまず安心した。が、もう一つ訊いた。「なんで、私に生首が憑いているんですか?私が昔騙した女とか?」「騙した女がいるんか?」と、佐々木P。「いませんよ、そんな女」と私。本当に本当だ。「そういう場合もあるし、他の人に憑いていた霊が、すれ違いざまにヒョイと憑く場合もありますね」。厄介な霊だ。

 

霊的に頼りない私

ちなみに、十数年後。「素敵にドキュメント」という番組を演出したことがある。硬軟問わずに数多くのテーマを取り上げるドキュメンタリー番組だったが、その時は夏場ということもあり、全国の怪奇現象や幽霊話などを取材するという企画だった。その番組に、霊視能を持つとされる若い女性に出演してもらった。彼女は霊を見ることができるということで、各地の幽霊が出ると噂のある場所を巡って、霊視してもらった。

彼女が「あそこに霊がいます」と指さすと、テレビカメラがそこを写すというわけだ。残念ながら一度も霊らしきものは写らなかったが、その取材の途中で私は彼女に訊いた。「私に霊は憑いているの?」。彼女はジッと私を見て言った。「いえ、憑いていません。あなたは霊的に頼りないので」。「頼りない」といわれて、ちょっとムッとした。さらに訊いた。「霊的に頼りないって、どういうこと?」「霊が取り憑いても、救いにならないということです」。じゃー、皆本氏が言った「女の生首が憑いている」って、どういうことだったのか?あの時は見も知らぬ女の霊が、私の肩で一休みしていたということなのか?

 

「私に術を掛けて」

 別の番組で、ハンドパワーで人の病気を治せるという術師を取材したこともある。ハンドパワーを証明するために、彼は離れたとこから人を動かして見せると言う。実際にやってみせた。

私と一緒に行ったカメラクルーのアシスタントを立たせ、後ろから手でパワーを送った。しばらくすると、その手の動きに合わせてアシスタントが前後に揺れ始めた。アシスタントは後ろ向きなので、彼の手の動きを見てはいない。だが、不思議なことに、術師の手の動きに合わせて体が揺れるのだ。見た所、どこにも仕掛けはなかった。

 私は言った。「次は私にやってみて下さい」。術師はジッと私の顔を見た。そして言った。「あなたは、ダメですね」。「どうしてダメなんですか?」。しつこく訊いた。だが、術師は笑って答えなかった。霊的に頼りないのか?でも、ハンドパワーに霊が関わっているとは思えないが……。

 

APにならないか?

脱線した。実は「怪談劇場」やっていた頃、私は佐々木Pから「アシスタントプロデューサー(AP)にならないか」と誘われていた。必殺シリーズの松竹・桜井Pには松竹テレビ室のAPが付いていたが、京都映画の佐々木PにはずっとAPがいなかった。私に台本の直しを命じたり、帯ドラの準備に私を使ったりと、APの必要性は私も感じていた。実際にその頃の私は、APも兼ねていたと言ってもいいような仕事内容だった。そして佐々木Pは言った。「APになるなら京都映画の社員にする」。多分、佐々木Pにとってはトドメの言葉のつもりだったのだろう。どうする?どうする?どうする?私は言った。「急な話なので、少し考えさせてください」。

「社員にしてやる」というのは、正直魅力的な条件だった。社員になれば作品が途切れても、これまでのようにアルバイトをせずに済む。京都映画のAPの仕事は企画・営業・製作全般に亘ってのPの補助業務だ。現在の東京のテレビドラマ制作会社は、APと言えばキャスティングと俳優の面倒をみることに業務が限定されているようだ。当時はその業務は、演技事務や製作主任が務めていた。APの仕事は企画、キャスティング、台本作り、監督・スタッフとの意思疎通、撮影現場の管理、仕上げスケジュールの管理など多岐に亘った。

APになって何年かたってPになるというのは、どういう仕事内容になるかも考えてみた。その時の佐々木Pのように、「朝ごはん抜き」が軌道に乗ったら、すぐに次の「怪談劇場」の準備に掛からなければならない。さらにプロデューサーにとって最重要の役目は、仕事を作るということだ。京都映画制作の番組を受注するためには、常に企画を作ったり探したりして、企画をテレビ局に提案し続けなければならない。番組の下請け受注するためにも、親会社の松竹だけではなく、様々な制作会社と良好な関係を保って、アンテナを張り巡らせ続けていなければならない。それだけではない。受注の武器となるのは優秀なスタッフだ。スタッフの力量を見極めて、頃を見計らって技師に引き上げて、力を付けさせなければならない。腕の良い監督や脚本家とも、良い関係を保っておかなければならない。いつも先を見越して様々な手を打っておかなければならないのだ。

その当時の現場のスタッフや監督のように、口を空けて餌が飛び込むのを待っているわけにはいかない仕事だ。後でフリーの監督になったり、東通企画の契約になった時、監督という仕事もそうは気楽ではないと分かるのだが、経験の少なかったその時はそう思えたのだ。

それどころかその時の私は、まだ自分が監督になった時のことは、ほとんど考えていなかった。松竹や歌舞伎座の下請けの仕事が多い京都映画には、基本的に自前の監督は必要なかった。助監督さえいれば作品の下請け受注に困らなかったのだ。従って、先輩・家喜俊彦さんが「斬り抜ける」で監督をするまで、永らく京都映画出身の監督が出ていなかった。その家喜さんですら、その時点では助監督と監督の中間的な存在だったのだ。必殺シリーズの高坂光幸さんも、本数的にはかなりの数を監督していたが、身分的にはまだ助監督として扱われていた。家喜さん高坂さんと私の間には、都築一興もいた。わたしにお鉢が廻ってくるのはまだまだ先のことと思っていたのだ。

振り返って助監督という仕事はどうか?基本的に目の前の仕事に集中していればいい。就いた作品が完成すれば、打ち上げでサッパリと区切りが付き、後は白紙で次の仕事に臨めばいいのだ。私は考えた末に、PAPのようにエンドレスの仕事はしんどいし、自分に向いていないと思った。

1週間後、私は正直に自分の気持ちを佐々木Pに告げた。「そうか」そう一言いって、佐々木Pはそれ以上、何も言わなかった。

 

「怪談 鰍沢」に就く

「怪談 牡丹灯篭」の後は、「怪談 鰍沢」に就いた。この作品も三遊亭円朝の原作落語だが、脚本をなんとあの笠原和夫が書いている。笠原和夫は三島由紀夫に絶賛された任侠映画の傑作「総長賭博」、深作欣二監督の大ヒット作「仁義なき戦い」シリーズなどを手掛けた、日本を代表する脚本家だ。だが、正直この台本を読んだ時は、それほど素晴らしい脚本とは思わなかった。ストーリーはやや複雑だ。例によって大まかなストーリーと配役だ。

舞台は甲州街道の鰍沢。ある日のこと、元花魁のお熊(赤座美代子)とその情夫・伝三郎(井上博一)に罠を仕掛けられた商人・宗次郎(ピーター)は、毒を盛られ有り金全部を奪われ、断崖から富士川急流へと突き落とされてしまう。そして一年後、女房を殺し役人に追われている若い旅人・新助(清水章吾)が甲州街道を急いでいた。新助は薄気味悪い厚化粧の男と出くわす。実はその男は殺された宗次郎の生霊だった。新助の前に死んだはずの女房・お花(早瀬久美子)が現れる。実は新助が出奔したあと息を吹き返し、新助の後を追ってきたのだ。宗次郎の生霊は2人を利用して、お熊・伝三郎への復讐を企む。

 

のめり下駄の山崎監督

監督は山崎大助。東映出身で時代劇育ちだ。打ち合わせの席上で小道具に言った。「のめりの下駄はあるか?」。後で調べたら、のめり下駄とは前の歯が斜めに切ってある下駄だった。千両下駄ともいう。履きこなせれば粋と言われていたそうだ。「ありますが、誰に履かせるんですか?」と、小道具係。「オレが履くんだ。頼んでいいかな?」。まあ、こういうわがままは監督の特権だ。

山崎監督は現場で、そののめりの下駄を履いて撮影した。のめり下駄の履きっぷりもさることながら、気っぷの良い監督だった。あらゆる指示は明瞭で、淀みが無かった。演技指導も自分で動きや仕草をやってみせた。その動きは歯切れがよく、様になっていた。

指示した生霊役ピーターの扮装も半端ではなかった。美貌が売り物のピーターが、ざんばら髪に血だらけの顔、さらに額に鉈がぶっ刺さったままで迫ってくるのだ。そして、右半分に傷を負った顔で妖艶な流し目を送り、ニタ~ッと笑うのだ。それをピーターに面白がってやらせる演出力には、圧倒された。

 

娘はあの山崎千里

山崎監督がある時私にポツリと言った。「娘が役者になったんだ」「へ―、凄いじゃないですか。芸名は何ていうんですか?」「山崎千里(後に山咲千里)」「え!?それって,次のNHK朝ドラのヒロインじゃないですか」「そうなんだ、まいったな」。そう言いながら、嬉しそうだった。

 

「〇〇組の盃を貰え」

山崎監督から聞いた話で、もう一つ凄いことがあった。山崎監督は東映の劇場映画も10本以上撮っていた。そのなかで美空ひばり主演の作品もあった。しかし山崎監督は、美空ひばりとうまくいかなかったそうだ。現場でしょっちゅう言い合いのケンカになったらしい。1961年といえば美空ひばりの絶頂期で、東映では年間12本の映画の主演をしていた。相当天狗になっていてもおかしくはない。一方、山崎監督も若手監督として売り出し中だった。1961年だけで6本の映画を撮っている売れっ子だ。どちらかが折れなければ衝突ということになる。2人はついに折れ合うことがなかったようだ。しばらくして、山崎監督は東映の大プロデューサーO氏に呼ばれた。そこでO大プロデューサーが言った。「〇〇組の盃を貰え」。山崎監督は耳を疑った。〇〇組と言えば神戸に本拠を置く、日本有数の任侠団体だ。「お前がお嬢と仲良うなるためには、〇〇組から杯を貰うのが一番じゃ」。お嬢=美空ひばりの後ろ盾は、〇〇組の組長だった。要するに〇〇組の身内になれば、組長の大切にしている美空ひばりも、大切にせざるをえないだろうということだった。山崎監督はO大プロデューサーの提案を蹴ったそうだ。それ以来東映の映画を撮る機会はなくなった。東映は有能な監督を失ったことになる。東映ヤクザ映画が全盛期を迎える前夜のことだった。

 

          To Be Continued 

 

※次回は来週水曜日(11月20日)に投稿予定。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経