Episode18
  助監督になるその後

     ──京都映画での日々

その1

 

読者の質問

 読者から次のような質問がありました。「『現場で閃く』ようなことは無いのか?」。あります。「閃く」ことで変わる、撮り方(コンテ)の作品への影響度の大小にもよりますが、小さな「閃き」は、しょっちゅうと言って良いくらいあります。

 例えばその日の天候によって、当初考えていたコンテを変えることはよくあります。予想していない霧が出てきた場合、「あ、この霧を生かしたら、謎の人物の登場をもっとドラマチックにできるやん」みたいに「閃く」ことがあります。スタッフや俳優の何気ないひと言や、フトした思い付きが切っ掛けで、内心「もう一つやな」と思っていたコンテが、一気に解決することも何度もありました。

 

いきなりの積雪!どうする!?

2017年2月に監督した、BSテレ東・ドラマデザイン社制作「山本周五郎~武士の魂~大将首」の時のことです。朝起きてみると日光江戸村のオープンセット(OS)が一面の銀世界でした。前夜に降った雪が10センチぐらい積もっていたのです。雪はまだ小降りですが降り続いています。その日は朝から一日中OSの撮影予定でした。製作部は「午前中はセットに入って、午後雪が消えたらOSに出るというスケジュールに変更します」と、私に言って来ました。妥当な判断です。当り前ですが、台本は雪が降ることを想定していません。脈絡もなくいきなり雪が積もっている場面が出てきたら、視聴者は混乱します。いわゆる「繋がらない」という事態になるので、制作部の判断は止むを得ないものでした。しかし、私は製作部の判断を聞きながら、OSに積もった雪を見ていて、突然「閃き」ました。「この雪を生かそう!」。

予定されていたOSのシーンは、主人公(石黒賢)が前夜悩み抜いて下した苦汁の決断を(決断の内容は明らかではない)、組頭に伝えに行くシーンです。俳優の表情と組頭の屋敷に向かうカットの積み重ねで、主人公の決断の苦しさと潔さを表現しようと思っていました。しかし、雪という天与の好条件を生かすことで、そのシーンの劇的効果が高まるのではないかと考えたのです。

 

偶然を生かす!

私はスタッフを集めて言いました。「撮影は予定通りOSからやろう」「えー、雪はどうするんですか?」と助監督。「この雪を生かす。従ってコンテも変える。こうするんだ」。そう言ってスタッフに変更する撮り方の説明をしました。心配していたスタッフの表情も、生き生きしてきました。

新しいコンテは、最初は積もった雪は見えないようにしました。掘割の水面に小雪が降り注ぎます。まず、視聴者に「あ、雪が降ってきたんだな」と、分からせるのです。その水面に傘を差した主人公石黒賢がフレームインして来ます。次のカットは居酒屋の中から、格子窓越しに移動撮影で石黒賢をフォローします。「あ、この雪の中、厳しい顔をしてどこに行くのかな?」と視聴者。格子窓越しなので、積もった地面の雪や屋根の雪は写りません。次のカットは、黙然と歩を進める石黒賢のアップショットです。「何かを苦しんで決心した顔だな。ひょっとしたら……」。と、感じる視聴者。このカットも積もった雪を写さないようなアングルで撮ります。そして、組頭の屋敷前です。ここで、初めてド―ンと俯瞰目に引きます。画面いっぱいに降り積もった雪を見せました。「(視聴者)わ、こんなに積もっていたのか!どこだここ?組頭の屋敷か」。誰の足跡も付いていない雪の積もった道を、石黒賢が一歩一歩組頭の屋敷に近づいていくのです。「(視)なんだか、赤穂浪士の討ち入りみたいだな」。門前に立つ主人公の、決意の表情。「主人公は、相当な決心を組頭に告げにきたんだな」と視聴者。

雪は映像世界では決死の行動を象徴します。「忠臣蔵の吉良邸討ち入り」しかり、「桜田門外の変」しかり、「2.26事件」しかりです。偶然の積雪は、狙って撮ったかのような効果を上げました。そのお陰か、「大将首」は民間放送連盟賞のドラマ部門優秀賞を取ることができました。

 

閃きはチャンス

 このようにテレビドラマの現場では、「閃き」は思わぬ効果を上げることがあります。限られた予算や時間での撮影です。偶然とはいえ天与のプレゼントを逃がす手はありません。私はそういった「閃き」を生み出す事象・出来事・言葉を逃さないように、常にアンテナを張り巡らせていたつもりです。

 

「怪談 高野聖」に就く

 ここからいつもの文体に戻る。「日本名作怪談劇場」の続きだ。1979年夏。小生32歳。助監督になって7年目。「怪談 鰍沢」の後は「高野聖」に就いた。「高野聖」の原作は泉鏡花だ。例によってストーリーと配役を紹介する。

 飛弾越えに挑む若き修行僧・宗朝(市川左団次)は、とある村に差し掛かる。そこで、雷鳴と共に滝の水が真っ赤に染まるのを目撃する。村人たちは、それが13年前に若者達に手込めにされ、身投げした女の怨みだと恐れおののき、山に入ろうとする宗朝を止める。しかし宋朝は、途中出会った薬売り(山本一郎)が既に山に入っていたことを知ると、魔物が住むという天生峠へと足を踏み入れる。山中の一軒家に辿り着いた宗朝は、息をのむような美しい女(田中真理)と出会う。実はその女に触れると、皆動物に変身してしまうのだ。身投げした女が男たちへの復讐心を燃やす恐怖の怪談物語だ。

 実は私は小学4年生の頃、日活で映画化された同じ原作の作品を見ていた。タイトルは「白夜の妖女」。主役の女に月丘夢路、宋朝役は葉山良治だった。タイトルからも分かるように、結構色っぽい映画だったが、そんな映画を小学生の私が見たのには、少し事情があった。

 

瀬戸内「ニューシネマパラダイス」

私は広島県の瀬戸内海に浮かぶ大崎上島で生まれた。幼少期はその島で暮らしたが、私が5歳の時に父の仕事の都合で広島市内に転居した。大崎上島には伯父夫婦が住んでいて、夏休みになると私は広島市内の我が家から遊びに行っていた。大崎上島は戦前は造船業や海運業で栄えた島だが、当時は映画館はその島にある2つの町と1つの村にそれぞれ1館づつしかなかった。伯父夫婦のいた東野村の映画館は東洋座だった。東洋座はドサ廻り芝居も時々演じられるという映画館で、花道や桟敷席もあるレトロな映画館だった。当時日本の映画会社は6社。従って、東洋座は毎日映画会社ごとに番組が替わった。月曜は東映、火曜は大映、水曜は東宝、木曜は松竹、金曜は日活、土曜は新東宝、そして日曜はなんと洋画という豪華さだ。12本立ての昼夜2回興行。

私は近所に遊び相手が少なくなっていたので、毎日のようにその東洋座に通った。その東洋座の映写技師がなんと、伯父夫婦と親しい岡本写真館のおっちゃんで、私には毎日10円で映画を見せてくれた。だから、内容に関係なく私は毎日10円玉を握って映画に通っていた。「白夜の妖女」もそういった経緯で鑑賞したというわけだ。

伯父は毎日のように映画を見ることを許してくれたが、帰ったら「どこが良かったか、悪かったか」と報告させられた。映画の作品的な善し悪しではない。例えば「親に嘘を吐くことは良くないと思った」とか、「苦しくても我慢して努力すれば、人が認めてくれると思った」などの道徳的な感想だ。色っぽい「白夜の妖女」を観て、私は何と伯父に感想を話したのか?……記憶にございません。

脱線ついでに、東洋座でのエピソードも書いておこう。私は岡本のおっちゃんに映写室にも入れてもらった。まるで「ニューシネマパラダイス」の少年トトのような経験をしていたのだ。昭和30年前後のことなので、よくフィルムが切れたり燃えたりした。燃える時は本当にスクリーンにボワッと炎が写るのだ。当時の映画フィルムはセルロイドで、熱に弱く燃えやすかったのだ。その度に3分~分間映写が中断する。昼間のことなので観客は少なかった。その間にタバコを吸ったり、桟敷席でごろ寝したりして時間を潰していた。ちなみに、当時の映画館は禁煙ではなかった。映写中に映写室からスクリーンに向けて放たれる映像の光線には、幾筋ものタバコの煙が照らし出されていたものだ。私などはかなりの受動喫煙をしていたことになる。

映写室で岡本のおっちゃんがフィルム切れの修理するのを見たことがあった。しごく無造作な作業だった。何が写っているかを確認することもなかった。シュシュとフィルムを手繰ってカットし、前後をピッピッと繋いでいた。焦げたり裂けたりして使えない部分は無造作に床に捨てるのだ。。映画を見ていてパンと場面やアクションが飛ぶことがあったが、それはこのフィルム修理が原因だったのだ。「ニューシネマパラダイス」では、神父の指示でキスシーンがカットされていたが、そうでなくてもこの時代はフィルム切れのせいで、よく場面が飛んでいたのだ。

 

フィルム待ちで休憩!?

ある日、フィルム切れでも燃えたのでもないのに、突然映写が止まった。ちょうど映画の半分くらいだ。場内が明るくなる。岡本のおっちゃんが、映写室の窓から叫んだ。「すいませーん、この後のフィルムが届いていないので、しばらくお待ちくださーい」。フィルムが届かない?どういうこと?いままで上映してたじゃない!?

後で分かったのだが、こういうことだ。まずは、映画のフィルムについての予備知識から。その頃の映画の長さは大体1時間半ぐらいだった。しかし、1本のフィルムで1時間半の作品を上映できるわけではない。劇場映画は35mmフイルムだ。長さでいうと1分間に90フィートということになる。1時間半だと8,100フィートの長さになる。約2,430mだ。そんな長さのフィルムをひと巻にすると、とてつもない大きさになる。フィルムは滑りやすく、大きな巻にするとすぐに抜け落ちたりして収集がつかなくなる。第一そんなに大きなフィルム巻を掛けられる映写機がない。したがって、1時間半作品のフィルムは、1巻約10分づつで8巻から9巻にに分けられることになる。当時の映画館では、それを2台の映写機に掛けて、交互に切り替えながら上映していたわけだ。

ここからが、東洋座でフィルムが遅れて上映がストップした事情だ。大崎上島には映画館が3館あった。その内の2館で同じ番組を組んで、フィルムを掛け持ちさせて上映していたらしい。作品Aと作品Bの組み合わせの番組としよう。木ノ江町の昭栄館で午後1時から作品Aの上映を始める。同じく東野村の東洋座でも1時から作品Bの上映を開始する。予告編もあるが、この際ややこしいので無視する。昭栄館は作品Aの4巻まで上映した時点で、1~4巻のフィルムをバイクで東洋座に送る。それが東洋座に着くのは2時20分頃だ。バイクは作品Bの1~4巻を積んで昭栄館に戻る。昭栄館に着くのは2時45分頃。すでに作品Bが始まっているが、3時時30分頃から始まる作品Bの後半には間に合う。バイクは作品Aの5~8巻を積んで東洋座に向かい、3時15分ごろには到着。従って、3時30分頃から始まる作品Aの後半には間に合うという計算だ。映画フィルムの使用料金は相当高額だった。だから、2本立ての2本で2館の上映を賄うというのは、経営効率という観点ではなかなかの名案だったといえる。

だがその日は、何かの都合でそのフィルムのやり繰りに─その名案に─支障が出たらしい。だから、2本目の後半にフィルムが間に合わなかったのだ。まー、客も顔見知りの暇人ばかりだったみたいで、だれもクレームを付けなかった。15分ぐらい待ってバイクが到着。「お待たせしました―。それでは作品Aの後半を上映しまーす」という、岡本のおっちゃんのノンビリした声で、何事もなく再開されたのである。 

 

「見たなー!」

大崎上島の木ノ江町には祖母が住んでいたので、もっと小さい頃に母や姉と共に何度か昭栄館にも行った。なぜか祖母は5階建ての家に住んでいた。造船業が盛んだった大正時代に、造船会社が接待のために建てたという珍しい木造5階建ての建物だ。今もしっかり建っている。助産婦をしていた祖母が、造船会社の経営者から借りていたらしい。当時大崎上島では、赤ちゃんはほとんど助産婦が取り上げていた。私もその5階建ての家で、助産婦さんに取り上げてもらった。

そのころの娯楽と言えば映画が一番だった。昭栄館は毎晩ほぼ満席だった。母と祖母が毎日「今日は高峰秀子が出る」「明日は『鞍馬天狗』で美空ひばりが出る」などと話していた。私は昭栄館でタイトルは覚えていないが、「化け猫」映画を見た記憶がある。行燈の油を舐めていた化け猫が、ギッと振り向いた。そして耳まで裂けた口が言った。「見たなー!」。思わず私は母の膝にしがみついた。そして顔を伏せたまま「終わった?もう終わった?」と母に訊いていた。気が付くと映画から帰る途中の母の背中だった。

 

小道具係が蛇を……!

さて、脱線していたが、「化け猫」映画で思い出した。「怪談 高野聖」だ。テレビドラマデータベースを見ると、チーフ助監督の名は木下芳幸になっている。私の記憶を辿ってみると、滝壺のロケハンと女の住処の一軒家のセット準備しか記憶にない。滝壺は「水を赤く染めるのをどうしたものか?」と考えた記憶があった。セット準備では小道具係が集めた動物を見た。その小道具係は、たしか1年前に東映での「宇宙からのメッセージ・銀河大戦」でも一緒に仕事したM君だった。

そこで面白いことが起きた。彼は台本通りに、ウサギや小鳥、カエルや蛇などを用意してくれていた。身投げした女の化身が男たちに呪いを掛けて、変身させたという設定の動物たちだ。たまたま女性のスタッフがセットに入って来て、蛇を見て怖がった。M君は言った「こんなん、怖いことあるかいな」と、蛇を手掴みにした。よけいに怖がる女性スタッフ。さらに彼は言った。「可愛いもんやないか。ホレ」。いきなり蛇の頭を自分の口の中に入れた。びっくりした。手で掴むくらいはあるだろうが、蛇の頭を口にいれるとは!まるでインドの蛇使いだ。彼はさらに調子にのって、蛇を口から出し入れし始めた。気味悪がった女性スタッフはセットから逃げ出した。突然、「ウッ」と声がした。振り向くとM君が右手に蛇を持ったまま、左手を唇に当てている。その手に血が付いていた。「か、咬まれた」とM君。怖がった蛇が牙を剥いて、それが唇に当たったらしい。毒蛇ではないので大事には至らなかった。M君には気の毒だったが、この顛末には笑ってしまった。M君はその後、東京に行ったという噂を聞いた。だが、二十数年後に思わぬ再会をすることになる。そのことは、またその時に。

 

          To Be Continued 

 

※次回は来週水曜日(11月27日)に投稿予定。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶


般若心経