【Episode18】
助監督になるその後
──京都映画での日々
その19
前号からの続き
前号で書いたように、私には「日本名作怪談劇場~怪談 高野聖」については準備の記憶しかない。クレジットに載っていないことも併せて考えると、「怪談 高野聖」の撮影現場には就かないで、次の仕事の準備をしてたらしい。私が32歳、助監督になってから7年目の夏だった。
ビデオ作品が入る!?
次の仕事は1979年末からクランク・インする、毎日放送・京都映画制作の昼帯ドラマ「花かぶら」だった。「怪談 高野聖」の撮影は8月中だったはずだから、「花かぶら」がインする12月まで3カ月もある。なぜこんなにも長い準備期間が必要だったのか?
実は「花かぶら」はビデオ収録の作品だった。MBSは年間4シリーズの昼帯ドラマを制作していた。だが様々な制約で、年3シリーズしか局内制作ができない事情があった。それで、年1シリーズは外注ということになるのだが、その年は京都映画に制作依頼が来たということらしい。
受注には条件があった。フィルム撮影ではなくビデオ収録でということだ。どうも当時のテレビ局には、「フィルム作品は画質がクリアではない」という不満があったらしい。実はこれにはこういう事情があった。フィルム作品は、そのまま映写機に掛けて劇場や試写室で写せば、映像はクリアだしビデオ映像よりも遥かに深みのある画質なのだ。フィルムの方がビデオよりも表現能力が優れているというのは、業界の常識だった。ところが、フィルム作品をテレビ局のテレシネ(フィルム映像をテレビジョン映像信号に変換する装置)に掛けて放送すると、当時の技術ではやや不鮮明になったしまうというわけだ。
テレビ局にとっては、時代劇やアクション作品はフィルムキャメラの機動力が有利だったし、撮影所の製作力やノウハウの方が優れていたので、画質を我慢してフィルム作品も放送していたというのが実情だったのだろう。だが、「花かぶら」は時代劇でもアクション作品でもない。お芝居が主体の作品だった。そして、MBSとしても昼帯ドラマの枠を、年間1本だけフィルム作品にするわけにはいかない。そんな事情だったのだろう。
ビデオスタッフとの共作
もう一つ条件があった。「MBSのスタジオに入っている大阪東通のスタッフを使う」という条件だ。大阪東通は在阪民放4社が共同出資して作られた、テレビ技術制作会社だった。ビデオ撮影・照明機材とそれを扱うクルー、それにアシスタントディレクター(AD)も抱えていた。MBSとしては関連会社である大阪東通を、この期間遊ばせたくはないと考えるのは当然のことだ。第一、京都映画にはビデオ撮影の技術も機材もなかった。これはビデオ収録を前提とすれば、京都映画としても渡りに船の条件だ。だが、問題は技術・機材だけではない。土のステージでの撮影方法と収録システムだ。
ビデオ収録は問題山積み
それまでMBSは自社のスタジオで、マルチ(複数のカメラを使って、それを切り替えながら録画して、ドラマの1シーンを一気に撮る撮影方法)でドラマを撮っていた。そもそも京都映画は、それまでにビデオ収録の作品は製作したことがない(スタジオを貸したことはあった)。しかも京都映画のステージは、全て下が土だ。テレビ局のスタジオはデコボコが無い滑らかな床なので、カメラを4台も5台も静かに移動させて、カメラを切り替えながら1シーンを1テイクで収録することが可能だ。
京都映画の土のステージではそれができない。だからと言って、カメラ1台での撮影は、3倍ぐらい時間が掛かってしまう。また編集も、当時は仮編集という作業がまだ確立していなかったので、本編集に長時間掛かってしまう。編集スタジオの使用料は高価でしかも時間制だ。莫大な費用となるのは目に見えている。京都映画の土のステージで、どうやって複数のカメラを使って撮影するのか?大きな課題だった。
それから収録システムだ。スタジオドラマは効率よく収録するために、「本読み」やセットもカメラも使わない「立ち稽古」を行う。それらをやることで、俳優の芝居や動きをある程度固めてしまい、カメラクルーも撮る画の感触を掴んでカメラ割りをすることができる。京都映画では今までやったことのない「本読み」と「立ち稽古」をどうするのか?
スタジオに入ってからは、何度かリハーサルを行って本番となる。1シーンに掛ける時間はどれくらいなのか?1シーンを一気に撮るためには、時間の掛かる照明の準備はどうするのか?また、インすれば私が務めることになるADいうポジションは、どういう役割を果たし、どう動くのか?まったく分からなことだらけだった。
そこらあたりのスタジオドラマの事情を勉強させるために、佐々木Pは研修と称して、私をMBSのドラマ現場に送り込むことにした。撮影所とは全然システムの違うスタジオドラマだ。少々の見学で何ほどのことが学べるのか?不安一杯の研修だった。
いざ、研修現場へ!そこへ、頼もしい味方が……
その頃のMBSのドラマの部長は青木民男氏だった。私は知らなかったが、佐々木Pとは親交があったらしい。私は横溝正史シリーズで挨拶をした程度しか面識がなかった。
だが、MBSには伊東雄三がいた。彼とは大学時代にクラスもゼミも4年間一緒だった。私の最も親しい友人と言える。伊東雄三はMBSへは報道希望で入ったのだが、最初は放送部という放送素材を管理する部署に配属された。その後映画部を経て制作局に移動し、私が研修でMBSに行くことになった時には、なんとドラマ部でディレクター(D)になっていた。何という幸運か!正しく「花かぶら」発注の本家本元ではないか!
不思議なことに彼と私とは、ほぼ同じ時期に同じ進路を進んでいた。実は2人ともジャーナリスト志望だった。彼は望み通りにMBSに入社したが、希望の報道部には配属されなかった。私は他に行くところがなく、松竹芸能に入社した。私が制作現場の面白さに目覚めて、松竹芸能を退社して撮影所助監督になった年に、伊東雄三も放送部を脱出して映画部に移動していた。映画部というのは、時代劇や刑事ドラマのような作品を、撮影所などに外部発注するプロデュース部門だった。彼はすぐに、MBS・映像京都制作の「狼無頼控」のアシスタントプロデューサー(AP)に就いたのだ。ちょうどそのころ彼の結婚式があった。私も出席したのだが、披露宴では「狼無頼控」のテーマ曲がバンバン流れて、さながら「狼無頼控」結婚式のようだった。
また、「花かぶら」制作の年(1979年)の前半に、彼は「花街の母」という作品でDに昇格したのだが、今度は私が次の年に初監督を務めることになった。このように、進む方向と時期がほぼ一致するという偶然が続いた。彼とは卒業してからも、頻繁に連絡を取り合ったり、逢って食事したりしていた仲だった。
私は孫悟空
こんな偶然もあるのかと思っていたが、どうも後で伊東雄三に聞くと、私が京都映画の佐々木Pの部下であることを知って、青木部長と伊東雄三そして佐々木Pとが、私をMBSに研修のため派遣しようということになったらしい。まんまと私は、その目論見に乗って研修のためにMBSに赴いた。そしてまた、研修する収録番組は、当然というか当たり前のようにというか、伊東雄三がDを務める「遅咲きの梅」だった。
だが彼のお陰で、MBSのスタッフは私を暖かく迎えてくれた。私がスタジオや副調整室(サブ)でウロウロしても煩がることなく、私の質問にも丁寧に応えてくれた。まるで私は、お釈迦さんの掌の上で飛び回る孫悟空のようなものだった。
伊東DからまずAD陣を紹介された。MBSの新人社員の寺田君(オイチ)と大阪東通の上川栄(上川ちゃん)だ。上川ちゃんは私より2歳年下だったが、ドラマのAD歴は結構永くベテランと言ってもよい感じだった。声も大きく、スタッフへの指示伝達の仕方もきびきびしていた。まず、研修目的のひとつであるADの動きは、上川ちゃんをターゲットにすることにした。ちなみに上川ちゃんは、後で私が東通企画に入った時には、ドラマ制作の盟友とも言える存在になるのだが、その話はまたその時に……。
スタジオドラマは11時から
収録初日、MBSに行ってまず驚いたのは、撮影開始が午前10時20分と遅いことだ。撮影所ではセット撮影は9時からが常識だ。そもそも勤務時間が撮影所は9時からで、テレビ局は10時からという違いがあった。10時から準備を始めるので、収録作業は10時20分からということなのかもしれない。組合が強い放送局ならではの解釈なのだろう。もっとも、美術・装飾・メイク・衣装や技術部の準備・調整班は早朝から仕事をしている。
10時少し前から、千里放送センターの喫茶コーナーにスタッフが集まり始める。まずはコーヒーを飲んでから仕事というのは、撮影所と一緒だ。10時20分、スタジオへゾロゾロと入って行く。スタジオにはいっぱいにセットが建っていた。「遅咲きの梅」は90%以上がスタジオ撮影だった。越前石田縞にまつわる話なので、舞台は福井県だ。すでに現地ロケは終わっていた。出演は紀比呂子、勝呂誉、清川虹子などだった。
MBSドラマ収録現場とは?
MBSの昼帯ドラマは週5日放送の15分番組だった。放送期間は3カ月。収録体制は週4日撮りだ。1時間ドラマの場合、1日目は「本読み」と「立ち稽古」、2日目と3日目が収録というスケジュールが普通だ。だがMBSの帯ドラマの場合は、「本読み」「立ち稽古」はなく、1日目から収録をするスケジュールだった。まずはセットを使っての、「ブロックドライリハーサル(ブロックドライ)」から始まった。
「これは京都映画でも利用できるかも」と思った。そもそも「本読み」や「立ち稽古」は、テレビ局のスタジオ事情からきている。テレビ局のスタジオ数には当然限りがある。それに対して、収録したり生放送したりしなければいけない番組は多い。ドラマと言えども、セットを建てっぱなしにしておいくわけにはいかないのだ。ドラマのセットを2日間撮影したら、直ぐにバラして別の番組のセットを建ててて収録する。これを繰り返して、1週間に2~3番組のセットでスタジオを回転させるわけだ。
従って、セットが使えない1日目に「本読み」「立ち稽古」をやるというのは、1時間ドラマを2日間で撮り切るという宿命を背負った、収録時間を短縮するための苦肉の策なのだ。だが、MBSや京都映画はスタジオやステージにセットを建てっぱなしにできる余裕があった。「本読み」や「立ち稽古」をしなくても、セットでリハーサルから始めることができるわけだ。
さて、ブロックドライを説明する。まずドライリハーサル(ドライ)というのは、カメラに写さずにやるリハーサルのことだ。セットを使って「立ち稽古」をすると思えばいい。次にブロックというのは、一気に撮れるシークエンスを数シークエンスまとめて、リハーサルするということだ。例えば居間と廊下と玄関が一続きで建てられているセットの場合、シーン(S)3が居間でのAB2人のおしゃべりの芝居で、S4がその芝居続きで居間外の廊下だとすると、一連で撮った方が効率的だ。従ってドライも一気にやってしまう。また、同じ昼間のシーンで衣装やメイクが変わらなければ、S6のAとCの内緒話シーンや、S9のBとCの口喧嘩シーンも、一気にドライをやってしまうのだ。ドライの後は1シークエンスづつカメラリハーサル(カメリハ)、ランスルー、本番となる。
目立った美術進行
10時20分になると、俳優さんたちがセットに入って来てブロックドライが始まった。ちょっと驚いたのは、芝居で使う小道具や装飾品が全て揃っていて、しかも所定の位置にちゃんと配置されていたことだ。当り前と思うかもしれないが、京都映画ではここまで装飾・小道具が最初から演技ができるように揃っていることはほとんどない。
これは撮影所の、特に京都映画の特徴なのだが、現場に来るまでは監督がどう俳優を動かすのか分からないことが多いからだ。監督がコンテを前もってスタッフに見せていても、キャメラマンの意見でガラッと撮り方が変わる場合も少なくない。工藤栄一監督の場合などは、座敷のセットを見て「おもろないな。板敷きに変えよか」と言うこともあった。そこからスタッフ全員で板敷きのセットに作り変える始末だ。こういうことがあるので、京都映画の場合は現場には持ってきているものの、しっかりと配置しておくことは少なかった。
MBSのドライは違った。Dの指示で俳優が動くと、その動いた場所に演技で使う小道具がちゃんと置かれていたり、スッと絶妙なタイミングで差し出されていた。そのお陰で、まことにスムーズにドライが進行していたのだ。
そういう装飾係や小道具係への指揮・段取りは、美術進行と呼ばれる撮影所にはないパートが務めていた。美術進行は装飾や持ち道具だけではなく、セット転換や見切れ隠し、衣装替えやメイク替えの段取りなど、美術全般を幅広く管理・指揮・調整する部署だった。台本には美術進行として高津商会・平岡久明(平岡ちゃん)とあった。彼はほぼ私と同年代の男性だった。平岡ちゃんはカメラマンやADにも厳しかった。彼らが画作りのために、家具や生け花などの装飾品を動かそうとすると、すかさず叫んだ。「勝手に触らんといて!動かすときには俺らに言うてくれ。俺らが動かすから」。彼の言い分はこうだ。「素人が動かしたら、汚れたり崩れたりする微妙なモノもある。それにお前らが動かしたら、撮影後に元に戻さんことが多いやろ。そやから動かす時は俺らに任せろと言うてるんや」。もっともです。でも、それができるだけの美術スタッフの人数もいた。当時撮影所は、経費削減のために現場のスタッフの数をギリギリまで削減していた。放送局はまだ余裕があったということだろう。「スタジオドラマのキーマンは『美術進行』」。そうノートに記した。私のスタジオドラマ研修は始まったばかりだ。
To Be Continued
※次回は来週水曜日(12月4日)に投稿予定。
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
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