Episode18
 助監督になるその後

    ──京都映画での日々

その2

 

 「火野正平追悼文」「番外編その1~3」と「Episode18」の流れから外れた回が続いたが、今回から元の流れに戻ろうと思う。12月4日投稿の「【Episode18】京都映画での日々~その20」では、京都映画の次回作「花かぶら」がビデオ収録のために、私は毎日放送(MBS)に研修に行ったことまで書いた。

 

研修報告

197910月、小生32歳。助監督になってから7年目、チーフになってから2年目ぐらいだった。1ヵ月のMBSでの研修を終え、て私は京都映画に戻った。さっそく佐々木康之プロデューサー(以下P)に研修結果を報告した。

報告内容は研修途中で報告した分を含めて、大きなところは以下の内容だった。まず、マルチ方式(複数のカメラを使ってスィッチングしながら収録する方法)で撮影するなら、京都映画の現状のステージでは難しいこと。当時、京都映画の5つステージは、全て下が土だった。テレビ局のステージのようにツルツルの滑らかな床ではない。テレビ局のステージでは、例えば4台のカメラでマルチの収録の場合こうなる。2カメ(被写体に向かって右から2番目のカメラ)が2ショットを撮っている間に、他の1カメ、3カメ、4カメはそれぞれ次のカットの為にカメラを移動させてスタンバイするのだ。スタジオで使うデカカメ(大きいのでそう呼ばれた)は、高さも変えられるし動かしても音がしない。撮影所の土の床では、収録の途中で写していないカメラを、次のカットのために自由にかつ静かに移動させることができない。カメラを移動車に乗せるにしても、本番中に高低を変えることは難しい。従って、何度か止めて幾つかのブロックに分けて収録しなければならないのだ。

次に、ビデオ収録は機動性に乏しいこと。カメラはスタジオのデカカメではなくハンディカメラを使うことになるが、大きなVTRと調整機材、それにカメラとVTRや調整機材を繋ぐ長く太いケーブルが必要で、フィルムキャメラのように手軽にはロケがやりづらいこと。

3番目に、スタジオドラマのキーマンは美術進行というポジションだということ。高津商会にはMBSでも活躍している、平岡久明という腕のいい美術進行がいるので、ぜひ彼に「花かぶら」でも美術進行に就いて欲しいこと。

まだある。ビデオは解像度が高い。従って、フィルムだと誤魔化せたセットの柱の穴などがバレてしまう。京都映画の美術製作を請け負っている新映美工では厳しいかもしれないこと。等々。

 

課題についての対策

技術面については、佐々木Pは柴田敏行監督と相談したようだ。柴田監督はABC出身で、ビデオ撮影が本職のディレクターだった。「日本怪談劇場」の監督もしていて、1カメでの演出も手掛ける人だった。ステージの土の床の問題は、京都映画としては平らな床に作り変える経費の問題と、そうした場合に後々どう利用するか見通せないということから、テレビ局のような床に変えることは不可能だった。従って、土の地べたにレールを敷いて、移動車にハンディカメラを載せて撮影する方式となった。いろいろと不都合はあるが、仕方がない。私は移動車を3台使って3カメで収録することを提案していたが、柴田監督は2台で良いと言ったそうだ。

収録の機動性については、台本作りの段階でできるだけセットの分量を増やして、ロケを少なくすることになった。

美術進行については、佐々木Pは私の提案通りに、平岡ちゃんを出してくれるよう高津商会に申し入れてくれた。それに伴って、装飾関係全体を高津商会に任せることになった。美術デザインと美術製作もMBSの子会社毎日舞台に依頼することになった。

 

「花かぶら」のストーリーと出演者

「花かぶら」は京都上賀茂の老舗すぐき屋が主な舞台だった。すぐき(酸茎)は、京都の伝統的漬物の一つ。すぐきな(酸茎菜)を原材料とする乳酸発酵漬物で、澄んだ酸味が特徴だ。上賀茂神社の神職を継承する社家が、深泥池周辺に自生するすぐきなに手を加えて作ってきたと言われている。「柴漬け」「千枚漬け」とともに京都の三大漬物のひとつだ

ストーリーと登場人物はこうだ。ヒロイン(山口いずみ)は鹿児島県の網元の娘。すぐき屋の主人(財津一郎)が息子(松橋登)の嫁にと、戦友の網元(内藤武敏)と結婚を決めた。上賀茂神社の神官の血を引くすぐき屋の女将(鳳八千代)は、漁師の出の嫁が気に入らない。ヒロインは、格式の高い伝統や自分を嫌う姑のとの確執に悩みながらも、たくましく生きていく。ん!?どこかで聞いたことのあるストーリーだが……。「すぐき屋」と「岩おこし屋」を入れ替えたら……ア!

 

「すぐきや六郎兵衛」とタイアップ

主たる舞台がすぐき屋なので、どこかに協力を仰がねばならない。例によって私がその役を仰せつかった。上賀茂神社の前に店を構える「すぐきや六郎兵衛」にタイアップを依頼し、快諾してもらった。「すぐきや六郎兵衛」は店の東側200m、明神川から土塀沿いの道を北に入ったところに、工場も所有していた。そこではちょうどクランクインした頃には、すぐきなを樽に漬け込む作業や、天秤押しの重しをぶら下げた丸太がズラリと並んだ風景が見られ、雰囲気抜群で撮影にもってこいだった。また「すぐきや六郎兵衛」は京都市内北部にすぐきな畑も所有していて、好都合だった。

 

鹿児島ロケハンはリンカーン・コンチネンタルで

「花かぶら」の冒頭にはヒロインのふるさと鹿児島も出てくる。製作主任の黒田満重(黒ちゃん)の知り合いが、鹿児島県のバス会社・タクシー会社などを運営している会社の幹部だということで、例によって私が一人でシナハンを兼ねてロケハンに行くことになった。「取り敢えずその方にお逢いして、いろいろ面倒をみて貰え」という、いつも通り乱暴な段取りだった。

その方Aさんとは、鹿児島市内与次郎浜のサンロイヤルホテルで落ち合うことになった。サンロイヤルホテルはビックリするほど迫力のある大きなホテルだった。豪華なフロントでAさんの名前を告げると、「副社長ですね」と受付嬢。ウワッ!でっかいこのホテルの副社長なんや!40代のラフなブレザー姿の男性が下りて来た。「京都映画の皆元と申します。この度はお世話になります」と、直立不動で挨拶した。Aさんは軽く私の挨拶を受けると、「そんなら行こか」と玄関に向かった。まさか、副社長自らロケハンの案内!?慌てて後を追う私。

ホテルの表にはスポーツタイプの外車が止まっていた。Aさんはさっさと運転席に乗り込む。ゲ!外車でロケハンなんや!「失礼します」オズオズと助手席に乗り込む私。「まずは指宿へ行こう」とAさん。外車に乗るのは初めての経験だった。取り敢えず、「スゴイ車ですね」と訊いてみる。「リンカーン・コンチネンタル」と抑揚のない答えが返ってきた。
 指宿までの道中での話では、Bさんはバス会社やタクシー会社、さらにはサンロイヤルホテル、指宿のホテルなどを傘下に収めている鹿児島地方財閥の御曹司らしかった。

指宿では長崎鼻、開聞岳、池田湖などを案内してもらった。途中の国道で「ここが〇〇酒造。焼酎の蔵元」とAさん。焼酎と言われても、麦や米から作った終戦後のカストリ紛いの「ショーチュー」しか頭に浮かんで来なかった。焼酎は安酒という時代遅れの認識だったのだ。だからリアクションが頼りなかったに違いない。Aさんが言った。「鹿児島では金持ちは焼酎を飲む。ビールは貧乏人が飲む」。驚いた。鹿児島人って変な人たちだと思った。京都に帰ってからも、土産話としてこの話を知人に披露した。知人たちも私と似た反応だった。私は恥ずかしながら知らなかったのだが、実はAさんの言う焼酎とは芋焼酎のことだったのだ。やっと大分や熊本の麦焼酎が人気になり始めたころだったが、鹿児島ではすでに後に「森以蔵」などで大ブームを巻き起こす、高級芋焼酎が飲まれていたのだろう。

 その夜は指宿のホテルに泊めてもらい、次の日は鹿児島市内を案内してもらった。もちろんリンカーン・コンチネンタルで。Aさんは快くタイアップにも応じて下さり、サンロイヤルホテルや指宿市内のホテルに格安で泊まれることになった。

 

黒ちゃんの不思議な人脈

 ところで、製作主任の黒田満重という人は、不思議にこういう飛んでもない知り合いがいたりするのだ。ある日飲みに誘うと、「大谷が来て飲みにいくことになっているのでダメだ」という。「どこの大谷?」と訊くと、「松竹の大谷や」「え!?松竹の大谷って、あの!?」「あー、大谷信義や」。ゲ、それって、松竹創業者・大谷竹次郎の孫で松竹専務の!?「なんで黒ちゃんそんな人知ってんの!?」「『オレンジロード急行』って映画、松竹で撮ったやろ。大谷信義はプロデューサーで、おれは応援の進行やったんや。あの人も酒が好きでな、毎晩一緒に飲んで、そんで仲良うなったんや。京都に来たら『飲もう』って誘いがくる」。大谷信義氏は後に松竹社長・会長を歴任した。

 

「花かぶら」のスタッフ

「花かぶら」は1日15分週5本放送の昼帯ドラマだ。3月末から3カ月間MBSTBS系列で放送された。以下の陣容でクランクインした。MBS信濃正兄P、脚本鈴木生朗。チーフ監督柴田敏行。京都映画から佐々木康之P。製作主任黒田満重。製作進行時村昭。照明技師南所登(照明助手は東通ライティング湯目賢咲ほか2名)。チーフAD皆元洋之助。東通企画からはサブ監督の小川基之。セカンドAD川口裕。技術は大阪東通TD中村哲、カメラマンチーフ後藤修、セカンド中船井、カメラアシスタント2名、ビデオエンジニア(VE)蟻塚、音声3名。衣装は松竹衣装。メイクは八木かつら。記録はビデオ経験もあるというBさん。

 

柴田監督の手際の良さ

収録は12月初めからスタートした。週3日の収録だったと思う。京都映画のスタッフも大阪東通のスタッフもまた高津商会を中心とする美術スタッフも、初めてのことが多かったと思うが、ほぼ順調に収録は進んだ。それにはまず、柴田監督の手際の良さが上げられる。スタジオドラマも1カメのドラマも知り尽くしたベテラン監督の現場の仕切りは見事だった。

2カメでのスィッチングという特殊な撮り方だった。1シーンを一気には撮れない。幾つかのブロックに分けて撮らなければならなかった。例えば主人公山口いずみと姑鳳八千代の居間でのシーン。ドライリハーサル(カメラを使わない立ち稽古)の後、柴田監督が撮り方の説明をする。「台本のここからここまではAカメは上手からのロング、Bカメは下手からタイトの2ショット」「ここからここまではAB2カメで挟み込んでいずみちゃんと鳳さんのカットバック、さらにルーズ2ショットの1カットを挟んで、ここからここまでのABでのカットバックも一気に撮ってしまう」「ラスト前はBカメの下手からの俯瞰ロングで鳳さんをアウトさせる。その後のラストカットはAカメでいずみちゃんのアップ」「まずは最初のロングと2ショット、次に中間の2ショット、その次にラストの俯瞰とアップ、最後にABで挟んだ2ブロックを一気に撮る」。撮影に慣れない読者はなんのことか分からないかもしれないが、ドラマ関係者ならすぐに飲み込める明確な説明だ。

 

現場を活気付けた南ちゃん

照明の南所登(南ちゃん)の存在も大きかった。南ちゃんは活動屋として私よりもはるかに先輩だが、歳は同じで何作品も一緒に仕事をしてきた気の合う仲間だった。照明技師になって日は浅かったが、もともと手際の良さとアイデアが豊富なことは抜きん出た照明マンだった。私がMBSに研修で行っていた時に、「花かぶら」の照明を担当することが決まっていた南ちゃんも呼んで、スタジオドラマを見学してもらった。そういうこともあって南ちゃんは、かなりマルチのビデオ収録の準備をしていたにちがいない。「花かぶら」の現場では、慣れない2カメのスウィッチングという撮り方にも上手く対応してくれて、一番時間が掛かるはずのライティングもスムーズに進んで助けられた。助けられたと言えば、彼の明るさにも助けられた。現場で南ちゃんが醸し出す陽気な積極性は、過酷な現場を明るく活気付けるのだ。

 

パイプ役となった後藤チーフカメラマン

マルチ収録のスタジオ撮影は、現場と副調整室(サブ)に別れることはMBS研修の回で触れたが、京都映画でのスタジオ撮影の場合も同じだった。私は現場にずっといたので、サブのことはよく分からないが、現場で助けられたのは後藤チーフカメラマンだった。大阪東通のスタッフと京都映画のスタッフの、また現場とサブのパイプ役になってくれた。スッと懐に入っていく人懐っこい性格で、いつもニコニコしながら現場の技術スタッフを仕切ってくれた。後年「写影」という会社を立ち上げて様々な分野で活躍していたが、昨年惜しくも亡くなった。冥福を祈りたい。

 もう一人、現場を和ませてくれたのが、主役の山口いずみだった。この人もいつも柔和な表情で、怒ったところを見たことがない。主役はいかにあるべきかを心得た女優さんだった。

 

現場でのカメラトラブル

 それでもトラブルはあった。閉口したのはカメラのトラブルだ。「花かぶら」では、そのころ使い始めのハンディタイプのカメラを使用していたが、ときどき調子がおかしくなった。一旦調子が悪くなると、調整に2時間ぐらい掛かった。蟻塚VEの指示でカメラマンがカメラのサイドの蓋をバカッと開ける。そして、小さなドライバーで調整つまみを右に回したり左に回したりするのだ。これが始まると何にも作業が出来なくなった。ただ待つしかないのだ。こういうときに撮影所では予備のキャメラを使ったりするのだが、出始めの機材ということで、予備のカメラはなかったようだ。

 

アフレコに挑戦

 初めて夜間ロケがあった。上賀茂神社だった。きれいな小川が流れていて、歴史的な建物もある。ところどころに灯篭もあって、いい雰囲気のロケ場所だ。夜間ロケでは照明部はゼネレーターを使う。その音がうるさくてセリフが録れないと音声部が言ってきた。私は「アフレコをやろう」と言った。音声部はキョトンとしている。なんと、アフレコをやったことがないのだ。私は段取りを説明した。「現場ではそのままノイズのあるセリフを収録して、撮影所に帰ったら収録した画を見ながら俳優さんにセリフを喋ってもらう。その声を編集で嵌めかえるんだ。MAでは現場で別録りした川のせせらぎの音を足せば問題ない」。だが、音声部は納得しない。やったことがないので不安なのだ。ここは押し切るしかない。「大丈夫、今日出演している俳優さんはアフレコに慣れているから、上手く口を合わせてくれる。とにかくやってみよう」。そう言って半ば強引にアフレコにした。案ずるより産むが易し。結果は全然問題なかった。

 

初めて演出を経験

 初めて演出も経験した。セットの都合でどうしても小川組を収録する日に1シーンだけ柴田組を撮影しなくてはいけないスケジュールになった。柴田監督は言った。「1シーンだけで東京・京都を往復するのは無駄だから、皆元ちゃん撮ってくれ。好きに撮っていいから」。ということで、そのシーンは私が撮ることになった。コンテも自分で作った。たしか鳳八千代さんと正司歌江さんのシーンだったと思う。少し緊張したが思ったより落ち着いて演出でできた。私の記念すべき初演出だった。

 

 収録を始めて1ヵ月経った年明け、編集・MAなどの仕上げが始まった。そこで思わぬ大問題が起こった。

 

         To Be Continued  

 

※次回後編は来週水曜日(2025年1月22日)に投稿予定。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

般若心経