【Episode18】
助監督になるその後
──京都映画での日々
その23
前号からの続き
私は32歳。助監督になってから7年目。チーフ助監督として臨んだ京都映画初めてのビデオ作品「花かぶら」(MBS)は、1979年12月にクランクインした。1日15分週5本放送の帯ドラマだった。イロイロ問題はあったが何とかクリアし、一応順調に収録が進んでいた。だが、収録を始めて1ヶ月すこし経って、大問題が発生した。
仕上げ作業始まる
1月に入ってから、収録と並行して編集・MAなどの仕上げ作業がスケジュールに入ってきた。1月のなかばの撮影のない日だった。朝から柴田敏行監督、中村哲TD、後藤修チーフカメラマン、南所登照明技師、記録のBさんは、初編集のために大阪の東通AVセンターに出かけた。第1週分5本の編集をするためだ。当時はまだ仮編集のシステムができていなかったので、記録の撮影シートをもとに収録テープからダイレクトで編集するシステムだった。
ちなみに、当時のフィルムとビデオの編集の違いはこうだ。フィルムの場合は、撮影したフィルムを現像してネガフィルムと編集作業用のポジフィルムを作る。編集はまずポジフィルムを使う。スプライサーという道具を使って、カットごとにカッターで切ったりテープで貼ったりして繋いでいくのだ。物理的に切り貼りする作業なので、途中で切ったり足したりすることも可能だ。そうして決められた尺(タイム)に仕上げたポジフィルムを元に、ネガフィルムを同じ長さに繋いでいき、出来上がったものを焼き付けて映写機に掛けるプリントを作るのだ。
一方、ビデオの編集は物理的に切ったり張ったりする作業ではない。収録した映像・音声を別のテープ(受けテープ)にコピーしていくのだ。トップカット(スィッチングで収録された一連のカットもここではカットとして扱う)からラストカットまで順番に、収録テープから受けテープにコピーしていく作業なのだ。
この編集の違いは、フィルムに慣れた撮影所関係者にはなかなか呑み込めないもので、私自身も慣れるまで時間が掛かった。
初編集、その成果は?
さて、「花かぶら」の初編集だ。私は次週撮影の準備とスケジュール表の作成があったので、京都映画に残った。だが、夜になっても監督たちは戻って来なかった。やはり初編集なので、時間が掛かっているのかなと思った。私は一旦家に帰り、翌朝9時に京都映画に出所した。すると、昼近くになって、ゲッソリ疲れた顔で監督と南所登が帰ってきた。大阪東通の二人は大阪の自宅に、記録のBさんは直接京都の家に帰ったのだろう。
1本も!?
私は2人に言った。「徹夜したんですか?ご苦労様でした。仕上がりはどうでした?」。柴田監督が答えた。「仕上がりもなにも、1本も完成しなかった」吐き捨てるような口調だ。「1本も」って?「1週間分は」の間違いではないのか?念の為に確かめた。「1本も……ですか?」「そう!15分番組の1本もだ!」そう言い捨てて、監督は製作部から出て行ってしまった。1本も完成していない!?15分番組の1本分だから、CMを除くと正味12分くらいの中身だ。2カメで撮っているから編集点もそうは多くはないはずだ。その編集を徹夜して、1本も完成できないとはどういうことだ?南所登に訊いた。「どういうことや?」「なんや、ごちゃごちゃやっとたわ。挙句に朝になってラストカット繋いだら、10秒ぐらいショートしてしもてた。みんなガックリや。あの記録、分かってへんな。アカンわ」。どうも記録のBさんは、それぞれのテイクやカットを、どこからどこまで使うかの見極めが甘いらしい。途中のタイム計算も不正確ということだ。
その頃のビデオテープの編集は今とくらべれば、無茶苦茶に不自由だった。オーバーしたからといって、繋いだ受けテープの途中をカットしたり抜くことができなかった。ショートしたからといって、途中を足すこともできなかった。従って、ラストカットを繋いで10秒足りなければ、延ばすカットのところまで戻って、それ以降をもう一度全部繋ぎ直さなければならなかったのだ。
10秒ショートの受けテープを出しテープにして、足らない分を足しながらコピーをすればいいと思うかもしれないが、当時のビデオテープはコピーをすれば劣化が激しくなるので、無理だった。これでもひと昔に比べれば、随分進歩はしていた。数年前までは、カットする場合カッターでビデオテープそのものを切り取っていたのだから。
大赤字の危機
これは大問題だった。編集室の使用料は高額だった。大阪東通とは撮影現場の技術料、編集やMAなどの仕上げ料はグロス料金で決めていた。しかし、それは1週分の編集とMAをそれぞれ1日で終わることを前提としたものだ。編集が1日で終わらなければ、その前提が崩れる。それどころか1週間分の編集が、何日掛かるか分からないという事態だ。このままでは、大赤字になってしまうという緊急事態だった。
予備編集マンになる
ところが、その一件のとばっちりがこちらに来た。前述の顛末を受けて、佐々木Pと柴田監督それに大阪東通・東通ビデオセンターが相談して、本編集前に予備編集をすることになったのだ。予備編集といっても、仮編集のシステムはまだできていない時代だ。収録テープを編集作業用のVHSテープにコピーして、VHS編集機で実際に繋いで予備編集をする、いわゆるオフラインの仮編集システムの登場は、まだ数年先のことだった。
従って当時の予備編集とは、収録テープを再生しながらチェックして、リスト上で編集するということだ。今考えれば、極めてまどろっこしくややこしい作業だが、なんと、なんと、そのややこしい役目を私がすることになったのだ。
日々の収録のかたわら、週に一度大阪西天満の東通企画に行くことになった。そのビルには東通ビデオセンターも入っていた。私に与えられた作業場所は、東通企画の会議室だった。私はオープンリールのVTRを使って、収録した映像を再生して編集チェックするのだ。オープンリールのVTRは、昔のオープンリールのテープレコーダーとそっくりの形をしていた。レバーをガチャガチャ廻して前に進めたりバックさせたりするのだ。リールの手廻しもできた。
シート編集とは
編集チェックするとは、具体的にどういう作業なのか?VTRを廻して、モニターに再生された映像をチェックするわけだが、作業のベースになるのは記録さんが作った記録シートと、映像の角に映し出されるタイムコードだ。記録シートには、収録した順に収録したカットの話数、シーンナンバー、カットナンバー、そしてそのカットが収録テープのどこからどこまで収録してあるかのタイムコードが記録してある。
例えば、第1話のシーン1カット1から始めるとすれば、記録シートの中からそのカットを探し出して、そのカットのタイムコードの映像を収録テープを早回しして探し出すのだ。そしてその映像を再生して、そのカットの何処から何処までを使うか判断し、そのタイムコードをリストに記録していくのだ。たとえば「第1話シーン1のカット1は、収録テープ第3ロールの37分25秒04フレーム(F)※から37分28秒19Fまで3秒15F使う」とか、「カット2は、第7ロールの12分57秒17Fから13分28秒23Fまで31秒6F使う」というように記録していくわけだ。
アクションで繋ぐ場合もある。最後は手でリールを回して編集点を探り、「前のカットは右手がここまで上がっていたから、次のカットはここから始める」というように、これも前後のカットのタイムコードを記録し、シート上で繋がるように編集していく。
尺(タイム)の調整もしなければいけない。例えばラストカットまでチェックして、全部のカットの総計が5秒オーバーしたら、途中のどこかで5秒切らないといけない。逆にショートした場合は、どこかを延ばさなければならない。そのために、カットごとにタイムを計りながら、「ここは2秒切れる」とか「ここは1秒10F延ばせる」とかメモしておくのだ。
大幅に尺がオーバーした場合は大変だ。シーンや芝居のブロックを丸ごとカットする判断から、セリフの間を切る細かい作業まで切れる所は全て切るという判断と作業をしなければならない。その判断が間違っていれば、本編集で修正に時間がかかってしまうので、責任重大だ。こうして、シート上は+-ゼロにして本編集に臨むのだ。(注1フレーム:ビデオ映像の1秒間は30フレームで構成されている。フィルムのコマに匹敵する)
会議室見聞録
余談になるが、東通企画の会議室で作業していて、面白いことも見聞きした。会議室なので、当然、東通企画の会議やミーティングにも使われる。その場合でも、一度も私は外に出ることを求められなかった。私が使う曜日は、大きな会議はない曜日だったのかもしれない。
ある日管理職の数人が、長細い会議室の私とは反対側で、書類やメモを元に計算を始めた。会話の内容から時間外手当の集計をしているようだった。「東通企画は時間外手当が出るんだ。いいなー」と思いながら、こちらはこちらで作業を進めていた。突然、管理職の1人の悲鳴に似た怒声が聞こえた。「Cの時間外は〇万もあるで!」別の管理職が訊いた。「Cは何に就いてたかな?」「『額田女王』や。チンタラやっているらしいで」。「額田女王」は、京都映画で「花かぶら」と同時並行して撮影している、朝日放送(ABC)の特番ドラマだ。かなり厳しいスケジュールで撮影していることは、「額田女王」に就いている都築一興(イッコウ)から聞いていた。チンタラどころかみんな必死で撮影しているはずだ。Cとはイッコウの同僚のADだ。「D、こいつもや。△万もある」とまた悲鳴・怒声。Dとは「花かぶら」で私と同僚のADだ。矛先がこっちに向くのか?緊張した。「えーなーこいつら。俺より給料高いで」。ボヤキで終わってホッとした。管理職たちは、私が「花かぶら」の編集チェックをしているとは知らなかったようだ。
本編集やMAを任される
東通ビデオセンターでの本編集では監督の傍に私が座り、オペレーターが私の作ったデータシートに従って画や音を繋いでいく。監督がここをもう少し切りたいとか延ばしたいと言うこともある。その時は、メモしておいた延ばせるところや切れる所を使って尺の調整をするわけだ。無事に一日で1週間分の本編集ができた。
この予備編集作業は13週分の大半を私がやった。大変だったが、とても勉強になった。フィルムの場合、編集は編集マンがやってしまうので、助監督はチーフになってからの予告編以外に編集をすることがない。編集するといっても、予告編の場合は一連の芝居を繋いだり、場面転換の鮮やかさを狙えるわけではないので、別モノといってもいいかもしれない。そういう意味では得難い経験をしたわけだ。
何週目かからは、柴田監督は編集室には来ずに、私に本編集を任せるようになった。MA(音楽や効果音を入れて音のバランスを調整する作業)も後半は私に任せっきりになった。(小川監督は本編集もMAも立ち会った)
「花かぶら」の恩恵
「花かぶら」に就くことによって、私は後になって様々な恩恵を受けることになった。まず、京都映画で真っ先にビデオの経験ができたこと。「花かぶら」から1ヵ月半ばかり遅れて、必殺チームもABCの創立30周年記念番組「額田女王」をビデオで撮ることになった。彼らはビデオ撮影がどんなものか私たちに聞きに来た。だが、彼らはビデオで撮影はしたが、仕上げはまったくタッチしなかったので、私と違ってビデオの何たるかをほとんど経験せずに終わったと思う。4年後には私と南所登はテレビ東京・歌舞伎座テレビ制作「夫婦ねずみ~今夜が勝負」をビデオで撮ることになった。「花かぶら」の経験があったので、大あわてすることなく、すんなりと入ることができた。そして徐々に全国の撮影所で、現代劇は言うに及ばず、時代劇もテレビドラマは全てフィルム撮影からビデオ収録に移行することになる。その移行に抵抗感を抱いた撮影所スタッフは少なくなかった。だが、私はその流れにもあまり抵抗感なく乗ることができたと思う。

撮影後にスキーに行った「花かぶら」メンバーと。左端が後藤修チーフカマラマン、左から2番目が中村哲TD、3番目が小川基之監督、右端が筆者。
次に、大阪東通や東通企画などのビデオスタッフと、仲良くなれたこと。撮影終了後には、そのスタッフがスキー旅行に誘ってくれた。そういったことでできた人脈が、後々私が大阪で仕事をする切っ掛けと受け皿になった。そういう意味では、「花かぶら」は私の活動屋人生で、転機の切っ掛けとなる作品だったのだ。
【Episode18】 The End
※次回は来週水曜日(2025年1月29日)に投稿予定。
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
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