【Episode20】
助監督修行やり直し
──まだまだ京都映画での日々
その3
前号の続き
前号では、7年間の私の助監督修行は、監督になってからどのような役に立ったのかを書いた。今回は助監督時代に私がやってみて、ささやかだが良い結果をもたらしたことを書いてみたい。
台本やセリフの変更
監督が台本の一部やセリフを変更することは、しばしばある。そんな場合、それを俳優やスタッフに知らせるのは、どこの撮影所でも演出部=助監督の仕事だった。サードはカチンコを打つ役目があるので、撮影現場を離れるわけにはいかない。従って、セカンドかチーフが監督の台本をコピーして、俳優やスタッフに配ることになる。
私がセカンドになったばかりの頃だった。朝、監督からセリフ変更の台本を渡された。コピー機のある総務部に走って、まず一部だけ変更シーンのコピーをとり、台本をセットにいる監督に返した。総務部で俳優とスタッフに配る分をコピーしながら考えた。
セリフ変更は助手には配らない
当時の京都映画ではセリフ変更のコピーを渡すのは、そのシーンに出ている俳優とキャメラマンや照明技師などのメインスタッフ、セリフを録る録音部、演出部、記録さんに限られていた。撮影部助手や照明部助手、床山・結髪・メイク・装飾を含めた美術部、セット付、製作部などには配布していなかった。何故か?
台本の大幅な改訂やシーンの設定が変わるなどの場合は別として、セリフ変更ぐらいではこういったスタッフの仕事に関係ない。また技術部の助手たちはメインスタッフの指示通りに動くだけだから、セリフ変更は仕事に関係ない。そう思われていたのだ。こういったスタッフたちも、「どうせ俺たちは」と思っていたようだった。
かねがね私は、撮影所のそういった風潮に違和感を覚えていた。撮影所では監督やキャメラマン、照明技師、録音技師、美術監督、助監督チーフなどのメインスタッフと助手たちとは、少しキツイ言い方をすれば「身分が違う」という意識があった。そしてそういう意識は、「作品は監督を筆頭とするメインスタッフのモノ」という考えを生んだ。さらにこの考えは、メインスタッフ以外のスタッフの、「どうせ俺たちには関係ない」という諦めと無関心を生んだのではないだろうか。東映ほどではないにしろ、京都映画にもそういう風潮は残っていた。
しかし私は、作品は「その作品に関わってきたすべての人のモノであるべきだ」と思っていた。もちろん、監督やメインスタッフたちが、作品のクオリティに果たす役割は大きい。だが、だからといって作品は彼らだけのモノではないはずだ。作品は助手を含めてスタッフ全員のモノでなければならないのではないか。言い換えれば、助手たちも作品に責任を負わなければいけないのではないか。
いま考えれば気恥ずかしいが、学生気分の抜けない当時は、そんな考えを持っていた。「作品の責任をだれが取るのか?誰が取れるのか?」などの観点に思いが至らず、汗顔の至りだが。
スタッフ全員にセリフ変更を配る
話を戻す。総務部のコピー機の前で、私は決めた。「スタッフ全員分のコピーを撮ろう」。そして、コピー一部一部に「〇〇様」と宛名を書いてスタッフ全員に配布した。助手たちは驚いた。「こんなん、いらんで」と突き返す助手もいたが、ほとんどは受け取ってくれた。セリフ変更がある度に、これを繰り返した。
しばらくして、撮影助手や照明助手たちと撮影所内で飲む機会があった。撮影所には、俳優から差し入れのビールや酒がフンダンにあったので、日常的にこういった撮影後の飲み会は行われていた。照明助手Aが若手照明助手の沢田君に言った。「カウボーイ、お前この頃よう台本読んでるな」。カウボーイとは沢田君のニックネームだ。「読まなしゃーないやんけ」と、カウボーイ。「何でや?」「ヨウノスケや」。驚いた。「え!?何で?」と私。カウボーイが私を指さして言う。「ヨウノスケがいっつもセリフの直しを持って来よんねん。『おれら関係ない』言うても、しつこう持って来よる」「まあ、俺らはインする時に一遍台本読んだらしまいやもんな」とA。「そやな、セリフの直しは俺らには関係ないもんな」と照明助手のB。「そやろ。おれらそれで良かったんや。それでもヨウノスケは持ってきよる。その内、ヨウノスケに『お前らも作品に責任を持たなあかんねんゾ』て言われているような気がしてな。そない思うたら、いまから撮るシーンだけでも読んどこかって……」。そう言ってカウボーイは恥ずかしそう笑った。なんだか、無性に嬉しかった。
コピー機の性能が良くなり、速く安くコピーできるようになったせいもあるのだろう。それから京都映画では、どの組でも全員にセリフ直しを配るようになった。
知り得た情報を流す
もう一つある。チーフになると、テレビ局・制作会社・京都映画などのプロデューサー(以降P)や俳優事務所・マネージャー、制作主任、各部の責任者との接触も増えて、自然と様々な情報に接する機会が増えてくる。私はそういったチーフとして知り得た情報を、できるだけ早く各パートに流すようにした。
例えばこれは実際にあったことだが、歌舞伎座テレビの作品でまったく無名の若い女優がキャスティングされたことがある。ちゃんとセリフもある役なのだが、なんと彼女はずぶの素人だった。まったく演技の経験が無かったのだ。
実は彼女は、ある地方で映画館を幾つも所有している館主さんの娘だったのだ。その館主さんから頼まれて、歌舞伎座は出演をOKしたらしい。歌舞伎座は松竹の関連会社だ。松竹を通しての話だったのかもしれない。私はそのことを佐々木Pから聞いた。そして、「ちゃんと彼女が演技できるように面倒を見ろ」と命じられた。もちろん監督には伝えられていたが、その話を歌舞伎座はオープンにしなかった。東京12チャンネルに知られたくなかったのだろう。
しかし私は、素人女優がキャスティングされた経緯を、衣装部、結髪部、メイク部、装飾部、それに技術各部の責任者には伝えておいた。撮影所の現場はや素人や新人には厳しいところがある。知らないで辛く当たった結果、その不満を歌舞伎座に漏らされたら、どこから鉄砲玉が飛んでくるか分からない。そんな無用のトラブルは避けたかったのだ。私はその素人女優さんに、1日早く撮影所に入って貰って、丸1日稽古をした。そして、何とか東京12チャンネルの目を誤魔化せる程度で乗り切ることができた。
撮影終了後、衣装部の責任者が私に言った。「ありがとうな。教えてくれなんだら、素人やと思うて手を抜くとこやったわ。きっちりええ衣装着せたがな。お陰で、『親切にして頂いてありがとうございました』いうて、心付けくれはったで」。結髪部やメイク部からも、同じような言葉を貰った。
情報は発信したところに集まってくる
このように、私はできるだけ知り得た情報は各部に流すように努めた。そうすると、面白いことに各部からの情報が私に集まってきた。「情報は発信するところに集まってくる」という言葉は本当だった。そして、これによって逆に助けられることも多々あった。
例えば俳優は、メイク係に撮影の不満を漏らすことがある。大事な自分の顔を任せているという、安心感があるせいかもしれない。メイクAが私に囁いた。「Bさん(レギュラー女優)が、『私は右顔が好きなのに、Cさん(キャメラマン)は左顔ばかり撮る』って怒ってはったで」。俳優、特に女優は、自分の顔をどちらから撮られるかを気にする傾向がある。萬田久子さんは顔の左面を気に入っていて、右側から撮ると落ち着かなかった。男優でも勝新太郎は、監督が何と言おうと自分の左面が写る場所にしか座らなかったという。そもそもキャメラマンという職業は、監督よりもそういうことに敏感なものだ。だからCキャメラマンは、B女優の左面の顔も悪くはないと思っていたかもしれない。
主役クラスだと、インする前にそういう情報を集めて、演出・撮影・照明・美術全体で共有するものだ。私の経験でいえば、「斬り捨て御免!Ⅲ」がスタートする前には、主役の中村吉右衛門は顔の左面が良いので、新しいセットもアップは左面を撮るように作ろうという打ち合わせをした。
だが、B女優はそこまでのクラスではなかった。だが、レギュラー俳優がキャメラマンに不信感を抱くことは、作品にとっても現場にとっても得策ではない。私はCキャメラマンにそれをコソッと伝えた。「Bさんは右面が気にいってるんやて、ちょっとだけ気にしたって」。無理に右面ばかりを撮る必要はない。「どちらでもよい場面では、Bさんの右面が写るように人物配置を考えてやって」というアドバイスだ。数日後、ある場面でCは監督に言った。「BさんとDさんを入れ替えていいですか?その方が画のバランスがいいので」。しばらくしてメイクAが私に囁いた。「Bさん、ご機嫌やったで。このごろCさんが右面を撮ってくれるって」。助監督チーフに情報が集まってくれば、防げるトラブルは少なくない。
酷かった土曜ワイド
その年の12月、佐々木Pから離れて朝日放送(ABC)松竹制作・土曜ワイド劇場「京都殺人案内~亡き妻に捧げる犯人」にセカンドで付いた。藤田まこと主演の「京都殺人案内」という物騒な名前の付いたシリーズ第4弾だ。人気シリーズで視聴率も良かったが、作りは結構いいかげんだった。ストーリー上の様々な矛盾を、クロードチアリのエンディング曲「夜霧のシルエット」の哀愁溢れるギターのメロディ、それに藤田まことのしかめっ面の鴨川での歩きで、一気に押し流してしまうという乱暴さだった。これは私だけの感想ではない。制作当事者のABCのプロデューサーが、「まいったな、……」と、放送翌日に言っていたことだ。
「亡き妻に捧げる犯人」は、そもそもが名作「飢餓海峡」の焼き直しだった。15年前に藤田まこと扮する音川刑事の妻を車でひき殺した犯人が、苦労の末に成功し実業家になっている。彼は金を巡るトラブルから殺人を犯してしまう。それを追い詰めるために、音川刑事が京都と尾道で捜査するというスト―リーだ。その犯人役が「飢餓海峡」でも同じような設定の犯人役を演じた三国連太郎というのだから、「何をかや言わんや」である。監督は大映出身のベテランTさんだった。
死因を覆す三国連太郎役作りの執念
だが、三国連太郎の役に対する執念も凄かった。尾道の現場に来るといきなりT監督に言った。「台本では鈍器で殴り殺すことになっているが、自分の手で絞め殺した方が殺意の強さを表せるんじゃないだろうか」。それを聞いたT監督が言った。「そうですね。絞め殺すことにしましょう」。えー!?待って!そばにいた私は焦った。「か、監督、3日前に撮った刑事部屋で、遠藤太津朗さん(捜査1課長)が『死因は鈍器による撲殺』と言ってますよ」。T監督はムスっとして言った。「オンリー録ったらええがな」。オンリーとは声だけ(オンリー)を録ることだ。撮影をし直さないで、遠藤さんのセリフだけを録音して音だけを嵌めかえるという指示だ。
実は、これはうまく行くかどうかは賭けのような作業だ。課長の喋ったセリフが「死因は鈍器による撲殺やな」とすると、文字数を合わせて「死因は両手での扼殺やな」みたいなセリフを、同じトーンやスピードで喋ってもらうのだが、画のサイズによってはごまかし切れないことがあるのだ。でも、監督がOKしたのだから、現場としてはその方向で調整するしかない。尾道には課長役の遠藤太津朗さんは帯同していないので、京都に帰ってからオンリーを録ることにした。各部には殺害方法が撲殺から扼殺に変更になったことを連絡した。当然各部から不満が出たが、何とか宥めて了解してもらった。
死因が再逆転
ところが翌日、ビックリすることがまた起きた。朝一番、三国さんが被害者を殺害するシーンだった。三国さんがロケ現場に来てT監督に言った。「昨夜、よくよく考えてみたんだがね。やっぱり台本通りに、撲り殺した方が残酷でいいんじゃないだろうか」。私たちは驚いた。T監督がどう応えるのか注目した。T監督が言った。「そうですね。そうしましょうか」。こういうときほど助監督がガックリくる時はない。
助監督が監督に裏切られることはままあることだ。助監督は俳優やキャメラマンが何と言おうと、最終的には監督の指示に従う。「どうせ変わるんやろう」とスタッフに言われても、監督が必要だと言ったものは必ず準備する。そこを裏切られると立つ瀬がない。助監督をやっていれば、そういう悲哀を何度か経験するものだ。
「行きますか」と警官が言った
尾道ロケは作品的には散々だったが、色々と面白いことが体験できたロケだった。まず尾道の警察の協力ぶりが凄かった。パトカーを撮影のために出動してくれたのだ。劇用のパトカー1台と本物のパトカー2台で、人質救出に向かうというカットを、瀬戸内海バックで撮影できた。現場移動の時には、本物のパトカーに乗せてもらった。途中で渋滞に巻き込まれた。すると運転席の若い警官が言った。「行きますか」「OK」。助手席の警官がボタンを押した。とたん、赤色灯が回り始め、サイレンが高らかに鳴り響いた。目の前の車列がサーッと左右に割れた。ハリウッド映画「十戒」の、紅海が割れてエジプトからの脱出路ができたようだった。当時はまだそう言うことができる時代だったのだ。(本当は許されることではなかったのだろうが)。
宿泊所はドッグ
スタッフの宿泊は向島にある造船所の宿泊施設だった。聞くところによると、大きな船が修理でドッグに入ったとき、船員の家族を呼び寄せて生活するための施設ということだった。2DKの部屋に4~5人で泊まりこんだ。夜になると酒盛りになる。撮影のうっぷんをそれで晴らした。尾道は海産物が豊富な土地だ。本土側の海岸には、魚介類を売る屋台が並んでいた。そこでシャコなどを買って、部屋で湯掻いて酒のアテにした。
藤田まことの歌謡ショー
一度パーティと言うか宴会と言うか、スタッフ・キャスト全員がロケバスに乗って、近くの府中市まで行った。大きな建物の広いホールに案内された。客がいっぱい入っていた。しばらくすると、マイクを持った藤田まことが登場した。ヤンヤの喝采だ。藤田まことの歌謡ショーが始まった。私たちを招待してくれたのだ。藤田まことは軽妙なトークと達者な歌で客を沸かせる。私たちも料理とショーを存分に楽しんだ。誰が段取りしたのか?そんな芸当ができるのは、制作進行の鈴木政喜(マーちゃん)しかいない。きっと、藤田さんがマーちゃんと相談して、スタッフ慰労のために自分が出演することを条件に、店と交渉させたにちがいない。粋な配慮だった。
【Episode20】 The End
※次回は来週水曜日(2025年2月19日)に投稿予定。
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
コメント
コメント一覧 (1)
ヨウちゃん
が
しました