──さらに京都映画での日々
その2
前号の続き
助監督修行やり直しの後、私は「斬り捨て御免!Ⅱ」の第11話で監督をやらせてもらった。1981年春、私が33歳のことだ。資料によると、続いて第13話も監督している。「斬り捨て御免!」を始めて演出した新人監督に、1話だけ置いてまた監督させるのは普通では考えられない。これには「斬り捨て御免!」という作品の独特な製作体勢に原因があった。
主役が1ヵ月置きにしか来ない「斬り捨て御免」
「斬り捨て御免!」シリーズは歌舞伎人気俳優の中村吉右衛門が主役だった。当時、歌舞伎の人気俳優は1ヵ月置きに舞台公演があった。ということは、主役が1ヵ月置きにしか撮影所に来ないということになる。従って「斬り捨て御免!」の撮影は、最初の1ヵ月は花房出雲=中村吉右衛門が出演しているシーンを抜き撮りしていくことになった。1ヵ月で7~8話の抜き撮りを行う。残りの出雲の出ていないシーンは、翌月に撮影するわけだ。
そういう製作事情のために、「斬り捨て御免!Ⅱ」も余裕をもってクランクインした。すると放送までに余裕があるので、撮った順番に放送する必要がない。作品内容やゲストの顔ぶれを考えて、放送の順番をコントロールできるのだ。
同じ京都映画で製作していた「必殺シリーズ」は、そういう余裕がなかった。常に放送に追われていたような気がする。「明日雨が降ったら放送に間に合わない」という事態が度々あった。従って、放送も撮って出しという状態だった。
その点、完成作品のストックに余裕があった「斬り捨て御免」は、結構順番を変えて放送していた。従って、同じ監督の作品が続けて放送されたりすることもあった。Wikipediaやテレビドラマデータベースなどの資料には、その放送順で何話と書いてある。
私の撮った第11話と第13話も放送順が変更されたに違いない。いずれにしてもプロデューサー(以降P)たちは、私が初めて撮った第11話のオールラッシュや初号試写を見て、「これならまあいけるか」と判断したのだろう。私に次も監督する機会が与えられた。
「斬り捨て御免!Ⅱ」2本目監督作品
私の2本目第13話のサブタイトルは「血染めの千両富」だった。大まかなストーリーはこうだ。三十六番所番士関大助(長門勇)は同じ長屋の職人(頭師佳孝)に付き添って、富くじの抽選会場に向かう。突き富(箱の中に番号を書いた札を入れ、目隠しをした突き役がモリを箱の穴から突き入れる。モリに刺さった札が当たり札となる)の結果、職人が持っている富くじが大当たりになる。職人はその千両で岡場所にいる馴染みの女を身請けしようと思うが、そこには思いがけない陰謀が隠されていた。
テンポが出ない
下敷きが落語の「高津の富」だった。私は突き富会場での、長門勇と頭師佳孝の芝居を面白く撮りたいと思った。金額の低いくじから千両の一番くじまで、突き富が進んで行く過程での人々の喜怒哀楽の滑稽さ。いよいよ一番くじのモリが突かれ、その札が箱から引き上げられるまでの緊張感。そして、千両の当たりくじが読み上げられていく過程の、興奮の高まり。私はその1連のシークエンスを、リズムを重視したコンテで撮ろうと思った。コミカルな演技を得意とする長門勇と、惚けた味のある頭師佳孝だ。その2人の組み合わせを生かして、テンポと間とそれにコミカルな表情や芝居を組み合わせた喜劇の構築を狙った。
撮影当日、ロケ現場で段取りを始めた。全体の流れを説明した後に、そのシーンを通して芝居をやってみる。だが、「鶴の……参千……六百……弐拾……九番」と、当たりくじを読み上げていく勧進元と「……」にカットバックで入る二人のリアクションの芝居、特に長門勇の演技がどうも上手くいかない。グ、グ、グ、グーといいリズムでテンションを盛り上げたいのだが、4カットの芝居のリズムが心地よくいかないのだ。「ここはこういうテンポで」と言っても、長門勇は自分の間でしか芝居しない。リハーサルを2~3度繰り返しても上手くいかないので、カットを順番に撮っていきながら修正することにした。
だが、それでも思うようにはならなかった。長門勇は「このカットは、ひと芝居でいい」と言ってもひと芝居で終わらないのだ。必要な芝居の前か後に、何だか歯切れの悪いもうひと芝居を付けてしまうのだ。いくら流れを説明して「ここはポンポンポンと早いテンポで行きたいのだ」と言っても、自分の芝居や間を崩そうとしなかった。どうも、1カットの中で芝居をひとつだけ演じるというのは、気持ちが悪いようだった。
長門勇は映画でも主役を張っていた俳優だ。昨日今日監督になった若い私の言う通りに演じることに、抵抗があったのかもしれない。時間がどんどん過ぎていく、このままでは撮り切れない。私は割り切った。「編集で切れば良い」と。これは私の負けということだ。
長門勇とは、こういったせめぎ合いが「斬り捨て御免!」シリーズの間、ずっと続いたような気がする。もちろん、彼の芝居で助かったことも少なくなかったのだが。
私としては不完全燃焼だった第13話だったが、東京12チャンネルや歌舞伎座テレビからクレームが出ることもなく、3本目の第18話も監督することになった。だが、第18話の「すすり泣く尼寺」は、ストーリーも撮影現場もどうした訳か全く記憶にない。問題なく撮影が進んだのか、上手くいかなかったのかも、全く覚えていないのだ。
片岡孝夫主演「お命頂戴」クランクイン
1981年10月、「東京12チャンネル」が「テレビ東京」になった。「斬り捨て御免!Ⅱ」に続いて、同じ枠で片岡孝夫(現人間国宝の十五代目片岡仁左衛門)主演の「お命頂戴!」がクランクインした。孝夫さんは当時映画やテレビでも大活躍だったが、本業の歌舞伎でも坂東玉三郎との「孝玉コンビ」で絶大な人気を博していた。
「お命頂戴!」は、江戸幕府奥祐筆の内藤左門(片岡孝夫)が職責上知り得た不正の端緒を自ら探索し、将軍拝領の刀を振るって成敗するというストーリーだった。探索のために、髪結いや浪人者等々に変装するのも見所のひとつだ。共演はお紺役の新藤恵美と七兵衛役のハナ肇。2人は左門の命で不正を探索し、退治のための工作を担当するという役割だ。
このシリーズも、軌道に乗るまでは監督補として付いた。監督したのは13話中の6話目と最終回の2本。主演の片岡孝夫さんは当時37歳。スラリとした長身で、口跡が朗々と鮮やかだった。それだけではない。細かい芝居も丁寧に演じていた。性格もさっぱりしていて、気持ちよく仕事できた。時たま私の演出プランに疑問を呈することもあったが、私がくどくどと説明すると、途中で「分かった、それでやる」とキッパリ言い切った。「監督にそれなりのこだわりがあるのなら、それに従う」という態度だった。京都映画では十年前に「絵島生島」に主演していたこともあって、「孝夫ちゃん」と呼ぶスタッフもいた。
第6話「隠し金山決死行」
第6話の「隠し金山決死行」は好きなアクション編だったので、いろいろ遊ばせて貰った。ストーリーはこうだ。江戸の寄せ場から大量の人足が消える。内藤左門(片岡孝夫)はその行方の探索をお紺(新藤恵美)に命じる。一方、七兵衛(ハナ肇)は昔の山師仲間仁助(梅野泰靖)の娘(日高久美子)の懇願で、仁助に逢うため甲州に向かう。だがそれは、七兵衛の山師としての腕を必要とする、隠し金山一味の陰謀だった。一味は金の増産を目論んでいたのだ。左門の探索を恐れた一味は、人足たちや七兵衛を坑道に閉じ込め、爆殺しようとする。左門の救いの手は間に合うのか?
見所は、左門が隠し金山から人足や七兵衛を救い出すくだりだ。金山の坑道は入口をロケで、坑道の中はセットで撮影した。だが予算の関係で、セットはY字型の短い坑道と道具置き場のような窪みのスペースだけだった。照明技師の南所登(南ちゃん)のアイデアで、Y字の分岐点にミラーを斜めに置いた。すると鏡に手前の坑道が写り、倍近い長さの坑道に見えた。南ちゃんは照明だけでなく、随所にこういったアイデアを提供してくれた。
ワル一味が証拠を消すために、坑道に爆薬を仕掛けて爆破しようとするくだりは、台本には無かったが、火のついた導火線と救助に来た左門の立ち廻りをカットバックして、緊張感を盛り上げた。陳腐な手法だが、効果はあったと思う。
「馬を使いたい」「そんな予算はない」
台本では、左門が江戸から隠し金山に駆け付けるというシーンはなく、いきなり金山に現れるというようになっていた。これでは御都合主義だし緊迫感の盛り上がりもない。左門が自分の足で駆けつけるカットも考えたが、江戸から甲府まで走り続けるのはリアリティに欠ける。馬で疾走するのがスピード感もあってよいと思い、Pに頼んだ。「そんな予算は無い」一言で却下された。当時でも馬代は高く、1日使えば10万掛かると言われた。だが、諦め切れなかった。編集部に訊いた。「乗り手が分からない馬の走りのライブラリカットは無いか?」と。あった。編集部が見せてくれたのは、侍らしき人物が騎乗したロングから疾走する馬のひずめにズームアップしたカットだった。これをデュープ(複製)して使った。馬上の左門は敢えて撮らなかった。トラックの上に乗せて撮るのは、バレバレでシラケてしまう。それに、誰か分からない人物が馬で疾走している方が、「誰だ?」「左門か?」「いや、ワルの黒幕かも」と、視聴者の興味を引っ張れて得策だと思ったのだ。だが、テレビドラマの鉄則として、その視聴者の疑問は解決しなければならない。馬は使えない。どうする?声ではどうだ。馬の疾走のカットの後、ワルたちが金山を警戒しているカットに馬のいななきを入れた。その直後、左門が突然現れる。そういう使い方をした。緊迫感とスピード感が出て、なおかつ視聴者の興味も引っ張る。まずまず上手くいったと思う。Pには無断でやってしまったが、試写が終わってから誰からもクレームはでなかった。テレビ東京は「台本には無いのに、馬を使ってくれたんだ」と思ったに違いない。
ハナ肇とぶつかる
私の担当回は概ね順調に進んだが、ハナ肇とは時々ぶつかった。彼は存在感はあるが、もともと器用な役者ではない。活舌も良くはなかった。しかし、探索したことを左門に報告する役割だ。必然的に説明セリフが多くなる。人名や地名など、固有名詞も少なからず喋らなければならない。
私が最初に撮った第6話で、地名が3つ出てくる七兵衛の3行ぐらいのセリフがあった。カットを割る必要もなかったので、1カットで撮った。だが、NGが続いた。セリフに詰まったり、言い間違えたりした。いきなりハナ肇が怒り出した。「何かい。この番組を見てる客はみんな地名を知っていて、俺の間違いに気が付くってのかい」。言いがかりも甚だしいが、何とか宥めてそこは乗り切った。
次の担当回でのことだ。佐々木康之Pの部屋に呼ばれた。ハナ肇がいて台本の地名が書かれたセリフをカットしろと言ってきた。それはどうしても必要なセリフだった。私はカットできない訳を説明した。その途中から隣の佐々木Pが足を蹴ってきた。チラと見ると「やめとけ」と首を振っている。無視して言った。「このセリフはカットできません」。ハナ肇の顔色が変わった。「検討します」すかさず佐々木Pが言った。「頼むよ」と言い捨てて、ハナ肇が部屋を出て行く。佐々木Pが私に向かって言った。「アホかお前は!あんなボケ役者と喧嘩して、得なことひとつもないやろう」。そう言うと、脚本家の鈴木生朗さんに電話を掛ける。「ここのこのセリフ、七兵衛のアホがよう喋らんいうてんねん。喋らんでもええように直してくれ。すぐに」。どうも私は演出のことになると、血が昇ってしまうところがあるようだった。
喧嘩っ早くなる?
実は監督をするようになってから、いやチーフ助監督になってからかもしれないが、私の性格・行動や身体に変化が見られるようになっていたのだ。
まず性格や行動面だが、もともと私はそんなに気が強いほうではない。むしろやや気弱と言った方が良いかもしれない。父親などはそれを心配しているふしがあった。だが、チーフを務めるようになったころから、周囲との対立を避けなくなる傾向が出てきた。それは京都映画や制作会社とだったり、プロデューサーとだったり、俳優やスタッフとだったりするのだが、事が私たちのチームや作品のこととなると、「引けない」と思うようになってきた。また、トラブルがあったりすると、何故か前に出てしまう傾向も増えてきた。
これはセカンドやサード時代に、上のチーフたちを見て来たからだと思う。私たちのチームのチーフたちは、いざという時に見事な結束ぶりを見せた。そのチーフたちとは、家喜喜彦、都築一興、藤井哲也、広瀬浩一、南所登たちなのだが、彼らは仲間や自分たちの手掛けている作品のためには、己の身を削ることもいとわずに、一致してキャメラマンや技師たちを説得して事に当たったのだ。そのことは【Episode5個性的過ぎるスタッフ】で書いた。
そんな決意をした記憶はないのだが、助監督チーフになった時に「これからは自分が引っ張って行かなければ」と、無意識に思ったのかもしれない。監督になってからは、当然自分が演出する作品のクオリティは、自分が責任を負わなければならない。「台本が悪いから」「プロデューサーがこうしろと言ったから」「主役がこうしたいと言ったから」は言い訳にはならない。そういう意識が、対立の機会や場を多くしたのだろう。
体毛が濃くなる
次に身体的な影響だ。ここからは、自分が思っているだけのことで、科学的な根拠のある話ではない。笑い話として読んで欲しい。
こういう緊張した生活が、体にも変化をもたらしたような気がする。そのころから、腕や足の体毛が濃くなってきた。髭も濃くなってきて、それまで必要なかった髭剃りをするようになってきたのだ。反対に、頭頂部がしだいに薄くなってきた。何故か?私の解釈はこうだ。
腕や足の体毛や髭は男性ホルモンが司り、頭頂部の髪の毛は女性ホルモンが司るらしい。チーフになってから、そして監督をするようになってから、日常的に戦わなければならないことが多くなり、そしてそれに身構える生活は、男性ホルモンを掻き立てることになったのではないのだろうか。男性ホルモンが強くなったので、男性ホルモンが司る腕や足の体毛や髭が濃くなり、女性ホルモンが司る頭頂部の毛髪の生育が衰えたにちがいない。甲状腺ホルモンが司る側頭部や後頭部はフサフサしているのにだ。
ストレスが溜まる
元々は気が強くない私が、戦うことを避けられない、いや避けないと言った方が正確かもしれないが、そういった生活を送り続けるということは、やはりかなり無理をしていたのだと思われる。私自身は意識していなかったのだが、相当ストレスを受けていたに違いない。その頃から、高血圧の傾向があると医者に言われ始めた。また、背中の肩甲骨の内側が凝って堪らなくなり、娘たちに背中を踏んでもらったりした。一度、東京に出張したときに我慢できなくなってマッサージを頼んだことがあったが、マッサージ師に「背中が凝りすぎて指が入らない」といわれたことがある。
何度も言うが、私自身は「無理をしている」という意識は全然無かった。無意識の内に、突っ張った生活を送っていたのだ。私の監督と助監督の「二足の草鞋生活」はまだまだ続く。
【Episode21】To Be Continued
※次回は来週水曜日(2025年3月5日)に投稿予定
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
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