【Episode22】
京都映画での監督稼業
──まだまだ続く二足の草鞋
その3
「斬り捨て御免!Ⅲ」第8話
1982年前半。私はこの年の7月に35歳になる。初監督から丸2年が経っていた。「斬り捨て御免!Ⅲ」第5話の地獄島潜入編の後は、第8話の「三万両の身代金に賭けた命」を演出した。脚本は鈴木生朗。それまでは主役の花房出雲(中村吉右衛門)が、探索から一件落着までほとんど一人で大活躍する作品が多かったが、第8話は番士の平野与四郎(伊庭剛)や芸者小蝶(金沢碧)が探索に活躍するストーリーとなった。また、「翁の御前」一味内部の権力争いなども描かれたり、三十六番所以外の白河楽翁の手の者が活躍する作品だった。あらすじはこうだ。
第8話「三万両の身代金に賭けた命」あらすじ
木綿問屋を商う大店木津屋(堀内一市)の1人娘幸が、瑞光院で法要中に、妖術を使う梓巫女お弓(白石奈緒美)一味によって誘拐される。木津屋には「身代金として3万両を出せ」との文が届けられる。三十六番所頭取花房出雲は、白河樂翁からの知らせでその事件を知る。「豪商の木津屋といえども、3万両もの現金が店にありますかね?」と問う大助(長門勇)に、「それがあるんだな」と答える出雲。実は江戸十組問屋大行事を勤める木津屋には、永代橋架け替えなどのために幕府に献上する、十組問屋360店の3万両の積立金があったのだ。しかし、その金を身代金に使えば、木津屋は罪に問われる。木津屋は、掛けがえのない一人娘のために、3万両を差し出す苦汁の決意を固める。
木津屋の手代利吉(高峰圭二)がひっそりと店を出る。その後を行商人に変装した与四郎が尾行する。利吉は両替商戸村屋の暖簾を潜る。それを確かめて与四郎は店を後にする。だがその後戸村屋から出て来たのは、瑞光院の僧侶了伝だった。
戸村屋では、利吉が主人(早川雄三)に木津屋の情報を流していた。戸村屋は翁の御前の一味だったのだ。一方、了伝は歩き巫女のお弓に呼び止められる。了伝はお弓に木津屋の娘に飲ませた薬を処分したこと、寺社方の詮議もなかったことを告げるが、お弓の持つ梓弓に仕込んだキリのような武器で刺殺される。
戸村屋は翁の御前(翁の面)の前で、幹部林伝八郎(亀石征一郎)に自慢する。「木津屋は3万両に手を付ける決心をしたようです。これで、闕所処払いは免れません。身代金3万両だけでなく木津屋の身代も手に入りそうです」。伝八郎は厳しい口調で言う。「翁の御前はそんなはした金を欲しがってはおられぬ。狙いは十組問屋大行事の地位を手に入れて、傘下360の大店を支配することだ」。恐れひれ伏す戸村屋。
与四郎は大助(長門勇)に利吉の怪しい動きを報告。「戸村屋は翁の御前の息が掛かっており、利吉は内通者に違いない」と憤慨する大助。だが、三十六番所の外に潜む人影。2人の話を盗み聞くお弓だった。
お弓は伝八郎に詰問する。「なぜ了伝の口を封じなかったのか!」。お弓は翁の御前一味の幹部だったのだ。お弓は伝八郎に「花房出雲が誘拐事件を嗅ぎつけた」と告げ、「出雲を始末しては」と唆す。
一方出雲は、芸者小蝶に依頼する。「今夜の十組問屋のお座敷に木津屋と戸村屋が出席する。秘かに探っちゃくれないか」。小蝶は戸村屋と利吉の密談を盗み聞きするが、2人が声を潜めたために人質交換の時間と場所は聞けない。
出雲は伝八郎に襲われる。その鋭い太刀筋を間一髪で躱し難を逃れる。その出雲に何者かが投げ文を寄こす。娘・幸の身を案ずる木津屋と番頭それに利吉に前にお弓が現れ、身代金3万両と幸の交換時刻と場所を告げる。
荒涼たる河原。木津屋は3万両を積んだ2台の大八車を人足に引かせ、指定された場所に来る。待ち構える伝八郎を筆頭に黒覆面の翁の御前一味。千両箱を改める一味。堤の上に引っ立てられてくる娘・幸。その時、堤の上を疾走してくる裸馬。人質に近づくと馬の腹に隠れていた出雲が姿を現す。娘を救い出す出雲。人足に変装していた大助と与四郎が3万両を守って戦う。木津屋は利吉に娘を連れて逃げるように命じる。利吉は娘を待たせていた駕篭に乗せて突っ走る。失敗を悟った伝八郎は姿を隠す。
利吉と駕篭の前に立ちはだかるお弓。「利吉さん、道が違うのでは?」「駕籠屋、木津屋まで何があっても突っ走れ!」と駕篭屋に命じてお弓の行く手を阻む利吉。「ただの手代とは思えぬ。さては、取引場所が出雲に筒抜けだったのは、お前の仕業だな」。お弓の妖術にたぶらかされて、梓弓に仕込んだキリで刺し貫かれる利吉。
翁の御前の前で不首尾を詫びる伝八郎。伝八郎は「失敗の原因は戸村屋が利吉の正体を見抜けなかったからだ」と戸村屋を責める。戸村屋は自分の責任だけではないと抗弁する。そこにお弓が現れ、翁の御前から賜った茶を2人に勧める。その茶を啜った戸村屋は苦しみながら息絶える。お弓は伝八郎に冷たく告げる。「今日からその席に座るのは私。あなたがその茶を飲まずに済む道は、花房出雲を倒すことのみ」
利吉の墓前で彼が白河楽翁の影目付だったことが明かされる。「明日はこの身もこうなるかもしれん」と出雲。出雲の前に現れる伝八郎。激闘の末、伝八郎を倒す出雲。
「困った時の高峰圭二」
長々とあらすじを書いたのは理由がある。このブログを書くのに先駆けて、40数年ぶりに第8話のビデオを見た。すると、木津屋の手代利吉が花房出雲側の密偵だということを、相当後半まで確信が持てなかったのだ。お弓が人質交換の時刻と場所を告げる辺りから、「ひょっとすると」という思いはあったのだが、梓巫女のお弓に呼び留められるシーンになって、やっと「やっぱりそうだったのか」と確信した次第だ。自分が監督したのに、ストーリーをまったく覚えていなかったのは恥ずかしいかぎりだが、私を含めて視聴者を騙し通せたのは、利吉を演じた高峰圭二さんの演技力に負うところが大きい。
高峰さんは私とは1歳上で、当時は星野事務所に所属していた。「ウルトラマンA」などで主役も務めた俳優さんだが、京都映画にも「必殺シリーズ」や「お耳役秘帖」「朝ごはん抜き?」「斬り捨て御免!Ⅰ・Ⅱ」「お命頂戴!」などで、多数ゲスト出演していた。私は何時の頃からか、仲良く話をするようになっていた。
「斬り捨て御免!Ⅲ」の第8話では、前半は主人を金で売る小悪党の顔。中盤ではその表情にやや鋭さを加えて、得体の知れない人物の雰囲気を漂わせていた。この演技は、「ひょっとして利吉は『翁の御前』直属の配下では?」という疑いを、視聴者に感じさせたことだろう。終盤でお弓と対決するときは、命を張って任務を果たす影目付の毅然とした演技を見せてくれた。
私はこういった高峰圭二さんの、その時その時に求められた役柄を演じ切る、メリハリの効いた演技力を頼りにしていた。「フッ」「フッ」と出てくる表情や仕草が、「あれ、コイツは何者?」とか「イヤー、タダの〇〇じゃないな」とかを視聴者に感じさせて、ストーリーやドラマ展開に引き込んでくれるのだ。シリアスな役柄もコミカルな役柄もというか、あらゆる役柄をこなしてくれる巾広い確かな演技力。秘かに「困った時の高峰圭二」と思っていた俳優さんだったのだ。彼は時には厳しいことも言ってくれた。「師匠は誰?」と訊かれて、「一番影響を受けたのは工藤栄一監督かな」と答えた。すると高峰さんは「皆元ちゃんの演出を見てたら、そうとは思えんけどな」と、ズバリと言った。
実はそれは、当時の私の「痛い」ところだったのだ。工藤演出に憧れながら、台本の構成や狙いすらガラリと変えてしまうその剛腕ぶりは、私には真似ができなかった。私は「ホン直し」については佐々木Pに鍛えられて、それなりにできるようにはなっていた。だが工藤栄一監督の場合は、「ホン直し」というレベルを超えていた。まったく元の台本とは別の世界を作り上げてしまうのだ。さらに現場での圧倒的な演出力。意外性あふれる発想で、俳優やスタッフを凄まじい腕力でグイグイ引っ張っていくのだ。それらは工藤栄一にしかできない芸当だということを思い知らされていた。当時の私は、工藤演出を真似することすらできないジレンマにあったのだ。やがて「自分は自分」と諦めがついたのだが、その頃はそんな悩みがあったのだ。
その後も高峰さんには「眠狂四郎シリーズ」や「土曜ワイド劇場」「MBS帯ドラマ」などでお世話になったが、残念なことに2000年を前に星野事務所を退社してからは、仕事をする機会がなくなっていた。
スぺクター幹部会の再現
もう一つ。この回は花房出雲が大活躍する代わりに、「翁の御前」側の動向が描かれているのが特徴だった。幹部として林伝八郎(亀石征一郎)が第4話から出ていたが、この第8話では伝八郎に対抗する幹部であるお弓(白石奈緒美)が登場する。そして、翁の御前(翁面)の前で「作戦失敗は誰の責任だ?」という幹部同士の論争があり、翁の御前の裁定により幹部の1人戸村屋が毒を与えられ、粛清されたりもする。
どこかで見た場面ではないか。賢明な読者はもうお分かりだろう。007シリーズの世界征服を企む秘密組織「スペクター」の幹部会の様子にそっくりなのだ。スペクターの場合は、猫を抱いたNO1が上座に座り、その前で失敗の原因追及が幹部同士で行われる。そして、NO1の裁定によりNO2やNO3がワニに喰われたり、思わぬ方法で毒物を与えられたりして粛清されるわけだ。
「斬り捨て御免!Ⅲ」第8話はこれの模倣というか、「007みたいな時代劇というなら、スペクターの幹部会も入れなきゃダメだよね」という感覚で、「翁の御前」前の幹部会のシーンを入れたのだろう。むしろ、この場面を入れるために第8話のストリーが構築されたのかしれない。
だが、その模倣はやや中途半端だった。007本家の場合はジェームスボンドを殺し損ねた実行者ではなく、その実行者の失敗を非難したプランの責任者が粛清される。その場面は「失敗した実行者が粛清されるのだろうな」という雰囲気を作っておいて、実はプランの責任者が粛清されるという「意外性」が用意されており、「どういう方法で粛清されるのか」という期待感も含めて、見所のひとつとなっている。だが、「斬り捨て御免!Ⅲ」の場合は、その場の力関係やキャスティングの強弱によって、粛清されるのが戸村屋だろうなというのがバレてしまっていた。その方法も伝八郎と戸村屋の前に茶が出て来た時点で、毒殺という粛清方法がバレてしまっていたのだ。もったいないことに、粛清の方法も含めて意外性という武器を使うことができなかったのだ。
当時、そのことについて佐々木Pや歌舞伎座、それに鈴木生朗さんとどういうやりとりをしたかまったく記憶にない。そこまで台本を直す力が私には無かったのだろう。
反省点が多い出雲と伝八郎の対決場面
今回ビデオを見て反省したことがもう一つあった。あらすじでは詳しく触れなかったが、出雲と伝八郎の対決だ。伝八郎の剣法の最大の武器は鋭い突き技だ。伝八郎は第4話から登場している。4~7話の間に、当然伝八郎の突き技が描かれていたのだろうが、第5話以外の3話分は今回私は見ていない。第5話は私が監督をしていたのでビデオも見たが、伝八郎の登場シーンはわずかだった。だから、伝八郎についてはほとんど予備知識がない状態で今回第8話のビデオを見たわけだ。一般の視聴者に近い状態と言える。
さて第8話だ。中盤に川端で釣りをしている出雲を、伝八郎が襲うシーンがあった。そのシーンで、伝八郎は鋭い突き技を見せ、出雲の深編笠の正面が斬り裂かれてしまう。眉間を狙った突き技ということだ。出雲は眉間に浅手を負ったが、危ういところで舫いが切れた小舟に飛び移り、難を避けることができた。その後のシーンで、出雲は三味線を爪弾きながら、伝八郎の突き技を破る手を思案する。そして、その解決方法を思い付き、三味線の胴を叩く。ラストの出雲と伝八郎の対決シーン。深編笠を被った出雲は伝八郎の突き技を受ける。切り裂かれる深編笠。出雲は眉間に一撃を受けたのか!?一瞬の後、出雲は伝八郎を「御免!」と真っ向から斬り下げた。深編笠には三味線の胴(硬い木製の板)が仕込まれており、その胴が伝八郎の突きを防いだのだ。
私は第8話のビデオを見て、思った。「もう少し丁寧に撮るべきだった」と。まずは最初の川端のシーンで、眉間を斬られた傷だ。血糊を付けた部分が小さく、ナイトシーンと言うこともあり、分かり難かった。出雲を撮った画面サイズを、もっと寄りのサイズで撮るか、血糊を多く付けて分かりやすくしておくべきだった。あるいは、出雲が額に手をやり、傷を確認するという芝居をさせた方が良かったのかもしれない。実はこれがフィルム撮影の難しいところで、ビデオ撮影のように現場のモニターで確認することができないのだ。傷がどれくらいの感じで写っているのかなど、微妙なところは現像してみてからしか分からない。従って、こういう事態が起こってしまうわけだ。
次に、出雲が小蝶の家で三味線を爪弾きながら、伝八郎の突き技を防ぐ手段を思案しているというシーン。回想で伝八郎の突き技のカットが入っているのだが、やはり言葉にしなければ印象が薄い。出雲が「あの突き技……」みたいに呟くか、あるいは誰かが目撃していて、「あの凄まじい突きは、出雲でも防ぐのはむつかしい」みたいなことを言わせた方が、出雲が感じている「突き技に対する脅威」の重みが分かりやすかったのではないだろうか。
それに、三味線の胴の木片を深編笠に仕込むことを思い付く芝居が、少し分かり難いのだ。出雲は胴の木の部分を叩いて「これだ」という表情をするのだが、胴掛け(胴を保護するカバー)も掛けてあり、木の部分だということが分かり難い。いま思えば、胴掛けを外して胴の木目をはっきり見せて、それを叩けばよかったと思う。そうしなかったのは何故か?ひとつには、当時の私はあまりにも分かりやすく撮ると、「ダサい」と思っていたのかもしれない。京都映画にはそういった風潮があったような気がする。もう一つ、この文章を書きながら思い出したことがある。私は三味線には胴掛けが付き物だということを、撮影現場で初めて気が付いた。胴掛けというものは知ってはいたが、それが付き物だとだということに、コンテを立てる時には思いが至らなかったのだ。しかも、芸者・小蝶の三味線だ。胴掛けが掛けていないということはありえない。きっと現場で、上手く胴掛けを外す方法を思い付かなかったに違いない。先ほどの「ダサい」という思いも後押ししたのかもしれない。「分かるだろう」と言い聞かせて撮ってしまったような気がする。
ラストで伝八郎を倒した後に、出雲が深編笠から胴の木の部分を取り出して、「ありがとうよ」という感じでコンコンと叩く芝居がある。だが、それが三味線の胴だとは、先ほどの前振りがしっかりできていなかったので、分かり難い気がした。そこに付いた刀傷もはっきり分からなかった。私の演出は、出雲の芝居の「カッコ良さ」ばかりを気にして、丁寧さと見ている人に対する親切心が欠けていたと言われても仕方がない。当時の私は少し天狗になっていたのかもしれないと、反省させられる苦い作品だった。
制作者の盲点
私の慢心に対する反省とは別に、私たち映像関係者が陥りやすい盲点がある。第8話での分かり難さに対するチェック体制の問題だ。当時も今もオールラッシュ(プレビュー)や試写を見る関係者は、全員が台本を読んでいる。従って、内容はほとんど頭に入った状態で見るわけだ。すると、少々分かり難い表現があっても、「ああ、あのことね」と思って見逃がしてしまう可能性がある。私の場合もそうだったと思う。
私が4年ぐらい前に経験したことがある。私はあるミステリー番組を長年監督してきたのだが、事情があってその番組から降りることになった。その番組自体は存続していたので、別の監督が撮ることになった。私としては愛着のある番組だったので、その放送を見た。台本は読んでいなかった。従って、ストーリーに対する予備知識をまったく持たずに見たわけだ。
始まってから最初の3分の1が、どうも頭に入ってこずに退屈してしまった。しかし、後半はそれなりに面白くて楽しませてもらった。気になって、1週間ぐらい経ってもう一度見てみた。すると問題の前半の3分の1が、最初に見た時よりもよく頭に入って面白いのだ。不思議に思って考えてみた。辿り着いた結論はこうだ。
2度目に見た時はすでにストーリーや伏線が頭に入っている。従って、「あ、このセリフは後でこう繋がってくるんだな」とか、「あ、このカットは後から主人公が謎を解く切っ掛けになる伏線なんだな」とか、意味付けしながら見れたわけだ。逆に言うと最初に見た特は、キーワードになるセリフや解決の糸口になる伏線を、意味付けられずに見ていたので、分かり難かったりわかり退屈していたわけだ。
ミステリー番組は、どうしてもそういう構成になりやすい。最初の3分の1くらいで、登場人物の置かれている状況の説明や、後半の展開の伏線を撒いて置かなければならない。これはある意味仕方がないことだが、問題はその説明や伏線を張るシーンの内容とチェックの仕方だ。オールラッシュや試写で、その説明や伏線を張る場面が面白くなかった場合、台本を読んでいるプロデューサーや関係者ばかりだと、意味付けが気になってドラマ的に面白くないことに気付かない危険性が高くなる。「あ、このシーンは状況説明のシーンだ。分かりやすい説明だOK」とか、「主人公が後で気が付く伏線のシーンだ。なるほど、ちゃんと伏線になっているな」とかを、確認するだけで満足してしまいがちになることだ。私が問題のドラマを二回目に見たのと、同じような状況と心理状態で見るというわけだ。
しかし、視聴者は初見だ。私が最初に見た状態で見るわけだ。私が「分かり難い」「面白くない」と思った感覚は、視聴者も同じだと考えなければならない。では、これを回避する方法はあるのか?
簡単だ。台本を読んでいない人物にオールラッシュや試写を見せて意見を聞くことだ。一般の視聴者と近い状態の人に見てもらうというわけだ。ハリウッドでは完成した映画を、台本を読んでいない一般の市民に見せて、その意見によって撮り直したり、編集をし直したりするそうだ。「危険な情事」という映画で、夫(マイケル・ダグラス)の不倫相手(グレン・クローズ)を妻(アン・アーチャー)が殺すというショッキングな結末は、一般の市民が見た感想によって、当初の結末を変更して撮り直したということだ。そこまでする必要があるかは疑問だが、台本を読んでない人に見てもらって意見を聞くのはすぐできることなので、やってみる価値はあると思う。私が撮った「斬り捨て御免!Ⅲ」第8話。そのオールラッシュや試写でのチェック体制が機能しなかったことと、私の未熟さに反省の念を込めて。
【Episode22】To Be Continued
※次回は来週水曜日(2025年4月9日)に投稿予定
お知らせ
スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舍利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明
亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
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