Episode22
  京都映画での監督稼業

    ──まだまだ続く二足の草鞋

その6

 

前号まで

「斬り捨て御免!Ⅲ」私の7本目監督作品は、第16話「狙われた姫 魔界の女呪術師」だった。この話も前回と同様に、視聴者が思い入れできる登場人物が出て来ない、というかメインゲストの房子姫=早瀬久美に思い入れをしようにもしようのない作りの作品だった。

 

「狙われた姫 魔界の女呪術師」ストーリー

愚痴になってしまうので、詳しくは述べないが、大まかなストーリーはこうだ。京の公家の房子姫(早瀬久美)が、大奥の御女中たちに和歌や書道を教授するために江戸に下向する。その途上、お供の者が皆殺しにされ、翁の御前一味が入れ替わってしまう。姫を操って大奥を支配しようとする「翁の御前」一味の企みだ。姫は侍女に化けた梓巫女・お京(白石奈緒美)の妖術によって、「花房出雲(中村吉右衛門)は父の仇」と意識下に植え付けられる。普段は元のままの姫だが、土鈴が鳴ったりお京の呪文が聞こえると、「出雲は仇」という想念に絡め取られてしまうという仕掛けだ。最後は古寺での出雲とお京の対決となる

 

「天衣無縫」過ぎる姫

このホン、メインゲストの公家の姫を天衣無縫というか、浮世離れした実にアッケラカンとした性格に描いている。普通の女に備わっている羞恥心というものがまるでないのだ。出雲と二人のシーンになった時に、出雲を振り回したいという意図なんだろう。しかし、その意図が強すぎて、いくら下々のことは知らない公家の娘とはいえ、姫がおバカさんになってしまっている。冒頭のシーンで父親の公家が惨殺されるのを目撃しながら、次に江戸下向の道中で登場した時には、このことを全然引きずっていないのだ。またその直後に、供の者全員が目の前で殺害され、江戸から迎えに来たという一行に入れ替わってしまう。その瞬間は驚き怯えるが、次に登場した時は状況の変化はまったくないのに全然怯えていないのだ。供の侍に「お手水や(トイレ)」と恥ずかしげもなく言わせる。挙句に、物陰にいた出雲に、「濡れてしまうので、裾を持ってたもれ」と言い付ける始末だ。視聴者が思い入れをする前に、「アホか、コイツは」と思ってしまう。

台本の狙いが、こういう性格の姫と出雲の珍妙な触れ合いということなので、監督の私はその性格を変えることはできない。それでも何とか、姫の運命の過酷さとアッケラカンな性格の落差を埋めようと、台本に手をいれようとした。だが迂闊に直したら、狙いの「天衣無縫」という性格に影響がでる。結果的には姫に常識的な感性を付与することは諦めた。その代わり、逆に姫の「天衣無縫」ぶりを強調することにした。視聴者には「信じられへんけど、公家のお姫さんいうのは変なひとやなー」と思ってもらうことにしたのだ。

 

「人間を描く」ことに拘らなかったツケ

面白い部分を強調して、悪い部分や面白くない部分は極力気付かれないようにする。私のこういった割り切り方が、多分歌舞伎座に気に入られたのだろう。どんどん私の監督本数が増えていった。「斬り捨て御免!Ⅲ」から10年ほど経ってから、朝日放送(ABC)のプロデュ―サーに言われたことがある。「皆元さんは、面白くないホンをエンターテインメントに仕上げるのが上手いですね」。いま思えば、これは誉め言葉なのだろうか?「斬り捨て御免!」の頃のごまかし方を10年経っても続けていて、それを重宝されているらしいのだが、単に「小器用ですね」と言われていただけなのかもしれない。

連続ドラマは、そうそう良いホンを揃えることは難しいという現実はあるのだが、若いころに「人間を描く」ことにもっと拘って、徹底的にホン直しをやっていれば、ひょっとしたら別の監督人生が開けていたのかもしれない。このブログを書きながら、あるいはブログを書くために古いビデオを見ながら、苦い思いを抱きながら、そう考えてしまう今日この頃ではある。

 

特殊効果シーンは照明が主役

愚痴はこのくらいにして、この作品の照明について書こう。この第16話の最大の見所は、ラストの出雲と「翁の御前」大幹部梓巫女お京の対決だ。お京は凄腕の妖術使いという設定だ。従って、お京が自らの術を最大限に駆使して、出雲を苦しめるという展開になる。台本ではラストの対決の前に、お京の妖術を何度か出している。その妖術がいかに凄いのかということを視聴者に前売りして、ラストの対決を盛り上げる構成だ。出雲に先立ってお京に妖術をかけられるのは、公家の綾小路信房、その娘房子姫だ。房子姫は3度も術を掛けられてしまう。この16話だけで都合5回も妖術シーンが出てくるわけだ。従って、この妖術場面をしっかり作らなければ、第16話はアウトということになる。

妖術を掛けられた人物は、それまで目の前に広がっていた世界が異次元の世界に変わってしまう設定だ。それを映像的にどう表現するのか?特殊効果ということになるが、まず台本の設定がある。例えば、「呪文が聞こえてくる。不審に思い、その方を見る房子姫。庭に梓巫女姿のお京が立っている。『何者じゃ』そう言って、房子姫はお京をキッと見据える。カッと見開かれるお京の目。瞬間、房子姫はお京の目に吸い寄せられる。妖しく光るお京の瞳。術に落ちる房子姫。異次元の世界に包まれる」みたいな設定だ。その設定を元に、監督である私が基本的な撮影プランとコンテを作って、スタッフに提示する。それを撮影部・照明部・美術部とで、具体的にどう撮るのかを検討することになる。それぞれのパートが協力し合わないと上手くいかないのだが、こういう特殊効果はとりわけ照明部が重要な役割を演じることになる。

 

照明技師・南所登

「斬り捨て御免!Ⅲ」の照明技師は南所登(南ちゃん)だった。南ちゃんは私と同い年だが、18歳ぐらいから照明マンとしてやってきていたので、活動屋としては遥に先輩だ。藤原三郎(サブちゃん)、広瀬浩一(ワカ)、家喜俊彦、藤井哲也(てっちゃん)、都築一興(イッコウ)などとともに、私たちのチームのメンバーとして一緒にやってきた仲でもある。3年前の「朝ごはん抜き?」から技師に昇格していた。南ちゃんは飛び切りのアイデアマンだった。常に照明で何ができるかを考えていた。また、登場人物の心理を照明的にどう表現するのかということも常に考えていた。そして、ここぞという時にはあっという技を見せた。

例えば、何の作品だったか忘れたが家喜組でのことだ。登場人物は犯された女。少し時間が経過した設定だ。女が座敷でぐったり横たわっている。家喜監督はその画を俯瞰のルーズショットで撮りたいと言った。南ちゃんが言った。「ごめん、1時間くれるか」。京都映画のテレビ番組では、平均すると1時間に5~6カット撮影するペースだった。結果的に1時間掛かってしまったというカットはあるが、照明だけに1カット1時間というのは無いことだった。お目付け役でもあるキャメラマンの中村富哉さんは思い止まらせようとしたが、家喜監督は言った。「任せる」。それから南ちゃんは、大きな水槽を座敷の上に吊り上げて水を張った。その上から大きな(10キロ?)ライトを当てた。そして、水面に水滴を垂らした。映像はこうなった。薄暗い部屋に横たわった女を中心に、「ボヨヨ~ン」「ボヨヨ~ン」と波紋が広がっていくのだ。女の心象風景をこうやって表現したのだ。今までにはない面白い映像だった。このカットだけで2時間も掛かったので、佐々木Pからはお目玉を喰らったが、私たちは拍手喝采した。随所でそういう技を見せてくれる南ちゃんだ。当然、妖術シーンも張り切ってくれた。

 

南所登は妖術を使う!?

まず、公家の綾小路信房が妖術に掛かるトップシーンでは、妖術が出てくる最初のシーンなので、軽くいっている。むしろ妖術部分は抑えて、「怪奇現象が起こったのでは!?」という出だしにしている。深夜、信房が認めた封書が勝手に裏表ひっくり返り、ブルブル震えながら開いていき、中の信書が勝手に出てくるというカット。封書に木の枝の影を作りそれを揺らせて怪しさを演出してくれた。また、術を掛けた後のお京の背景を、怪しげな暖色系で色付けしている。

次に、本陣でのシーン。房子姫が侍女にすり替わったお京に術を掛けられる場面だ。お京が怪しげな土鈴を姫の目の前で振る。土鈴に吸い寄せられる姫。その見た目のお京は赤く不気味に彩られている。そしてお京の瞳には赤い光が宿っている。術にかかった房子姫も、同じ赤に染まった。真っ赤に染まった障子の前の2ショット。お京は房子姫に吹き込む。「お前はいまからは翁の御前の仲間。翁の御前の命には何でも従う」。その時の障子は単に赤に染まっただけではない。怪しげな光の波が、まさしく念力が送られるように、お京の方から姫の方へと押し寄せていくのだ。こういう+1の細工は南ちゃん照明の特徴だ。その後の、お京が房子姫に呪いを掛けるカットも見ものだ。まず、お京の顔をスーッと真っ暗にする。そして同時に、左右の襟と鬢にライトが当たる。それらを滑らすように当てているのが、画のポイントとして効いている。また左はノーマル、右が赤と色を変えているのが芸の細かいところだ。そして、九字みたいなものを描くお京の指先だ。赤い豆ライトを仕込み、呪い言葉の最後に閃光が姫を襲うという凝った仕掛けをしてくれた。私はイメージと狙いを語っただけだ。どうライティングするかのアイデアと計算は、私のコンテに基づいて南ちゃんが組み立てたものだ。

三つめは、房子姫がお京の妖術によって、出雲を父の仇として吹き込まれるシーンだ。その結果、お京の呪文を聞くと、目の前にいる宿の女中を出雲と思って殺してしまう。このシーンは妖しげな雰囲気よりもスリラー的な雰囲気にしたかった。従って、照明的にはあまり凝った細工はしなかった。不気味な雰囲気を作っただけにした。

最後に古寺のシーン。出雲が房子姫を本陣から救い出し、一夜の宿代わりに泊った無住の古寺。2人が眠った夜半、お京の呪文が秘かに聞こえてくる。ムックリと起き上がる房子姫。この時点で術に落ちている設定なので、姫の顔は暗部を多くしてサイドから強めの光を当てるという照明だ。この直後にお京の妖術と出雲の対決が待っているので、やや控えめのライティングとなっている。お楽しみは最後にという趣向だ。出雲の気合を込めた刀の一閃で、姫への術は解け、ノーマルな照明に戻り、姫は気を失ってしまう。

いよいよお京の登場だ。突然の登場で出雲の目とお京の目が合ってしまう。高まる呪文。その瞬間、出雲は術にかかってしまう。映像的には周囲がサッと暗くなり、出雲は赤い光に包まれる。南ちゃんの妖術を象徴する色は赤だ。出雲の正面はノーマルだが、輪郭は赤に染まる。呪文を唱えるお京は反対に青白く浮き上がる。だが、その目は赤く染まり、瞳の中心には赤い光が輝いている。術にかかった出雲は身動きが取れない。本堂の中の木椀や厨子などの仏具が、次々に飛んできて出雲を襲う。仏像までが宙を飛んできて出雲を襲うのだ。ここが南ちゃんの芸の細かいところだが、そのすべての仏具にも部分的に赤いライティングが施してある。視覚的に術を掛けられた仏具、あるいは術を掛けられた者が見た仏具ということになる仕掛だ。古びた打敷にボッと火が付く。瞬く間に紅蓮の炎が出雲を取り巻く。炎の中ので苦しむ出雲は赤い光に包まれている。鋭く先の尖ったロウソク立てが何度も出雲を襲う。危うく躱す出雲。そのロウソク立ても、もちろん赤い光に彩られている。進退極まった出雲が逆襲に出る。小柄を自らの太ももに刺す。さらに小柄を抉って痛みを掻き立てる。激痛によって妖術から自らを解き放とうとする決死の試みだ。出雲は覚醒する。覚醒の過程は演技によっても明らかになるのだが、照明的にも覚醒を表現する。南ちゃんは出雲の芝居に合わせて赤い光を薄くしていった。そして完全に覚醒した出雲は、大刀をお京に向かって投げつける。大刀に刺し貫かれるお京。照明の効果は如何に?何と、稲光に使うアークを焚いたのだ。眩い光に包まれ、断末魔の叫び声を挙げるお京。光の中でしだいに髪が白髪となり、顔が皺だらけになっていく。最後はお決まりの「御免!」で息絶える。

 

「監督は絶対」って本当?

先ほども書いたが、こういった照明プランを南ちゃんは私の演出プランをもとに組み立てたのだ。勿論、照明効果を最大限に生かすために、私にコンテの手直しを言ってくることもある。画のサイズやキャメラの向きなどだ。そんな時は、キャメラマンと3人で話し合って決める。そんな時南ちゃんは、「監督が絶対だ」とよく言っていた。だが、これは額面通りに受け取っていいのか微妙なところだ。勿論、監督である私が「こうしたい」と言えば、それに従ってくれるのは確かなのだが、彼の言葉の真意は少し違うような気がする。むしろその言葉はキャメラマンに向けられたもののような気がするのだ。

南ちゃんは助手の頃から、撮影部に対する対抗心が強かった。撮影所の常識では技術部のトップはキャメラマンだ。キャメラマンが画を決めて、あるいはその場面やカットの雰囲気を決めて、照明技師がそれに従うというのが一般的だ。もちろん、キャメラマンを凌ぐ力を持った照明技師はいるが、むしろそれは例外で一般的にはキャメラマンの力の方が強い。

だが、撮影現場でキャメラマンが「そのライト、画に入ってるで」と言っても、助手の南ちゃんは動かなかった。照明技師に直接指示されるまで、ライトを動かさないのだ。これは徹底していた。「撮影部ごときに命令されたない」が南ちゃんの口癖だった。多分これは、南ちゃんの師匠が佐野武治さんだったことが、影響していたのかもしれない。佐野武治さんは、黒澤明監督作品など名だたる有名作品の照明を担当した大照明マンだが、キャメラマンを遥に凌ぐ力を持っていた。私も実相寺昭雄監督の「歌麿~夢と知りせば」で御一緒したが、キャメラマンの中堀さんは常に佐野さんに相談していた。むしろ、「佐野さんがあそこまでライティングするのだから、『あそこまで引け』ということなんだろうな」という態度だった。話に聞くところでは、CMの仕事はまず佐野さんに話が来て、佐野さんがキャメラマンを指名していたらしい。「照明技師がキャメラマンより優先されるという仕事もあるのだ」と、その時知った。

 

照明の重要さを知らない映像業界もある

撮影所ですら照明技師はキャメラマンより下に見られているのだから、それ以外では押して知るべしだ。このグログを読んでいる方々のなかでも、撮影関係以外の方たちは照明の凄さをあまり認識していないと思う。批評家ですらキャメラマンの評価はしても、照明技師の評価はしないものだ。同じ映像業界でも、撮影所以外は似たようなものだった。

私が京都映画を離れて大阪のビデオの世界に入ったときのことだ。さすがにドラマでは照明部はちゃんといたが、取材のクルーには照明部が付かないことがあって驚いた。撮影部が簡単な照明器具を携帯していて、必要な時にはカメラマンが助手に指示してライトを当てさせるのだ。彼らは照明とは「暗いから当てる」という感覚でしかなかった。私は撮影所で育ったので照明の重要さは理解していた。照明の良し悪しで映像が、人物が、物が、作品すらがガラリと変わってしまうことを思い知らされていた。だから、ABCの「旅サラダ」の撮影を依頼されたときに、「照明部の付かない仕事はしない」と宣言した。それで、通常は付かない照明部が、私のクルーには付くことになった。

 

てっちゃんと南ちゃんの板挟みに

さて、南所登だ。「撮影部に負けたくない」という気持ちが分からなくはない。だが、その考えに私はしばしば悩まされた。キャメラマンが藤井哲也(てっちゃん)で照明技師が南ちゃんという場合だ。2人とも私の最も親しい友人だ。その2人がしばしば撮り方で衝突したのだ。

京都映画での私の組の場合、ロケバスでの座り位置が決まっていた。南ちゃんは運転手の左横に座り、てっちゃんが運転手の後ろの座席の右側に座る。私はてっちゃんの左隣だ。すなわち2人の間が私の定位置だった。バスが走り出すと、撮り方の話になる。普通は私がコンテを説明して、2人が質問したりアイデアをだしたりしながら進むのだが、時折そうでない場合がある。2人の意見が対立するときだ。どちらかがアイデアを出して、もう一人がそれに対して異を唱え、別のアイデアを出す場合だ。2人とも気の強さでは京都映画でも1~2を争う強者だ。絶対に自分から引くことはない。ましてや、てっちゃんはキャメラマンが撮影の主導権を握るべきだという意見の強硬派だし、南ちゃんは先ほど述べたように「撮影部に負けたくない」という強烈な意思を持っている。けっこう激しい言い合いになる。平行線はバスがロケ地に着くまで続く。

勿論、私自身の方針やどちらの案を採るかがハッキリしている場合は、私が決めてそれで決着がつく。問題は2人の意見が甲乙付け難い場合だ。迂闊に「あっちにする」「こっちにする」とは言えない。そこで私は必死に考える。「2人のアイデアを折衷する案はないか。2人のアイデアを超えるアイデアはないか……」。ロケバスが到着するまでに決着を付けなければならない。そんな時に限って、バスは早く着いてしまうのだ。いずれにしても私にとっては大変に有難い、苦しくも楽しい時間だった。感心したのは、2人とも問題が落着すれば、私がどちらの案を執ったとしても、その時の激しいやり取りを現場でもその後でも、一切引きずらなかったことだ。2人の方が私より大人だったのかもしれない。

 

「照明は美術しだい」

南ちゃんが信頼し頼りにしていたスタッフがいる。美術の太田誠一さんだ。南ちゃんは常々「照明は美術しだいや」と言っていた。彼の照明を生かすのも殺すのも美術しだいという意味だ。打ち合わせが終わるといつも太田さんと話あっていた。「ここは障子にできないか?」「この欄間は外せないか?」「ここのスペースを開けてくれないか?」等々だ。太田さんは元々照明も重要な要素として考えるデザイナーだった。それは私も、美術打ち合わせを太田さんとしていてよくわかる。私の場合は太田さんからアイデアを貰うことが多かったが、南ちゃんは太田さんのアイデアを引き出す交渉をしていたようだ。面白いことに、てっちゃんも太田さんを頼りにしていて、よく相談していた。こうして私は優秀な先輩や仲間たちに助けられて、何とか監督業を続けていたわけだ。

 

       【Episode22To Be Continued   

 

※次週2025430日は、申し訳ありませんがお休みさせて頂きます。
次回は2025年5月7日(水)に投稿予定です。



お知らせ

 スマホではこの後に、私が関知していない広告が掲載されるようです。目障りだと思われる方もおられると思います。お目にふれないようにスペースを作るため、般若心経を入れておきます。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 

照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 

受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 

是故空中 無色 無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

無眼界 乃至無意識界  無無明 

亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

般若心経